後悔の苦虫
異世界で初めて食べた食べ物であるオトモヨのカール煮を食べていた二人だったが、天道は外の異変に気づいた。何やら騒ぎを察知したからだ。立ち上がり外の様子を確認するために窓に近づいた。店内にいた他の客達も同じように窓を見るとソレを見た瞬間窓から離れていった。
「あれは……」
天道が目にしたのは体長三メートルはあろう緑色の身体に醜悪な豚のような顔とそれを三分の一くらいにしたような同じ生き物の集団だった。
ーーゴブリン?オーク?
まじまじと見ていると男性客の一人が天道の頭を掴み、無理矢理地面に伏せさせた。
「き、君!死にたいのか!?」
小声で天道に必死の形相で訴えた。天道は顔がヒリヒリ痛みながらも窓から見えないほど顔を起こした。店内にいる人々が隠れているのを見て、状況としてはかなり焦っている様子と言動から見て命の危険が伴う非常事態であることは天道は男の言葉を聞く前から察知していた。そして、特に焦りを見せることなく聞いてみた。
「お兄さん、あれってゴブリン?オーク?」
「見ればわかるだろう、ゼノ軍のゴブリンとホブゴブリンだ」
基本的に日本文学しか読まない天道でもゴブリンは理解できた。今目の前にいるような見た目の生き物で、知能は作品によってピンキリだが天道が目にしているゴブリンは共通してこん棒程度の武器を扱うことのできる種だ。そして、人や家畜を襲い、これも作品によるが異種族と交配して繁殖するらしい。しかしゼノ軍というのは初耳だった。
「ゼノ軍?」
「魔王ゼノだよ。まさかこんなところにまで来るなんて……」
とうとう魔王の名前が出てきたと天道は不謹慎だが興奮していた。しかし、その表情は真剣そのものだった。彼自身、今矛盾した感情を持っていることを理解していなかったが、彼の脳内では困っている人を助けろと訴えかけていた。天道はまずアリスのもとに戻った。
「どうしましたか?」
「ゴブリンらしい。数は五十程度」
ゴブリンという単語を聞いた瞬間、アリスは顔を青ざめて今まで経験したことのない不快な気持になった。その強さのあまり吐き気まで出てきて、思わず口を押えた。
「どうした」
何故なのか少し考えて分かった。昔、様々な異世界からやってくる報告書を見たときゴブリンの起こした惨状を記したものを何百回と見たことがある。下劣だと思っていたがそれだけであり、女神なので強い感情や不快感による排泄といったものは無かったが、人間となった今、報告書で見た文面が光景としてフラッシュバックすると先ほど食べた料理を戻しそうになった。吐き気がおさまったところでようやく口を開けた。
「大丈夫です……とりあえず、今は身を隠しましょう」
今は安全第一。迂闊に外に出れば店内にいる無関係の人を巻き込んでしまうかもしれない。いざとなればアリスが魔術を使えば良いが、無限の魔力を持つ女神の体と違って、人間の体ではどれほど制限があるかわからない。まさしく一か八かであった。
「アリス、ここにいる人たちを頼む」
そんなアリスの思惑とは裏腹に天道は今にも外に飛び出しそうな勢いだった。
「ちょ、ちょっと!どこに行くんですか!?」
アリスが制止するが、天道は出入り口に向かって足を止めなかった。完全にやる気である。
「無論ここを守るために表に出る。どこまで出来るかわからないが、何もやらず嬲り殺されるよりはましだ。すまんが、あるだけのナイフを借りるぞ」
アリスの方を向くことなく、天道は周囲のテーブルと厨房からナイフをかき集めた。かつて愛用していたサバイバルナイフより威力も耐久性も心もとなかったが、彼にとってはまだ使えないことのない武器だった。そんな天道にアリスはきっぱり言う。
「無茶です。普通のゴブリンならともかく、ホブが相手となるとその程度では太刀打ちできません。それに今外ではミッドの警備兵が戦闘を始めたみたいです。彼らに任せれば……」
その瞬間食堂の窓が割れて何かが入ってきた。それはすでに息絶えた警備兵だった。見るも惨く殺されていたそれを見て、天道はすぐに劣勢という判断をした。
「どうやら状況は良くなさそうだ。だからアリス、ここで皆を守れ。俺は警備兵と合流してなるべく奴らの数を減らそう」
この男は言うことを聞かなさそうだ。と、アリスは半分あきらめたが一体何が彼を動かすのだろうかと気になった。一つ言えるのは今の彼には先ほどまでの少年のような純真無垢な明るさは無く、完全に覚悟を決めた戦士の目をしていた。
「どうして、どうしてあなたが行くのですか!?」
