第17話 マスターピースの起動
アビス・マイニング本社、最上階の専用ラボ。
分厚い防音ガラスと最新の生体認証システムに守られたその空間は、わずか3日間のうちに、設計図を無視して増殖した電子回路の森のような様相を呈していた。
本来であれば整然とラックに収まっているはずの日本製の最新型サーバー群からは、パネルを剥がされた状態で無数のケーブルが引きずり出されている。それらは床を這い、部屋の中央に鎮座する高さ2メートルほどの透明な円筒形のタンクへと複雑に絡みつきながら接続されていた。周囲には、マヤ・ワシントンがブルックリンから持ち込んだ用途不明のジャンクパーツが、無造作に山積みになっている。
「……信じられない」
久保真琴は、手元のタブレットに表示されるリアルタイムの解析データを食い入るように見つめていた。画面を高速でスクロールする彼女の指先が、かすかに震えている。
「既存のポーション製造ラインなんて、砕いた魔石を特殊な溶液で煮詰めるだけの野蛮な代物だったわ。不純物が多くて効果も安定しないし、無駄が多すぎる」
コンソールの下から、ローラー付きの作業椅子に乗ったマヤが滑り出してきた。
ピンク色のパーカの袖口は謎の薬品とモーターオイルで黒く汚れ、鮮やかなパープルのショートヘアも無造作に跳ねている。だが、その知的な瞳は、完成したばかりの自作の機械を見上げて異様なほどの熱を帯びていた。彼女は手にしていた電子スタイラスペンを指先で器用に回転させながら、タンクを顎でしゃくった。
「私が組んだのは、ダンジョン由来の魔素を分子レベルで分離・抽出する特殊なフィルターよ。不純物は0」
タンクの中では、青白い液体が静かなモーター音とともに循環し、微かな発光を伴っている。
真琴はタブレットの数値をもう一度確認した。何度クロスチェックを行っても、計算式にエラーは存在しない。
「原価率が……現在の10分の1以下に圧縮されています。その上で、回復効率は市場に出回っている最高峰のポーションの3倍。……待ってください、このコンテナサイズの設備だけで、全自動生産が可能なんですか?」
「当然でしょ。最高の環境とパーツを用意してもらったんだから、出力も最高値に合わせてあるわ」
真琴はタブレットを胸に抱え込み、大きく息を吐き出した。
CFOである彼女の脳内で、この無骨な機械がもたらす市場へのインパクトが恐るべき速度で計算されていく。これは既存のポーション市場を一瞬にして焦土と化し、ダンジョン由来の医療・軍事産業の前提すらも根底から破壊する劇薬だ。
「……直ちに、世界主要国での特許申請手続きに入ります。防衛的なライセンス網も同時に構築しないと。この構造が1ミリでも外部に漏れれば、間違いなく国家間のインフラ戦争に発展しますよ」
「徹底的に防壁を築きなさい。法的な抜け穴は一切許しません」
静かな、だが絶対的な命令がラボの入り口から響いた。
千葉秀俊だった。完璧に仕立てられたダークネイビーのスーツ姿の彼は、歩み寄りながら、マヤの組み上げた機械をただの「利益を生む箱」として冷徹に値踏みしている。
「予定通りのスペックですね、マヤCTO」
「ええ。第1弾のオーダーはこれでクリアね。さあボス、約束の報酬の時間よ」
マヤは作業椅子から立ち上がり、凝り固まった両腕を天井に向けて大きく伸ばした。
「ピザとコーラですね。すでに最高級のものを手配してあります」
「それもそうなんだけど。私、3日間この部屋に缶詰めで、外の空気を一切吸ってないの。おまけに……」
マヤは部屋の隅を指差した。
そこでは、シベリアンハスキーの仔犬であるアッシュが、脱ぎ捨てられたマヤのジャケットの上で丸くなり、スヤスヤと寝息を立てていた。
