第6話 大手ギルドの洗礼
「契約解除? 冗談ではありません。重機のリース契約はまだ半年以上残っているはずです。違約金の問題ではなく、現在進行中の事業に致命的な支障が……もしもし? もしもし!」
久保真琴は、通話が一方的に切られたスマートフォンを耳から離し、プレハブ小屋の中で深く息を吐き出した。
ここは八王子郊外に位置するC級ダンジョン『第4ゲート』。アビス・マイニングが先月新たに権利を取得し、今日から本格的な魔石の採掘作業が始まるはずの現場だった。しかし、朝から予定されていた機材も人員も、何一つ到着していない。
「どうしたの、真琴。おっさんたち、来ないの?」
小屋の入り口に寄りかかっていた菅原留美子が、不満げに口を尖らせた。彼女の背中には、真新しい衝撃吸収素材が巻かれた大剣『ニーズヘッグ』が鎮座している。完全に戦闘準備を整え、今すぐにでもダンジョンの底へ飛び込んでモンスターをミンチにしようと魔力を燻らせていた。
「……採掘用の重機と、冷却ポーションの搬入がストップしました。リース会社も卸売業者も、突然『上の指示で取引できない』の一点張りです。代替業者の手配もすべて断られました」
「はあ? アタシの給料が減るじゃんか。そいつらの会社に乗り込んで、ちょっと話をつけてこようか?」
「ダメです。物理的な脅迫は完全な違法行為になります。ただでさえ、うちは悪目立ちしているんですから……」
真琴が頭を抱えたその時、プレハブ小屋の外から複数の車のエンジン音が響いた。
窓から覗くと、黒塗りの公用車が3台、ゲートの入り口を塞ぐように停車していた。降りてきたのは、揃いのグレーの作業着に腕章をつけたダンジョン庁の職員たちだ。
「ダンジョン庁、安全管理局です。本ゲートにおける魔素濃度の異常値が報告されました。安全基準の再確認が完了するまで、当ゲートの稼働を全面的に一時凍結します」
拡声器を持った職員が、無機質な声で通告する。
「異常値!? そんな報告、うちの監視システムには一切上がっていません!」
真琴は小屋を飛び出し、職員に詰め寄った。
「システムのエラーの可能性も含めての調査です。立ち入り禁止のテープを張れ。従わない場合は、ギルドの営業許可を取り消します」
「法的な根拠を示してください。行政手続法に基づく正式な書面はどこですか。事前通告なしの稼働停止は裁量権の逸脱です!」
真琴の抗議に、現場の責任者らしき初老の男は、面倒くさそうに薄い紙切れを1枚押し付けてきた。そこには『調査命令』という曖昧な文言が並んでいるだけで、具体的な異常の数値も、凍結の期間も一切記載されていない。
「書面ならそこにある。あとは上の指示だ。……あんたら、少し派手に動きすぎたな」
男は真琴にだけ聞こえる声でそう吐き捨てると、部下たちにバリケードの設置を命じた。
「あーあ、なんだよこれ。アタシ、今日何すればいいの?」
留美子が立ち入り禁止のテープを忌々しげに睨みつけながら、大剣の柄をコンクリートの地面にガンッと叩きつけた。その一撃で地面に深いヒビが入り、職員たちが怯えて後ずさる。
「……撤収します。これ以上現場で騒いでも、相手に口実を与えるだけです」
真琴は唇を噛み締め、手の中の紙切れを見つめた。
★★★★★★★★★★★
「今週だけで3件目です。採掘現場への搬入ストップ、ポーションの供給停止、そして今回のダンジョン庁による理不尽な稼働凍結」
アビス・マイニングの社長室。
真琴はタブレットをデスクに置き、画面に表示された数字を指し示した。連日のトラブル対応で、彼女の目元には濃いクマが張り付いている。
「稼働停止による逸失利益は、1日あたり約2000万円。このまま採掘がストップすれば、来月のキャッシュフローに深刻な影響が出ます」
デスクの向こう側で、千葉秀俊はPCのモニターから視線を外すことなく、キーボードを規則的なリズムで叩き続けていた。会社の危機が迫っているというのに、その横顔には焦りの色は微塵もない。
「ずいぶんと古典的で、泥臭い手法ですね」
「ええ。わかりやすい嫌がらせよ」
