Memoir 来会明莉
歓声が精彩を添える。
その度に来会明莉は奇妙な感覚に囚われ、それを沈める作業に勤しんでいた。
混合ダブルスという物珍しさもあって注目度が高いのか、他の二つのコートよりも人が集まっている。その大半は好奇心旺盛な顔で、分析や評価ではなく純粋に異質な試合を楽しんでいる。
女子ばかりの中に男子が混じっている状況もあって、両校の後衛には特に熱い視線が注がれている。
どちらが優れたプレイヤーかは素人目にも明白だ。浦和南陽の男子は球足こそ速いが、サーブもショットも粗が目立つ。表情も常に硬く、女子に囲まれた環境で緊張しているのが丸わかりだ。
一方、蒼月高校の後衛はミスを連発した第一セットから一転、一つ一つのプレーに集中していて乱れがまるでない。それでいてアグレッシブな姿勢を随所に見せ、ナイスプレーの際には下を向きながらグッと拳を握る。
普段は何処にでもいる普通の男子。
でも試合になると、普段は眠らせている情動を剥き出しにする。
変わらない。
子供の頃からずっと、変わらない。
それをこの場で唯一知る明莉は、篠原匠のプレーを物静かな顔で眺めながら、心の内では密かに多幸感を噛みしめていた。
匠と明莉は、物心つく前から一緒にいた。
世間一般に幼なじみと呼ばれる関係だ。
そしてこれも一般論だが、男子よりも女子の方が先に色気づく。二人の関係においても例外ではなかった。
「……これ」
小学生の匠がぶっきらぼうに明莉へと送った誕生日プレゼントは、桐ヶ谷波紋の著書『君の隣に居られたら』。当時ベストセラーの恋愛小説だった。
恋愛小説をプレゼントする小学生など滅多にいない。だがそれは匠がませていた訳ではなく、なんとか明莉に恋愛感情を芽生えさせたいという苦肉の策であり、誤解に基づく行為に過ぎなかった。
何故なら明莉はとっくにその感情を芽吹かせていたからだ。
思わせぶりなタイトルということもあって、そのプレゼントを半ば告白だと捉えていた当時の明莉は、一生懸命その小説を読み進めた。全ての描写の意味や台詞の背景を把握するのは小学生には難しかったが、様々な考察サイトを参考に自分なりの解釈でこの作品への理解を深めていった。
主人公の男子はごく普通の高校生だったが、自分に好意を寄せた女子が必ず心を病んでしまうというジンクスがあり、本気で悩んでいた。
だが誰に相談しても真剣に相手してくれず、自分と世の中に絶望して世界から隔離された空間で生きようと心に決めた。
新しい部活の設立も考えたが部員一名では認められないと断られ、結局幽霊部員が大半を占める文芸部に入ることにした。
文芸部の活動実績として挙げられるのが文芸コンクールへの出品だ。小説、文芸評論、随筆、詩、短歌、俳句など多岐にわたるジャンルがあり、その制作を行うことで文化的活動の意義を示す。世に出回っている人気作品の鑑賞は、あくまで制作の過程におけるインプットの為。だがその高校の文芸部には制作意欲のある部員は皆無だったようで、部室は常に蛻の殻だった。
彼にとっては都合の良い環境だったが、そこに一人の女子生徒が現れる。新入部員の一年生だった。
二人は当初こそ戸惑っていたが、小説の好みが一致したことで次第に距離を縮めていく。その後、主人公が以前付き合っていた女子がストーカーと化してしまい、その牽制の為に二人は付き合っているフリをすることにした。
以降も二人には幾つもの試練が訪れたものの、時に落ち込み、時に泣き喚きながらも力を合わせ乗り切っていき、やがてその絆は恋愛へと発展した。
それからも紆余曲折は続く。親のこと、進学のことで悩み、ちょっとした誤解ですれ違う。それでも二人は文化祭やクリスマスなど様々なイベントを経て愛情を育み続けた。
そして主人公の卒業と同時に遠距離恋愛が始まり、物語は幕を閉じる。
この作品を明莉は毎日のように読み続けた。
それは、これで終わりだと思えなかったから。
物語の中の二人はこれからどんな生活を送るのだろうか?
遠距離恋愛が成就して、結婚して幸せな人生を送るのだろうか?
それとも自然消滅し、お互い別のパートナーを見つけてそれぞれ道を歩むのだろうか?
明莉は全ての可能性を網羅したかった。その為に様々な恋愛小説を読み漁り、あらゆるパターンを想定する為に数多のシチュエーションを頭に溜め込んだ。
それは、自分と匠の未来を想像する為だった。
どうして匠はあの小説を自分に贈ったのか。最初に考えたのはそれだった。
自分が読んで面白いと思ったから?
この物語なら喜んで貰えると感じたから?
