第40話 変わらぬ想い
意識がもうろうとした雪音と、冷静さを欠いた男の後ろには一人の青年が立っていた。雪音は彼を肉眼で確かに捉えると、握っていた鈍器の力を緩める。
「…うん?」
また先ほどとは違う雪音の反応に違和感を覚えた男は、後ろに人の気配を感じとり振り向く。
そこには目を血走らせ、この状況に激しい怒りと憎悪を滲ませた涼介が既に左腕を大きく後ろに傾け、腰を低くした体勢で待ち構えていた。
「クッッソ野郎がぁぁぁぁぁぁァァァ!!!!!!!」
バキッッッ!!!!
その瞬間男の顔に鈍い痛みと骨が折れた音が響きその一撃で壁に激突し悶える。
「ゴフッッ!!?モゴッッ!?ぐがぁぁぁ!!!」
涼介は部屋の隅で無様にもがき床を這いつくばる男を冷たい目で一瞥したあと疲れ切った表情で彼女の方に向き直る。
「…ハァ…よぉ雪音……遅く…ハァ…なっちまったな」
彼の両手は既にボロボロで血豆ができ皮は剥がれ、爪も所々割れていた。
「涼介ッッ!!?その手ッッ!!?」
「手?…ああ……お前んちの扉…頑丈だからさ…蹴破ろうとしたけど全然駄目だったわ」
そうゆうと彼はニシシと笑ってみせた。
その笑顔に、そして再びこうして無事に逢えたことに雪音は再び大粒の涙を溢れさせ、自分の衣服が乱れていることには気にも止めず涼介に抱きついた。
「うおっ!?おま、服!?服着ろって!!」
「バカぁぁぁぁぁァァァ!!!!こんなボロボロになるまで私のためなんかにぃッッ!!!涼介が傷ついたら…意味ないよ!!!」
「…………悪かったよ」
その胸のなかで先程まで自分が自分でなかったのを自覚するように雪音の壊れかけた心は平穏にそして穏やかに再び世界に色をつけ始めた。
そして完全に正気を取り戻した後、雪音は不安そうな表情を浮かべた。
「!?そうだ!!お母さんは!!?」
雪音は思い出したかのように後ろで寝込んでいる母親に顔を向けると既に八重ばあちゃんが看病にあたっていた。
「あんた、雪音ちゃんの親か!?」
「…あなたは…誰?」
「そんなこと今はどうでもええ、今は生きることだけ考え!!こんなかわいい娘残して死んだらあかん!」
「…そう…でももう目があんまり見えなくて……もし私が死んだら雪音のことお願いします」
雪音の母親はまるで歳上の人と接しているような口調で自分の限界を悟ったような事を八重ばあちゃんに話すと、それを聞いた彼女は激怒した。
「あほうッ!!そんな簡単に諦めるな!!人が死を受け入れていい時なんてこの世にはどこにもない!!生きて生きて精一杯生きて、この世に未練がないようにするんや!!…今こんな形で本当にあんたはやりきったって云えるんかッ!?」
およそ弱りきった人間に浴びせてるとは思えない大声で力強く生を手繰り寄せる八重ばあちゃんに雪音の母さんはその言葉を歯を食いしばりながら涙を流す。
「…グスッ…いやだっ……こんなところで…まだあの子と一緒にいたい…まだあの子が幸せになるまで……死にたくないッ!!」
「…安心せえ。絶対死なせん!私やってまだこの世におるんや!!あんたが死ぬわけないやろがッ!!」
誰よりも説得力のあるその言葉に、ただひたすら震えて泣いていた雪音を俺はその震えを止めるように抱きしめていた。
そして間もなくやってきた救急車に俺と雪音共々運ばれた。
そして救急隊員に運ばれた2人の後を尻目に俺は雨の中ただ祈るしかなかった。
後日談
八重ばあちゃんの説得のおかげか幸い雪音の母さんは一命を取り止めた。…しかしひどい状態であったのには変わりなく、雪音と雪音の母さんは暫く入院ということになった。
あの男についてだが、最初は無罪は愚か急に入ってきた俺に家族共々殺されそうになったなどとデッチ上げを目論んでいたが、部屋であった出来事を雪音の母さんが途中から自分のスマホで録音していたことが決定的な証拠になり、そのことで今までに重ねてきた様々な悪事も明るみに出ることとなり、奴は有罪となった。トップの起こした幾つもの失態で会社は信用を失いほどなくして倒産という形になった。
今回の件で結果的に雪音達は救われたがそれと同時に再び雪音の母さんは新たな職場を探さなければならなくもなり全てが解決した訳ではない。誰かが幸せと不幸の量は必ずしも平等ではないといっていたように俺には雪音達のこれまでの不幸に対し幸せの比率が取れていないように感じる。
けれど決してそんなことは誰も口にしない。それほどまでにこの世は不平等で溢れかえっておりいちいち気にしてるほうがバカらしいからだ。ただ前だけを見て必死にもがき続けるしかない…納得はいかないが人生ってのはそういう風にできてる。だからせめて目に映る人間だけは幸せになってほしい。そのために俺はできるだけそいつらの力になってやりたい、そう思った。
