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放課後、七不思議クラブに入ったら、学校の怪談が味方になりました 〜怖がり小学生と口の悪い座敷わらしの、謎解きサバイバル日記〜  作者: Deresuke・ごじゃっぺ・太郎


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第3話 花子さんの赤いリボン

 次の日の朝、ぼくは学校へ行きたくなかった。


 いつもなら、月曜日が一番いやだ。

 でも今日は火曜日だった。

 火曜日なのに、月曜日よりずっといやだった。


 理由は分かっている。


 女子トイレの花子さんに、もう一度会わなきゃいけないからだ。


 しかも、ただ会うだけじゃない。


 赤いリボンを探して、朝倉ひまりに本当のことを言わせなきゃいけない。


 できるわけがない。


 ぼくは朝ごはんの食パンを、ずっと同じところだけかじっていた。

 お母さんが台所から言った。


「こたろう、どうしたの。パン、穴あけ大会?」


「……違う」


「学校で何かあった?」


 どきっとした。


 お母さんは、こういうときだけ妙にするどい。


「何もない」


「何もない顔じゃないけど」


「何もない顔って、どんな顔」


「今のこたろうの顔じゃない顔」


 ぼくは何も言えなくなった。


 お母さんは、少し笑って牛乳を置いた。


「まあ、言いたくなったら言いなさい。言いたくないことを無理やり聞かれるのって、いやでしょ」


「……うん」


 ぼくは牛乳を飲んだ。


 言いたくないこと。


 ひまりも、そうなのかもしれない。


 そう思ったら、学校へ行きたくない気持ちが少しだけ変わった。


 怖いから行きたくない。

 でも、ひまりが一人で何かを抱えているなら、放っておくのも気持ち悪い。


 気持ち悪い、という言い方はよくないかもしれない。

 でも、胸の中に小さな石がある感じが、昨日からずっと続いていた。


 学校に着くと、教室はいつも通りだった。


 いつも通り、うるさい。


 高坂くんたちは昨日の旧校舎の話で盛り上がっていた。


「いや、マジで音したんだって」

「水の音?」

「そうそう。三階のトイレの方から」

「森野いなかったからなー。見せたかったわ」


 ぼくはランドセルを机に置きながら、聞こえないふりをした。


 水の音。


 それはたぶん、ぼくも聞いた音だ。

 というか、ぼくの方が近くで聞いていた。すごく近くで。近すぎて、もう二度と聞きたくないくらい近くで。


「森野」


 高坂くんがぼくの机に来た。


「昨日さ、図書の先生に呼ばれてたんだよな?」


「うん」


「何の用?」


 ぼくは一瞬固まった。


「えっと……」


「本の、あれ」


「あれって何」


「返却期限」


「森野、本借りてたっけ?」


「借りて……たような、借りてなかったような」


「どっちだよ」


 高坂くんが笑った。

 その笑い方は、昨日ほどいやじゃなかった。たぶん、こっちが勝手にびくびくしすぎているだけなのかもしれない。


 でも、嘘を重ねると、石が増える。


 胸の中が、がらがらする。


「まあいいや。今日も行こうぜ、旧校舎」


「今日?」


「昨日、森野いなかったし。七不思議クラブ、始めようぜ」


 七不思議クラブ。


 その言葉を聞いた瞬間、机の中で、何かがかすかに震えた。


 ぼくは慌てて机の中を見た。


 黒いノートが入っていた。


 昨日、持って帰った覚えはない。

 帰るとき、確か図書室のカウンターの上に置いたはずだ。怖すぎて持ち歩きたくなかったから。


 なのに、ある。


 表紙には、白い紙で「七不思議クラブ」と書いてある。


 ぼくは、そっと机の奥へ押し込んだ。


「森野?」


「今日は、無理」


「また先生?」


「いや……今日は、ほんとに無理」


「何それ」


 高坂くんは不満そうだったけれど、チャイムが鳴ったので自分の席へ戻っていった。


 ぼくは、教室の反対側を見た。


 ひまりは、まだ来ていなかった。


 朝の会が始まる少し前、ひまりはぎりぎりで教室に入ってきた。


