第9話 騎士“消失”の真相と、作戦の夜
グレーテがエリックに案内を請ったのは、ユベールの潜伏場所が、魔法使い一人では容易に入れない場所にあったからだ。
王都の中央にそびえる山のような威容を誇る王城。その何重にも囲まれた城壁のうち、第三騎士団が所持する厩舎――そのうちでも精鋭の愛馬ではなく、見習いたちに貸し出されている、訓練中の馬が集められた場所だった。
見習いの騎士たちが水や飼葉をやったり、馬糞を掃除したりとかいがいしく世話をしている。
グレーテはここに来て、初めて馬たちをまじまじと見た。団長が乗るような馬は騎士団に送られるまでに馬の名産地で訓練を受けてくるとかで、勇猛で賢く、毛並みも非常に良い。
対してこの厩舎で飼われているのは様々な毛色の馬で、だからこそユベールは“選ぶ”ことができた。
「ユベールさん、いらっしゃいますでしょうか」
厩舎の入り口に立ったグレーテは、内部に向かって丁寧に話しかけた。
「ユベール様なら、今はいらっしゃいませんが……?」
慌てて応対に出てくる見習いに、グレーテとそれからエリックが続けて頭を下げれば、彼は首を横に振る。
「ご存知かもしれないですが、ユベール様は先日から行方が分からなくなっていて……」
「聖遺物騎士団のエリック・フィールドです。申し訳ありません、第三騎士団の許可は取りましたので、少しお時間をいただけませんか」
訳の分からない顔ながらも彼が頷いてくれたので、グレーテは再び、今度は奥に向かって声を掛けた。
「……出ていらっしゃらないなら、申し訳ありませんが、私からお話します。
ユベールさんが消失した訓練の日。あの日……いえ、試合前のいつでも、タイミングが合えば良かったのでしょう。ユベールさんは、自ら姿を消すつもりだったのではありませんか。
目の前で消えて見せ、探させている時間を稼ぐ必要があったのかな……と」
彼女の目は、働く騎士見習たちを見ていない。彼らは動きを止めてグレーテを、馬たちに向かって話しかける姿を見つめた。
グレーテとしては無駄に注目を浴びるのは好まない。何より予想が外れて恥をかくだけかもかもしれない。けれどおそらくここが一番、彼がいる可能性が高い。
それにもし外れていたら、別の場所でもう一度同じことを言えばいいだけだ、とグレーテは思った。
「大事なはずの馬上槍試合。その練習に同格でなく後輩の、それも新人二人も含めて選んだのは、あまりご自身と親しくないからでしょう。でなければ見破られてしまう可能性がいつでもありました。今、ここでもです。
だから――バークレーさんもそう親しくありませんが、慎重を期して、彼を一番遠ざけたかった。負けるはずがないのにあえて怪我をして見せ、使用人に室内に留めさせた。
消えるのは、力業でしたね。転んでみせて緩めてあった鎧を脱ぎ捨て、林に逃げ込み、決行の手紙を届けてくれた伝令と落ち合う……」
「待ってください、グレーテさん。ケンタウロスの大きな体躯は目立ちますし、あの林を簡単に縫えたとは。それも伝令と落ち合うというのは……」
戸惑うエリックに、グレーテは頷く。
「はい、ケンタウロスなら無理です。大きな体躯は林では木の根にも枝にも引っかかりますし、姿は伝令に見られます。でも人間なら?
