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非覚醒の天才金融屋は、法と金でダンジョン産業を蹂躙する  作者: 伊達ジン


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第12話 広報部長、爆誕

 八王子郊外に位置する、E級ダンジョン『第7ゲート』。

 低ランクのモンスターしか出現しないため、大手ギルドからは完全に見捨てられたこの場所は、その日暮らしの底辺ハンターたちが小銭を稼ぐための吹き溜まりとなっていた。


「はい、みんなどうもー! 今日のダンジョンは湿気がすごいです! 私の髪もペシャンコで最悪ですねー」


 松尾伸子は、自身の顔より少し高い位置に自撮り棒を構え、スマートフォンに向かって人懐っこい笑顔を作った。

 彼女の背中には、自分の体重の半分はあろうかという巨大なリュックが食い込んでいる。中身は前衛のハンターたちが消費する安物のポーションや予備の武器、そして解体したモンスターから剥ぎ取った魔石だ。粗悪なキャンバス地のリュックの肩紐が、容赦なく彼女の細い肩に食い込んでいる。

 汗で額に張り付いたショートボブの髪を指で払いながら、伸子は画面の端に絶え間なく流れるコメント欄に目を走らせる。


『お疲れー、今日も荷物持ち?』

『ブラック労働乙』

『リーダーのオッサン、また怒鳴ってるぞw』


「あはは、そうなんですよー。今日のパーティーは機嫌が悪くて。でも、これで時給900円もらえるから、夜はコンビニの唐揚げ弁当にランクアップできそうです!」


 健気さをアピールしつつ、絶妙に同情を誘うトーンで返す。

 その瞬間、画面に数百円のスーパーチャットがパラパラと投げ銭された。伸子の口角が微かに上がる。


「おい、松尾! 何チンタラしてんだ! 早く魔力回復ポーション出せや!」


 前方を歩いていたC級のリーダーが、苛立ち任せに怒鳴り声を上げた。薄暗いダンジョンの通路に、威圧的な声が反響する。


「あ、はーい! すぐ出します!」


 伸子は慌ててリュックを下ろす素振りをしつつ、カメラの角度を巧みに調整した。怒鳴るリーダーの背中と、急いでポーションを取り出す自分の悲壮な姿が画面に収まるように。


(よし、今のパワハラ発言、クリップにして後でショート動画に上げよ。『底辺ハンターのリアル』ってタイトルつければ、絶対バズる)


 伸子の本質は、ハンターではない。

 彼女の魔力量は一般人に毛が生えた程度のE級。戦闘スキルなど皆無だ。彼女がダンジョンに潜る理由はただ1つ、動画配信のネタになるからだ。

 底辺で理不尽に扱われる自分をコンテンツ化し、同情と少しの炎上を燃料にして数字を稼ぐ。それが彼女の生存戦略だった。


「ほら、さっさと歩け! どんくせえ女だ……ッ!?」


 再び怒鳴ろうと振り返ったリーダーの声が、不自然に裏返った。

 伸子が不思議に思って視線を上げると、未舗装のゲート前の広場に、この場には到底似つかわしくない漆黒の高級ハイヤーが音もなく滑り込んできたところだった。


 砂埃を上げて停車したハイヤーの後部座席から、1人の男が降り立つ。

 190センチを超える長身と鍛え抜かれた厚い胸板、そして他者の深層心理まで見透かすような冷徹な眼差し。その男が放つ圧倒的な威圧感に、広場にいた荒くれ者の底辺ハンターたちは本能的な恐怖を覚え、一斉に道を空けた。


 男――千葉秀俊は、周囲の泥汚れを嫌悪するように薄く眉をひそめながら、真っ直ぐに伸子の前へと歩み寄った。


「松尾伸子ですね」


 低く、冷え切った声が降ってきた。

 伸子は息を呑んだ。この顔は知っている。今、ネットやテレビのニュースで最も顔が出ている男。『アビス・マイニング』のCEO、血も涙もない乗っ取り屋として連日叩かれている千葉秀俊その人だ。


「え、あ、はい。そうですけど……えっ!? 私、なんか訴えられますか!? 前にアビスの悪口言う切り抜き動画出したの、もう消しましたから!」


 伸子は慌ててスマートフォンを背中に隠そうとした。

 千葉は表情を変えることなく、懐から自身のタブレットを取り出し、画面を伸子に向けた。


「あなたのチャンネルの直近1ヶ月のアナリティクスデータです。登録者数3万人弱のマイナーチャンネルにしては、エンゲージメント率が異常に高い」


 千葉は画面をスクロールさせ、1つの動画の再生数グラフを指で叩いた。


「特に3日前のこの動画。意図的にパーティーメンバーの失言を誘導し、都合の良い部分だけを切り取って悲壮なBGMを当てている。結果、視聴者の義憤を煽り、普段の5倍の再生数と多額の投げ銭を獲得している」