千葉の背後のソファに腰掛けていた市川ひろみが、手元の資料をパラパラと捲りながら口を開いた。
「裏で糸を引いているのは『帝都プロミネンス』で間違いないわね」
「国内最大手のギルドが、なぜうちのような新参を目の敵にするんですか?」
真琴の問いに、ひろみは資料をテーブルに投げ出した。
「新参だからよ。うちが最近、大黒ファイナンス系の独立系下請け業者を次々と吸収したでしょう? あれで、彼らが独占していた市場の供給網にヒビが入り始めたの。芽が小さいうちに、兵糧攻めで確実に潰しに来たってわけ」
「……明らかな独占禁止法違反、および業務妨害です」
真琴は声を荒らげた。
「ダンジョン庁の行政指導も、法的根拠が薄弱すぎます。証拠を揃えて裁判所に保全命令の申し立てを行い、同時に公正取引委員会に告発します」
「やめておいた方がいいわよ、久保CFO」
ひろみは静かな声で忠告した。
「帝都プロミネンスの顧問に、最近誰が就任したか知ってる? 与党の重鎮、佐伯幹事長よ」
「……政治家ですか」
「ええ。ダンジョン庁の木暮審議官が失脚した穴埋めに、もっと巨大なシールドを用意したのね。警察も、裁判所も、霞が関も、佐伯の息がかかった連中には迂闊に手を出せないわ」
「相手が誰であろうと、法は平等に機能しなければなりません。証拠が揃っていて、手続きに瑕疵がなければ、裁判所は動かざるを得ないはずです」
真琴の言葉に、ひろみはわずかに目を伏せた。裏社会の汚れ仕事を一手に引き受けてきた彼女にとって、真琴の正義感はあまりにも眩しく、そして脆いものに見えた。
「社長」
真琴は千葉を真っ直ぐに見据えた。
「私にやらせてください。必ず、法的なルートで彼らの包囲網を突破してみせます」
千葉はキーボードを叩く手を止め、ゆっくりと顔を上げた。冷酷なまでに静かな瞳が、真琴の顔をじっと見つめる。
「……48時間」
千葉は淡々と言い放った。
「あなたに48時間を与えます。その間に、あなたの信じる『法』が、この会社を守る機能を持っているか証明してみせなさい。それができない場合は、私のやり方で処理します」
「十分です」
真琴は深く一礼し、社長室を後にした。
閉まるドアを見届けた後、ひろみがソファから立ち上がり、千葉の背後に歩み寄った。
「いいの、ボス? 彼女がいくら優秀でも、相手は国のシステムそのものよ。勝てるわけがないわ」
「彼女の能力をテストしているだけです。それに、システムというものは、一度外部からの正規のリクエストで負荷をかけてみないと、どこに脆弱性があるかわからないものですからね」
千葉は再びキーボードに向かい、帝都プロミネンスの財務諸表のデータを画面に呼び出した。
★★★★★★★★★★★
真琴の戦いは、泥沼の消耗戦だった。
過去の判例を徹夜で洗い出し、リース会社の不当な契約解除に対する保全命令申立書と、公正取引委員会への独占禁止法違反申告書を完璧な論理で書き上げた。数字と条文の組み合わせに、一切の隙はない。誰がどう見ても、法的に正当な要求だった。
だが、現実の壁は、書類の完璧さなど意に介さなかった。
「申し訳ありませんが、こちらの申立書、形式的な要件を満たしておりません。記載事項を修正の上、再提出をお願いします」
東京地方裁判所の窓口。事務官は、真琴の提出した分厚い書類をパラパラと捲っただけで、冷淡に突き返してきた。
「どこが不備なのですか。過去の同種の判例における書式と完全に一致しているはずですが」
「私共では個別具体的な判断基準についてはお答えいたしかねます。とにかく、このままでは受理できません」
事務官の目は、真琴を見ていなかった。ただの作業として、あるいは見えない『上の指示』に従う機械として、彼女を追い返しているだけだ。
公正取引委員会の窓口でも同様だった。担当官は「現在は他の案件で多忙であり、個別の調査に割く人員がいない」と、事実上の門前払いを通告してきた。
かつて所属していた大手法律事務所の先輩弁護士にも助けを求めたが、電話口の声はひどく重かった。
