第8話 偽装。そして駆け落ちの結果
オールディス家の応接室で上等なカップに入ったお茶を飲みながら、グレーテはお尻が落ち着かなかった。
低いテーブルを挟んで反対側には、膝の上で肘を立てて手を組み、顔を伏せるオールディス卿がいる。
川縁から戻って教会の鐘が二度鳴った後、遂に使用人が扉を開けて、その向こうからエリックが一人の男性と共に足早に入って来た。
男性は――長年オールディス家に仕ている壮年の使用人は、裕福な商人のような格好をしていた。そのまま主人に耳打ちをするとオールディス卿は青ざめつつ、硬い表情で頷く。
一礼して彼が壁際に控えると、エリックが口を開いた。
「……宜しいでしょうか。……金のある素振りを見せたら、がらっと態度が変わったそうです。奥にある特別室には例の絵がありました。
そして、先日誘拐されたと思しき少女の容姿を挙げて、こんな絵がないかと尋ねたら、倉庫にならあるような態度をされたと」
使用人扮した豪商と、使用人のふりをした物覚えの良い騎士見習いが一人、先程まで馬車で、例の画廊を訪問していた。
ベンたち<ほとんど森>の常連客も訪れたことがある、グレーテが話題に上げた画廊だ。
立派な構えに見える店は、奥に細長く狭い実は貸店舗で、手前は安価な静物画だけ。奥に入るにつれて価格は高額になっていたが、目玉となるのは扉奥の別室で、そこには人物画ばかりが飾ってあったという。
どれも豪奢だが古い額縁に納められた絵は、一般人ではとても手が出ない価格だったという。そして背景は稚拙だが、描かれた女性たちはまるで生きているようだった、と。
彼女たちはおそらく他の都市で誘拐されていて――足が付きにくいように、この王都で誘拐された女性たちはまた、別の都市で展示されるのだろう。
「今週には店を閉めて他の都市に移動すると言っていたようです。描かれた女性の特徴を問い合わせに、先程近隣の各都市に早馬を出しました」
「人身売買は法で禁じられたはずだ。それが、まさかエメラインが……」
「……顧客によると思われます。全くの善人でしたら絵だけで満足しますし、もし生きた人間を欲しがるような顧客なら、金を引っ張れますしね。……ほどほどのところで逃げているのでしょう」
エリックの声は穏やかでも、顔はひどく苦々しい。
数人、数十人も誘拐してしまえば足が付きやすい。けれど短期間に一都市で二、三人ずつならどうか。家出人もいくらでもいるし、捜索願いが出されるとは限らない。事件化もされない。
それも絵にして運んでしまい、別の都市で、彼女たちを知らぬ場所で売ってしまえばなおのこと。
「魔道具“偽物の額縁”……お師匠様によれば、元々は高額なモノを閉じ込めておく、脱税の為の魔法だったとか。
昔から役所が回収して、まとめて廃棄していたそうですが……どこかに残っていたのでしょう。魔法の効果は永続的ではなく、期限はひと月ほどだといいます」
「……待ってくださいグレーテさん、でしたら魔法が解けたら……女性たちは」
「顧客にはメンテナンスをすると言って再び閉じ込めるか、それとも脅しの材料にするか……」
グレーテは言いながら口が重い。
この街の治安は良い、と今は感じている。お客さんに薬を売って、常連さんと他愛無い会話をして――騎士団が守ってくれている。その側で堂々とそんなことが行われているとは信じたくなかったし、話したくはなかった。
「問い合わせた“彼女”が誘拐されて三週間になります。魔法の期限からいっても、そろそろ店仕舞いをして逃げてもおかしくない頃でしょう。今画廊を騎士団で見張ってはいますが、全ての門で荷物を検査すれば……いや、口実がない」
「エメラインはどうなるんです?」
「自然に効果を解けるのを待つか、“魔法解除”の魔法をかけるか……ですが、もし解除の術者よりも、額縁にかかっている魔法が強力であれば」
魔力にも魔法にも、力関係はある。額縁にかかった魔法以上の術者を用意しなければならない。しかし、昔額縁を作成した魔法使いが、どの程度の魔法使いかが分からない。
「……失敗しますし、そうなった時には言い逃れされてしまうでしょう」
師匠のタウラなら解けるだろう。けれどそんな魔法使いを、王都の全ての門に用意するのは現実的ではなかった。
グレーテは自分で言って、少し考えてから思い切って口にした。
「……私が囮になりましょう。エメラインさんなら私にも見分けが付きますので保護できますし、万が一でも私が絵になる決定的瞬間を見付けてもらうことができます」
「なっ……」
――息を呑んだのは、やはり、エリックだけだった。
グレーテは薄い笑いを浮かべながら、それで心置きなく言葉を続けた。
「ハーフエルフは珍しいので、商品価値があると思います。実はこっそり、そちらの使用人の方にお願いしていました。ハーフエルフの絵はないか、と訊ねてもらえないかって」
「何を……何を言い出すんですかグレーテさん! 僕は協力者だからってそんなことまで頼んでなんか――」
珍しく眉が吊り上がっていた。エリックは、目の前で、本気で怒っている。そして彼が犯罪以外に対して滅多に怒らないことを、グレーテは知っている。
オールディス家は自分の娘のために彼女の提案を渡りに船と飲んだ。その前でエリックが怒ってくれることを――誰の前でも、親しい友人のように怒ってくれるのが嬉しかった。
