第7話 死体の“消失”あるいは誘拐の可能性
「エメライン・オールディスさんの死体が見つかりました……正確には、死体らしきものが発見され、その後消失しました」
二回目の消失。思わず店の奥を振り返ってしまうが、静まり返ったままだった。階段に人気はなく、あれだけ扉が叩かれたというのに、相変わらずタウラはお気に入りのベッドでぐっすり就寝中だ。
料理その他の雑用担当のイェルハルドは今、食材の仕入れに出掛けている。
「……どういうことでしょうか」
グレーテは二人への置き手紙を、カウンターで殴り書きしながら尋ねる。
「今朝早く、母親が娘が起きてこないことを心配して――正確には大きな物音で目を覚ましたようなのですが――部屋を見に行ったら、手紙を残して姿が消えていたそうです」
「内容は……」
「ただ『許されないのであればユベールの後を追います。さようなら』、と。遺書だと騒ぎになっていますね。筆跡はご両親に確認済みです」
もし“自殺”ならば、ユベールが“すでに死んでいた”ことを彼女は知っていた、ということになる――本当だろうか。
それに、グレーテには彼女が後追い自殺までするような女性には見えなかったが、誤りだったろうか。
「すぐに使用人たちで手を尽くして探したところ、程なく家の近くの、あの橋脚の近くでうつ伏せに倒れているところを発見されました。ちょうど、転落したような格好で」
堤防から河原まで、高さは5メートルほどか。自分で飛び込んだとして確実に命を断てるか、微妙な賭けだ。
とはいえもし本当に死体だとして、“死因”が自殺で、そして転落死とは限らない。
……そう、彼は「死体らしきもの」と言った。逆に「遺書」だとは、彼自身の言葉で言わなかった。
「近づいたのですか?」
グレーテはペンを置いて側の鉱石を手紙の重しにし、顔を上げた。
エリックは慎重に、事実だけを伝えようと言葉を選んでいるように見えた。
「ええ、第一発見者の使用人の女性が降りて手首の脈を取ったところ、身体は冷たく、動いていなかったと。何にせよ一人では運べないので、他の使用人に報告しに行ったとのことです。
オールディス家と同時に救急――聖遺物騎士団の救急部隊に連絡を頼み、彼女が戻った時にはもう姿がなかったと話していました……かなり動転してましたが」
「――それで消失、ですか。……お待たせしました。行きましょう、フィールド様」
グレーテは杖と鞄とを引っ掴んで外に出た。足早に向かう先は勿論、昨日眺めたあの川だ。
「正確にはおよそ午前5時40分頃に不在を確認、およそ10分後に発見。6時頃――教会の鐘が鳴ったとのことです――脈を確認」
「うつ伏せで、表情を確認できてないんですね」
「そうです。外傷不明、血痕なし。衣服の汚れは接地面に泥と土埃で……外出着のワンピースの上に薄手のフード付きコート一枚。手荷物はなし」
「……なし?」
「ええ。家出であればもっと周到な準備が必要だったでしょうが」
それも「後を追う」の意味を死ととって、オールディス家の者が遺書と表現した理由だろうか。
ほどなく現場に到着すると、使用人数名に囲まれて、昨日会ったばかりのオールディス卿の大声が響いてきた。
「お前たちが娘を追い詰めたんだ!」
声の主は斜面を降りるグレーテに気付くと、足元の小石を蹴散らしながら迫ってくる。その勢いに、エリックが咄嗟に間に入ろうとするのを、頷いて制した。
「娘がいなくなった責任は、お前たちにもある」
その顔は赤く声は怒気をはらんでいた。まるで外に出る格好ではない、家着に一枚羽織った姿。
父親にはほとんど放任されていた――タウラという師を紹介してはもらったが――グレーテには見慣れぬ表情は、束縛と同時に心底愛しているからだろう。
娘が死んだと、その目で見るまでは認めていない。
抑えきれない不安がグレーテたちへの怒りや憎しみに、八つ当たりをしているだけなのだ。
怒声が苦手なグレーテは、大丈夫、大丈夫だと自分に言い聞かせる。
