第33話 女木雪音 ⑩
翌日、私は病院で診察を受けた後学校へと向かった。とっくに登校時間を過ぎているため閑散とした通学路を練り歩きながら思った。
一体私はあと何度この場所を歩いて行けるんだろうか―
曇り空の中、私はふと天を仰ぐと今にも崩れだしそうな空模様に顔が歪んだ。
それは日頃悪化する家庭環境と日々日々弱っていく母を想う彼女にとって、近いうちに終わりが訪れることを予感させるものだった。
私は学校に着くと誰もいない靴箱で履き替え暗い廊下を進んだ。教室では既にホームルームが始まっており、他のクラスからの視線が自分に集まっていることを確認するとただ無言で前を見つめ歩いた。
そうして私は2年3組の教室の前で立ち止まり、扉をスライドさせる。教室の中には既に私以外の全員が席についており、教壇には先生が立っていた。先生含め生徒全員が驚いた顔でかわり果てた私を見つめており、それは涼介や久も例外ではなくこちらに視線を合わせると口を大きく開けていた。
私は平然を装い、挨拶を済ませると自分の席に着く。すると久が私のところにやってきて、肩を力任せに掴んできた。
その時の彼はGWの時、私を心配して質問してきていた時に比べ、酷く動揺しそして後悔しているようにも見えた。そう、彼は悪くない。こんな状況を作ったのは私なのだから、けどだとしても無関係の人間を私の家庭内事情に巻き込む訳にはいかない。
私は真実を伝えることもなく適当にはぐらかした。そうして何事もなかったかのように授業が始まる。しかし当然のことながら私の異変に授業よりも私に注目が集まり正直いって勉強どころではなかった。
昼休みはいつもの女子メンバーで昼食を取るもののグループのみんなはどこかよそよそしくどこかぎこちない会話が続く。完全に気を遣って私に接してくれているのが分かる程にそれは周囲からみても一目瞭然だった。
私はみんなと話しているのにどこか孤独を感じふと視線を彼に向けると、一瞬目が合った気がしてすぐに逸らした。
昼休み私は友人に人気のない屋上前の階段に呼び出された。
「どしたの?ミサキ」
すると突然彼女は私に抱きついてきた。
「ッッ!?ミサキ!?」
「ごめん…ごめんね…雪音…私あなたの友達なのにこんなになるまでなんにもしてあげられなかった…でも何があっても私は雪音の親友だから!だからお願い!聞かせてよ…何があったのかを…今度はちゃんと私も協力するよ…」
ミサキは涙目になりながら、笑顔を作り私を安心させようとする。ああ…ここで全部吐き出せたらどんなに楽だろうか…きっとミサキは強い味方になってくれるだろう…けどそれって彼女を危険に晒すのと同じだ…そんなこと…私にはできないよ…ごめんね…ミサキ
「…もう何勝手に想像してんのよ!違う違うこれは自分でコケた時にできたんだって…思いのほか思いっきりやっちゃって…でも少し休んだらすっかり元気になったよ!…私の方こそごめんね?変な心配させちゃって」
そうして私は無理やり話しを終わらせ教室に戻った。ミサキは頭のいい子だ。こんなので誤魔化せる訳はない…そんなのはわかっていた…けれど…彼女を危険に晒さないためには仕方がなかった。
放課後私は当然のように担任の先生に呼び止められそのまま生徒指導室まで連れて行かれた。
私は適当なイスに座らせられると周りには先生の他にも生徒指導の教師数名が近くに寄ってくると、遠巻きに直接的には誰もそれに触れないように私の現状について質問してきた。
けれど私の腹は既に決まっており、平気な顔で嘘を吐く。
「階段で転んだ時にぶつけました」
その言葉に周りの大人達はどうすることもできない様子で何度か質問を変えて試してみるが、結果は同じだった。しばらくすると先生は諦めた様子で私を解放する。