口角が自然に上がる。
「どうして、なんで笑ってるんですか!」
「何も怖いことはないって信じています。それに、ユベールさんの居場所も分かりましたので、そちらにも協力を頼みます。きっと、彼女のことなら何としてでも助けてくれるでしょう」
そしてこちらの言葉には、エリックだけでなくオールディス卿も使用人も、目を見開いた。
「ユベールの居場所が?」
「そもそもの話……推測ですが、二人は駆け落ちするつもりだったのだと思います」
あの死体が偽装で家出の荷物が発見された以上、そうとしか考えられない。朝早くに母親が聞いた物音は、“すぐに捜索して発見してもらう”ためにわざと立てたのだろう。
「何故……」
「それは……二十年ほどでしょうか、その間ずっと反対されていたからです」
呻くようなオールディス卿の言葉に、当然という言葉をグレーテは呑み込んだ。それはきっとユベールの代弁すぎる。
それにグレーテには謎解きに必要なパーツのうち、行われた時間、場所、誰が――どうやって、は理解できても、動機が恋愛となると難しいのだ。
「……ケンタウロスの寿命は人間より短いので、もっと長い時間に感じたでしょう。
産まれは文句のない騎士、父親だけでなく自身も名誉を得て栄達しようとしている。
元々両家は先代までは橋を共に作り、市民に提供するほど仲が良かった。エメラインさんも自分を想ってくれている……それでも反対される理由が、きっと分からなかったと思いますから」
「……お聞きしましたが、二家の交流は長く、かつてはバレのケンタウロスの女性が、オールディスに嫁入りしたこともあったとか」
エリックがまだ何か言いたげな視線をグレーテに向けながら、補足する。
「馬上槍試合に招待しようとしても拒否されることは、想像が付いたのかと思います。エメラインさんに聞いていたのでしょう」
「オールディス卿が亜人はお嫌いなのか、とも思いましたが、こちらの使用人さんにも獣人さんはいらっしゃいました。
でしたら、強硬に反対される理由は、エメラインさんの幸せだろうと思うのですが……彼女はオールディス卿がお考えになるよりも、ユベールさんを好きだったのかな、と」
「駆け落ちは、いや、死んだと思わせることまでしたのが、あの子の意志だと」
「はい。そしてエメラインさんからの手紙が、お二人が“消失する”合図と、手段だったんです。
彼女の方が抜け出すタイミングに気を遣いますし、何よりユベールさんと同じように自身と足跡を“消失”するには、増水した川が、雨の日が必要だったはず。
『今回の訓練で決行するよう』伝えなければなりません。そして――後でご説明しますが――ユベールさんの“消失”に使われた伝令を遣るために」
溺愛しているから家を継がせたい。外に出したくない。そう思う親は多いだろう。グレーテもそう思った。
……しかし、オールディス卿は顔を上げて、力なく言葉を吐いた。
「娘は、昔から身体が弱いのです。……その母親も。だからユベールが眩しく思えたのでしょう。……子供の頃、いや成長してからも誇り高いケンタウロスがあの子を乗せて走るのに危機感を覚えて、引きはがそうとしてきました」
「……他の種族だったから、でしょうか」
グレーテは両親を思い出した。二人の周囲でどのような反対があったかは聞いてはいないが、歓迎するようなものではないと想像がつく。
「亜人が理由ではありません。……ケンタウロスだったからでも……いやこれは語弊があるか、ドワーフやエルフなら許したでしょう。しかし犬でも猫でも不安だった、ましてやケンタウロスでは――爪や牙や大きな体の種族は。それを告げられなかった」
「……それは、もしかして……」
父親としては、あまりにデリケートで言いにくいこと。可能性に過ぎなくて、言えばもっと反発されるかもしれないこと。
「……あの子の母親は、非常な、非常な難産でした。死ぬ思いをしたところを目の前で見ました……だから、私の子供はエメライン一人なのです。
過去にあった二家の結婚で、オールディスの父親とバレのケンタウロス母親の赤子は、ケンタウロスの姿で産まれてきました。……もし逆だったらどうなります?」
……グレーテは気付く。
逆だったら、その大きな体と蹄が母体には大きな負担になる。場合によっては、母子ともども死ぬかもしれない。
「話せば、家を出るかもしれないと思っていた。しかしこんなことになるなら……子ども扱いせず、正直に話すべきだった」
哀れで、そして子を愛する父親に、グレーテは何も言葉をかけることはできなかった。
自分の両親のことも、自身の経験も何もかも彼には及ばないのだろうと理解してしまう。
気まずい沈黙の後。
淡々と今後の打ち合わせを終えて白く美しい屋敷を出た時、ふいに横でエリックが、怒ったように呟いた。
「囮だなんて、あなたという人は……いいですか、あなたのことは絶対に守りますよ」
「ありがとうございます。でも無理しないでくださいね」
グレーテが頭を下げれば、つられたようにエリックの眉が下がって、優しく、どこか悲しそうに眼が細められた。
その意味が分からず、ただ雰囲気を変えるために、グレーテは気を取り直したように笑顔を向ける。
「……それでは、ユベールさんの元へ、連れて行ってください」




