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非覚醒の天才金融屋は、法と金でダンジョン産業を蹂躙する  作者: 伊達ジン


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第15話 破格の違約金

 ニューヨーク、マンハッタン。

 セントラルパークの広大な暗闇を眼下に見下ろす五つ星ホテルのペントハウスは、本来であれば世界の富裕層が優雅な夜を過ごすための場所だ。しかし今、その絢爛豪華な空間は、アビス・マイニングの臨時司令部へと変貌していた。


 広大なリビングの中央に鎮座する重厚なマホガニーのダイニングテーブルには、無数のモニターと極太のケーブルが乱雑に這わされている。複数の高性能PCが放つ排気ファンの低い唸りが、分厚い絨毯に吸収されながらも部屋全体に異様な熱気を帯びさせていた。

 久保真琴は、タイトスカートの皺も気にせず椅子に深く腰掛け、目を血走らせながらキーボードを叩き続けている。彼女の周囲には、プリントアウトされた膨大な英語の財務資料が雪山のように積まれていた。

 時刻は午前2時。ウォール街の市場が開くまで、残り7時間半。


「トライデント・アームズの財務諸表、過去10年分、関連するペーパーカンパニーも含めてすべて解体しました」


 真琴はマグカップに残っていた冷えたコーヒーを一気に煽り、乾ききった声で報告した。


「見事なまでの自転車操業です。彼らは米国防総省からの安定した受注を最大の盾にして、ウォール街の複数のメガバンクから限界まで融資を引き出しています。莫大な研究開発費と、数万人規模の従業員を抱える運転資金を回すため、自己資本比率は極端に低く設定されている。株価がこちらの弾き出したラインを割れば、確実にマージンコールが発生します」

「ええ。ですが、国防総省という強固な後ろ盾がある以上、通常の悪材料では市場はそこまで反応しません。彼らは少しの火の粉なら、政治力で容易に揉み消すことができる」


 窓際でマンハッタンの眩い夜景を見下ろしていた千葉秀俊は、振り返ることなくグラスのペリエを傾けた。氷が微かに高い音を立てる。


 その時、ペントハウスの重厚なドアが音もなく開き、市川ひろみが姿を現した。

 タイトなレザージャケットには、微かに硝煙と、そして生々しい血の匂いが染み付いている。彼女は疲れた様子も見せず、右手に持っていた小型のストレージドライブを、放物線を描いて真琴のデスクに放り投げた。


「なら、通常じゃない悪材料を放り込めばいいんでしょ」


 ひろみはそのまま高級な革張りのソファに深く腰を下ろし、長い脚を組んだ。


「トライデントの研究開発部門のトップから、物理的に抜いてきたわ。ダミー会社を経由した、中東の非公認武装組織への最新技術の横流し。証拠の裏帳簿と、取引の生々しい音声データよ」

「……!」


 真琴は弾かれたようにドライブをPCに接続し、暗号化されたデータを展開した。画面にズラリと並ぶ不透明な資金移動の記録と、音声波形を確認し、息を呑む。


「これなら、完全な外為法違反です。国家反逆罪にすら問える内容です。ですが、これをFBIや当局に持ち込んでも、彼らは軍と結託して何年もかけて事実を揉み消すか、末端のトカゲの尻尾切りで終わらせます……」

「ええ。だからこそ、直接市場のど真ん中で燃やします」


 千葉は窓から離れ、デスクの前に立った。


「久保CFO。直ちに全ファンドのレバレッジを限界まで引き上げ、トライデントの空売りポジションを構築しなさい。大衆の恐怖に火をつけ、開場と同時にすべてを刈り取ります」

「ですが、どうやって大衆に広めますか? アメリカの主要なニュースネットワークも彼らの息がかかっています」


 真琴の当然の懸念に、千葉はほんのわずかに口角を上げた。


「だからこそ、専門家を呼びました」


 ペントハウスのインターホンが鳴る。

 ひろみが警戒してドアを開けると、そこには自身の体ほどもある巨大なキャリーケースを引きずり、酷い時差ボケでフラフラになった小柄な女性が立っていた。


「あー……着いたぁ……。エコノミーじゃなくてファーストクラスって聞いてたのに、乗り継ぎのラウンジで迷子になって死ぬかと思いましたよ……」


 アビス・マイニング広報部長、松尾伸子だった。

 彼女は目を瞬かせながら高級ホテルの内装を見回し、やがて千葉の姿を見つけると、ふにゃりとした愛嬌のある笑顔を見せた。


「で? 私をわざわざニューヨークまで急ぎで呼びつけたってことは、また派手に燃やすんですよね、社長?」

「長旅のところ申し訳ないが、休む暇はありませんよ、松尾部長」


 千葉はひろみが持ち帰ったデータの入った端末を、伸子に手渡した。


「アメリカの巨大軍需産業が、自国の兵士を殺すテロリストに最新兵器を売り捌いている決定的証拠です。これを、最も効率よく大衆の愛国心と恐怖を逆撫でする形に編集しなさい」