違う。匠がそんなことを考えるタイプじゃないことを、明莉はとうに把握していた。
彼はきっと、こういうヒロインが好みなんだ。こういう恋愛をしたいんだ。
こうなって欲しいと願って、自分に『見本』を贈ったんだ。
だから物語をなぞれば匠が愛する世界に近付ける。自分もそこに行ける。
今と同じように、今より近い距離感で一緒に居られる。
そして一番良い未来を想像することで、二人にとって一番良い未来へ向かう方法を知ることができる。
そうに違いない。
明莉の答えは実に惜しかった。だが同時に致命的なまでにズレていた。
明莉はできるだけ表層を変えないようにした。自分が小説のヒロインに寄せているとバレないように。でも心の中は革新的なまでに書き換えられていった。
まだ恋が実っていない物語序盤、ヒロインは献身的に主人公を支えていた。でもその支え方は普通とは違っていた。何故なら主人公は自分に好意を寄せる女性が不幸になると確信していたから。
だから好意を悟られてはいけない。好きだという気持ちを見つけられてはいけない。
その条件内で可能な限り彼を支えるにはどうすべきか。
中学までは自然に接する。そして高校生になって恋人を作る。
ただし――――偽りの。
そうすれば自分の好意が匠に向いていることに気づかれない。しかも嫉妬心や独占欲を煽ることもできる。恋に積極的じゃない男子には有効な手段。
それが『君の隣に居られたら』から、そして匠が話す『想像上の妹』から明莉が学んだことだった。
尚、偽の恋人役を演じている文芸部部長には何度も『君とな』を読んで貰い、主人公の設定に可能な限り近付けるようお願いしていた。彼もそのシチュエーションを楽しんでいるのか快諾し、様々な設定を自ら考案してきた。
同時に明莉は、水面下で匠の置かれている状況の把握に努めていた。
彼は中学時代、ソフトテニス部で全国まであと一歩というところまで行った。だが夢はあと少しのところで叶わなかった。
夢の続きは高校で――――だがその情熱は高校に入る頃にはすっかり冷め、部活内で浮いた存在になってしまっていた。
そんな折、混合ダブルスへの参加が決定した。
匠と組む相手は蒼月高校で最も美人と評判の月坂結衣菜。同性の明莉の目から見ても、彼女の美貌は群を抜いていた。
強力なライバルの出現。
明莉の心に焦燥と緊張が生まれる。
だが、その未来を明莉は予見していた。正確には可能性の一つとして空想していた。
当然だ。世に出ている数多の恋愛小説において、恋のライバルの登場は王道中の王道。ただ、相手が余りに強すぎる。それは想定外だった。
まともに戦っても勝ち目がない相手と勝負するには――――献身性しかない。
何故ならそれこそが匠が好んでいるヒロイン像だからだ。
方針を決定した明莉は早速行動に移る。
いち早く新聞部に協力を要請し、匠と結衣菜の会話を盗聴した犯人を特定。その黒幕が中垣内教諭であることを見抜き、新聞部および文芸部部長の同席のもと、彼と交渉の場を設けた。
盗聴の動機は『篠原・月坂ペアの校内における知名度を格段に向上させること』。
どんな些細なことでも、新聞部へ会話の内容をリークすれば勝手に脚色して結衣菜のファンを煽るような記事にしてくれる。そうすれば無名の篠原匠の名も校内で知れ渡り、知名度が向上する。
混合ダブルスを盛り上げる為には、この高校から唯一大会に参加する二人をまず知って貰うこと。しかもその二人がデキているという噂が流れれば、より多くの生徒が注目する。
混合ダブルスの現時点における知名度は皆無。それを向上させるには、選手を知って貰い思い入れを持たせるのが一番であり唯一の方法だと中垣内教諭は熱弁を振るった。
図抜けた容姿を持つ結衣菜を抜擢したのはその為。まず校内を盛り上げ、SNSなどで彼女の画像や動画を生徒が『勝手に』投稿し、それが全国でバズれば混合ダブルスへの知名度も上がる――――そういう算段だった。
県のソフトテニスを総括する連盟の一員でもある彼は、今年から混合ダブルスの普及に尽力するよう上から厳命を受けているという。特にミックスカップの成功は絶対で、その為には手段を選んでいる場合ではないとのこと。
無論、明莉にとっては中垣内教諭の事情など知ったことではない。重要なのは匠であり他にはない。
もし中垣内教諭の思惑通りに事が運べば、結衣菜は全国区の知名度を得ることになる。一方で匠は現在校内に蔓延する『結衣菜には釣り合わない男子』という見方を全国規模でされてしまうだろう。
匠の性格上、そうなれば身を引く――――のをやめ、釣り合う人間になろうと努力する。
彼が負けず嫌いなのを明莉はよく知っていた。
それは絶対に阻止しなければならない。故にSNSへの投稿はしないよう厳しく指導することを条件に、混合ダブルスを盛り上げる別の方法を中垣内教諭に提案した。
何も今の段階で無理に全国区になる必要はない。
もっと王道の道がある。
それは明莉が望む未来とも一致していた。
「篠原・月坂ペアが全国優勝するよう、彼らの後押しをして下さい。特に篠原匠には肩入れするようお願いします。その為の資料提供は私がします。それをどう使うかは先生が決めて下さい」
これからも来会明莉は暗躍し続けるだろう。
「ゲームセット! 四対一で蒼月高校ペアの勝ち!」
ポーカーフェイスのその裏で、初恋が成就するその日を夢見て――――
次回最終回。最後までお付き合い頂けると嬉しいです。