『悪いな、久保。帝都プロミネンスと佐伯先生が相手となると、うちの事務所は絶対に動かない。お前も、あまり深追いすると弁護士資格を失うぞ』
通話が切れた後、真琴は霞が関の路上で立ち尽くした。
冷たい雨が、彼女のネイビーのスーツを濡らしていく。行き交う官僚やビジネスマンたちは、傘の下で誰も彼女を気にかけることはない。
完璧な論理も、圧倒的な証拠も、ここでは何の意味も持たなかった。
法は、弱者を守るための絶対的なルールだと思っていた。だが現実は違う。法とは、権力を持つ者が自分たちのために引いた都合の良い境界線に過ぎない。彼らがルールの運用権限を独占している限り、どれほど正しい主張も、その境界線の内側には決して届かないのだ。
真琴は雨に打たれながら、強く拳を握りしめた。自分の無力さと、信じていたものの脆さに、どうしようもない悔しさが込み上げる。
だが、同時に彼女の脳裏に浮かんだのは、千葉のあの冷徹な言葉だった。
『非合理な搾取は、社会のバグだ。私は私のルールで、このバグをすべて駆除します』
真琴は顔を上げ、顔に張り付いた濡れた髪を乱暴に拭った。
★★★★★★★★★★★
タイムリミットの48時間が経過した。
アビス・マイニングの社長室。
真琴は、雨に濡れてシワの寄ったスーツのまま、千葉のデスクの前に立っていた。手には、突き返された書類の束が握られている。書類の端は雨水を吸ってふやけ、所々破れていた。
「……結果は」
千葉の声に感情の色はない。ただの事実の確認だ。
「……申し立ては、すべて実質的に拒否されました」
真琴は書類の束をデスクに置き、深く頭を下げた。声がわずかに震えている。
「裁判所も、行政も……私たちの主張をテーブルに乗せることすら、してくれませんでした。どこも、曖昧な理由で書類を受理しようとしません」
ギュッと両手を握りしめ、言葉を絞り出す。
「申し訳、ありません。私の力不足です。彼らは法を盾にしているのではなく、法を運用する前提そのものを私物化しています。……既存の法的手続きでは、彼らの包囲網を破ることは不可能です」
千葉は万年筆を置き、ゆっくりと立ち上がった。
「法が機能しないことは、最初から計算に入っています。彼らがルールを作る側なら、そのルールの中で戦うのは非効率の極みだ」
千葉は手元のタブレットを操作し、社長室の巨大な壁面モニターに一つのグラフを映し出した。
それは、帝都プロミネンスの過去5年間の株価チャートと、大株主の構成比率だった。
「政治というルールで市場を封鎖するなら、我々は資本で彼らの企業体そのものを買い取るまでです。対象は帝都プロミネンス。敵対的TOBを仕掛けます」
「……買い取る? 相手は一部上場のメガギルドですよ。時価総額は800億円を超えています。今のうちの資本力では、とても……」
「数字の桁に怯えるのは三流の証です」
千葉はモニターの前に立ち、グラフの一部を指差した。
「プロミネンスの創業者一族が保有する株式は、全体のわずか25パーセント。残りは機関投資家と、市場に散らばる浮動株だ。そして彼らのメインバンクは、最近の過剰な投資によるキャッシュフローの悪化を懸念し始めている」
千葉は振り返り、淡々と指示を下した。
「準備を進めてください、久保CFO。彼らの定款の抜け穴と、必要な資金調達の完璧なスキームを。市川CCOは、プロミネンスの役員連中と佐伯議員間の資金の流れを完全に抑えること。留美子には、彼らの主力ダンジョン周辺で少し『目立つ』ように指示を出します」
真琴の背筋に、冷たいものが走った。
それは恐怖ではない。圧倒的なスケールで既存のルールそのものを飲み込もうとする力に触れたときの、強烈な高揚感だった。
「……承知いたしました、社長。48時間以内に、資金調達スキームと買収計画書を組み上げます。徹夜手当は、弾んでいただきますよ」
真琴は濡れた顔を上げ、手元の破れかけた書類を強く握り直した。冷たい雨の冷気がまだ体に残っていたが、彼女の足取りは明確な目的を持ってドアへと向かっていった。