「失礼しました」
私は静かに扉を閉めると、誰もいなくなった廊下を歩く。窓からの景色は最悪の色で強い雨粒が幾度も窓ガラスに当たり水音を伝えている。
早く、家に帰らないと―
そして自分の教室の前までたどり着くと、誰もいないはずの教室の明かりがついていることに気づく。私は躊躇する間もなく扉を開けると、教室の窓辺の席で肘をついてこちらを振り向く姿があった。
!? 涼介…
心の準備をしていなかった私はひどく驚いた。なんでまだ涼介が…ここに……いいや本当はわかっている。お人好しの彼がここにいる理由は一つしかなかった。
私はそんな涼介を冷たい態度で突き放すと教科書をバッグにねじ込む。そんな私に涼介は納得するはずもなく詰め寄り今日1日分本当はすぐにでもいいたかったであろう質問を投げかけてくる。それはどこか苛立ちや怒り、そして焦りに似た感情が混じっていた。
彼は本当に昔から変わらない、一人じゃ何もできない私に、いつも手を差し伸べてくれる…それはこんな冷たい態度をとって得体のしれない傷をつけてかわり果てた私を見ても臆することなく…いいやだからこそなのかもしれない。自分が助けられなかったことを悔いて後悔して、いても経ってもいられずこうして私の目の前に立ち塞がっているのだ。全く…超がつくほどのお人好しだ。
だからこそそんな人が絶対に私と関わるべきではない―
そして私はその日、1番大切な人に腹の底から声を出しありったけの罵声を浴びせ遠ざけるとそのまま教室を飛び出した。
うん、これでいい…よかったんだ…早く帰ろう、お母さんが心配だ…
私は雨が降りしきる校庭を一気に駆け抜けるとすぐにずぶ濡れになったが気にせず走る。そして校門に差し掛かった時だった。
「雪音ちゃん?」
「ッッ!?」
見覚えのある声に私は驚き前を向く。すると目の前の小柄な少女は傘を差し空いた片手にもう一本の傘を握りながらきょとんとしていた。
だが私はそのまま速度を落とすことなく、少女とすれ違いそのまま走り去ってしまった。出逢って間もなかったが八重さんにはお世話になっていた。普段ならそんな彼女に無視をするなんて絶対にしないことだったが今はとても合わせる顔がなかった。
私はその後もただひたすらに走った。
「本当に…ぐすっ…最低だ…私」
そうしてずぶ濡れになりながら私は帰宅した。幸い奴は帰ってきてないようで、部屋は片付いたまま療養中のお母さんが私を出迎えてくれ少しホッとした。
「おかえりなさい。ずぶ濡れじゃない、すぐにシャワー浴びておいで。下着やタオルは出しておくから」
私はこくりと小さく頷き荷物を下ろすと浴室に向かった。扉を開けると数日前のことがフラッシュバックし私の心はまた沈む。
「………………」
ここにきて数年が経とうとしているが、この家にはいい思い出がなかった。あったとすれば最初の数カ月何不自由なく2人で暮らしていた時だけだった。
私は冷えた身体をシャワーのお湯で温めながら流れ落ちる水をただひたすら見つめていた。それはまるで楽しかった思い出さえも流れ落ちていくようで私はそれに酷く怯えていた。
シャワーを浴び身体を拭き髪を乾かして服を着替えリビングに向かうと、お母さんは、絆創膏だらけの指でコップに入れた温かいお茶を飲んでいた。
「今日は冷えるわね。どう?たまには2人でお茶でもしない?」
「うん」
そんなお母さんの提案に私は賛同する。
そしてコップの器が2つ、机に並び私はお母さんと向かい合うように座る。
「学校はどうだった?」
お母さんは私の目を見ながらそう云うと私はマグカップを両手で包むように手に取るとお茶をすすり答える。
「うん、いつも通りだったよ」
静かに微笑みながら私は息をするようにまた嘘をつく。最近はそのことに罪悪感も薄れてきており、我ながら恐ろしかった。