聞かずにはいられなかった。少なくともここにいれば少しでも延命できる。長くはもたないだろうし、無駄な抵抗だと思うが、外に出て無駄死にするよりは遥かにマシだ。
「どうして?そうだな……誰もやらないなら俺がやらなきゃと思った。それだけだ。それに男には負けると分かっていてもやらなきゃならない時がある。女神には理解できないだろうが人間、特に男にはこういう頑固な人間がいるってよく覚えておけ。今はお前が女神だろうが何だろうが関係ない。何を言っても聞かないつもりだ」
口には出さなかったが、天道は心の中でバーカ、と、舌を出してバカにしていた。アリスは茫然としながら彼の背中を見送るしかできなかった。
天道が外に出ると警備兵は全滅していた。そして焦げ臭く、空気が熱いと感じた。その原因は至る所でゴブリンが起こしたであろう放火によって建物が燃えていた。小さな普通のゴブリンはそこかしこですでに息絶えた警備兵をおもちゃのようにして遊んでいた。天道はそれにまず目が向いた一匹のゴブリンに三刃のナイフを投擲すると、小さなゴブリンは自分に何が起きたのかを理解する暇もなく息絶えた。
「まずは一匹」
天道はその場に落ちていたゴブリンが持ってきたであろうこん棒、左手にまた三刃のナイフを指と指の間に挟んだ。
すると一部の小さなゴブリンが騒ぎに気づいた。今度は鎧を着ていない普通の一般人が無謀にもやってきたと見て、二体のゴブリンが余裕の笑みを浮かべながら天道に襲いかかってきた。
恐らくゴブリンの匂いであろう。何日も風呂に入っていないような、不潔な臭いが漂っていたが天道はお構いなしに深呼吸した。
襲われる瞬間、一体のゴブリンの顔面に横一文字に棍棒を打ち込むと棍棒は砕けたが、ゴブリンの顔は歪んで吹き飛び、同時にもう一体にはナイフをニ刃頭に投擲すると頭に突き刺さり、息絶えた。この間わずか一秒。
それを見ていたアリスは天道という人間の理解に追いつかなくなっていた。確かに彼は幼少期から青年期にかけて異国の少年兵として年相応の生活を送った事は無かった。彼が異世界に来てからはしゃいでいるのはそれの反動のせいだろう。
しかし、その一方でいざ戦いとなると自ら渦中に飛び込む。記録によれば彼は少年兵時代の因縁や記憶を忌み嫌っていると書いていた。アリスは混乱した。
天道がゴブリンをあらかた片付けるととうとうホブゴブリンに目をつけられた。体長三メートル以上の巨体であり、先ほどゴブリンを超える強烈な異臭を放っていた。
「オマエ、ヤルナ、ニンゲン」
「ほう、言葉が話せるのか。じゃあこの意味わかるか?くたばれクソ豚」
ホブゴブリンは嘲笑した。
「ナマイキナニンゲンダ。アトデ、タップリ、ナグル」
そう言って棍棒を振り下ろそうとすると、天道は広い大通りに避けた。もっとまともな武器があれば対処のしようがあるだろうが今の天道に武器と言えるのは五本しか残っていないナイフと己の身体のみだった。だが、前者は言うまでもなく後者は三メートル以上の巨体に対抗するにはどの程度通用するか未知数だった。そういった不確定要素もあり、天道は迂闊に近づけなかった。
ーー一応あれくらいの大きさのロボットとはやり合った事あるがあの時は一体だけだったからな。えーっと全部で……十体。ちと厳しいか。
異世界に来て早々死と隣り合わせの状況になったが、彼にとっては慣れていた。そのためこのような状況でも彼の心境は落ち着いていた。そのおかげで冷静に分析することができた。
何も仕掛けてくる様子が無かったので今度もホブゴブリンの方から近づいてきた。
「ヤハリ、チビニンゲン、ハ、スバシッコイ。ハエミタイ。ケド、タタケバオワリ」
ホブゴブリンから見れば天道は他の人間と変わらない虫ケラ同然の存在。そのため、本当にそれが当然の如く且つ普段飛んでいる虫を叩き落としているのと同じ感覚で棍棒を振り下ろした。
振り下ろされる棍棒を前に天道はギリギリのタイミングで余計な体力を使わない最小限の動きで右に避けた。天道の左では空振りした棍棒が地面にひびを入れていたところをすかさず右足のかかと落としでホブゴブリンの右手首の骨を折った。
一瞬の出来事だったのでホブゴブリンは痛みの前に困惑がやってきた。骨を折ったことはあっても折られたことなんて経験したことない。ましてや自分よりも下等生物の人間にである。
