第31話 女木雪音 ⑧
あれからもう間もなく1年が経とうとしている。私はこのことをひた隠しにし普段と変わらない態度でみんなと接していたが、どこからともなく風の噂でこのことが広がり今はクラスのみんなが逆に私に気を遣っている様子だった。
最初のうちは月に数回程度の頻度で現れ母さんをこき使っている程度のものだったが、最近ではほとんど毎日居座るようになり言動もきつくなってきていた。
母さんはもちろん私に対してもそうであり機嫌が悪い日には私にも手をあげた。その度に母さんは私を庇おうとしその結果母さんはその数倍の暴力を受けることになってしまっていた。
私は段々と学校に身が入らなくなり当初の目的など気にしている場合ではなくなっていた。私が側にいてあげないといつか本当に母さんが殺されてしまうんじゃないかとそう思ったからだ。
そんな時だった、涼介が見知らぬ同い年くらいの女の子と一緒に登校したと学校で噂になったのは…
私は最初にそれを耳にした時、膝から崩れ落ちそうになった。まさか涼介に彼女が?……私はこんなに大変だっていうのに……その時の私は悔しさよりももっと黒くて薄汚い強い恨みのような感情を抱いていた。
私はいてもたってもいられずあれ以来ほとんど無駄な寄り道を避けていたのにその日数年ぶりに幼馴染の家に向かうことにしたのだった。
理由はその一緒にいた女の子は一体何者なのか?その一点だけだった。そしていざ蓋を開けてみると正体は涼介の祖母で亡くなった後若かれし頃の姿で舞い戻り今は涼介の家で一緒に暮らしているというのだ。もちろん私はおろか涼介でさえも信じてはいない、だけれどその少女と話している時の彼は一瞬昔の涼介が重なるほど本当に楽しそうだった。
私は結局そんな彼女に何も云うことができず気付けば一緒に食事をしていた。八重と名乗ったその少女は私達のことを見て幸せそうな表情をしてよく笑い無邪気な子供のようでありながらどこか落ち着いた雰囲気も合わせ持ちその佇まいは見た目も相まって女の私から見ても美しい人だった。
八重さんと知り合って数週間が経ったある日、私は学校帰りにスーパーに立ち寄ると、ぴょこぴょこと周囲を機敏に動き回る八重さんが目に止まったので声をかける。
「こんにちは。夕飯の買い物ですか?」
私の声かけに彼女はこちらに振り返るとにっこりと笑い私の質問に頷く。
「雪音ちゃんも夕飯の買い物?いやぁまだ高校生やのにしっかりしとるねぇ」
感心する八重さんに私はいえいえと手を横に振ると彼女の買い物かごを覗き込むと中には数日分はありそうな食材がぎっしりと詰め込まれていた。
「結構、沢山買われるんですね」
「そうやね、涼介も育ち盛りやし茅さんや良二の分も作るし、明日のお弁当の分も入っとるからね」
「すごいですね…それを一人でって…大変そう」
「まあ、確かに大変やけど、家族が喜んで食べてくれるっていうだけで私はすごい嬉しいから苦には感じてないなあ!」
そう元気に答える八重さんの言葉に私は比較するように自分の買い物かごを確認する。確かに最初よりは見違えるほどに料理の腕は上がりレパートリーは増えていったがあの男の指示で無理やり上手くなった料理に相手のことを考えて作ったことなど一度もあるはずがなかった。私は、目の前で純真無垢に微笑む少女に対してふいに後ろめたさを感じると適当に話しを切り上げ早々に店を後にする。
女木は夕焼けに染まる橋を渡っていると、知らぬ間に瞼の奥から生暖かい液体が溢れ出していることに気づき、それを必死に拭いながらそのまま帰宅する。
そして家に到着しリビングに入ると既に出来上がっていたその男が私を見るなりニタァと笑い口を開く。
「やぁおかえり、雪音。今日はちょっと帰りが遅かったんじゃないのか?」