 いつもより髪が少し乱れていた。

 目元も赤い。

 でも本人は、わざと明るい声で「おはよー」と言った。


 何人かの女子が返す。


「ひまり、おはよ」

「昨日どうしたの? 先帰った?」

「別にー。家の用事」


 ひまりは笑っていた。


 笑っているのに、手だけはランドセルの肩ひもをぎゅっと握っていた。


 ぼくは声をかけようか迷った。


 でも、朝の会が始まった。


 先生が出席を取る。

 いつものことなのに、ぼくは名前を呼ばれるまで落ち着かなかった。


「森野こたろうくん」


「はい」


 自分の名前を呼ばれて、少しだけほっとした。


 昨日までは、そんなこと気にしたこともなかった。


 一時間目。

 二時間目。

 授業は、全然頭に入ってこなかった。


 黒板の文字を写しながら、ぼくは何度もひまりの方を見た。ひまりは前を向いている。先生に当てられると、ちゃんと答える。友だちに話しかけられると、笑って返す。


 でも、休み時間になると、ひまりは一人でトイレの方へ行った。


 ぼくは、机の中のノートを見た。


 黒い表紙が、少しだけ開いていた。


 ページの端から、昨日の文字が見える。


『赤いリボンを返せ』


 ぼくは、深呼吸をした。


「……ちょっとだけ」


 誰にも聞こえないように言って、立ち上がった。


 廊下に出ると、すずめが窓のところに座っていた。


 赤い着物。

 短い黒髪。

 足をぶらぶらさせている。


 朝の学校の明るい廊下で見ても、やっぱり普通ではない。


「遅い」


 すずめが言った。


「昨日から、みんなそれ言うね」


「部長は遅い生き物なの?」


「部長になった覚えはない」


「名前書いた」


「それも昨日から何回も聞いた」


「大事なことだからね」


 すずめは、ぼくの横にふわりと降りてきた。


「で、どうするの」


「どうするって」


「赤いリボン。探すんでしょ」


「探すけど……まず朝倉さんに話を聞かないと」


「聞ける?」


「……分からない」


「正直でよろしい」


「よろしくないよ」


 ぼくたちは女子トイレの近くまで行った。


 女子トイレの前で立ち止まる。

 昨日と違って、廊下は明るい。児童の声も聞こえる。怖くないはずなのに、心臓は昨日より早く動いていた。


 入口の前で、ひまりが立っていた。


 中に入るわけでもなく、帰るわけでもなく、ただそこにいた。


「朝倉さん」


 ぼくが声をかけると、ひまりはびくっとした。


「森野」


「えっと……」


「何」


「昨日のこと」


「昨日?」


 ひまりは、わざとらしく首をかしげた。


「何かあったっけ」


 すずめが、ぼくの横で「うわ、下手」とつぶやいた。


 ぼくは小声で言う。


「すずめよりはまし」


「今、何か言った?」


 ひまりが聞いた。


「何でもない」


「森野、ほんとに昨日から変」


「自分でもそう思う」


 ひまりは少し笑った。

 でも、すぐに目をそらした。


「赤いリボンのことなんだけど」


 ぼくが言うと、ひまりの顔から笑いが消えた。


「知らないって言った」


「うん」


「じゃあ、その話終わり」


「でも、花子さんが」


「やめて」


 ひまりの声が低くなった。


「学校でそれ言わないで」


「ごめん」


「そういうの、ほんとにやめて。誰かに聞かれたら変に思われるじゃん。私が花子さんと話したとか、女子トイレで泣いたとか、そんなの言われたら……」


 そこで、ひまりは口を閉じた。


 自分で言ってしまったことに気づいたみたいだった。


 すずめが、ぼくの耳元で言う。


「押す?」


「押さない」


「じゃあ待つ?」


「たぶん」


「部長、気が長いねぇ」


 ぼくはひまりを見た。


 ひまりは、顔をそむけている。


「朝倉さん」


「何」


「言いたくないなら、今は言わなくてもいいよ」


 ひまりが、少しだけこちらを見た。


「でも、リボンは探さないといけないと思う」


「……何で」


「花子さんが怒るから」


「それだけ?」


 ぼくは困った。


 それだけ、と言えばそれだけだ。