 伸子は受け取ったデータの中身を一瞥し、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 国内のブラックギルド相手の炎上騒動とは、根本的に次元が違う。1歩間違えれば、国家ぐるみの陰謀に巻き込まれて、文字通り命を消されるような代物だ。

 だが、伸子の瞳には恐怖よりも、強烈な好奇心と、特大のバズという麻薬への渇望が宿っていた。彼女の顔つきが、1介の配信者から狂気の広報部長へと切り替わる。


「……なるほど。最高の燃料ですね。ただの告発動画じゃ、すぐに火消しされて埋もれます。1時間ください。一番火薬の多い界隈のど真ん中に、完璧なタイミングで放り込む準備を終わらせます」


 伸子は即座に自前のノートPCを広げ、信じられない速度で作業を開始した。その指先がキーボードを叩く音は、まるでマシンガンのようだった。


「期限は午前8時。市場が開く1時間前です」


 千葉は手首の時計を見上げた。


「作業を終わらせたら、身支度をしなさい。夕食に行きます」

「えっ? 夕食って、私とですか?」


 画面から目を離さずに問い返す伸子に、千葉は淡々と告げた。


「ええ。前祝いです」


★★★★★★★★★★★


 マンハッタン、五番街に面した超高級フレンチレストラン。

 エントランスには厳格なドレスコードを知らせるプレートが掲げられ、店内は息を呑むほど美しいシャンデリアの光で満たされている。

 そのフロアの奥、一番見晴らしの良いテーブル席で、伸子は慣れない黒のイブニングドレスに身を包み、ガチガチに緊張して座っていた。ホテルに到着した後、真琴がコンシェルジュに手配させ、強引に着替えさせられたものだ。


 テーブル越しに座る千葉は、行き交う洗練されたギャルソンたちに臆することなく、完璧な立ち振る舞いでソムリエとワインの銘柄について言葉を交わしている。


「あの、社長……。こんな高いお店、私なんかが来たら浮いちゃいませんか? ナイフの順番とか、どれを使えばいいか全然わかんないんですけど……」


 伸子が委縮して周囲の客の目を気にしていると、千葉は静かにグラスを傾けた。


「気にする必要はありません。好きに食べなさい。今日はあなたのための席です」


 運ばれてくる料理はどれも絵画のように美しく、そして桁外れに美味しかった。複雑なソースの香りと、舌の上で溶けるような極上の肉。1口食べるごとに、伸子の緊張は驚きと圧倒的な感動へと変わっていく。


「……私、本当に凄いことしてるんですね」


 伸子は、目の前の宝石のように輝くキャビアが乗った前菜を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「数ヶ月前まで、底辺ギルドで時給900円でダンジョンの泥水をすすってたのに。今は、ボタン1つでアメリカの巨大企業の息の根を止めようとしてる。……頭がおかしくなりそうです」


 千葉はナイフとフォークを優雅に動かしながら、伸子の目を見た。


「あなたの生み出すノイズには、それだけの価値があるということです」


 冷徹で、極めて合理的な計算に基づいた言葉。


「私が設計した延焼ルートに、完璧なタイミングで火を放つ。その大衆の感情をハッキングする嗅覚は、ウォール街のどのアナリストよりも正確だ。私はその才能を評価し、投資しているだけです」


 誰からも見下され、利用されるだけの底辺だった伸子にとって、自らの価値を極限まで引き上げ、世界を動かす重要な歯車として明確に認めてくれるこの男の言葉は、どんな甘い賞賛や励ましよりも強烈に胸を打った。


