第50話 記憶に残る一日
試合に勝った翌日の朝はいつだって気分が良い。
相手の強さは関係ない。自分が勝った余韻と、それを祝福してくれる人たちの顔。それだけで言いようのない多幸感に包まれる。
ただ一点、勝利の瞬間に月坂先輩の顔を見ることができなかったのだけが心残りだった。
最後のポイントを取った際、俺は相手のドロップに対処する為に全力で前に出てダイビングで拾ったから、暫く地面に横たわっていた。
その後、相手が慌てて返したボールを先輩がボレーで決めて試合終了……だったらしい。そのプレー自体も目撃できなかった。
俺が立ち上がる頃には、もう先輩は普通の笑顔だった。
だからあの試合が先輩にソフトテニスを好きにさせたかどうかは今もわからない。
わかっているのは、俺が先輩に恋しているっていうことだけ。
ま、実際にはもっと前からなんだろうけど……やっぱりきっかけって大事だよな。今は疑うことなく自覚できている。
これからは大変だ。
この下心を行動理念にしちゃいけない。先輩にソフトテニスを好きになって欲しい気持ちも、今までの努力が報われて欲しいって気持ちも、全部本当だから。
気に入られたくてやる訳じゃない。勝利の瞬間を分かち合いたい人だから組みたいし、一緒にプレーしたい。そこはちゃんと区別しないと。
「何か良いことがあったのか?」
珍しく朝食を一緒に食べている父さんが、急にそんなことを聞いてくる。それくらい露骨に顔に出ていたんだろう。ちょっと恥ずかしいな。
「試合に勝ったんだよ」
「テニスのか?」
「そう。ま、相手はそんなに強くなかったんだけど」
昨日の相手が混合ダブルスの試金石になるとは思わない。もっと強いペアは沢山いるだろうし。
でも、昨日の一勝は大きい。それは間違いない。
「良いことは重なるもんだな」
「あ?」
「実は結構前に話を貰っていた仕事の依頼が正式に決まってな。水面下では決定済みだったが、先日ようやく公式で発表されたんだ」
「そりゃ確かに朗報だ」
父さんの仕事は自分で得られるものじゃない。需要があって、初めて能力を試される。そういう世界らしい。
もし桐ヶ谷波紋のようにヒット作を出せれば生活も多少は潤うんだろうけど、そこまでの期待はしていない。
父さんの顔にやる気が漲っていれば、それで良い。
「ふぁ~」
そういう時期だけは、母さんもよくリビングに顔を出すし。
「何か食う?」
「ううん。なんか目が覚めちゃっただけだし。また寝る」
水を飲んで再び寝室へ。
「稼げる時にしっかり稼いでよ?」
「ああ。任せとけ」
戻り際のその会話に思わず顔を綻ばせ、玄関を出る。
「おはよ」
家の前に、いつもの通り無表情の幼なじみの姿があった。
「……なんで?」
「もう無理に避ける必要ないから」
まあ確かにそうなんだけど。今となってはこっちの都合がちょっとな……
恋愛感情を自覚した以上、月坂先輩以外の女子と仲良くするのは違う気がする。
「学校行かないの?」
「そりゃ行くけど」
とはいえ、長年一緒に生きてきた家族同然の明莉を無理に遠ざけるのも、それはそれで人として違う。何かの間違いで先輩と付き合うなんて日が来たら話は別だけど、今はまだその時じゃない。
「昨日の試合、楽勝だった?」
「いや、スコアほど簡単じゃなかったな。第一セットの記憶ないし」
「表情虚ろだったもんね。別のこと考えてた?」
やっぱりバレてたか。付き合いが長いと何でも筒抜けだな。俺も明莉のことは大抵わかってるし。
わかってる……よな?
「女子ばっかりの中で試合するから、緊張したんでしょ?」
「それはねーよ」
そんな軽口を叩き合い、久し振りの登校風景に心地良さを感じながら――――気付けば学校に到着。
それとほぼ同時にスマホが震えた。
「新聞部の号外だって」
その記事には、混合ダブルスの試合が行われ俺たちが勝利したことを、先輩の写真付きで伝えていた。
写真は、最後の一ポイントを先輩が決めた瞬間の一瞬を見事に捉えていた。
「良い顔だね」
「……ああ」
これは間違いなく、ソフトテニスを心から愛している人の顔。
本当に……良かった。
「あ、御本人登場」
「え?」
明莉の言葉で顔を上げると、俺たちとは逆の方向から月坂先輩とその取り巻きの連中が校門へ向かっている姿が見えた。
相変わらず血の気が多いファンクラブの面々が周囲の男子を牽制している中、鞄を両手で持ち静かに歩いていた先輩と視線が合う。
これは流石に無視はできない。会釈だけでも……
「篠原君」
そう思って頭を下げた刹那、先輩の声がすぐ近くに聞こえた。
……瞬間移動?
思わずそんな馬鹿げたことを思ってしまうくらい、先輩の接近はあっという間だった。
まさか基礎練の成果をこんなところで実感するとは……
「おはよ」
「おはようございます。昨日はちゃんと眠れましたか?」
「うん。篠原君のおかげ。私はもう体力切れてクタクタだったし」
あの試合は自惚れでもなんでもなく、俺のポイントが大半を占めた。でも勝因は俺じゃない。
「それだけ先輩がしっかり動けていた証拠ですよ」
昨日の先輩は、俺が驚くくらいアグレッシブに攻めていた。ミスもあったけど、それ以上に気持ちが強く出た良いプレーだった。
それが相手を終始圧倒していたように俺には映った。
「それで、えっと……」
先輩の視線が明莉へと移る。そういえば紹介したことなかったな。
「幼なじみの来会明莉です。明莉、知ってると思うけど俺とダブルスを組んでる月坂先輩」
「うん。昨日の試合、見ました。格好良かったです」
「あ、ありがと……」
お、照れてる照れてる。いいぞ明莉、ナイスアシスト。
にしてもさっきから先輩の取り巻き、全然クレーム入れてこないな。流石に推しのダブルスの相棒を邪険にはできないって判断なのか? 俺としてはありがたい限りだ。今後もその姿勢でお願いしたい。
「たっくん、先輩に迷惑かけちゃダメだからね?」
「わかってるよ」
「本当に? 昨日も試合中、後ろから見惚れてボーッとしてなかった?」
「してねーよ!」
なんか珍しい絡み方してくるな。これも偽とはいえ彼氏持ちの余裕か?
ってか、先輩に誤解されないといいけど……
「仲良いんだね」
そんな俺の心配を余所に、月坂先輩は口元に手を寄せて小さく笑っていた。
「そろそろ行かないと遅刻するよ?」
明莉の言うように、いつの間にかそんな時間になっていた。
それに先輩の後ろに控えるファンクラブの皆様が我慢の限界に達してそうな顔。名残惜しいけどここまでだな。
「先輩、それじゃ放課後また」
「あ、待って」
予想外の呼び止めに思わず驚いた俺に先輩がスッと近付き、顔を寄せた。
「えっとね」
先輩の表情は、さっきスマホで見た先輩の笑顔とは全然違っていて――――
「もっと私を好きにさせてくれる?」
……どうやらそれを正しく解釈するには、もうちょっとだけ猶予が必要みたいだ。
ご一読下さった皆様、誠にありがとうございました。これにて本作は完結となります。
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