……初めから大したことじゃなかったんです。消えたのは“ケンタウロス”であってユベールさんじゃなかったんですから」
「……というと」
「ケンタウロスは目立つけれど、人間は目立たない――」
「ですが、顔を見れば分かりますよ。……まさか伝令と入れ替わって……だとしても、騎士鎧を着るほどの暇はなかったし、二人、人間が門から出たという話もありませんでした」
グレーテは今度は、軽く首を振った。
「訪れた伝令の人物を騎士Aと、馬Aとします。そしてユベールさんの人間の姿をユベールB、馬の姿を馬Bと。
ユベールBさんは人の姿になって林を人知れず抜け、馬Bになって、伝令の馬と入れ替わります。そう、ユベールさんは“馬”の姿になったんです。騎士Aの馬Bになって。馬Aは厩舎に紛れているか、後から取りに来てもらうつもりだったか」
ここの馬は誰に貸し出されるか分かりません、とグレーテは続けた。
「人の顔は覚えやすいですが……馬鎧を着せていれば、殆ど馬の姿は見分けが付きません。それも毛色が似ていれば。ましてや馬鎧の下の馬の顔、脚までの見分けが付く人はいません。
済みません……どなたか、よく見ると知らない馬が、こちらにいないでしょうか。蹄鉄の質が良い、とか」
その場にいた見習騎士たちが自身の近くにいる馬を一斉に眺めた時――ぶるり。
一頭の青毛の馬が首を振ったかと思うと、そのたてがみを髪に、馬の顔を人に、逞しい腕に変えていく。まるで魔法のように、絵画のように上半身裸の逞しい人間の姿を現す。
似顔絵で見たケンタウロスの花形騎士その人、ユベールだった。
美しく雄々しい姿は何よりも若々しく、情熱的な眼差しで、エメラインやそれにグレーテとも正反対だった。
形の良い唇から出た低い声が、グレーテの推測を肯定した。
「……エメラインが話したのか? 彼女が今日ここに迎えに来る予定だったんだが」
すぐには答えず、グレーテは続ける。
「ケンタウロスは、その姿に誇りを持たれていると伺いました。それを投げ捨ててまで、騎士の立場を失ってまで、駆け落ちしたかったのでしょうか」
「……それは、その――そうだが、エメラインから話を聞いたのか、まだここに来ないということは……何か、もしや彼女の父親が何か」
少しずつ焦りの大きくなる声はまだ無邪気さが漂っていて、グレーテは眉をひそめた。
「……詳細は後で聖遺物騎士団にご報告ください。……こちらには、やはり厩舎までは伝わってないでしょうか……エメラインさんは、攫われてしまいました」
***
ぴりぴりした空気は、苦手だ。
日頃訓練を欠かさない騎士たちが、連携し合って犯罪者を追い詰める――その志にグレーテが感謝できるようになったのも、つい10年ほど前のことに過ぎない。
誰かが見張り、門や各所に伝令を走らせる。犯罪者を逃さないように、追い詰める。
それが平穏を保つために必要で、あの日の人間たちのような、暴走とは決定的に違うと分かっていても、似たものを思い出してしまう。あの腰の剣の切っ先が自分に向かないという確信を持てない。
夕方、騎士団所属の女性騎士とともに画廊に顔を見せた。堅気ではなさそうな雰囲気を持つ店員の顔を覚え、「今夜一人で外出する」とその前で雑談をした。あの様子なら食いついてくるに違いない。
これで事件はきっと解決する。
「でも、事情が分かっても、駆け落ちする気持ちはまだ解らないですね……」
恋愛は、家族を捨てて、もしや追われる身になるかもしれない恐怖をも乗り越えるものなのだろうか。
「お師匠様は相変わらず早寝ですね。聞いてみようと思ったのに」
「早起きに備えてるんだよ。だいたい、分からないって、別にグレーテちゃんだけじゃないさ。俺も、きっと店長だって分からない」
壁一枚向こう側、陽は沈み、夜はひたひたと迫ってきていた。
少し早く閉店した<ほとんど森>の窓際の席で、遅いおやつ――試作品だという甘い蜜のタルトにフォークを入れる。
いつも黒いだぼっとした服のグレーテは、今は飾り気はないが清純そうな白い厚手のワンピースのせいで、優雅な午後のお茶に見えなくもないのが不釣り合いだ。
