第4話 給食のプリンが一個だけ消えた
次の日の朝、教室の後ろに貼ってある献立表の前には、いつもより多くの人が集まっていた。
「やっぱり今日じゃん!」
「何が?」
「プリンだよ、プリン!」
高坂くんが献立表を指さしながら、まるで自分がプリンを発明したみたいに胸を張っている。
本日の給食。
コッペパン。
ポークビーンズ。
海藻サラダ。
牛乳。
そして、プリン。
プリン。
昨日、七不思議クラブのノートに浮かび上がった文字を、ぼくは嫌でも思い出してしまった。
『第二の不思議。給食のプリンを盗む小さな手』
できれば、誰もプリンを盗まないでほしい。
今日だけプリンが給食室から届かないとか、献立表の印刷ミスだったとか、そういうことになってほしかった。子ども向けの怪談だからって、毎回きちんと予定通りに起こる必要はないと思う。
「森野、顔が暗いぞ」
高坂くんが言った。
「プリン嫌いなの?」
「嫌いじゃない」
「じゃあ何で、親のかたきみたいに献立表見てんの」
「プリンに親はやられてないよ」
「そりゃそうだろ」
高坂くんは笑ったあと、ぼくの肩を軽くたたいた。
「今日、余ったらじゃんけんな」
「余るかな」
「絶対余る。橋本、今日休みだし」
「橋本さんの分は、最初から数に入ってないんじゃない?」
「じゃあ先生がいらないって言うかもしれない」
「先生、甘いもの好きだよ」
「何で知ってんの?」
「前に職員室でシュークリーム食べてた」
「森野、意外と見てるな」
見ようと思って見ているわけじゃない。
ぼくは、人が気にしないようなことを覚えていることがある。そのかわり、黒板に書かれた大事なことを忘れる。お母さんからは「その観察力を宿題にも使いなさい」と言われるけれど、使い方が分からない。
「おはよ」
後ろから声がした。
振り向くと、ひまりが立っていた。
昨日までと違って、顔はだいぶ普通に戻っている。目元も赤くない。髪もきちんとピンで留めている。
「おはよう」
ぼくが言うと、ひまりは献立表を見た。
「あ。本当にプリンだ」
「本当にって何だよ。献立表が嘘つくか?」
高坂くんが笑う。
ひまりは一瞬だけぼくを見て、それから高坂くんに言った。
「たまに変更あるじゃん。果物がゼリーになったり」
「ゼリーがプリンになるならいいけど、プリンが果物になるのは許さない」
「誰に許可を出してるの」
「給食の偉い人」
「ざっくりしてるね」
二人が話している横で、ぼくは教室の窓の方を見た。
すずめが窓枠に腰かけていた。
赤い着物の袖を揺らしながら、献立表の文字を逆さまに読んでいる。
「ポークビーンズって何?」
すずめが聞いた。
「豆と肉の煮たやつ」
「おいしい?」
「まあまあ」
「プリンは?」
「知ってるでしょ」
「昔のプリンと今のプリンは違うかもしれない」
「昔のプリンって何」
「知らない。昔、食べたことないから」
ぼくは思わずすずめを見た。
「じゃあ比較できないじゃん」
「想像するのは自由だろ」
「森野?」
ひまりが顔をのぞきこんできた。
「またすずめと話してる?」
「うん」
「今、どこ?」
「窓のところ」
ひまりは窓枠を見た。もちろん、すずめは見えていない。
それでも、ひまりは少し眉を寄せた。
「そこ、私が昨日ふいたところなんだけど。座るなら汚さないでって言って」
「座敷わらしに?」
「座敷わらしでも、着物にほこりついてたら落ちるでしょ」
すずめが窓枠から下りた。
「細かい子だねぇ」
「細かい子だって」
「森野、言わなくていい!」
「伝えろって顔してたから」
「してない」
「してたよ」
「してないってば」
高坂くんが、ぼくとひまりを交互に見た。
「おまえら、何の話してんの?」
「何でもない」
ぼくとひまりの声が重なった。
高坂くんは、分かりやすく怪しいものを見る顔をした。
「最近、おまえら仲いいな」
「別に!」
ひまりが、すぐに言った。
言い方が早すぎた。
ぼくは別に傷ついたわけじゃないけれど、なんとなく机の上の鉛筆をそろえたくなった。
「森野が変なこと言うから、仕方なく話してるだけ」
