第6話 第二の被害者
低くなるグレーテの声が途切れた時、眼前に川が姿を現した。
確かに壊れている石橋の、橋脚を視線で辿れば、幅数メートルほどの流れの両側に広がる河原は、雨による増水で普段より狭い。
両岸ともにある堤防は半ば切り立った崖のようになっていて、これは水害に備えたものだった。おかげで大雨でも氾濫したことはない。
「……お師匠様がいつも口にする、謎の解明に必要なポイントは5つです。いつ、誰が、何処で、どうやって行ったか。動機は何なのか」
橋の親柱に張られた通行不可を示すロープの手前で、眺めながら指を折る。
「このうち、先の3つは判明しています」
「“失踪”がユベールさん本人の意志だと考えていますか?」
「はい、多分……ですけど」
真面目な青空の瞳に、グレーテは緩く頷いた。
「親しくない騎士ばかりを自宅に招き、中でも自分を一番知っている方を遠方で足止めさせています」
「怪我もわざとだと」
「はい。遠くから目撃させるに留めて屋敷内外を探させていますが、その間に脱出して、おそらくどこかに潜伏中だと思います」
「……早く見つかって、理由が、騎士団と関係ないと証明できればいいのですが」
エリックは、難しそうに眉をひそめる。
「騎士団は、これでも軍隊ですから――脱走者、あるいは反逆者にでもなれば、汚名をそそぐのは難しいでしょう。それこそ二人の仲も危うくなるかもしれません」
「フィールド様はお優しいですね」
「……甘いっていうんですよ、こういうのは。よく上司に注意されます」
グレーテが言えば、エリックは眉間を緩めてから苦笑した。
「懲罰だの公安だのの部隊じゃないんだから、美点ですよ」
「僕は本当はそもそも騎士になるつもりはなくて、本当は画家を目指していたんですよ」
「……そうだったんですか」
初めて聞く話だ。
いつも街の見回りに迷子の案内、いざこざの仲裁に、スリに殺傷事件に強盗に詐欺にと忙しく走り回っている彼が、そんなふうに思っていたなんて。
しかし確かに、黒炭や鉛筆の筆致は本格的だった。きっと一生懸命練習した日々があったのだろう。
「……そういえば、ベンさんたちが言ってました。最近他の都市から来た、新しい画廊ができたって。すごく評判だって触れ込みでしたよ」
「へえ、どんな絵ですか」
「冷やかしに行ったお客さんによれば、背景はそうでもないんですが、本当に生き生きとした人物画だったとか」
「そうですか。……あの、グレーテさんは人物画にご興味は……」
「すごくお高価いみたいなので縁はないですけど……フィールド様も行ってみてはいかがですか」
「……はい」
グレーテが善意で勧めると、目を彷徨わせてからエリックは咳払いをする。
「風邪、ですか?」
「いえ、ちょっと喉が乾燥しただけです。
……僕は、親が騎士だったので家を継ぐ必要があったのですが。魔物の討伐だの戦いのための訓練をするより、街の平和を守る方がいいなと思ったんです」
「……確かに、向いていらっしゃると思います」
「それもここにいるハーフエルフさんのお陰でもありますけどね」
急に話に出てきた自分の存在に、グレーテはぱちくりと目を瞬いた。まじまじと見返せば、何故か彼は懐かしいものを見るような眼差しだった。
「……え、……私ですか?」
「そうですよ。小さい頃、母に誕生日のプレゼントを買いに来たじゃないですか。覚えてます?」
「え、ああ……そうでしたね」
「道で握っていたはずの小銭を落として焦っていたら、一緒に探してたでしょう? ポケットからお金を“見付けて”くれて。だから無事に花のお茶と、ハンドクリームを買って帰ることができました。
喜んでくれたって報告したら、それをまたあなたは喜んでくれた」
くすり、とエリックは声を立てて笑った。
「しばらく、僕の人生で最大の謎だったんですよね。あの小銭がどこから出て来たか」
……あれは彼が8歳頃だったか。自分は25――人間で言えば12歳かそのくらいの情緒の頃の出来事だ。あれからエリックは店の常連になったのだ。
「……よく、覚えていらっしゃいましたね」
「そちらこそ」
「ハーフエルフの寿命は2、300年ですよ。人間のお年寄りみたいにすぐに日は過ぎたように感じて――」
「寿命が長ければほんの少し前に感じることもあるでしょうが、人間の方が早く忘れることもあります。個人だけでなく……代替わりしたとか言って。
