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11 これが雲のケーキ!

 カカポの森の小さな台所は、今日も今日とて戦場のような賑やかさです。

 粉まみれになった床をカカポたちが「ぷえ」「ぐぽー」としっぽを引きずりながらうろうろする中、リーナは冷蔵庫からずっしりと重い真鍮製のボウルを取り出しました。


 中には、たっぷりの卵の白身。


「はい、カイ。これをお願いね。一滴もこぼしちゃダメよ」


 リーナが手渡したのは、細い針金が何十本も束ねられたような旧式の泡立て器でした。


「え……これを、どうするの?」


 カイは面食らったようにボウルを受け取りました。

 下級貴族といえど、料理は使用人がするもの。

 彼が厨房の道具を握るなんて、いえ、近くで見るのさえも生まれて初めてのことです。


「ツノが立つまで、ひたすら混ぜるの。

 今日はカカポたちが大好きな、ふわふわの『雲のケーキ』を焼くんだから」


 カイは「ふん、そんなの簡単だろ」と鼻で笑い、勢いよく手を動かし始めました。

最初の数分は快調でした。

 カシャカシャと小気味よい音が響き、白身が少しずつ泡立っていきます。


 しかし。


「……っ、これ、いつまでやればいいんだ?」


 十分が経過した頃、カイの額にはじわりと汗が浮かびました。

 白身はまだ、ただの「泡立った液体」に過ぎません。

 リーナが言う「ツノが立つ」状態には程遠いのです。

 腕の筋肉が熱を持ち、指先が痺れ始めます。


「あら、もうお休み? カカポたちが見てるわよ」


 リーナが指さした先には、十羽のカカポが横一列に並び、キラキラするつぶらな瞳でカイのボウルを凝視していました。


「……わかってるよ! 休んでねーし!」


 カイは奥歯を噛み締め、再び腕を振るいました。

 屋敷にいた頃の自分なら、こんな面倒な作業、とっくに投げ出していたはずです。

「俺にやらせるなんて失礼だ」と怒鳴って部屋に閉じこもっていたかもしれません。


 でも、今は違いました。

 目の前で「早く食べたい」と羽を震わせている緑色の塊たちと、優しく、けれど妥協を許さない眼差しでオーブンを温めているリーナ。


 ここでやめたら、自分はまた「期待に応えられないダメな長男」に逆戻りするような気がしたのです。


(……商売の計算は弟に勝てない。でも、これくらい、やり遂げてやる!)


 カイの細い腕に、筋が浮かび上がります。

 一振り、また一振り。

 ボウルの中の白身が、重みを増し、輝くような白へと変化していきます。


「……リーナ。……これ、どう」


 さらに二十分後。カイの声はかすれていました。

 彼が差し出したボウルの中には、まるで搾りたてのミルクのように真っ白で、逆さにしても落ちないほどにしっかり固く、美しいメレンゲが出来上がっていました。


「素晴らしいわ、カイ! 完璧な『ツノ』ね」


 リーナが手放しで称賛すると、カカポたちが一斉に「ぐぽ!」「ぷえ!」と歓声を上げました。

 彼らはカイの足元に集まり、まるで英雄を讃えるかのように彼の靴をツンツンと小突きます。


「……へへ、まあな。これくらい、なんてことないよ」


 カイは赤くなった掌を隠しながら、誇らしげに鼻をこすりました。

 数字でも成績でもない、自分の「力」と「時間」を注ぎ込んで作り上げた、確かな手応え。


 リーナは、そんな少年の成長を眩しそうに見つめながら、ふと思いました。


(この子は、自分を「空っぽ」だと思っているけれど……。こんなに熱くて、優しい力を持っている)


 リーナの胸の奥で、かつて失われるはずだった魂が、カイの頑張りに拍手を送っているような不思議な感覚がありました。


 ほどなくして、オーブンから甘い香りが漂ってきました。

 カイが文字通り命(と筋力)を削って泡立てたメレンゲは、口の中でシュワリと溶ける、極上の『雲のケーキ』へと姿を変えました。


「あつっ、でも……うめぇ……!」


 焼き立てを頬張るカイの隣で、カカポたちも一切れずつ、大事そうにケーキをついばんでいます。

 そのうちの一羽、マルが自分のケーキを少しだけカイの足元に押しやりました。


「……え、これ、俺にくれるのか?」


 カイが驚くと、マルは「ぐぽ!」と短く鳴いて、また自分の分を食べ始めました。

 言葉は通じなくても、わかっています。

「お前が頑張ったから、こんなに美味しいんだよ」という感謝の印であることを。


 カイは、今まで食べたどんな高価な菓子よりも、その不恰好な一切れを愛おしく感じながら、ゆっくりと味わうのでした。

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