「変なこと?」
「だから、何でもないって」
ひまりはそう言いながら、自分の席へ戻っていった。
高坂くんも「ふうん」と言って離れていく。
すずめがぼくの机の上に腰かけた。
「今の、ちょっと嫌だった?」
「何が」
「別にって言われたの」
「別に」
「あんたも言うんだ」
「ほんとに別に」
「へえ」
すずめは楽しそうに笑った。
「何」
「人間って面倒くさいねぇ」
「すずめも面倒くさいよ」
「座敷わらしだからね」
「それ、何にでも使うよね」
朝の会のチャイムが鳴った。
担任の吉田先生が教室に入ってくる。
いつも通りの学校が始まった。
国語。算数。理科。体育。
授業は何事もなく進んだ。
ノートが勝手に開くこともなかった。
廊下に小さな手が現れることもなかった。
プリンを盗む怪談も、今のところ見えない。
もしかしたら、昨日の文字は今日のことではないのかもしれない。
学校は毎日ある。
プリンだって、来月また出る。
そう思うと少し安心した。
でも給食の時間が近づくにつれ、すずめは明らかに落ち着きをなくしていった。
四時間目の算数では、ぼくの机の横に座りこんで、何度も時計を見ている。
「まだ?」
「まだ授業中」
「長くない?」
「いつもこれくらい」
「数字をこねくり回して、何が楽しいのさ」
「大事なんだよ」
「プリンより?」
「比べるものじゃない」
「逃げたね」
先生が黒板に分数の計算を書いている横で、すずめは勝手なことを言う。
ぼくは無視しようとした。
するとすずめは、ぼくの鉛筆の先に顔を近づけた。
「これ、答え違うよ」
「分かるの?」
「分かんない」
「じゃあ言わないで」
「でも、あんたが自信なさそうな顔してるから」
ぼくは消しゴムを持った手を止めた。
本当に答えが違っていたらしい。
先生が黒板に書いた答えと合っていない。
ぼくは小さくため息をついて、計算をやり直した。
やがて、給食の時間を知らせるチャイムが鳴った。
すずめが立ち上がる。
「来た!」
「プリンを食べるのはぼくなんだけど」
「分けて」
「無理だよ。触れないでしょ」
「気持ちだけでも」
「気持ちだけ分けるってどうするの」
「おいしい顔を見せる」
「それ、すずめしか得しないよね」
給食当番が白衣を着て廊下へ並ぶ。
今日の当番には、クラスの男子・山岸大地も入っていた。
大地は体が大きい。背も高いし、肩幅もある。体育のときは力が強くて、ドッジボールでは最後まで残ることが多い。
そのかわり、授業中はよくお腹を鳴らす。
給食のおかわりも多い。
前に高坂くんが「大地の腹の中、給食室とつながってるんじゃね?」と言って、クラスが笑ったことがある。大地もそのときは笑っていた。でも、口元だけで笑って、目は笑っていなかった。
大地は給食ワゴンを押しながら言った。
「そこ、どいて。ぶつかる」
「あ、ごめん」
ぼくが道をあけると、大地は少し不機嫌そうな顔でワゴンを教室へ入れた。
「今日、プリンあるぞー!」
高坂くんが叫ぶ。
「知ってるよ!」
「献立表に書いてある!」
「うるさい!」
教室が笑い声でいっぱいになる。
吉田先生が手をたたいた。
「はいはい。プリンで興奮しない。まず配膳しなさい。スープをこぼした人は、プリンを食べる前に床をふくことになります」
「先生、それ罰ですか?」
「床をふくのは罰じゃありません。こぼした人の責任です」
「プリンが後になるのは罰です」
「じゃあ、こぼさないようにしてください」
給食当番たちが配膳を始めた。
コッペパンが一つずつ置かれる。
ポークビーンズが湯気を立てる。
海藻サラダは、見た目だけなら少し寂しい。
最後にプリン。
小さなカップが、トレーの右上に置かれていく。
ぼくのところにもプリンが来た。
黄色いふたに、茶色い文字で「なめらかプリン」と書かれている。
何がどれくらいなめらかなのかは分からないけれど、「なめらか」と書いてあるだけでおいしそうに見える。
すずめがぼくの肩越しにのぞきこんだ。
「小さいね」
「給食だから」
「三口で終わりそう」
「すずめは食べられないでしょ」