「あっ……えっと、それは演出というか……」

「弁解は求めていません。私が評価しているのは、あなたのその悪意の編集能力と、大衆が何を求めているかを直感的に理解し、感情を誘導するセンスです」


 千葉はタブレットをしまい、冷たい眼差しで伸子を見下ろした。


「松尾伸子。あなたを、株式会社アビス・マイニングの広報部長として採用します」

「……はい?」


 伸子は素っ頓狂な声を上げた。


「年俸は2000万円。加えて、あなたが手掛けるプロモーション動画の再生数と、それによってもたらされる株価の変動率に応じたインセンティブ契約を用意しましょう」


 提示された桁外れの数字に、伸子の脳が数秒間フリーズした。

 広報部長? 2000万? この、日本中で最もバッシングされている悪徳企業の?


「お、お断りします! 今、アビスの側についたら、私のチャンネルまで炎上して完全に終わっちゃいます!」

「炎上を恐れる人間が、意図的に炎上を煽るような動画を作りますか?」


 千葉の目が、伸子の本質を冷酷に射抜いた。


「大衆の同情を買って小銭を稼ぐのは、安全ですがスケールしません。だが、もしあなたが『日本で最も嫌われている企業』のスピーカーとして、彼らの手のひらを鮮やかに返させることができたら? あなたのチャンネルの数字は、今までの比ではなくなる」


 千葉の言葉は、伸子の心の最も深い部分にある『バズへの渇望』に直接火をつけた。

 ただの底辺配信者で終わるか、巨大な資本を後ろ盾にして日本中の注目を集める劇薬となるか。


「……私の好きに、動画を作っていいんですか?」

「ええ。法的に致命的なラインを越えない限り、すべての権限と制作費を与えます」


 伸子はゴクリと唾を飲み込んだ。目の前の男が底知れない悪魔に見えたが、その手にある数字の麻薬の匂いには抗えなかった。


「……やります。社長を日本一のダークヒーローにプロデュースして見せますよ!」


★★★★★★★★★★★


 旧プロミネンス本社ビルから接収した、新宿の新オフィス。

 その最上階には、広大なルーフバルコニーが存在していた。全面に高級な人工芝が敷き詰められ、都心のビル群を見下ろすことができる開放的な空間だ。

 今、その庭の真ん中を、場違いな灰白色の毛玉が猛烈な勢いで駆け回っていた。


「キュゥン! バウッ!」


 生後2ヶ月弱のシベリアンハスキーの仔犬だ。

 まだ足元がおぼつかず、人工芝の上で自分の前足に躓いてはコロコロとボールのように転がっている。しかしすぐに立ち上がり、ピンと立っていない三角の耳を揺らしながら、短い尻尾をちぎれんばかりに振って走り出す。


「こら待てー! 捕まえたら食うぞー!」


 その仔犬を、S級ハンターの菅原留美子が四つん這いになって本気で追いかけていた。

 仔犬は留美子が迫ってくると、キャッキャと嬉しそうな高い鳴き声を上げ、急な方向転換で彼女の手を躱す。その機敏さに、留美子は「おおっ、いい動きすんじゃねえか!」と目を輝かせた。


 パラソルの下では、市川ひろみが薄いグラスの炭酸水を傾けながら、その光景を呆れたように眺めていた。


「……S級の動体視力を、犬の相手に無駄遣いしないの」

「いい運動になるんだって! ほら、そっち行ったぞ、真琴!」


 仔犬は留美子の包囲網を抜け、パラソルの下でノートPCを広げていた久保真琴の足元へ突撃した。

 勢い余って真琴のパンプスに鼻先をぶつけた仔犬は、クゥンと小さく鳴いた後、今度は彼女のストッキング越しに足首をペロペロと舐め始めた。


「あっ、ちょっと、くすぐったい……! こら、ダメですよ、書類を噛んじゃ……」


 真琴は困ったような声を出したが、その表情は完全に緩みきっていた。仔犬の透き通るようなアイスブルーの丸い瞳で見上げられると、連日の激務による疲労がスーッと抜けていく気がした。

