第29話 言ってません
「天和がそんなことを……」
先輩の話は端的に言えば自身の生い立ちだけど、そこには色んな情報が詰まっていた。
まず先輩がソフトテニスを始めた理由ときっかけ。先輩は天和を人生の師匠と位置付けていたけど、確かにこの話を聞けば納得だ。まだ子供だっただろうに気の利いたセリフ言いやがって。ちょっと感動しちゃったよ。
「開業医って休診日は自由に過ごせるって思われがちだけど、患者さんを診る以外にも色んなお仕事や医師会のお付き合いがあって大変みたい。それでも私がソフトテニスを始めたいって言ったら一緒に遊ぶ時間を作ってくれて……」
内容は勿論、それを語る先輩の表情や声からも良い親御さんなのは伝わってくる。それだけに、先輩が学校で辛い思いをしたことには心を痛めていたんだろうな。
「先輩がソフトテニスを続けてるのは、天和やご両親に感謝してるからなんですね」
「……うん」
当時の天和がトラウマって概念を知っていたかどうかはわからない。けど『嫌な思い出を上書きして欲しい』とは思っていた筈。
親御さんたちもそれを願って、多忙な中でも時間を作って先輩と一緒に汗を流したんだろう。
だからこそ、ソフトテニスを好きになれないままじゃ終われない。
先輩の原動力は、その思いに集約されているんだな。
「中学で部活引退した後にね」
目を伏せながら、先輩は切々と語る。少しだけ懐かしそうにしながら。
「一茉里から『高校生の大会が近くで開かれるから一緒に観に行こう』って誘われたことがあって。その時に蒼月高校の団体戦を観戦したんだけど……凄く真剣で、凄く楽しそうだった」
だから、蒼月高校でなら自分もソフトテニスを好きになれるかもしれない。
きっと先輩はそう思ったんだろう。
「それで高校を決めたんですね」
「勿論、それだけじゃないけど」
高校を選ぶ上で部活のことまで考えられる生徒はほんの一握り。大半は実家から通える範囲で進学を前提に偏差値で決める。勿論、俺も例外じゃない。
先輩は経済的には恵まれているだろうから、少なくとも俺よりは選択肢があったんだろう。
それでも自分が見たもの、感じたことが最終的に背中を押した。
……俺とは真逆だ。
当然、この学校を候補の一つにした時にどんな部活があるのかは一通り調べる。男子ソフトテニス部の過去の実績も。
蒼月高校の男子ソフトテニス部は明らかに弱小だった。
俺はそれを知って、少し安堵した。
高校では全国を目指すぞ――――最後の大会の後にそう叫んだ時の熱は、もうすっかり冷め切っていたから。
ここでなら全国を目指さなくてもいい。キツい練習もしなくていい。部内でも上の方の選手でいられる。
そんなふうに考えてしまった。
できるだけ楽に、できるだけ傷付かずに中学時代の栄光を引き摺り続けられる。
天和との約束に言い訳ができる。『テニスはちゃんと続けた。でも強い高校じゃなかったから無理だった』って。
自分自身を誤魔化せる。
そんな打算じみた考えが、心の片隅にあった気がする。
先輩のような前向きな理由は何もなかった。
「速いボールが苦手な自覚はずっとあったんだよ? でも、あの時のドッジボールの所為にするのは嫌で……だから練習の時からスピードのあるボールが飛び交う環境なら、もしかしたら克服できるかもって思って」
「蒼月高校なら条件に合いますね」
「でも結局、高校でも下手なまま。ダブルスを組む子の足を引っ張ってばっかりで。みんなをイライラさせちゃうだけのお荷物になっちゃった」
「そんなことは……」
「あるよ。多分外から見てても、私が浮いてるのってすぐにわかると思うし」
……それは否定できない。
蒼月高校がもっと強豪や名門だったら、また少し違ったのかもしれない。もっとストイックに自分のことだけに集中する選手ばかりだろうから。
でも『地区大会では上位、県大会ではそこそこ』くらいの学校だと適度な上手さ、適度な強さの共有が楽しさに繋がっていく。結果、先輩のような存在は余計に邪魔だと思われてしまう。
俺は中学時代、邪魔だと思う側の人間だった。
だから先輩に苛立つ女子部員を否定できない。
する必要もないと思っている。
「ゴメンね。篠原君の言う通り、自分が予想してない時に来る速いボールと顔の近くに向かってくるボールが全然ダメなのわかってた。どうにかしないとって色々試してみたけど……」
先輩も自覚はあって、自分なりに克服しようと考えた。その為の努力もした。
けど改善はできていない。
「多分、ずっとこのままだと思う」
先輩の声が暗い。言葉が重い。
原因を追究すれば何とかなると思っていた俺が浅はかだった。
だったら、どうすればいい?
先輩が一日空けて欲しいと訴えたのは、何処まで話すべきか熟考したかったからだろう。
その上で、余り思い出したくないであろう過去のことまで全て話してくれた。
『ずっとこのまま』なんて諦めたような言葉を漏らしたけど、本音は恐らく違う。
俺とのダブルスに期待してくれている。
ソフトテニスを好きになれる最後のチャンスだと思ってくれている。
……そう受け取って良いんだよな? 勘違いじゃないよな?
ここで俺の口から出す言葉には責任が生じる。残り少ない先輩の競技人生が実りあるものになるか、それとも無為な時間になるかの分水嶺だ。決して軽くはない。
俺にそれを引き受けられるのか?
「だったらダメで元々。一人でダメなら二人で手を尽くしてみましょう」
ああ、軽率に言っちまった。もう後戻りできないぞこれ。
「まだ大会まで時間はあります。思い付いたこと全部試してみませんか? 今の俺と先輩が試合に勝てるようになるには、ポイントを取れるようになるにはどんなプレースタイルがベストなのか。やりようはあると思うんですよ」
「でも、私にばっかり篠原君を付き合わせるのは……悪いよ」
「俺も今のままじゃダメですから、男子の全体練習に途中まで混ぜて貰います。その後に彩彩までランニングして混合ダブルスの練習。そのメニューは一緒に考えましょう」
スラスラ言葉が出てきてしまう。ハイになっている自分を嫌でも自覚してしまう。
先輩が自分のことをこんなに話してくれた事実。そして、これからどんな部活動をしていくかを前向きに考えられている自分。この二つに胸が躍っているんだ。
「先輩はずっと俺の負担になってないかって心配してますけど、それは一旦忘れて下さい」
俺は今、久々に燃えている。気持ちが昂ぶっている。
単に続ける理由ができただけじゃない。先輩に良い格好をしたいってだけでもない。
「先輩に好きになって欲しいって、本気で思ってますから」
この人となら、またソフトテニスを心行くまで楽しめる。
中学時代と同じように……いや。それ以上に好きになれる。
そんな期待に胸が膨らんで仕方ない。
「……えっ」
「信用できませんか?」
「あ……ううん。そんなことは、ないんだけど」
心なしか、先輩も高揚しているように見える。俺の気持ちが伝染したのかもしれないな。
「そ、それじゃ……LINE交換……する?」
「しましょう。連絡取れないと不便ですもんね」
そんな訳で、あれだけ苦悩していた先輩とのLINE交換を勢いで実現。
尚――――
「俺、ちゃんと『ソフトテニスを』って言ったよな……? あれ……どうだったっけ……」
この日の夜は痛恨のミスを思い返して一睡もできなかった。




