Memoir 月坂結衣菜
本日更新分は二話に分けています。前話「第28話 交流の窓口」とセットでお読み頂ければ幸いです。
月坂結衣菜の幼少期は、輝かしさとは無縁だった。
父親は内科医。母親は小児科。夫婦揃って総合病院から独立し、開業医として市民の健康を守っていくことを標榜した。
評判は上々。二人とも人当たりが良く説明も丁寧で、あっという間に多くの患者を抱える個人病院となった。入院施設こそなかったが、診療時間が終わる一八時以内に患者全員を診終えることができる日は稀で、特にインフルエンザが流行る冬は一時間押すことも珍しくなかった。
彼らは一人娘の結衣菜に医業を継ぐことを一切求めていなかった。医者の子供が医学部を目指す――――そういう風潮は多様化が叫ばれる現代においても根強く残っていたが、両親は娘が自分で未来を選ぶことを願っていた。
彼らには負い目があった。まだ幼い娘との時間を余り作れないことに。親のそういう姿を見せざるを得ないことに。
故に常日『私たちは結衣菜に医者になって欲しい訳じゃない』と話していた。
その言葉が親を経由し、同じ幼稚園に通う子供に伝わった。
『結衣菜ちゃんの親、結衣菜ちゃんに医者になって欲しくないんだって』
悪気があっての言葉ではなかった。ただ純粋に聞いたままを幼稚園で本人に話した、ただそれだけのことだった。
当時、結衣菜が自分の進路について考える筈もない。だから結衣菜も純粋に『お父さんもお母さんも私に医者になって欲しくないんだ』と受け取った。
だが情緒が育まれ、知恵も付いてくると解釈も変わってきた。
自分は期待されていない。
最初から諦められていたかも。
漠然とした悲観と失意の中、結衣菜は小学校生活を送っていた。
そんなある日の昼休み、ドッジボールで遊んでいる男子の傍を通った結衣菜目掛けてボールが飛んできた。
意識の外から襲ってきたボールに対応できる筈もなく、顔に直撃しそのまま転倒。出血も確認され、教師は慌てて最寄りの病院へと連れて行った。
幸い、怪我そのものは軽傷で目や脳にも問題はなく、後遺症の心配も不要だった。
だがその事故を担任は重く受け止め、後日ホームルームで該当児童を叱責しドッジボールは禁止されてしまった。
結衣菜に責任などある筈もない。だが彼女の怪我が男子の昼休みからドッジボールという娯楽を奪ったことで、クラス内の空気は少し変わってしまった。
『あいつ医者の娘なのに、自分の親の病院では診て貰わなかったんだって』
『親はあいつに医者になって欲しくないって言ってるらしいぜ。嫌われてるんじゃねーの?』
子供は時に残酷なほど無知だ。内科医や小児科では基本的に外科的治療は行われないという当たり前のことも、八つ当たりの材料として活用できるほど。
そんな陰口を叩いていたのはごく一部のクラスメイトだけだったが、結衣菜が罪悪感を抱くには十分だった。
それでも、登校拒否にまで至らなかったのは――――両親への想い。
学校から遠ざかってしまったら、余計に両親を苦労させてしまう。
まだ幼くとも、結衣菜には親の愛情がしっかりと伝わっていた。だからこそ、多忙な両親にこれ以上負担をかけたくないという気持ちが勝った。
結衣菜はどうすれば現状を打破できるか、子供なりに考えた。
医者にならなくていい。自分の道を歩んで欲しい。
その言葉を自分が証明できれば、両親は安心するし嫌なことも言われなくて済む。
何かに打ち込めば良い。その姿を周囲に見て貰えば皆が納得する。その道を進んでいくんだなと。
相談できる相手は一人だけいた。
同じように学校が終わるとリエゾンで時間を潰している、二つ下の女の子。
大人たち相手に堂々と自己主張できる、とても頼りになる友達。
「だったら、ピッタリのスポーツがあるよ!」
結衣菜は決してスポーツが得意な訳ではなかった。でもその子は『ドッジボールで嫌な目にあったんだから、今度は別の球技で良い思いしないと勝てないよ?』と言っていた。
一体何をもって勝ちなのかはわからない。
それでも結衣菜は、その言葉をとても頼もしく思った。
「その球技だったらボール柔らかいし、当たっても平気。それにね」
余程、次の言葉に自信があったのだろう。既に自慢気な顔だった。
「もし顔にボールが当たりそうになっても、ちゃんと自分で守れるんだよ。ラケットで」
天和一茉里のその一言が、結衣菜の進む道を決定付けた。




