第41話 これから
「はい、もう包帯とっていいかな」
「ありがとうございます」
雪音はいつものように診察を終えると医者にお辞儀し部屋を後にする。最初のうちは歩くのもぎこちなかったが、今では常人と変わらない足取りで院内を歩けるようになっていた。
あれから数週間、私の傷は順調に回復し痛々しかった顔の痕もほとんど残らないほどになり内心ホッとする。
そしてそのまま自室とは逆方向に向かうといつものように寄り道をする。
「お母さん、入るよ」
私は扉の前でそう云うと部屋に入室した。私の部屋とは違いここは個室になっておりどことなく作りも高級感がある。そこにぽつんと置かれたベッドにはいつも笑顔で迎えてくれるはずの母の姿がなかった。
「…どこいったのかな?」
今年も既に半分が経過し、この時期に入ってようやく夏の兆しが見え始め庭先で過ごす人達の服装も軽装になってきている。
ここにきて約3週間あまりが経過した2人にはいつまでも過去を振り返る暇もなく次の選択の時が刻一刻と迫ってきていた。
「やっぱりここにいた」
私の呼びかけを待っていたかのように母は静かに振り向くとそっと笑った。
私はお母さんの隣に並ぶとまるで春先のような暖かい日差しを浴び、心地よさに浸る。きっと依然なら2人並んでこうやって共に過ごす日が来るなんて夢にも見なかっただろう。
そんな突然訪れた日常を噛み締めていると、お母さんがそっと口を開く。
「そういえばさっき涼介君が来てくれてたわよ…ってそんなの雪音も知ってるか…」
「うん」
「私のところにも毎日律儀に来なくていいってゆったら自分にも責任があるって云って聞かないんのよあの子。あなたからも何かいってよ」
そうやって少し困り顔で笑いながら楽しそうに話すお母さんを見て私はとても安心する。
「無理だよ。あいつ人のこと聞かないから」
そうして二人して笑った。
「そういえば、久くんや涼介の他にもう一人、小柄でかわいい女の子が毎日お見舞いに来てくれるのだけれど、雪音のお友達?」
おそらく、八重さんのことだろう。本当は面識があるのだがあの時お母さんはほとんど目が視えていなかったこととあの人の大人びた口ぶりのせいであの時の人物とリンクしないのだろう。
私はあの時のお母さんに叱咤した人があの女の子だということを説明しても理解して貰えないと悟り空を仰ぎながら答えた。
「多分そうなんじゃないかな?」
「そう」
それからは互いに黙ったまま二人してこの陽だまりでのひとときの安らぎに身を任せる。
爽やかな風、木々のざわめき、あたたかな日差し、鳥や人々の声―その全てが傷ついた私達にとってかけがえのないものだった。そうして私は時の流れに身を任せ、瞳を閉じていると、外の世界からお母さんが私を呼ぶ。
「雪音」
「んー」
私は閉じた瞼を開けようとせずにそのままお母さんとの会話を続ける。
「これからまた雪音に迷惑かけちゃうね。住む場所も変えなきゃいけないし、これまで以上に生活だって苦しくなるかも知れない。本当…私って何をやっても駄目だよね。自分の娘一人さえまともに育ててあげられない…今回のことだって私がもっと早く気付けていれば雪音が傷つくことだって…なかったのに…」
お母さんは今まで行なってきた自分の行動を否定するように悔いるようにそう私に謝罪めいたことを云う。
「お母さん、それ以上はもうやめよ?私は今日までお母さんがやってきたことをダメだと思ったことなんて一度もないから。私のために今までこんなに頑張ったんだから…」
私は閉じていた瞼をお母さんに移すと、凛々しい顔を向ける。
「だから、今度は私も一緒に協力させて?もうただじっとしてるだけは嫌なの。私の幸せはお母さんと一緒に叶えなきゃ意味ないんだよ」
そんな雪音の決意の言葉に母は胸を打たれ、今一度我が娘を見つめ直す。
17年前、彼女は大きな産声をあげて誕生した。それを2人は涙ながらに喜び幸せに包まれた。初めて喋った時、初めて一人で歩いた時、かわいい服を着せて3人で外に歩いた時、保育園のお遊戯会でたどたどしい口調で役を演じていた時、塞ぎこんでいた雪音が元気になった時、初めてボーイフレンドを照れながら家に連れてきた時、涼介君や久君、雪音と一緒に料理を作った時、中学に上がって大会で優勝した時、私が疲れて寝ていたら、家事や洗濯物が畳まれていて、台所に雪音の作った初々しい料理と置き手紙があった時、父に似て負けず嫌いなその性格と優しい性格、笑った時も、怒った時も、悲しかった時も、真剣な時も、雪音ばかりを見ていた。あの娘の幸せが私の幸せだった。雪音のためだったらどんなことでもできる気がした。雪音は私にとってのお日様だった。けれどそんな少女だった娘は今は逆に私の幸せを願ってそしてそれが幸せだと云ってくれている。私はもう一人で頑張らなくていいのだろうか?
お母さんは下を向き、唇を震わせる。流石に勝手なことを言い過ぎただろうか?
「雪音」
「うん」
「………………」
「………………」
「…じゃあお願いしようかな」
再び私に向けられたお母さんの笑顔を見て私の肩の荷は一気に下り安堵する。
「うん!任せて!もうお母さんだけに大変な想いはさせないから!!じゃあもう暗くなるし部屋まで戻ろうよ」
私がそうゆうと意外なことにお母さんはその提案を断る。どうやらもう少し外を観ていたいらしい。そしてここでお母さんとは別れ私は一人部屋に戻った。
そんな雪音の背中を最後まで目に焼き付けながら母は肌に伝う涙を拭きながら、天を仰ぎ呟いた。
「あなた、私達の娘はあんなに大きくなったよ」
女木雪音編 End