天道は隙だらけとなったホブゴブリンから棍棒を奪い取った。自分の身の丈ほどある棍棒だが、所詮木でできていたので天道からすれば少し重い程度の認識だった。そしてそれを先ほど自分がやられようとしたようにホブゴブリンにも棍棒を振り下ろした。空中に飛び上がって頭目掛けて一直線に振り下ろされた棍棒はもろにホブゴブリンの頭が陥没するほどの威力を見せた。
「はいいーち。次は誰だ?」
店内から天道を見守っていたアリスは驚愕していた。前世では兵士だったとはいえ、一人の人間がゴブリンだけでなくホブゴブリンを圧倒していた。ゴブリンは多少の訓練を積めば農民でもある程度対抗できるが、ホブゴブリンは騎士や戦士といったきちんとした訓練と戦闘経験を積んだ人間でないと対処が難しい。対ホブゴブリンの訓練を積んでいない天道は己の力のみでねじ伏せたのだ。
「な、なあお嬢さん。ゴブリンを相手にしているあの人は何者なんだ……?あんたの連れなんだろ?」
アリスのそばに男性のご老体が聞いてきた。本音を言うとよくわかっていない。あってまだ数時間しか経っていないし、第一印象の子供っぽいと答えるのも何か違う気がした。しかし、聞かれてしばらく出てきた言葉があった。
「彼は太陽です。暗闇を照らす、希望の太陽です」
次の瞬間建物が壊れる大きな音が出た。その音をもってアリスの期待とは裏腹に戦況は一気に劣勢となった。
多勢に無勢。天道は一瞬の隙を突かれて棍棒をもろに食らって近くの建物を突き抜けて吹き飛ばされた。石造の家だったこともあり棍棒と石の二重の痛みと衝撃が天道を襲った。
「お、おい君!大丈夫か!?」
頭から血を流していた天道に建物の中にいた男性が駆け寄ってきた。今まで味わったことのない痛みに天道は男性の問いに少し間を置いてやっと答えた。
「あーくそっ……全身痛っ……頭もズキズキするな……流石の俺でもあと一発でも食らったら死ぬな……あー悪い。あんたの家壊してしまった」
「君、ちょっと待ってくれ!」
そう言って主人は店の奥に行った。天道は全身が痛みながらも身体を動かして慣らした。幸いにも骨折はしていないため、動かそうと思えば動かせた。主人には待ってくれと言われていたが、天道は一刻を争うので待たないつもりでいた。ちょうど出ようとした時だった。
「これを持って行ってくれ!」
主人が戻ってきて天道にあるものを渡しに来た。天道が一瞥するとその物の意外性に思わず二度見した。
「これ……刀か!?」
天道に馴染み深いものだった。赤い鞘に白の柄に直線的ではなく、僅かに反りが見える刀身。間違いなく日本刀だった。異世界、それも西洋文化がそこかしこに見受けられる場所に明らかに場違いと言っていいものだ。
そして改めて見ると天道がいた店は鍛冶屋であった。なので一応ここにあっても不思議ではないが、いかんせん天道には違和感しかなった。
「うちの先祖が冒険者だった時に使っていたものだ。三百年前のものだが、毎年入念に研いでいるから使えるはずだ。これであいつらからこの街を守ってくれ!頼む!」
そう言われて天道にアドレナリンが走った。銃ではが馴染み深い武器に巡り会えたことと、今自分は現実世界では不可能だった、かつて夢見た自分になれるからと思ったからだ。
「そう言われて断らないわけにはいかない。なってやろうじゃないか、ヒーローってやつに」
刀を受け取った天道は一度鞘から抜いて刃を検分した。白い刀身が輝くほどよく磨がれていた。一度鞘にしまったあと、目の前に刀を持ってきて少しだけ抜いた後カチンと音が鳴るようにもう一度直した。金打だ。その昔侍が約束事をする際にやった儀式のことであり、金属を敢えて音を鳴らすように打つため金打と言う。天道が誓った事はただ一つ。
ーーこの街の人を守る。
それだけで十分であった。
大きな衝撃音が鳴ってからしばらく経ってアリスは己の覚悟を決めようとした。もし、先ほどの衝撃音で天道が死んでいるなら今度は自分が戦う番だ。が、彼女の手は震えていた。今のアリスは女神でなくただの人間。魔法や魔術を使えても戦える力には限りがある。自分が負ければ、男はなぶり殺し、女子供は犯されるか食われるのどちらか。先ほど天道から店を守るよう任されていたが、もし彼がすでに敗れており、これから敗れた自分の結末を考えると決意が揺らいだ。
ホブゴブリンの集団はこれから一件一件家を襲撃するだろう。手始めにと言わんばかりに先ほどぶっ飛ばした人間が出てきた大衆食堂のドアに手をかけた。
「マズハ、ココ、マドカラオンナミエタ、エルフミエタ」