「この毛玉、初日は大人しく撫でられてたのに、昨日の夜から私の配線ケーブルを噛みちぎろうとするのよ。危なく制御システムがショートするところだったわ。……だから、今日は私を外に連れ出して。日本の『アキハバラ』ってとこ、行きたい」
マヤは千葉の正面に立ち、挑戦的な視線を向けた。
「CTOの福利厚生としては安い要求でしょう?」
「……市川CCO。車を出せ」
千葉は手首の時計を一瞥し、背後のガラス戸の向こうに待機していた市川ひろみに顎で合図を送った。
★★★★★★★★★★★
秋葉原。
ネオン管と巨大なアニメキャラクターの看板がひしめき合う、極彩色の電子の街。観光客と買い物客でごった返すメインストリートから1本裏に入った、細く薄暗い路地裏には、表通りとは違う独特の埃っぽさと古い電子部品の匂いが漂っていた。
マヤは、オーバーサイズのストリートウェアに自作のウェアラブルデバイスをじゃらじゃらとぶら下げた姿で、ジャンク屋の軒先に並ぶ段ボール箱に身を乗り出すようにして腕を突っ込んでいた。
「ウソ、これ……廃棄された軍用ドローンのジャイロセンサーじゃない! なんでこんなのが数百円で転がってんの!?」
マヤは目を輝かせながら、ホコリまみれの基板や謎の金属パーツを次々と買い物カゴに放り込んでいく。
その数歩後ろで、千葉秀俊は腕を組み、微動だにせず立っていた。
周囲のオタクや外国人観光客たちは、雑多な路地裏に突如として現れた威圧的な巨躯の男を遠巻きに避け、彼らの周囲だけが不自然な空白地帯となっている。
「ボス、これ買って!」
マヤが、得体の知れない金属パーツの塊を千葉の前に突き出す。
「金額は」
「全部で12万くらい」
千葉は商品の状態や用途を一切問うことなく、懐からブラックカードを取り出し、怯える店員に差し出した。
「あー、最高。やっぱり物理でハードウェアを漁るのってインスピレーションが湧くわ。次はあっちの店ね!」
マヤが足早に次の店へと向かう。千葉は無言のまま、重い紙袋を提げてその後を追った。
路地の入り口で周囲を警戒しているひろみから、インカム越しに声が届く。
『……ボス。それ、完全にデートの荷物持ちの構図よ。私が行って交代しようか?』
「不要です。彼女の購買データと興味の対象をリスト化しています。引き続き周辺の警戒を」
千葉は短く返し、通信を切った。
前を歩くマヤは、新しいパーツを見つけるたびに足を止め、スマートフォンで型番を検索しながら嬉々としてカゴに放り込んでいる。その横顔には、疲労よりも純粋な探究心だけが満ちていた。
数時間の視察を終え、マヤが満足げに息を吐いた時には、日はすっかり落ち、秋葉原の街は一層毒々しいネオンの光に包まれていた。
「あー、買った買った! これでまた新しいおもちゃが組めるわ。……さて、次はご飯ね。ボス、約束のピザとコーラ、どこで食べさせてくれるの?」
「車を手配してあります。乗りなさい」
★★★★★★★★★★★
ハイヤーが到着したのは、秋葉原の喧騒から遠く離れた、東京・丸の内にある外資系五つ星ホテルの地下エントランスだった。
専用のエレベーターで最上階のペントハウスへと案内されたマヤは、呆れたように部屋を見回した。
広大なリビングからは、ライトアップされた東京タワーと、車のライトが動脈のように流れる東京の夜景が一望できる。足元の分厚い絨毯は、一歩踏み出すごとに足音を完全に吸い込んだ。
「……ピザとコーラを要求したはずなんだけど。ここ、どう見てもジャンクフードを食べる場所じゃないわよね?」
「要求通り、ピザとコーラを手配してあります」
千葉が合図をすると、白手袋をしたホテルのスタッフが、銀色のドーム型カバーが被せられた巨大なワゴンを運び込んできた。