 花子さんが怒る。女子トイレが全部開かなくなる。それは困る。ものすごく困る。


 でも、本当はそれだけじゃない。


「たぶん」


 ぼくは言った。


「朝倉さんも、困ってるから」


 ひまりの目が、大きくなった。


「私が?」


「うん」


「何で森野にそんなこと分かるの」


「分からないよ」


「分からないなら言わないで」


「でも、分かんないけど、そう見える」


 ひまりは黙った。


 ぼくは、また余計なことを言った気がして、急に足元が気になった。上履きの先に、昨日ついた小さな黒い汚れがある。


 こういうとき、明るい人ならうまく言えるんだろう。

 「大丈夫だよ」とか。

 「私に話して」とか。

 そういう言葉を、きれいに言えるんだろう。


 ぼくは、そういうのが下手だ。


 だから、下手なまま言うしかない。


「ぼくは、朝倉さんの友だち関係とか、よく知らないけど」


「……うん」


「でも、昨日の花子さん、怖かったけど、たぶんリボンを返してほしいだけじゃない気がした」


「じゃあ何」


「本当のことを、言ってほしいんだと思う」


 ひまりの口元がゆがんだ。


「本当のこと言ったら、嫌われるかもしれないじゃん」


 声が、小さかった。


 でも、それが昨日から聞いた中で一番、本当の声みたいだった。


「ゆい、怒ると思う」


「ゆい?」


「佐伯ゆい。隣のクラスじゃないよ。うちのクラスの、ゆい」


「ああ」


 分かる。


 佐伯ゆいさんは、ひまりとよく一緒にいる女子だ。髪が長くて、いつもきれいなヘアゴムをしている。ぼくとはほとんど話したことがない。


「赤いリボン、ゆいさんの?」


 ひまりは、少しうなずいた。


「お姉ちゃんにもらったやつなんだって。中学生のお姉ちゃん。発表会で使ってたやつで、もう使わないからって、ゆいがもらって。昨日、ちょっとだけ貸してくれたの」


「何で?」


「かわいかったから」


 ひまりは、すごく小さな声で言った。


「私が、かわいいって言ったら、ゆいが『つけてみる?』って貸してくれて。休み時間に、ちょっとだけつけてた。そしたら、まどかがさ」


「まどか?」


「一緒にいる子。森野、名前くらい知ってるでしょ」


「うん。たぶん」


「たぶんって」


 ひまりはほんの少しだけ笑った。

 でも、その笑いはすぐ消えた。


「まどかが、『ひまり、ずっとつけてる。ゆいのなのに自分のものみたい』って言って。別に、悪気があったわけじゃないと思う。いつもの冗談。いつもの、ちょっときついやつ」


 ひまりは、廊下の床を見た。


「私も、笑えばよかったんだよ。『かわいいから返したくないだけ』って。そういうふうに返せば、たぶん何でもなかった」


「うん」


「でも、なんか、そのとき嫌になった。自分でもよく分かんないけど。ゆいは本当に優しく貸してくれただけなのに、私が変に気にして、まどかの言葉も変に刺さって」


 分かる気がした。


 他の人から見たら小さな言葉なのに、自分の中の変な場所に刺さることがある。


「それで?」


 ぼくが聞くと、ひまりは唇をかんだ。


「返そうとしたら、まどかが『じゃあ隠して、ゆいをちょっとびっくりさせようよ』って言った。ほんとに、ちょっとだけのつもりだった。トイレの掃除用具入れの上に置いて、すぐ返すつもりで」


 すずめが、小さくため息をついた。


「子どもの“ちょっとだけ”は、だいたい面倒を呼ぶね」


「ぼくも昨日ちょっとだけって言った」


「あんたも面倒を呼んでる」


 否定できなかった。


 ひまりは続ける。


「でも、掃除用具入れの上に置こうとしたとき、落ちたの」


「どこに?」


「床の排水口。掃除のとき水流すところ。ふたのすき間に、すっと入っちゃって」


 ひまりの手がまた赤くなって見えた。


「取ろうとした。水も出した。指も入れた。でも、奥に行っちゃって。先生呼ぼうって思ったけど、まどかが『やばい、怒られる』って言って。私も怖くなって」


「それで、言えなかった」


 ひまりはうなずいた。


「ゆいには、『あとで返す』って言った。家に忘れたふりしようと思った。でも、夜になってから、どんどん怖くなって。今日の朝も、ゆいに『リボン持ってきた?』って聞かれて、まだって言った」