「そう」
母はそんな私をまるで見透かしたようにけれど優しい声でそう一言呟いた。
「……………」
「……………」
なんとなく私はお母さんから視線を外すと机とイスの間から見える地面を見つめ後はただひたすらに押し黙った。未だ勢いを衰えず降り注ぐ雨音だけがこの部屋で静かに鳴り響く。
「ねぇ、雪音」
ふいにお母さんが私の名を呼び私はそれに呼応する。
「んん?」
「あなた一人暮らししてみない?」
「へ?」
突然のことに私の口はへの字になると慌てて母の方へ向き直る。
「雪音も、もう高校生だしそろそろ一人立ちさせてみるのもいいかなって思ったの。それにこんな所じゃ息が詰まっちゃうでしょ?手続きはこっちでしとくから部屋が見つかり次第すぐにでも――」
「そんなの絶対駄目だよッッ!!」
私は反射的にイスから立ち上がるとお母さんが最後まで話しを続けるのを制止してまで叫ぶ。
「雪音…」
母は今にも消えてしまいそうな悲しげな表情を私に向けると、私は胸がきゅうううと締め付けられ、そのまま側まで近づくと前かがみになって抱きしめた。
もちろんお母さんは今の現状をどうにか変えようと模索し必死に導き出した答えがこれなのだろう……しかしそれを鵜呑みにできるほど私も馬鹿じゃない。今ここで私が出ていってしまったらどうなるかぐらい容易に想像できてしまう。
私は震えながら目の前で固まる母親に再び同じ言葉を繰り返した。
「…そんなの……そんなの駄目だよ…」
「雪音…」
「お母さん聞いて?私の幸せはね、ただ学校に行って、授業を受けて友達と遊んで、家に帰ってご飯を食べてまたその次の日も変わりばえのない平凡な日々を過ごすこと…けどね…そこにお母さんがいないと私の幸せは幸せじゃなくなっちゃうよ…お父さんが死んで絶望の淵に沈んだ時でもそんな私を見捨てずに自分が犠牲になってここまで育ててくれたじゃない…確かに貧乏だったけれどとても幸せだったよ!私は大好きなお母さんの子供で本当に良かったよ!!」
「……雪音ごめんね…こんなお母さんでごめんね」
雪音は自分の気持ちを伝えると、母の目からは自然と大粒の涙が溢れ出しそのまま愛娘を強く抱きしめそして親子は泣いた。
この日改めて固い絆で結ばれていることを再確認した2人だったが、その僅かな時間さえも運命は許してはくれないのだった。
ガチャリ
突然、遠くの方から全ての終わりを告げるように玄関の扉が開く。私は鍵のかけ忘れか何かで誤ってお隣さんか誰かが入ってきてしまっていたらなどと都合の良い願望に一部の望みを賭けたがその微かな願いはまるでこの部屋を知りつくしているかのような一切迷いのない強い足音によってかき消され私達のいる部屋のドアが強く開け放たれた。
男は2人が揃っていることを確認するとにっこりと不気味に笑った。
「やぁ、雪音お帰り。今日は早いんだねぇ、久しぶりの学校は楽しかったかい?」
私はその言葉に身震いした。何故なら私は今私服で今日から学校へ行ったことなど数日間ここに訪れていなかった奴には知る由もなかったからだ。
「ん?どうして知っているかって?そりゃ知っているよ。私達は家族だからね。当然じゃないか!だからさっき学校から会社に電話があったんだよ」
私はわけがわからずその場で立ち上がると、お母さんの前に立った。なんとなく嫌な予感がしたからだ。
男は依然とニコニコしていたが、段々と声色が変わっていくのがわかった。
「でも、あれはよくないよ…雪音、一体学校に私達の関係のことなんて説明したんだい?向こうはまるで私が悪者みたいに質問してきてお父さん誤解を解くのに大変だったんだよ…」