これから自分たちは欲望の限り蹂躙する。いつもやっている事だが今回は期待が大だった。ドアノブを下げようとした時だった。後ろから何かが、誰かが倒れた音が聞こえた。するとそこには同胞であるホブゴブリンが腹這いに倒れていた。背中には頑強なはずのホブゴブリンの肌にはっきりと斬られた跡があり、おまけに大量の血が流れていた。
「ダレダ!」
「俺だ」
声のする方に振り向くと前に立っていた同胞が一人、二人、三人と血を流して倒れた。三人全員何かに斬られたようだったが、正体が全く見えなかった。
声の正体がわかった。ぶっ飛ばした人間が穴の空いた家から出てきた。手には刃物のようなものを持っている。しかし、それよりも頭から血を流して、血が今にも全身に渡りそうなのにも関わらずまっすぐこちらを見ている様は赤い鬼そのものだった。ゴブリンやホブゴブリンも小鬼等呼ばれ方をされた事はあるが、目の前にいるのは本物の鬼だと戦慄した。
「サッキノニンゲン!」
天道は刀を抜いた瞬間、現実では出来なかったことができると実感した。一体のゴブリン目掛けて空を斬るとそれが斬波となってまっすぐ飛んでいき、ホブゴブリンの背中を大きく斬りつけたのだ。挨拶代わりにもう三体斬りつけたところで外に出た。
「第二ラウンド……いや、最終ラウンドだ」
残り五体のホブゴブリン。その内三体が天道に向かって棍棒を振り下ろしながら走ってきた。天道は隙だらけとなった懐に飛び込みながら、下から上に袈裟斬り。続いて、後ろのホブゴブリンには斬ったホブゴブリンを蹴ってそれを受け止めたという隙を突き、斬ったホブゴブリンを踏み台にした後、頭に目掛けて刀を突き刺した。三体目のホブゴブリンには茫然自失としていたので全身を斬りつけて最後に首を刎ねた。
「あと二体。どっちが最初だ?」
その様は目ははっきりホブゴブリンを見ていた。自分より下等生物のはずの人間が鬼に見えるほどの恐怖心はホブゴブリンに退却をさせた。
しかし、天道はそれを逃さなかった。一度鞘に刀を納めると、抜刀の姿勢に入った。集中力を充分に研ぎ澄ませて地面を蹴り上げると鈍重な足で走るホブゴブリンとすれ違う瞬間に二体同時に斬った。天道の速さだとホブゴブリンを追い越すのは一瞬であり、抜いた刀を再び納めると二体のホブゴブリンは大量の血を流して倒れた。
外が静かになり、アリスは周囲の安全を確認するために扉を開けた。するとそこには斬り捨てられたホブゴブリンの死体が転がっていた。そしてそこから少し離れたところに天道が立っていた。
「天道さん!」
天道は後ろから自分が呼ばれたのを聞いて振り返るとアリスが走ってきていた。自分のジャケットを着て露出は減っているが、彼女の豊かな双丘は揺れる揺れる。それを見て天道はただ思った。
ーーやっぱり瀬奈の方がいいよな……
現在進行形で死にかけているのにも関わらず自分の細君の胸に思いを馳せていた。アリスとの距離が近くなり、天道も足を踏み出したが二歩目を踏み出そうとした瞬間、力が抜けて崩れ落ちた。地面に倒れる前になんとかアリスに抱えられたが。
「天道さん!しっかりしてください!」
「騒ぐなアリス……傷と頭に響く……」
天道の声は弱々しかった。回復の魔法や魔術を使えれば良かったが、女神だったことが災いして覚えがなかった。こういう時のために覚えておけばとアリスは後悔した。
「私にはあなたに言いたいことがたくさんあるんです!あなたがどんな人間かもっと知りたいんです!だから……死なないでください……!」
アリスの目から涙が溢れる。これも久しく忘れていたが今は目の前の天道に精一杯でそれどころではなかった。
「頑張ってはいるんだが……指先がピクリとも動かない……」
そう言うと天道は目を閉じた。まずい、いけないと思ったアリスは思わず天道の身体を揺らして必死に起こそうとした。しかし、天道が起きる様子はなかった。
「天道さん!天道さん!」
身体を揺らしても無駄だったので、呼びかけにも応じなかった。
もしもあの時天道一人にではなく、自分も参戦していたらとひどく後悔した。そして自分を呪った。魔法や魔術は便利でも時を戻したり、死者を生き返らせるものはない。絶望していた時
「まだ諦めてはいけません」
アリスの後方から声がした。その人物は女性でなんと六翼を使って空中に浮いていた。アリスは人型の天使を想像したが、それとは異なる。人であるのに違いはないが、弓矢ではなく槍を持っているし、何より天界でこのような天使を見たことがなかった。
「あなたは……?」
「私の名はエルナ。エルナ・ヴィルード・エルゼルと申します」




