第40話 否定の裏側
「……ふぅ」
明莉が静かに溜息をつく。それを『面倒臭いなあ』って意思表示だと思ったのか、姫廻はビクッと身を震わせた。
「たっくん。私、そんなに変かな」
「ん? 何が?」
「付き合い始めたばっかりの彼氏に誕生日を教えてなかったの、そんなにダメだった?」
でも多分違う。この言動も、傍から見れば不機嫌としか思えないだろうけどそうじゃない。
付き合いの長い俺にはわかる。明莉は別に苛立っている訳じゃない。自分のことでこんなに何人もの人間が時間を割いているこの状況に対し、申し訳なさとストレスを感じているんだろう。
「ま、ダメでも変でもないし、普通なら新聞部にそう答えた時点で終わる話だ」
でもそうはならなかった。それにはちゃんと理由がある。
俺も別に新聞部を信用している訳じゃないし、擁護するつもりもない。でも今回に限っては、新聞部部長……確か湯森先輩だったよな。この人の意図は十分に汲み取れた。
「湯森先輩は明莉がストーカーに狙われている可能性を懸念しているんだと思う」
「ストーカー……?」
俺の言葉に対し最初に反応を示したのは、明莉本人じゃなく姫廻だった。
当の本人はキョトンとしている。っていうか、この反応は――――
「わかんない。たっくん、どういうこと?」
やっぱりピンと来てなかったか。つーか、いつの間にか俺の呼び方がたっくんに戻ってんぞ。自分から言い出しておいて……あ、俺も今明莉って言っちゃってたな。まあいいか。本人指摘してこないし。
「俺もさ、ちょっと違和感あったんだよ。登校途中に彼氏ができたって俺に言ってきたの。前日に電話でもLINEでも言える機会はあったのにさ。それに俺たち、そういう話今まで全然しなかっただろ?」
「うん。一つもしなかったね」
「なのに急にそんなこと言い出したから困惑だってするさ。彼氏以外の男と距離を置きたいんだったら別に黙って避けりゃいいだろ? 一言添えるんなら『もう高校生だし起こし合いなんてやめよう』とでも話せば済む話だし」
「起こし合い!? 何それ! 詳しく教えて詳しく!」
急に興奮し出した姫廻は無視するとして。
「……」
明莉はどうやら俺の発言に納得していない模様。でも唐突過ぎたのは事実だし、彼氏ができたことを俺に強く印象付けようとしている……気がした。
だから姫廻がエア彼氏って話をしてきた時も、明莉に限ってそれはないと言いながらも心の何処かに引っかかるものがあった。そしてさっきの先輩や湯森先輩の話で一つの仮説を思い付いた。
「それで色々考えてみたんだよ。もし明莉が恋人いないのにいるフリをするとしたら、見栄を張るとかマウント防止策とかじゃない。だったらそれ以外の理由って何があるんだ? って」
「それがストーカーと繋がるの?」
「そう。ストーカーは言い過ぎかもしれないけど、例えば無闇に接近してくる男子や嫌な絡み方してくるクラスメイトを牽制する為に、年上の彼氏がいるってことにしたんじゃないか……って湯森先輩は怪しんでいるんだと思う。違いますか?」
これだけ長々と憶測を語って外れてたら恥ずかしいな。
……もしそうなったら全力疾走で逃げよう。
「君はソフトテニス部よりも新聞部に入るべきだったね。僕をそこまで理解しようとしてくれる人間はそうそういるものじゃない」
幸い、その必要はなさそうだった。理解者にされてしまったのは甚だ不本意だけれども。
「実は、月坂君に対するつきまとい行為については彼女の入学直後から複数人が実行していてね。我々新聞部は過去の懺悔も兼ねて、そのような行為を秘密裏に取り締まっているんだ」
酷い奴もいたもんだ。言ってくれれば俺がボディーガードくらいするのにな。
……なんて思っちゃったけど、これじゃまるで理久だ。こんなこと考えちゃう奴だって先輩にバレちゃってるから拒絶されたのかもしれないな。ははは。はぁ……
「そういう経緯もあって、もしかしたら来会君も同じような被害に遭っているんじゃないかと懸念した次第だ。しかし、その様子だと……」
「ストーカーなんていません。平和に暮らしてます」
つまり、俺たちの早とちりだったってことか。
明莉にしてみれば、ただ彼氏ができたって事実を告げただけなのにこんな大騒ぎになっちゃって何してくれてんのって感じだろな……後で詫びを入れておこう。
「あの……」
姫廻が恐る恐る挙手して明莉に意見しようとしている。なんでそんなに推してる相手を恐れるんだよ。話すだけでも畏れ多いのか?