「何が騎士だ、忠誠心だ。あいつに裏切られ、失踪の原因を問い詰められ、気に病んだに違いない。これだから亜人だの獣人は――」
そこで、グレーテの胸がふいにずきりと痛んだ。同意したい気持ちと否定したい気持ちがせめぎ合う。自分では信用してもらえないかもしれない、と思いながら声を絞り出す。
「今はそんなことを議論している場合では――」
「……撤回してください」
「フィールド様」
揉め事は避ければいい。オールディス卿の様子からして、落ち着けばちゃんと話を聞いてくれる……はずだ。
それなのにエリックが毅然と対峙する。
やめてください、と首を振るけれど、彼はその青空のような瞳で真っすぐに、動転する父親を見返したままだった。
「彼女たちは、魔法が使えることで怯える私たち市民に、時間と労力を削ってくれている協力者です」
「何だと」
「娘さんについては大変同情申し上げますが、無用な諍いは捜査の進展に寄与しません。30年前の魔力暴走事件の結果、何が引き起こされたかご存知でしょう」
「……市民同士の暴動だろう」
「私刑が一時横行し、子供まで巻き添えになりました」
何を思ったか、オールディス卿は、知らず体を竦ませているグレーテとその耳をまじまじと見ると、突如申し訳ない、と固い声で言った。
きっと、その折れがちな耳と付け根の古傷に気付いたのだろう。引っ張られた耳を、斬られそうになった根本を、隠そうとして折れた耳とを。
グレーテは首肯して謝罪を受ける。
「……私は気にしていません、ですからお気になさらないでください。……それより、亡くなったと認められたくないご様子ですが」
「娘は死んでなどいない」
「生きていらっしゃると、そうお考えなのですね」
感情ではなく、そう考える根拠が。
「当たり前だろう。あの子は見た目よりずっと強情なんだ。簡単に死を選んだりしない。妻が聞いた物音だって不自然だろう? だからこれはきっと事件か何かで……」
「――エリックさーん、ちょっとこっち来てください!」
話の最中、切羽詰まった声がした。
既に来ていた騎士の一人、昨日門番をしていた茶髪の青年が遠くで、地面にロープで円を作りながら声を上げている。
エリックとグレーテが、続いてオールディス卿も遅れて続けば、円の中心に上等な女性ものの靴が片方、横向きに転がっていた。
「……娘の靴だ!」
叫びと共に飛びつこうとしたオールディス卿を、追ってきた使用人たちが痛ましげな視線を向ける――けれどそれより早く、エリックが靴を取り上げ、汚れ仕事を買って出た。
「……申し訳ありません、証拠品ですので。エメラインさんの靴に間違いありませんか」
取り上げて底に付いた泥をそのままに、両手で丁寧に扱って、こちらも丁寧な仕草で良く見えるように差し出した。
オールディス卿が頷けば、グレーテは手袋を嵌めながら靴に、それから周囲に視線を走らせる。
靴が落ちていた位置は、倒れていた位置よりも上流。
分厚い泥が付いているのは底のみ。甲部分の汚れが軽いのは、うつ伏せになった時に付けたものか、ならばきっと衝突していない。初めから足に力が入っていたなら――発見時、彼女は生きていた。
「脈を取ったのはどなたでしょうか……?」
「あ、……わ、私です」
使用人たちの顔を確かめるように見れば、エメラインと年頃の変わらない女性が、青ざめた顔で進み出た。
「川を通りかかりましたら、嬢様らしきうつ伏せの姿を見付けましたので、すぐにそこの土手から降りました」
彼女は靴よりもう少し上流側、高低差が低く傾斜が緩やかになっている部分を指さす。
「この靴ですが、発見された時……倒れている時には、履いていましたか」
「……ええと、よく覚えていませんが……履いていたと思います、だって履いてなかったら気付くはずなので……でも動転していましたから確実には。
格好はちょうどこんな風でした。脈を……右手の手首を測って、止まっていたので……すぐに知らせに戻りました」