「……社長」


 伸子はシャンパンを少し多めに口に含み、アルコールと高揚感で頬を赤く染めながら千葉を見つめた。


「私、ずっとついていきますからね。社長が世界をぶっ壊すところ、一番いいアングルで最前線から配信してあげます」

「期待していますよ、松尾部長」


 千葉は薄く笑い、自らのグラスを軽く持ち上げた。


★★★★★★★★★★★


 翌朝。午前8時。


 松尾伸子の手によって極限まで最適化された『爆弾』は、アメリカの巨大匿名掲示板群と主要なSNSの裏アカウントから、一斉に投下された。

 炎上の速度は、真琴の予測すら遥かに上回っていた。


 中東で犠牲になったアメリカ兵の遺族の痛切なインタビュー映像と、トライデント幹部の生々しい取引音声が交差する、短くも衝撃的な動画。それはアメリカ国民が最も敏感に反応する「愛国心への裏切り」という逆鱗に、正確に触れた。

 保守系のインフルエンサーたちが即座に反応して拡散し、動画は瞬く間に数千万回再生を突破。コメント欄は怒りと憎悪で埋め尽くされ、ニュースネットワークもこの異常な熱狂を無視できず、一斉に特番を組み始めた。


 午前9時。ウォール街の市場が開く。


 トライデント・アームズの株価ボードは、開始のベルが鳴り響いた瞬間、完全に崩壊した。

 圧倒的なパニック売り。機関投資家たちは、コンプライアンス違反による国防総省との契約打ち切りという最悪のリスクを恐れ、アルゴリズムの自動売買も巻き込んで我先にと株を手放した。株価は垂直に落下し、システムが何度も取引停止を発動させる歴史的な事態となった。


 ペントハウスの司令部で、真琴は震える手でモニターに並ぶ真っ赤な数字を見つめていた。


「……株価、前日比マイナス65パーセント。銀行からのマージンコールが確実に発生しました。トライデントのキャッシュは、今日中に完全にショートします……!」


 真琴の絶叫に近い報告を聞いても、千葉は手元のタブレットから視線を外すことなく、淡々とキーボードを叩いた。


「決済完了。総額、12億5000万ドル。手数料と税金を差し引いても、10億ドルのキャッシュが確保されました」


 国家の軍事産業を揺るがし、何万人もの投資家が阿鼻叫喚の地獄に沈む中、彼の声は街角で1杯のコーヒーを買う時と何ら変わらない、底知れぬほど平坦なものだった。


「予定通りですね。久保CFOは、直ちにこの資金を送金ルートに乗せてください。市川CCO、車を出せ」


 千葉はネイビーのスーツのジャケットを羽織り、ペントハウスを出た。


★★★★★★★★★★★


 ブルックリンの薄暗いガレージ。


 重低音のヒップホップがBGMとして流れる中、無数のモニターには、トライデント・アームズの株価暴落を伝えるニュースと、呆然とした表情のCEOがFBIの捜査員に連行される生中継の映像が映し出されていた。


 マヤ・ワシントンは、手にしたハンダごてを置いたまま、信じられないものを見るようにモニターを見つめていた。

 彼女の人生を理不尽に縛り付けていた巨大な軍需産業が、たった1晩で、まるで質の悪い魔法でも使われたかのように音を立てて崩れ去っている。


 背後の重い鉄扉が開き、千葉秀俊がゆっくりと歩み入ってきた。


 マヤは振り返り、その信じられない光景を生み出した巨躯の男を見上げた。


「……あんた、本当にやったの? これ、あんたが仕掛けたの?」

「市場のルールを使ったと言ったはずです」


 千葉はマヤの乱雑な作業デスクの前に立ち、1枚の小切手を無造作に置いた。

 そこに印字されている数字は、1,000,000,000ドル。


「トライデントは破産し、彼らの持つ特許と債権は紙屑同然で市場に放り出される。あなたの違約金はこれで払い、不当に奪われた特許もすべて私が買い戻します」


 千葉はマヤを見下ろし、その冷酷な瞳の奥に確かな熱を宿した。


「さあ、鎖を引きちぎる時間だ。あなたのマスターピースを、私のために起動しなさい」


 マヤはデスクの上の小切手と、千葉の顔を交互に見比べ、やがて、その知的な瞳に強烈な歓喜と狂気の光を浮かべた。

 彼女は口の中でガムをパンッと弾けさせると、作業台から飛び降り、油まみれの作業着のまま千葉のスーツに思い切り抱きついた。


「最高。あんたみたいなイカれたボス、ずっと待ってたわ!」


 マヤの腕の中で、千葉は表情1つ変えなかったが、その背後で控えていたひろみが「ちょっと、スーツが汚れるじゃない」と呆れたようにため息をついた。

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