「前に文芸部の部室を覗いた時ね、椅子が一つしかなくて驚いたんだけど、それって……」
「先輩、椅子はアウトドア用のハンモックタイプのチェアが好きみたいだから。あれって畳んでると椅子ってわからないかも」
ああ、なんかそういう椅子あるよな。大きな布に座るみたいな感じの。確かに、あれは畳んでたら布きれにしか見えない。
壊れてすらいなかったか……
「で、でも……来会さんが篠原以外の人とお付き合いするなんて……信じられなくて……」
まだ言うか姫廻。どんだけ俺と明莉をくっつけたいんだよ。
「成程。彼女は所謂カプ厨というやつなんだろうね」
湯森先輩が頼んでもいないのに余計な解説を始めたけど、長いから聞き流した。
要は自分がこうじゃなきゃ嫌だっていうカップルの組み合わせを強要する人のことを揶揄した言葉らしい。姫廻の場合、強要まではしてないから厳密には不適切な表現だ。
「ごめんね。私、たっくんとは全然、本当に全然、これっぽっちもそういう関係だったことないから期待には応えられない」
執拗だな! でもそれくらいしっかり否定しないと今の彼氏さんに失礼だから気持ちはわかる。モヤっとはするけどな!
「……ううん。私の方こそごめんなさい。私が勝手に、中三の一年間で二人の絆をこれでもかってくらい感じてただけ」
姫廻は本気で落胆した様子で、明莉に向かって首を横に振っている。
「でもそれも、私の妄想だったんだね」
「うん。わかって貰えて良かった」
本人の口から全否定されたことで姫廻もようやく吹っ切れたのか、納得した様子で顔を上げて頷いていた。
なんつーか、微妙に損ばっかりして気分は良くないけど……とりあえずは決着か。
「最後は少しグダグダだったけど、これで一応約束は果たせたかな?」
「はい。お世話になりました」
「引き続き混合ダブルスには注目させて貰うつもりだから、できれば今後も協力し合っていきたいものだね。正直最初は月坂君にしか興味がなかったが……中々どうして、君も取材対象として心を駆り立てる何かがある」
「それはどうも」
ちょっと気持ち悪かったからこの人とは距離を置くと決めつつ応接室を出る。
既にリオと理久の姿はない。飽きて教室に戻ったのか、廊下で他の新聞部部員と話し込んでるのか……
「……」
室内を見渡していた俺の横をすり抜けるように、明莉が無言で追い越していった。
やっぱり何となく距離を感じるけど、それも苗字呼びと同じで彼氏以外の男子と極力親しくしない為なんだろうな。
少し寂しい気持ちもない訳じゃないけど、明莉の幸せを思えばこれが正しいことなんだろう。呼び方も苗字に戻さなきゃ――――
「たっくん」
そんな俺の心の中を弄ぶように、明莉は昔からの呼び方で振り向かずに話しかけてきた。
「なんだよ」
「桐ヶ谷波紋、覚えてる?」
……覚えてるよ。俺が子供の頃、お前にやった恋愛小説の作者だろ?
当時売れっ子だったその作家が今も作品を出し続けているのか、それとも引退したのかは知らないし興味もない。俺があれを贈ったのはお前に恋愛感情を芽生えさせたかっただけだからな。
「そいつがどうかしたのか?」
「五年振りにね、新作を出すんだって」
「そっか」
「……」
俺が興味ないと知って話を続ける意味を失ったのか、明莉は振り返らないまま部室をあとにした。