もちろん私は何もいっていない。しかし度重なる噂と今日の私の異常な姿が学校にとっては十分な答えになっていたようで独自で学校側が動いていたようだった。もちろん私を保護するという形で。だがそれが災いして今私達は窮地に立たされ、次第に目の前の男の仮面のように取り繕った表情が崩れていくのがわかった。
「こっちも決算前で忙しい時期だってのに、本当に手のかかる娘だよ、お前は……まぁそれもこれも母親であるお前の教育不足だけどなぁッッ!!」
そうゆうと男は何処から持ってきたのか、手に持っていた鈍器のようなもので近くに飾ってあった花瓶に叩きつけると粉々に砕ける。
今回のことで相当な怒りを買ってしまったらしく今までに見ないくらいの狂乱ぶりだった。男は顔を真っ赤にし片手に凶器を掲げると私達の前にやってくる。そしてこの時私は直感的に感じた。
殺される―
危険を察知した私は瞬時に迫りくる狂人に逆に体当たりをし転倒させる。
「お母さん早くッ!!」
私はその場で震えながら固まった母の手を無理やり握ると急いで出口に向かう。しかし横転したはずの男の魔の手が遅れた母の足を掴む。
「嫌ぁっ!!」
お母さんは悲鳴をあげ必死に引き離そうとするが、まるで巨大なツルのように巻きついた手は離れようとせずそのまま男は体勢を立て直すと、持っていた鈍器を力任せに振り払う。
ドォンと肉を叩く鈍い音を立てて母は吹き飛んだ。
「カハッ」
脇腹を抉るように直撃したその痛みは彼女に地獄の苦痛を与え、床に投げ飛ばされた後も、余りの痛みにもがき苦しむ。
「いやぁぁぁぁ!!!!お母さんッッ!?お母さん!!しっかり!!!」
私はのたうち回る母を抱えるように無理やり起こし、肩に手を伸ばして必死に部屋から出る。しかし人間をほぼひとり抱えた状態で長い廊下を渡りきることはほぼ不可能だった。後ろではまるで死神のように命を刈り取ろうとする男がすぐ後ろまで迫っている。
「くっ…」
私はほぼ意識のない母を引きずりながら何とか自分の部屋のドアに手をかけ扉を開くと急いで中に入り、ドアのノズルを回し鍵をかけた。
そして自分のベッドに母を寝かそうとするが、あやまって先ほどダメージを受けた側に体重をかけてしまい母が泣きわめく。
「うあああッッ!!」
「ッッッ!?ごめんッッ!!?お母さんごめんなさいッッッッ!!」
私は泣きながら母に謝罪すると慌てて逆側に身体を逸らすように寝かせる。
ドンドンドンドンドンッッ!!!
薄い扉の向こうでは既に目の前にいる男が、必死に扉を叩きドアノブをガチャガチャと上下に動かす。
そしてそれが数十秒続いた後、急に静まり帰り部屋の中に静寂が訪れた。
???
ゴォォォン!!!!
「ひっ!!?」
男は先ほどまで手に持っていた鈍器をあろうことか今度は扉に何度も叩きつけ始め、扉の破壊を試みだした。扉は悲鳴を上げるように揺れ衝撃が加わる度にその震えが強くなっている気がした。恐らく完全に破壊されるのも時間の問題だろう…
「け…警察…警察呼ばなきゃ…」
もう四の五のいってられない…命あっての物種というやつだ。そして私は自分のポケットを探りだす。
「…へ?…あれ…ない…ない…どうして!?…」
確かにズボンのポケットに入れたはずなのに……まさか…さっき争った時に…落とした?
それに気づいた時、私は血の気が引く感覚に襲われ、その後はただ震えるだけしかできなかった…そんな私の隣では一刻を争う母がもがき苦しんでいる。
「…いやだ…こんなのって……誰か…誰か助けてよぉ!!誰でもいいから!!」
私はパニックに陥ったように泣き叫ぶと、その場でしゃがみ込む。そして一向に止む気配のない衝撃音に僅かしか残されていない時間を噛み締めていた。
「…ひぐっ…助けて…りょうすけ…」
雪音は最後にすがるように彼の名を呼んだ…