カバーが開かれると、香ばしい生地の匂いとともに、その全貌が姿を現した。
「……何これ」
マヤが目を丸くする。
それは確かにピザの形状をしていた。しかし、生地の上に乗っているのは、薄切りの最高級黒毛和牛のローストビーフ、こぼれんばかりのベルーガ・キャビア、そしてこれでもかと削られた白トリュフだった。熱気とともに立ち上るトリュフの暴力的な香りが、部屋の空気を一変させる。
横には、クリスタルのグラスとともに、ヴィンテージのシャンパンと同じ製法で作られたという特製のクラフトコーラが氷で冷やされていた。1本数万円は下らない代物だ。
「あなたがジャンクフードを望んだので、我が社の基準で最適化されたものを用意させました。栄養価、味覚への刺激、すべてにおいて市場のデリバリーチェーンを凌駕しているはずです。食べなさい」
「……あんたって、ホントにバカじゃないの」
マヤは呆れ果てたように笑い出し、そのままソファに深く腰を下ろした。
手づかみでその「超高級ピザ」のピースを折りたたみ、豪快に口に運ぶ。
「……っ、美味しい。悔しいけど、めちゃくちゃ美味しいわ」
「当然です。投資した資金に見合うリターンがなければ、シェフの首を物理的に飛ばすところでしたからね」
千葉は向かいのソファに座り、ミネラルウォーターのボトルを手にして静かにグラスに注いだ。
マヤはグラスの中で炭酸の弾けるコーラで喉を潤し、満足げに息を吐くと、窓の向こうの夜景へと視線を向けた。
「……トライデントの連中はね」
不意に、マヤの声からいつもの軽口が消え、静かなトーンになった。
「私の作った回路や解析データを見て、いつも『よくできた部品だ』って言ったわ。彼らにとって、私は兵器の寿命を少しだけ延ばすための、便利なパーツメーカーでしかなかった」
マヤは手についたソースをナプキンで丁寧に拭き取り、千葉を真っ直ぐに見つめ返した。
「息が詰まりそうだった。一生あの薄暗いガレージで、誰かの引いた規格の中だけで生きていくんだと思ってた」
千葉は何も言わず、ただ静かな視線で彼女の言葉を聞いている。
「でも、ここは違う」
マヤは立ち上がり、千葉の座るソファの正面へとゆっくりと歩み寄った。モーターオイルと、ほのかに甘いストリート系の香水が混ざった匂いが漂う。
「あんたは私の技術を、世界をひっくり返す『核』として扱ってくれる。今回開発したポーション精製機なんて、ただの挨拶代わりよ。これからは、私が生み出すテクノロジーがアビスの基盤になる」
マヤは千葉を見下ろし、その知的な瞳の奥に、暗く強烈な熱を灯した。
「きっと、私を引き抜こうと、とんでもない金額や権力を提示してくる連中が山ほど現れるでしょうね」
「彼らがどれほどの額を提示しようと、私が手放すことはありません。あなたは我が社のインフラを構築するための、替えの効かないマスターピースですから」
千葉の淡々とした、しかし揺るぎない言葉に、マヤは満足げにふっと口角を上げた。
「そうよ。世界中の男が私を求めても、どんな巨大な資本が私の前に積まれても、全部無駄」
マヤは身を屈め、千葉の顔のすぐ近くまで顔を寄せた。彼女の唇から、ただの雇用関係や契約を超えた、純粋な独占欲を孕んだ誓いの言葉が紡がれる。
「私の頭脳は、ボスのためだけに起動するの」
千葉の表情は変わらなかった。ただ、グラスをテーブルに置き、静かに立ち上がる。
「当然です。そのための初期投資ですからね。あなたの頭脳がすり減るまで、圧倒的なリターンを吐き出してもらいますよ、マヤCTO」
「ええ。悪魔みたいにこき使ってよね」
マヤは最高に不敵な笑みを浮かべ、眼下に広がる都市のノイズを一瞥した。