彼女は少し足を広げると、両腕を下方にぴんと伸ばした姿を取った。ちょうど洗濯ばさみのようなシルエットになる。
倒れていた位置は川の流れの際で、転がっていた靴は右足のもの。
「でも戻っていた時には、もうお姿がなかったんです。だから私、きっとこの川に流されてしまったのだと……」
「恐ろしかったでしょうに、賢明でしたね。ありがとうございます」
彼女の視線は、未だ増水して音を立てている川に向けられる。罪悪感の色濃い表情にエリックは礼を言うと、グレーテに確信していたように視線を送る。
「靴が上流にあったのなら、流されていないでしょう。捜索は続行しますが……」
「持病がなく、怪我もないのならあえてうつ伏せになっていたのではないかと……きっとまだ、生きていらっしゃいますね」
グレーテの言葉に、オールディス卿はばっと顔を上げた。疑問と絶望と希望が入り混じった顔だった。
「転落死でもしたように見せたかったのかもしれません。血の跡ともども、川に流されて遺体が見つからないように、とお嬢様が擬態しようとされたのだと……」
「でも、脈は止まってました!」
「いくつか想像が付きますが、そちらは後で」
使用人の女性に、努めて冷静にグレーテは続けた。
「きっと、ユベールさんと落ち合う約束をされていたのだと思います。
ですが擬態後に何かトラブルが起こり、叶わなくて……靴が上流に落ちるようなことがあったのだと思います。
もしも消えたユベールさんが迎えに来られたのなら、もしくはご自身で歩き去ったのなら、万が一靴が脱げてもすぐに気付いて、履き直すはずです。素足では痛くて歩けませんから」
グレーテは地面に目線を落として、ゆっくりと上流に沿って歩いた。
そうして手のひらに余るサイズのりんごがひとつ、草地に転がっていたのを見付ける。ほんの軽く表面に軽く土が付着しているだけの、まだ落ちて真新しいものだ。
「やっぱりそうです。
首は上着のフードでカバーして……腕は何か固いものを脇に挟んでおけば、短い時間であれば脈を止めて誤魔化すことができます」
昔々、魔法使い狩りがあった時にタウラたちはそれで難を逃れたことがあったという。さらに上流に向かえば、もう一つりんごが落ちている。
「うちのりんごだ」
「そう、左右どちらの脈を取られるかは分からないので、両方にですね」
そうして側の草むら、不自然に傾いた丸太と傾斜の間には、隠してあったらしいリュックサックがひとつ。
さっとエリックが取って中を検め使用人に渡せば、彼女が叫んだ。
「お嬢様のものです!」
「中身は着替えに財布に、地図に……家出の意志は間違いないですね」
頷いてグレーテはひとつ、くるりとりんごを回して見せた。意見を聞いてもらうために冷静になろうとはしているが、少しずつ重くなる空気に、胸が苦しくなる。
こんなに心配してくれる人がいるのなら、駆け落ちなんて、彼女はしなければ良かったのに。
それができないのが恋だというなら、グレーテには解らない。
「……皮に、爪で文字をひっかいた跡がありました。……ゆうかい、みせ、ひっこし……」
そして足元の、土の露出した部分。誰とも知らぬ靴跡の際立った深さが、二人分の体重がかかったことを示している。
それらを告げると、
「すぐに騎士を警戒に当たらせます」
エリックが走り去ればグレーテはりんごを呆然としたままのオールディス卿に渡した。表情を引き締め、持ち直した杖を眼前に捧げる。
「何をするんですか」
「魔力の痕跡を確認します」
呪文を唱える最中、自身の魔力と、周囲から取り込んだ魔力を杖に流し込む。
常に共にいて彼女の魔力に馴染んだ杖は力を増幅し、周囲に漂う魔力を青い鱗粉のように彼女の目に可視化した。
川辺の石に点々と青が浮かび上がる。それは何かの液体が付着した痕跡。
魔法を解いて駆け寄ったその目に、鮮やかな色が飛び込んできた。
「……絵の具?」