カウンターの向こうで、イェルハルドは狼の耳をぴくぴく動かしながら、苦笑した。
「イェルハルドさんも?」
「他人の考えだの気持ちだのがそんなにすんなり理解できるなら、しょっちゅう試作品の味見してもらってないってことだ。……どうした、納得いってない顔だな」
「生まれも地位にも恵まれていて、こんな危険にも巻き込まれて……全てを捨てる感情が、私には分からないです」
その“結晶”として生まれた身でありながら、理解できた気がしない。
「同じくらい、人身売買も……こうして周囲を振り回すのも」
「それは同感だが、グレーテちゃんのは、聖遺物の騎士の皆さんがすり減るのが嫌って言ってるように聞こえるね」
ねっちりとした密で固められたフィリングには、それ以上の中身がない。卵とバターで捏ねられた粉。
口に運べば甘すぎるほど甘い蜜がしみ込んだフィリングが、口内でほどけた。
「善意への信用ってすぐに壊れるんですよ……これ、甘くて気取らなくて、気の抜けた午後みたいな味がします」
「じゃあ、狙った通りってとこだな。夜食にスープ作っておくから、タルトの余分は夜食に持ってってあげなよ」
「ありがとうございます」
残りを食べきってお茶で口の中をすっきりさせると、イェルハルドが用意してくれたお菓子の籠と、薬草やら薬やらを詰め込んだ鞄を掴んで、グレーテは騎士団の詰め所に向かった。
取得物の届け出や、人探し。不法行為の通報――出入りする市民と騎士でにぎわう入り口を抜け奥の廊下に向かったところで、見覚えのある顔を見付けた。
あの嫌味な赤毛の、ソーンという騎士だ。すれ違いかけて、彼は足を止めた。
軽く動きやすい鎖鎧は、これから例の作戦に参加するためだろう。
「あぁ、フィールドの魔女か」
「今夜はよろしくお願いいたします。……あの、こちら皆さんへ店から差し入れ……」
小さいタルトを詰めた籠を差し出そうとして、眉を顰められる。
「フィールドなら奥だ、直接渡してこい。……あいつも苦労するな」
「済みません」
「責めてるんじゃない。今晩中に片付けられるようせいぜい頑張ってくれ」
「は、はい」
「じゃあな」
頷けば、部下を連れて足早に玄関に去っていく。奥に進めば、普段より慌ただしい雰囲気が伝わってきた。
「フィールド様、こちらイェルハルドさんから皆さんへの差し入れです」
「魔法使いを高所へ上げて視界の確保と、合図の色の確認を再度お願いします――あ、グレーテさん。……これは責任重大ですね」
打ち合わせしていたエリックは、真面目な顔から一転して籠の中を覗くと、一瞬、不安げな表情を見せた。
見せたものの、捜査手順に不慣れなグレーテにも分かるよう、地図を見せながら普段通り的確な説明をしてくれた。
「画廊の方には昨日会った赤毛の騎士、ソーンたちが念のため行ってくれます。尾行させたところ、盗賊たちの本拠地はこの辺りの住宅地にある作業場で……」
そうして一通りの説明が終わって、グレーテが持ち場に向かおうと、本部を出かけた時。
「――グレーテさん」
「はい」
呼びかけられて振り向けば、駆けて来た彼は隊服のボタンをひとつふたつ、外していた。目を瞬いているうちにするりと紐が引き出され、そのまま首にかけられる。
胸元に、小さくじゃらりと金属が鳴る音と、重みがかかる。
「これは、お守りです」
長い紐の先には、小さくて素朴な麻袋があった。
視線を上げれば、いつになく真剣な表情がグレーテの目を射抜いている。
「……これを身に着けていて大きな怪我をしたことがないので、ご利益はあると思います」
「ご利益……」
「それに迷子にならないように、でしょうか。……それでは、また、必ず」
祈るような声だった。それからエリックはぎこちなく微笑むと、くるりと踵を返し、廊下の先に消えていった――その背中が見えなくなるまで彼女が見送ったのは、何故か足が動かず、立ち尽くしていたからだった。
お読みいただきありがとうございます。
明日の午前中に10、11話を更新して完結の予定です。