私は自分の名前を呼ばれたことにより全身に悪寒が走ったが、それを必死に抑えながら平然を装い答える。
「ご、ごめんなさい。ただいま…少し学校が遅くなっちゃって…すぐ晩御飯を作ります」
まるで躾られたペットのように従順なセリフを聞くと、男は満足そうな顔で手に持った缶ビールを飲み干す。
私は無言で台所に立つと、食材を並べそれを丁寧に切り刻んでいく。
少し遠くから響くテレビの音と包丁の音だけが部屋の中に鳴り響き、時折リビングからこちらをチラチラと覗き見してくる男の視線を感じるたび、私は嫌悪感を覚えていた。
本当になにやってんだろ… 私
自分の部屋に戻るとベッドに倒れ込む。部屋の外からはいつものように酒に酔った男が母さんに罵声を浴びせ食器の割れる音が聞こえ、ひたすら謝罪の声だけが響く、狂っている、何もかも。
そして耳を塞ぎながら、目を閉じこの世界からの離脱を試みる。瞼の奥に映し出されたのはかつての楽しかった日々、そこには母さんと父さんと幼い私がただ微笑んでいるだけの世界。他に何もないけど全てがある。戻りたいあの頃にー
4月の終わり、涼介から今度の大型連休に久と八重さんとで休日を過ごすことになった。涼介に誘われたことも嬉しかったがその時の私はそれ以上に心のよりどころを探していたように思った。
そして当日、予定より少し早めについた私は集合場所の時計台で3人を待つ。母さんには事前に今日のことを伝えると朝、笑顔で私を送り出してくれた。
最近では心身も身体もボロボロになった母さんは仕事にもいけず、稼ぎはあの男が月末に持ってくる家賃と必要最低限のお金のみになっていた。あいつがいないと私達は暮らしていけない、そうゆう風に最初から仕組まれていたんじゃないか?最近ではそう思ってしまう。
遠くで幼い少女が父と母と思しき人物と手を繋ぎながら楽しそうに駅の方に歩いていく、それを私は歯を食いしばりながら目で追ってしまう。
「おい、顔怖ぇぞ」
聞き慣れた声のする方に首を向けるとそこには久が腕を組みながら私をジト目で見つめていた。
「…おはよう」
「ああ」
久と私は軽く挨拶を済ませ、そのまま横に並び立つ。
「………………」
「久しぶりだな」
「は?いつも学校で会ってるでしょ?」
「ちげーよ、こうやって休みの日に遊ぶのなんてガキのとき以来だっつー話しだよ」
久は少し含み笑いを浮かべながらそう述べる。
「最近は私もあんたも忙しかったからしょうがないじゃない……そんなことより海凪ちゃんは元気にしてる?」
その言葉に先程までにへら顔を浮かべていた久の顔がぴくっと震え、一瞬その笑顔が消えた後再び笑顔を作った。
「ああ、相変わらず手に負えねーくらい元気だよ。全く誰に似たんだか…」
「?…そう、元気そうでよかった…」
軽く話題作りのために聞いたに過ぎないその言葉が一瞬この場の空気を張り詰めた気がした。
「つか、お前の方こそ大丈夫なのかよ?あんまり他人の家庭事情詮索するつもりはねぇけど俺達はそんな間柄でもねぇだろ?もし協力できることがあるんだったら遠慮なく――」
「大丈夫だから!」
私は久の言葉を遮るように強く答える。
「………そうか……そうだよな、お前は俺等よりずっとしっかりしてるからそんな余計な心配いらねぇ…よな?……まぁでも本当に困ったことがあったらいつでもいってくれよ!!…あいつだってああ見えてすっげぇお前のこと心配してんだからな…」
久は心配そうな表情を浮かべそう伝えると私は無理やり笑顔を作り答える。
「うん、わかってる、ありがとうね。でも本当に私は大丈夫だから…」
久はどことなく納得のいかない様子だったがそれから私達は、涼介達がやってくるまで一言も喋らなかった。




