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10 カイがやりたいことは

 重い足を引きずるようにして歩くカイは、やがて大きな邸の前で立ち止まりました。

 目の前にそびえ立つのは、手入れの行き届いた生け垣と、冷たい鉄格子の門扉。

 カイは下級貴族の長男です。身分はさほど高くはないとはいえ、商売で財を成した大きな邸宅は、どこか成金特有の「隙のなさ」を漂わせています。


 窓から漏れる明かりの中では、きっと今日も、利発な弟が父と帳簿を囲んでいることでしょう。

「兄さんはまたどこかで遊んでいるのか」という冷ややかな視線と、「お前には期待していない」という残酷なほどの沈黙。


 カイは門の前で立ち止まり、懐の「カカポ特製パイ」をぎゅっと抱きしめました。


 カイにとって、この家での価値は「どれだけ利益を生めるか」という物差しでしか測られてきませんでした。

 数字に強く、大人の顔色を読むのが上手い弟に比べ、カイは不器用で、自分の気持ちを言葉にするのが苦手な少年です。


「……あいつらなら、こんな不格好なパイ、笑うんだろうな」


 カイは独り言をつぶやきました。カカポたちが踏んづけて平らにした、少し歪な形のパイ。

 でも、その温もりは、家の重厚な扉よりもずっと、彼の心を強く支えていました。


 彼は門をくぐり、自分の部屋へ直行すると、明かりもつけずにベッドに腰掛けました。

 そして、大切に包みを解き、大きな一口を頬張ります。


「…………」


 サクッ、という音と共に、リーナの優しさと、カカポたちの賑やかな羽音といい匂いが口いっぱいに広がりました。


 カイは咀嚼しながら、リーナの言葉を思い出していました。


「あなたが見ててくれないと、カカポに挽肉を踏まれちゃうわ」


 あんなに無茶苦茶で、食いしん坊で、でも真っ直ぐに自分を「仲間」として受け入れてくれたカカポたち。

 彼らにとって、カイが商売に向いているかどうかなど、どうでもいいことでした。

大事なのは、「一緒に笑って、美味しいものを分かち合えるかどうか」。


 カイの目から、一粒の涙がこぼれました。


「俺は……帳簿の数字を使って金を稼ぐことは上手じゃないけど」


 彼はパイを飲み込み、力強く呟きました。


「カカポたちが野菜を台無しにしないように見張ることなら、誰よりも上手くやれる」


 翌朝。カイはいつもより早く起きると、驚くべき行動に出ました。

 自分の部屋の掃除を完璧にこなし、使用人たちが驚くほど丁寧に、庭の雑草を引き抜き始めたのです。


「カイ様、どうされたのですか?」


 訝しげに尋ねる執事に、カイはぶっきらぼうながらも、真っ直ぐな目で答えました。


「……見張りだよ。この家が、ただの数字の溜まり場にならないように、俺が手入れしてやるんだ」


 彼が見つけた自分の価値。

 それは、誰かに決められた役割をこなすことではなく、「自分が大切にしたい場所を、自分の手で守り、育むこと」でした。


 翌日も、その翌日も。毎日、毎日、カイは自分の部屋を整え、庭を整え、虫や小鳥や雑草を見張り、いつもきれいにしておくようにひたすらに手を動かします。


 それはリーナが、かつて失われるはずだった命の代わりにこの世界へ来て、ただひたすらに「愛する者を満たしたい」と願った純粋な衝動と、どこか似ていました。




 週末、カイは再びカカポの森を訪れました。

 今度は手ぶらではありません。料理長にこっそり譲ってもらった最高級の干しブドウと、カカポたちが喜びそうな丈夫な木べらを抱えて。


「リーナ! 来たよ!」


 森の小さな家が見えると、カイは大きな声で呼びかけました。

 すると、家の中から緑色の塊が転がるように飛び出してきて、彼の足元に群がります。


「遅いわよ、カイ。カカポたちが待ちきれなくて、今日の小麦粉をもう半分くらいぶちまけちゃったんだから」


 エプロン姿のリーナが、困ったように、でも心底嬉しそうに彼を迎えました。


「ったく、しょうがねーな……。

 ほら、どけ! 今日は俺がちゃんと監督してやるからな!」


 カイは袖をまくり、カカポたちを「整列!」と追い立てながら、台所へと踏み込んでいきました。

 下級貴族の跡取りとしての重圧ではなく、一人の「見張り役」としての誇らしい顔をして。

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