 ひまりの声が、少しずつ崩れていく。


「ゆい、笑ってた。いいよって。でも、たぶん本当は気にしてる。大事なリボンだから。お姉ちゃんにもらったやつだから」


「うん」


「私、最低じゃん」


 ひまりが言った。


「森野、私、最低だよね」


 ぼくはすぐに答えられなかった。


 最低じゃないよ、と言えば簡単だ。

 でも、それは本当だろうか。


 ひまりは悪いことをした。

 リボンを隠そうとした。

 なくしたのに言わなかった。

 嘘をついた。


 それは、悪い。


 でも、ひまり全部が最低かというと、それは違う気がした。


「最低っていうか」


 ぼくは言った。


「面倒くさいことになった人」


 ひまりが、ぽかんとした。


「何それ」


「いや、うまく言えないけど。悪いことはしたと思う。でも、朝倉さんが全部悪いっていうより、まどかさんの冗談とか、怖くなったこととか、言い出せなかったこととか、いろいろ混ざって、面倒くさいことになった感じ」


 すずめが、横でにやっとした。


「部長、説明が下手だけど、まあ悪くない」


「うるさい」


 ひまりは、しばらくぼくを見ていた。


 それから、少しだけ笑った。


「森野って、変」


「よく言われる気がしてきた」


「でも、ちょっと分かる」


 ひまりは深く息を吸った。


「探す」


「うん」


「でも、女子トイレに入るのは森野だめだからね」


「それは本当にだめ」


「じゃあ私が探す。森野は外で見張ってて」


「見張りならできる」


 すずめが、ふわりと女子トイレの入口へ向かった。


「あたしも行くよ」


「すずめは女子だから?」


「座敷わらしだから」


「便利だね」


「便利な存在なんだよ、あたしは」


 ひまりが不思議そうにぼくを見る。


「今、誰と話してるの?」


「あの……昨日言った、説明するってやつなんだけど」


「うん」


「ぼく、座敷わらしが見えるようになった」


 ひまりは無言になった。


 ちょうど廊下を一年生が二人、走って通り過ぎていった。

 その足音が遠ざかるまで、ひまりは黙っていた。


「森野」


「うん」


「昨日から大変だったんだね」


「信じてくれるの?」


「信じるっていうか、昨日、花子さん見たし。もう今さら、座敷わらし一人増えても、まあ……うん」


 ひまりは自分で言いながら、納得したくなさそうな顔をした。


「でも、今は見えない」


「今は、ぼくにしか見えないみたい」


「何それ、不公平」


 すずめが、ひまりの前で舌を出した。


「見えない方が幸せだよ」


「今、何か言った?」


「すずめが、見えない方が幸せだって」


「ちょっとむかつく」


 ひまりが、見えない相手に向かって少しにらんだ。

 すずめは楽しそうに笑った。


 そのとき、女子トイレの中から声がした。


「おしゃべりは終わった?」


 ぼくとひまりは同時に固まった。


 花子さんの声だった。


「入ってきなさい、朝倉ひまり」


 ひまりは、顔を引きつらせた。


「……怒ってる?」


 ぼくは答えた。


「昨日からずっと怒ってると思う」


「だよね」


 ひまりはランドセルをぼくに押しつけた。


「持ってて」


「え、うん」


「逃げたら怒るから」


「ぼくが?」


「森野が」


「なんで」


「一人だと怖いじゃん!」


 ひまりはそう言って、女子トイレに入っていった。


 ぼくは入口の外に立った。

 ノートと、ひまりのランドセルを抱えて。


 中から、水道の音がする。

 ひまりの声。

 すずめの声。

 そして、花子さんの声。


「そこじゃない。排水口はもっと奥」


「奥ってどこ!?」


「掃除用具入れの横」


「無理、手入れるの無理!」


「昨日は入れたでしょ」


「昨日も無理だったけど、無理やり入れたの!」


「じゃあ今日も無理やり入れなさい」


「花子さん、言い方きつい!」


「嘘つきに優しくするほど、あたしは暇じゃない」


「暇そうに見えるけど」


「すずめ、黙って」


 ぼくは、外で聞いているだけなのに疲れてきた。


 女子トイレの中から、ばたばた音がする。

 バケツを動かす音。

 水を止める音。

 何かを落とす音。


 そして突然、


「きゃあああ!」


 ひまりが叫んだ。


「朝倉さん!?」


「ぬるっとした!」


 花子さんの声がした。


「ただのぞうきん」