3日後
「…………………………」
先日の豪雨が嘘のように青々とした空を窓越しで見つめ、時折余りにも変わり映えしない景色に溜息をついていた。今は回復に専念するべきだということは自分がよく分かっているのだが、現役女子高生である彼女にはこの白く閉ざされた部屋は窮屈かも知れない。
コン コン
「どうぞ」
女木はノックの音に反応すると合図する。すると扉が静かに開閉し見慣れた顔を覗かせるとあからさまに嫌な顔をした。
「おう」
「うわっ…また来た」
まるで他にやることがないのかというような呆れ顔が俺に向けられる。
「…るせ」
俺はベッドの横に置いてあるパイプ椅子に腰をかけると女木の容態を確認するため、暫く目線を彼女に注いでいた。するとー
「…変態」
「はぁ…あのなぁ」
女木は患者衣を両腕で隠し身体を反対によじる。
「はいはい、俺が悪ぅござんした」
俺は自分の膝で肘をつき目線をずらした。確かに女木が入院してからこの1週間学校が終わると欠かさずに通ってはいるが、今回の件で自分の愚かさを学んだこともありその罪滅ぼしでもあった。
「あいつ……八重さんは来たのか?」
自分で言い直しながら少し恥ずかしくなる俺を女木はクスクスと笑いながら答える。
「うん、昼前くらいに来てくれたよ。もう大丈夫だってゆってるのにすっごく心配してくれてた」
女木はそういい隣のテーブルを指差すとそこには1人ではおよそ消化しきれないほどのお菓子や、フルーツの盛り合わせが置いてあった。
俺は八重さんがここに来た時の反応やせわしなさが手に取るように伝わり、そんな暴走状態の彼女に対応を余儀なくされた女木に同情する。
「それは大変だったな。今度は一緒にくるよ」
溜息混じりにそう伝えると女木は首を横に振った。
「ううん、ここに居たら息が詰まっちゃいそうなくらい退屈だから私にとっては毎回楽しみなんだよ」
「そっか」
「うん」
「……………」
「……………」
「お母さんは元気だった?」
女木は身体を逸らし窓に顔を向けたまま俺に質問する。女木の母親は彼女よりもケガや栄養面での状態が良くなく、娘とは違う病棟で入院しており俺はいつも女木の母親と面会した後にこっちに来ていた。
「…ああ。お前のこと聞かれたよ」
「私のこと?」
「学校生活のこととか、一緒に遊びにいったときのこととか…俺んちに久しぶりに来た時のこととかそんな感じのこと」
女木はその言葉の1つに引っ掛かりがあったのか身体を俺の方に戻すと焦ったように聞き返してきた。
「え!?涼介の家にいったことも…話したの?」
「?…ああ、話したけどなんかまずかったのか?そういやその話しだけやたら詳しく説明させられたな。何だったんだ?」
女木は俺の疑問に答えることはなく1人頭を抑え考え込んでいた。なんなんだ?一体
俺は椅子から立ち上がると、夏に差し掛かり始め、放課後だというのにまだかなり明るい空を眺めていた。
「なぁ、女木…」
「何?」
「中学に入ってから、俺…その結構お前や久と距離を置いてたろ」
「うん」
「多分怖かったんだと思う…変わらない自分と比べてお前らはどんどん大人になっていって…まるで俺の居場所がなくなるようなそんな気がして…まぁ当然ちゃ当然なんだけどな…俺はいつまで経ってもガキのままだったんだからな…だから…今度はお前らに追いつけるようにもう少し頑張ってみるから、それまでこんな俺ともう少し一緒にいてくれねぇか?」
途中から独り言のようにだが確実に大切な友達に届くように自分の意思を伝える。女木はそれをただ黙って聞いていた。
「変わらないでよ」
「は?それってどういう」
意図していない答えがぼそっと聞こえ、俺は振り返ろうとする。
ガバっ
すると俺の動きを止めるように突然、俺の脇下から女木の両手が包み込むように俺の身体を引き寄せた。
「私は涼介に今までいっぱい救われたんだよ?今回の事だってそう…私一人じゃどうすることもできなかった。逆に変わらなきゃいけないのは私のほうだよ…」
背中に女木の吐息と体温を感じ俺は後ろ向きのまま立ち尽くす。
「……女木」
「名前で呼んで」
「へ?」
「昔みたいに名前で呼んでくれなきゃ離さないから」
普段の彼女からは考えられないような駄々のこね方に困惑したが、俺は彼女の提案に乗ってみることにした。
「………雪音」
「うん」
そうして解放されると俺はやれやれといった感じで彼女のように振り返った。そして俺は生涯その時に見せた雪音の笑顔を忘れることはないだろう。




