第49話 見慣れた景色
「スマン! 悪かった! この通りだ!」
テニスコートに戻った直後、俺たちが何か言う前に中垣内先生が駆けつけて手を合わせ謝意を告げてきた。恐らくあの二人から俺たちに真相を暴露した件を聞いたんだろう。
「いや……」
「怒るのは当然だ。だがまずは俺の話を聞いてくれや。な? な? ここだと邪魔になるから向こうで話そうや」
かなり強引に俺たちを人気のない方へ誘導してくる。まあ他人に聞かれてる所でする話じゃないしな。試合も始まってるみたいだし。
「まずやり方は良くなかった。それは謝罪させてくれ。盗聴行為を直接処罰する法律がないとはいえ、教職に就く者としてあるまじき判断だったのは認める。本当に申し訳なかった」
文字で公表したら高確率で炎上しそうな謝罪ですね……少なくとも反省の色は見えない。
けど試合前にこんなことで心を乱したくない。理由聞いて、二度と同じことをしないって言質だけはしっかり取って、とっとと退場願おう。
「どうして俺たちの会話なんか盗み聞きする必要があったんですか?」
「……ファンなんだよ」
はあ?
おいおい問題発言だろこれ。じゃあ何か? この人も月坂先輩のファンクラブの一員だったってことか? 俺が先輩を口説こうとしてるとか、セクハラ発言してるんじゃないかとか、それが心配で盗聴なんかしたってのか?
仮にも教師の立場で女子生徒のファンを公言するのにもドン引きだけど、動機が余りにも気持ち悪い。だったらまだ『混合ダブルスが知名度なさ過ぎるから炎上させて盛り上げたかった』とか言い出した方がマシだ。
こんな奴を野放しにしてたら先輩だって落ち着いて学校生活を送れないよな。穏便に済ませる予定だったけど、これはもう別の先生に話して――――
「俺はお前のファンなんだ! 篠原!」
……ん?
俺? え、どういうこと? 聞き間違い? この一瞬で俺の耳イッた?
「俺はな、中学の頃からお前のプレーに魅了されてたんだよ。最後の県大会、団体戦準決勝で初戦を戦った時のお前は最高に輝いていた。相手は個人戦優勝ペアだったな。格上の相手にラリーだと分が悪いと感じていたんだろ? サーブもレシーブも常にエース狙いだったな。集中力を最大限に高めたお前に相手は完全に呑まれていた。優勝ペアを圧倒していたその姿は今も目に焼き付いてるよ」
えぇぇ……なんでそんな詳しいんだよ。怖ぇーよ。
「そのお前がウチの高校に入ると知った時は感動したモンさ。どうにかして接点を作りたくてな。連盟から混合ダブルスの話が出た時、しめたと思ったもんだ」
マジで……? じゃあ水面下では最初から俺を指名してたってこと……?
「だが校内でのお前は無名だ。月坂とは知名度が違い過ぎる。このままじゃお前に惨めな思いをさせると思ってな……どうにかしてお前らが対等だと示したかったんだ」
「だから先輩が俺に言ったことを新聞部に……?」
「いやー、正直あんな綺麗に誤解を生む言動までは期待していなかったよ。天は俺とお前に味方したってことだな。ふははははは」
「笑いごとじゃないでしょうがあああああああああああああ!!」
思わず大声を出てしまった所為で、試合を観戦していた生徒から奇異なものを見る目で見られてしまった。でも仕方ないだろ? こんなの黙って聞き続けられねーって……
「す、スマン。だがわかってくれ。悪気があってやった訳じゃないんだ。俺はお前が苦しまないようにと思ってだな」
「あの……」
呆れていたのか、それとも嫌悪感からか、ずっと黙っていた先輩が重い口を開いた。
「先生がどう思っているかじゃなくて、篠原君がどう思っているかを大事にして欲しいです」
その言葉がどれだけ中垣内先生に刺さったのか――――それは知らない。
ただ、俺の心には深く深く突き刺さった。
一生忘れることがないくらい、深く。
「本当にその通りだ。俺が間違っていた。二人とも大変申し訳なかった。こんなことは二度としない。だから他言はしないでくれ。この通りだ」
さっきから保身以外何もないなこの教師! いっそ清々しいクズっぷりだ……
「はぁ……いいですよ、もう。その代わり別の誰かが俺たちの嫌がることをしてきたら、率先して対処して下さい」
「約束しよう。お前たちは俺が全力で守る!」
なんだこいつ。イカれてんのか?