「そういうこと言う人、嫌われるよ」
「事実を言っただけなのに」
みんなの配膳が終わる。
給食当番が余ったものを前の台に並べた。
パンが二個。
ポークビーンズが少し。
牛乳が一本。
そして、プリンが一個。
高坂くんが目を輝かせた。
「余ってる!」
「まだ座りなさい」
吉田先生に言われて、高坂くんはしぶしぶ席に戻る。
「いただきます」の前に立ち上がると、余りものじゃんけんに参加できなくなる。そういう決まりを先生が作ったわけではないけれど、クラスではなんとなくそうなっていた。
吉田先生が前に立つ。
「給食当番さん、お願いします」
「手を合わせてください」
「いただきます!」
教室に声がそろった。
そのあとすぐ、あちこちから食器の音と話し声が広がる。
「パン、今日かたい」
「牛乳冷たすぎ」
「ポークビーンズうまい」
「海藻いらない人?」
「交換禁止!」
ぼくはポークビーンズを一口食べた。
少し熱かった。
すずめが横でじっと見ている。
「どう?」
「おいしい」
「プリンは?」
「最後」
「今食べてよ」
「最後に食べるの」
「何で」
「楽しみを残すため」
「途中で盗まれたら?」
ぼくの手が止まった。
すずめはにやりとする。
「冗談」
「今それ言う?」
「部長の顔が面白かったから」
「性格悪いよ」
「知ってる」
ひまりが前の席から振り向いた。
「どうしたの?」
「すずめが、途中でプリン盗まれるかもって」
「やめてよ。私も最後に食べるんだから」
「先に食べればいいのに」
高坂くんが隣から口を出した。
「プリンは最初だろ。誰にも邪魔されないうちに食う」
「高坂、食べるの早すぎ」
ひまりが言う。
高坂くんのプリンカップは、もう空になっていた。
「最初に食った方が、給食全部幸せな気持ちで食べられる」
「最後に食べた方が、最後まで幸せでいられるでしょ」
「最後までプリンのこと考えてたら、ポークビーンズに失礼だろ」
「今まで聞いた中で一番どうでもいい言い合い」
ひまりがあきれた顔をする。
ぼくは少し笑った。
昨日は赤いリボンのことで、ひまりはあんなに泣きそうな顔をしていた。
今日は、プリンをいつ食べるかで高坂くんと言い合っている。
元通りではない。
たぶん、ゆいさんとはまだ少し話しづらそうだった。
でも、教室の中で笑えている。
それを見て、ぼくは少し安心した。
「ごちそうさまの前に、余ったものがほしい人はじゃんけんします」
吉田先生が言った。
教室の前に、何人かが集まる。
パンをねらう人。
牛乳をねらう人。
そして、プリンをねらう人。
プリンの列が一番長い。
高坂くんもいる。
「もう一個食べるの?」
ひまりが聞く。
「プリンは別腹」
「給食に別腹ってあるの?」
「ある」
大地も、プリンの列に並んだ。
それを見て、後ろの方から男子の声がした。
「大地もかよ」
からかうような言い方だった。
大地が振り向く。
「悪い?」
「別に。おまえ昼飯、二人分くらい食ってるじゃん」
「だから何」
「家で飯もらってないみたい」
言った男子は、笑っていた。
たぶん冗談のつもりだった。
でも、教室の空気が少しだけ止まった。
大地の顔が変わった。
「何だよ、それ」
「冗談だって」
「面白くない」
「そんな怒ること?」
「おまえが決めるなよ」
大地の声が大きくなる。
吉田先生が間に入った。
「そこまで。余計なことを言った方は謝りなさい」
「すみません」
男子は、先生に言われたから謝った、という声だった。
大地は返事をしない。
両手を強く握りしめたまま、プリンの列を離れ、自分の席へ戻った。
ひまりがぼくに小声で言った。
「嫌な言い方」
「うん」
「高坂も、前に似たようなこと言ってたよね」
高坂くんが気まずそうな顔をした。
「あれは、腹が給食室につながってるってやつだろ。家で飯もらってないとは言ってない」
「でも、大地は嫌だったかもよ」
「……分かんねえじゃん」
「聞けば?」
「今?」
「今はやめた方がいい」
「じゃあ言うなよ」
高坂くんはむすっとした。
ひまりも、少し口をとがらせる。