「ぞうきんも嫌!」


「文句が多いねぇ」


 すずめが笑う。


 ぼくは、少しだけ笑いそうになった。


 怖い。

 でも、昨日みたいに息ができないほどではない。


 中でひまりが本気で怒って、本気で怖がって、本気で探しているからかもしれない。


 しばらくして、トイレの中が静かになった。


 ぼくは入口の前で身を固くした。


「朝倉さん?」


 返事がない。


「すずめ?」


 やっぱり返事がない。


 心臓が嫌な音を立てた。


 そのとき、中からひまりの声がした。


「……あった」


 小さな声だった。


「森野、あった」


 ひまりが出てきた。


 手は濡れていて、少し汚れていた。

 でも、その指には赤いリボンが握られていた。


 水を吸って、少しくしゃくしゃになっている。

 きれいだった形は崩れている。

 でも、確かに赤いリボンだった。


 ひまりは、それを両手で大事そうに持っていた。


「よかった」


 ぼくが言うと、ひまりは首を振った。


「よくない」


「え?」


「これ、こんなにぐしゃぐしゃになってる。ゆい、怒る。絶対怒る」


「うん」


「うんって」


「いや、怒るかもしれない」


「そこは怒らないよって言ってよ」


「でも、大事なリボンなら、怒るかもしれないし」


 ひまりは、むっとした顔をした。

 でもすぐに、その顔が弱くなった。


「そうだよね」


 花子さんが、トイレの中から出てきた。


 昨日と同じ赤いスカート。

 でも、目元は昨日ほど赤くない。


「謝るのは、怒られないためにするんじゃない」


 花子さんは言った。


「怒られても、返すためにするの」


 ひまりは、リボンを握ったまま下を向いた。


「……はい」


「あと、洗って乾かしなさい。ぐしゃぐしゃのまま返す気?」


「返さない」


 ひまりが言った。


 ぼくは驚いて、ひまりを見た。


 花子さんの眉が上がる。


「返さない?」


「このままは返さない。ちゃんと洗って、乾かして、できるだけ直して、それから返す」


 ひまりの声は震えていた。


「でも、その前に言う。なくしたって。隠そうとしたって。嘘ついたって」


 花子さんは、少しだけ黙った。


 すずめが、ぼくの横に戻ってきて、腕を組んだ。


「言えるかねぇ」


 ひまりにはすずめの声が聞こえていない。

 でも、なぜかひまりは、見えないすずめの方を向いた。


「言うよ」


 すずめが、目を丸くした。


 ひまりは続けた。


「だって、言わなかったら、ずっとこの感じが続くんでしょ。胸の中に石がある感じ」


 ぼくは、何も言えなかった。


 ひまりは、ぼくを見た。


「森野の言い方、変だったけど、分かっちゃったじゃん」


「ごめん」


「謝るところじゃない」


 ひまりは、リボンをハンカチに包んだ。


 その日の昼休み。


 ひまりは、佐伯ゆいさんを中庭のすみに呼び出した。

 ぼくは少し離れたところにいた。見張り、という名目だった。正直に言うと、逃げ道を確認していた。


 すずめは木の枝に座っている。


「部長、近づかないの?」


「女子同士の話に、ぼくが入るのは変でしょ」


「でも気になる」


「気になるけど」


「面倒な子だね」


「自分でもそう思う」


 中庭のすみで、ひまりが頭を下げた。


 声は聞こえない。

 でも、ひまりが一生懸命話しているのは分かった。


 ゆいさんは最初、きょとんとしていた。

 それから、リボンを見た。

 顔が変わった。


 怒っている。


 やっぱり怒っている。


 ひまりはもう一度、頭を下げた。


 長い時間に感じた。

 本当は、一分くらいだったのかもしれない。


 やがて、ゆいさんが何か言った。

 ひまりが顔を上げる。

 泣きそうな顔だった。


 ゆいさんも、少しだけ泣きそうな顔をしていた。


 そして、ゆいさんはリボンを受け取った。

 ぎゅっと握った。

 ひまりの肩を、軽くたたいた。


 仲直り、というほど簡単ではなかったと思う。


 ゆいさんは笑っていなかった。

 ひまりも笑っていなかった。

 でも、二人は一緒に教室へ戻っていった。


 すずめが言った。


「すぐ元通りにはならないね」


「うん」


「でも、元通りじゃなくてもいいんだよ」


「そうなの?」


「壊れたあとに、別の形でくっつくこともある。まあ、前より丈夫になるかどうかは、その子ら次第だけどね」