でも、こんな奴でも一応俺のファンなんだよな。ってか俺にファンなんて居たのかよ。中学時代、誰かに注目されたなんて実感全然なかったんだけどな。バレンタインデーも完全に無風だったし。
「それじゃ、試合頑張れよ。応援してるからな」
最終的に熱血教師ヅラしてコートに戻っていく中垣内を見送ったのち、俺と先輩は顔を見合わせて――――思わず吹き出してしまった。
「すごいね。大人をあんなに狂わせちゃって」
「いや……あれはあの人がおかしいだけですって」
本当に不本意だけど、中垣内の愚行のおかげで先輩との距離がグッと縮まった気がする。感謝する気はないけど、あんなのにこれ以上関わってたら心がもたないし今はそれで良しとしよう。
「向こうの試合、終わりそう」
先輩の言うように、一番奥のコートで大きな拍手があがっている。程なくして一方のペアは嬉しそうにネット際までダッシュし、もう一方は二人祖手肩を落としチンタラ歩いている。
たかが練習試合。それでも勝てば嬉しいし負ければ悔しい。俺たちも一時間後にはどっちかを体験することになる。
「結衣菜ちゃーん!」
「篠原! 早く早く!」
そのコートの近くから、天和と姫廻がなんか喚いている。
なんだ? 俺たちの試合はまだの筈……
「最初の試合、怪我ですぐ終わっちゃったんですよ! 次先輩たちです!」
え、マジ? まだ心の準備できてないんだけど……
「篠原君、急ご」
戸惑う俺を引っ張るように、月坂先輩は俺の手を取って走り出した。
ドキドキする暇もない。
周りが俺たちをどう見ているのかもわからない。ただ、先輩の少し熱を帯びた手の感触だけが俺の全部を支配している。
ただただ、思う。
この時間が永遠に続いて欲しい――――
「ゲームカウント〇-一」
そんなことを考えている間に、いつの間にか試合は始まっていた。
……あれ? なんか一セット取られてる……?
「何やってんのタク! 真面目にやれー!」
「いつまでボーッとしてんだ! また負けるぞ!」
リオと理久の罵声が聞こえる。天和と姫廻も心配そうに俺たちを見つめている。新聞部の連中も心なしか呆れ顔だ。
月坂先輩は……こっちを心配そうに見つめている。何か言っているんだと思うけど、声が聞こえない。
なんだこれ。こんなの初めてだ。心と身体がまるで一致しない。フワフワしている。
予想外のタイミングでいきなり試合が始まって浮き足立っている。その自覚はある。でもそれだけじゃない。
まさか――――きっかけってこれ?
俺は今、恋に落ちてる真っ最中なのか? だからこんなに心臓の鼓動が早いのか?
いやシャレになんないって! 先輩に恋した所為で先輩との初試合を台無しにするとか、そんな間抜けな色ボケあってたまるか!
マズい。なんとかして立て直さないと。でも全然身体が言うこと聞かない。感覚が麻痺してる。全部の景色がボヤけて見える。全ての音が遠くに聞こえる。
第二セットは相手のサーブか。でもこれじゃまともにレシーブもできない。
どうする? どうする? ドウスルドウスルドウスルドウスル……
「頑張れー」
――――相手サーバーがトスを上げようとした直前、その場違いな声がコート内に響き渡った。
明莉。
……来てたのか。
「プレーの直前はお静かにお願いします」
「すみません」
主審の注意に対しても動じることのない顔。
あいつ……わざとか?
俺の様子がおかしいのを察して時間を作ってくれたのか。
変わらないな、そういう所は。俺のことを一番知ってるのはお前だもんな。
景色がクリアに見える。相手選手の顔も、月坂先輩の後姿も。
これなら大丈夫だ。
ありがとう明莉。
お前のおかげで俺は情緒を育めた気がする。特に彼氏がいるって話を聞いた時は随分と凹まされたもんだ。
ま、結局彼氏は嘘だったんだけど……今にして思えば、あの経験がなかったら先輩に拒絶された時に立ち直れなかったかもしれない。あの喪失感が俺を打たれ強くしてくれていたのかも。
明莉。
それに姫廻。天和。理久とリオも。
こんな俺と仲良くしてくれてありがとう。
その御礼になるかはわからないけど、この大事な試合を見届けて欲しい。
そんなことを考えていた俺目掛けて、相手のサーブが放たれた瞬間――――
「ナイスレシーブ!」
俺のソフトテニス人生の第二セットが始まった。