 そっと手を伸ばし、フワフワとした頭を撫でる。仔犬は気持ちよさそうに目を細め、真琴の手のひらに自身の頭を押し付けてきた。


「そういえば、まだ名前決まってないわよね。この子」


 ひろみの言葉に、留美子がガバッと顔を上げた。


「アタシが決める! 『ニーズヘッグ2号』か『ギガント』がいい!」

「絶対にダメです。小型犬にそんな物騒な名前をつけたら、動物病院で呼ばれる時に私が恥ずかしい思いをします」


 真琴が即座に却下する。


「じゃあ真琴が決めろよ!」

「そうですね……『ラテ』とか『マロン』とか、可愛いのがいいんじゃないでしょうか」

「平凡すぎ。そんな名前じゃ、ダンジョンの底で生き残れないわよ。『ブラッド』とか『ファントム』くらいのエッジがないと」


 ひろみまで物騒な提案をし始めた時、ルーフバルコニーのガラス扉が開いた。


 現れた千葉の背後には、場違いな配信用の機材リュックを背負い、キョロキョロと周囲を見回している伸子が続いていた。


 千葉の姿を見るや否や、仔犬は真琴の足元から離れ、短い足で一直線に彼に向かって走っていった。

 そのまま千葉の革靴のつま先に前足をかけ、かまってくれとばかりにキュンキュンと鳴き声を上げる。


 千葉は躊躇なくしゃがみ込み、仔犬の脇腹に手を入れて片手で軽々と持ち上げた。

 空中に吊るされた仔犬は暴れることもなく、千葉の分厚い手の中で安心しきったように尻尾を振っている。

 千葉は仔犬の灰白色の毛並みと、顔の隈取のような模様を少しの間見つめた。


「アッシュだ」


「え?」と真琴が聞き返す。


「今日からこの個体の名称はアッシュで登録しなさい、久保CFO」

「アッシュ……。まあ、ギガントよりは百倍マシですね。わかりました、狂犬病の予防接種の登録書類もそれで進めます」


 真琴が安堵の息を吐きながらタブレットにメモを取る。


「なんだよ、もっと強そうな名前が良かったのに」と不満げな留美子を無視し、千葉はアッシュを人工芝の上にそっと下ろした。


 アッシュは千葉の足元をぐるぐると数周回った後、満足したのか、日向の温かい場所を見つけて丸くなり、無防備に腹を見せて眠り始めた。


 その一連の光景を、伸子は口を半開きにして見つめていた。


 手元のジンバル付きカメラのレンズ越しに、千葉が仔犬を優しく抱き上げる姿が映っている。その後ろには、パラソルの下で微かに表情を綻ばせる真琴とひろみ、そして芝生に寝転がる留美子の姿。

 伸子の脳内で、恐るべき速度でサムネイルとタイトルが組み上がっていく。

 これまで散々ニュースで『血も涙もない乗っ取り屋』として報道されてきた男の、あまりにも日常的な一面。この映像が世に出れば、視聴者の抱いているイメージは完全に崩壊する。


「……これ、絶対バズる」


 伸子は無意識のうちに呟いていた。


「紹介します。今日から我が社の広報部長に就任した、松尾伸子です」


 千葉の声に、真琴が目を丸くした。


「えっ、広報部長!? この子が?」

「おう、よろしくな!」


 留美子は屈託なく笑い、ひろみは面白そうなものを見つけたように薄く笑った。


 千葉はアッシュから視線を外し、伸子へと向き直った。


「松尾部長。第1A級ゲートの状況は聞いていますね」


 千葉の問いに、伸子はカメラを下ろして頷いた。


「はい。大手ギルド連合の息がかかった市民グループが、座り込みのデモをやってるんですよね。ネットでもかなり話題になってます」

「ええ。彼らはこちらの正当な手続きなど聞く耳を持ちません。メディアも彼らを擁護する態勢を整えています」


 真琴が手元のタブレットを確認しながら口を挟む。


「松尾部長」


 千葉は伸子を見下ろした。


「あなたの最初の仕事です。現場へ行きなさい」

「……私が、ですか? でも、あんな怒り狂った人たちの中にカメラ持って突っ込んだら、袋叩きにされますよ!」

「あなた1人で行けとは言っていません。主役は留美子と、あそこで寝ているアッシュです」

「……留美子ちゃんと、仔犬?」


 伸子は一瞬首を傾げたが、次の瞬間、千葉の意図する構図の暴力性に気づき、背筋にゾクゾクとした悪寒と、強烈な興奮が走るのを感じた。


「……なるほど。相手が少しでも手を出せば、一瞬で『可哀想な仔犬をいじめる悪党』の完成ってわけですね」


 伸子はリュックを背負い直し、愛用のカメラをしっかりと握り締めた。その目には、もはやビビっていた底辺配信者の面影はなく、バズという麻薬に完全に酔いしれる狂気が宿っていた。


「任せてください、社長。私、こういう切り取りと煽り、世界で一番得意なんで!」


 千葉は短く頷き、留美子に視線を向けた。


「留美子。アッシュを連れて松尾部長の指示に従え。手は出すなよ。ただ、仔犬を守るように振る舞えばいい」

「おう! 任せとけ! アッシュ、行くぞ!」


 留美子が声をかけると、目を覚ましたアッシュが短い尻尾を振って駆け寄ってきた。留美子はその小さな体をひょいと抱き上げる。


 伸子はカメラの電源を入れ、留美子と共にルーフバルコニーの出口へと向かう。モニター越しの世界を支配するための、彼女の最初の配信が始まろうとしていた。

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