「すずめって、たまにちゃんとしたこと言うよね」


「たまに?」


「まあまあ言う」


「そこは毎回って言いな」


 すずめは不満そうだった。


 放課後。


 ぼくとひまりは、もう一度女子トイレの前に立っていた。


 正直、今日二回目の女子トイレ前は精神的にきつい。

 でも、ひまりは昨日よりしっかり立っていた。


「花子さん」


 ひまりが言った。


「リボン、返した。ちゃんと謝った」


 少しの沈黙。


 それから、三番目の個室のドアが、ぎい、と開いた。


 花子さんが出てきた。


「相手は許した?」


 ひまりは、少し考えた。


「分からない」


「そう」


「でも、『すぐには無理だけど、言ってくれてよかった』って言われた」


 花子さんは、ひまりをじっと見た。


「それで、あんたは?」


「私?」


「胸の石は取れた?」


 ひまりは、自分の胸に手を当てた。


「全部じゃない」


 そう言ってから、ひまりは苦笑いした。


「でも、ちょっと軽くなった」


「なら、よし」


 花子さんは、ふんと鼻を鳴らした。


 その顔は相変わらず偉そうだったけれど、昨日より少しだけ優しく見えた。


「借りたものをなくしたら謝る。嘘をついたら、もっと早く謝る。次は覚えておきなさい」


「はい」


「あと、女子トイレで水を出しっぱなしにしない」


「はい」


「泣くなら、ちゃんと泣く。水でごまかさない」


 ひまりは、目を丸くした。


 それから、少しだけ笑った。


「はい」


 花子さんは、今度はぼくを見た。


「部長」


「はい」


「一応、合格」


「一応なんですね」


「あんた、ずっと外にいただけだから」


「男子なので」


「そこは正しい」


「でしょ」


 すずめが、横で笑った。


「よかったね、部長。初仕事成功」


「もう仕事したくない」


「明日もあるよ」


「聞きたくない」


 花子さんは、すずめを見た。


「すずめ」


「なに」


「この部長、大丈夫?」


「だいぶ頼りない」


「だよね」


「でも、話は聞くよ」


 すずめの声が、少しだけ柔らかくなった。


「あんたも、そう思ったから合格にしたんでしょ」


 花子さんは、答えなかった。


 ただ、ふいっと顔をそらした。


「何かあったら、ここの鏡を三回叩きなさい」


 花子さんが言った。


「手伝ってあげる」


 ぼくは驚いた。


「手伝ってくれるんですか?」


「毎回じゃない」


「毎回じゃないんだ」


「忙しいの」


「女子トイレで?」


 花子さんがぼくをにらんだ。


「部長」


「はい」


「余計なこと言うと、次は個室に閉じ込める」


「すみませんでした」


 ぼくはすぐに頭を下げた。


 ひまりが、くすっと笑った。


 それが、今日初めて見た、ちゃんとした笑顔だった。


 その瞬間、七不思議クラブのノートが、ぼくのランドセルの中で震えた。


 ぼくは嫌な予感を覚えながら、ノートを取り出した。


 ページが勝手に開く。


『第一の不思議。女子トイレの花子さんが泣いている』


 その文字に、赤い線がすっと引かれた。


 その下に、新しい文字が浮かび上がる。


『解決』


 ぼくは、ほっと息を吐いた。


 でも、ほっとしたのは一秒だけだった。


 すぐ下のページに、次の文字が出てきたからだ。


『第二の不思議』


 すずめが、楽しそうに身を乗り出す。


 ひまりも、もう見えていないはずの文字をなぜか気にしている。


 ぼくは、読みたくないのに読んでしまった。


『給食のプリンを盗む小さな手』


 沈黙。


 ひまりが言った。


「プリン?」


 すずめが笑った。


「次はおいしそうだねぇ」


 花子さんが、あきれたように言った。


「油断しない方がいいよ。食べ物の恨みは、怪談より怖いから」


 ぼくはノートを閉じた。


「……明日、給食プリンなの?」


 ひまりが、少し考えてから言った。


「献立表、たしかプリンだった」


 ぼくは天井を見上げた。


 学校の天井は、いつも通り白かった。

 いつも通りなのに、もう何も信じられない。


「帰りたい」


 ぼくが言うと、すずめはにやりと笑った。


「帰れるよ。今日はね」


 その言い方が、一番怖かった。


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