二人とも正しいことを言っているようで、どちらも相手を少し腹立たせている。人間の会話は、ちゃんと説明しても面倒くさい。
吉田先生が、教室の前の台を見た。
「それではプリンのじゃんけんを――」
そこで、先生の声が止まった。
「あれ?」
みんなが前を見る。
さっきまで台の上にあったプリンが、なくなっていた。
「先生、もう誰か取った?」
「取っていません。まだじゃんけんしていないでしょう」
ざわざわと声が広がる。
「誰だよ」
「高坂じゃね?」
「俺じゃない! ずっとここにいた!」
「大地、さっき前にいたよな」
その名前が出た瞬間、教室の空気が嫌な形にかたまった。
大地が立ち上がった。
「おれじゃない」
誰も、すぐには返事をしなかった。
その沈黙が、大地を犯人だと言っているみたいだった。
「おれじゃねえって言ってんだろ!」
大地が机をたたいた。
牛乳パックが倒れそうになり、隣の子が慌てて押さえる。
吉田先生が強い声を出した。
「山岸くん、机をたたかない。それから、みんなも勝手に決めつけないでください」
「でも先生」
「でも、ではありません。見た人がいないのに、誰かを疑ってはいけません」
正しい。
先生は正しいことを言っている。
でも、一度向けられた視線は、すぐには消えなかった。
大地は唇をかみ、自分のトレーを持った。
「もういい」
「山岸くん?」
「食べ終わったから」
「まだごちそうさまをしていません」
「知らない」
大地は食器を返却台へ置くと、そのまま教室を出ていった。
扉が乱暴に閉まる。
ばたん、という音が、教室の中に残った。
「追いかけた方がいいんじゃない?」
ひまりが言った。
吉田先生は少し迷ったあと、給食当番に片づけを頼み、教室を出ていった。
残された教室では、みんな小さな声で話し始める。
「やっぱり大地じゃない?」
「怒って出ていったし」
「怒ったから犯人ってわけじゃないでしょ」
「でも、おかわりしようとしてた」
「おかわりする人なんか他にもいるじゃん」
ぼくは、自分のトレーのプリンを見た。
ふたは開いていない。
大地はプリンの列に並んでいた。
たしかに、台の近くにいた。
でも、だから盗んだとは限らない。
むしろ、あんなに堂々と列に並んでいた人が、みんなの前で取るだろうか。
「こたろう」
すずめの声がした。
さっきまでプリンの行方を気にしていたすずめが、今は教室の前の台を見ていた。
「何かいる」
ぼくは椅子から立った。
「どこ?」
「台の下」
ひまりがこちらを見る。
「何?」
「すずめが、台の下に何かいるって」
「小さな手?」
「たぶん」
ぼくとひまりは、食器を片づけるふりをして前へ行った。
台の下をのぞく。
何もいない。
床にプリンのカップも落ちていない。
「何もないよ」
ひまりが小声で言った。
「さっきはいた」
すずめは台の周りを回る。
「すごく小さいやつ。鼠よりちょっと大きいくらい」
「鼠だったんじゃない?」
「鼠はプリンのふたをきれいに開けないよ」
「開けたの?」
「ああ」
すずめが、教卓の陰を指さした。
「そこ」
ぼくはしゃがんだ。
教卓の脚の後ろに、黄色いものが落ちていた。
プリンのふただ。
ぼくが拾い上げると、ひまりも顔を近づけた。
「これ、余ってたプリンの?」
「たぶん」
「でも、中身は?」
「ない」
ふたの端に、何か跡がついていた。
歯形。
人間のものより、ずっと小さい。
丸く並んだ、小さな小さな歯形だった。
ぼくは、ふたを持つ指に力を入れた。
そのとき、教室の後ろから声がした。
「くくっ」
笑い声。
子どもの声より細く、高い。
ぼくとひまりが同時に振り向く。
教室の後ろには、誰もいなかった。
でも、大地の机の下で、何か小さな影が動いた。
「今、見えた?」
ひまりがぼくの袖をつかむ。
「うん」
「何だった?」
「分からない」
すずめは、大地の机を見つめていた。
「見つけた」
すずめの口元が、ゆっくり上がった。
「プリン泥棒だよ」
大地の机の下から、小さな赤い手が一本だけ伸びてきた。
その手には、空になったプリンのカップが握られていた。