たった30年前の、人とエルフの諍いの出来事も、たまたま教えてもらわなければ知らなかった」
「……魔法の暴走事件……」
父親の故郷の森は、人間の母が暮らすには、いずれ数が多い人間に混じってグレーテが暮らすには不都合が多かった。
それから王都に引っ越して、暫くしてからの話だ。当時住んでいた住宅街で、一人のエルフの魔法使いが、エルフ特有の病気にかかって、つい魔力を暴走させてしまった。
それは人間で言えば失火のようなものなのに、誰もそうとは捉えなかった。体力は人間ほどもないのに、ドワーフのような器用さもないのに、魔力が多い種族という理由は恐れられる。
父親は森の故郷に帰ろうと言い、母親はここで逃げれば暮らす場所はないといった。グレーテはフードを被り、親の影に隠れてでしか外出できなかった――人間かエルフか、「どちらだ」と問い詰められるのが怖かったから。
結局、人々の納得のために魔法使いに対しての法規制が少し厳しくなって――捜査への無償での協力義務が発生して――終結したが、引っ越しは余儀なくされた。
「グレーテさんやタウラさんがこの辺りで少しでも長く、平穏に暮らせるようにしたいですよ」
言葉は聞いたことがない程に優しくて。
でもその少しでも長く、の数十年が彼の寿命の大半であることを無視しているので、グレーテは甘くてほんの少し苦い感情を覚えた。
まだ荒れている川面に目を向けるエリックに、グレーテは照れ隠しのように話題をずらす。
「ケンタウロスの寿命は、人間よりやや短い程度です。寿命が短いと、やはり急ぎたくなるものでしょうか……駆け落ちとか」
「個人差が大きいとは思いますが……それから環境ですかね。やはり外で魔物討伐をするような騎士は、命の危険を感じる機会も多いでしょう。今やらねば、という意識にはなるかと」
「そうですね」
グレーテの父親が家に戻ってこないのも、タウラが寝がちなのも、長寿命からの身体感覚の差であることは、頭では分かっている。
「……でも駆け落ちなら、一人ではしませんよね。あの手紙に何が書いてあったのか分かれば、姿を消した理由が分かるかもしれないのに……」
考えても分からないので、グレーテは、どうやって姿を消したかに思考を切り替えることにする。
「そもそもあの場から見られずに抜けるには、林しかありません。けれど人ならともかく、ケンタウロスの体躯には密過ぎます。
……そう、ユベールさん、試合中には本人の顔を確認はできませんでした。別人ということはないでしょうか。
……例えばですが、あの位置からはバークレーさんからは上半身、アンディさんからは下半身しか見えなかった……ケンタウロスではなかったということは、ないでしょうか? 上が人間で、下が別の馬で……その間に林に……。
そういえば、落ちていた鎧はどのようなものだったんですか?」
「グレーテさんは、ケンタウロスの騎士を見たことは?」
ありませんと首を振れば、説明してくれる。
「あの時訓練場では、人間――ドワーフも――金属鎧と兜を被っていました。それから、馬鎧という、馬に被せる金属の鎧や布を。ケンタウロスの場合は頭部から腰部に垂れるような裾広がりのシルエットになります」
「訪れた騎士も、ですか? 彼はいつ退出したのでしょうか」
「事件の少し後だそうです。……そういえば彼も同じような姿だったとか」
引っかかるものがある。しばらく無言で考え込んでいると、気が付けば日が落ちかけてオレンジ色の光を川に投げかけていた。
「……そろそろ家に帰って、考えをまとめたいと思います。では――」
「……なら、家まで送りますよ」
「ですが、まだお仕事では?」
「ここひと月ほど、女性が行方不明になる事件が何件か起こってるんです。物騒ですから」
彼はわざわざ、剣の柄に魔法で小さな明りを灯して歩いていく。
程なく、店からさほど遠くない住宅密集地の変哲のないない、古くて小さな一軒家に到着すると、
「くれぐれも気を付けてくださいね。窓や戸締りの確認と、夜中に誰かが来ても開けないこと……お一人なんですから」
人間の母親は遅くにグレーテを産んだ。寿命でつい二年前に他界し、葬儀が終わると父親はますます帰ってこなくなった。
悲しいからでなく、帰る意味が減ったといういい加減な理由で。
「もう大丈夫ですよ、慣れましたし」
「いえ、僕が心配性なんです。常連の我儘に付き合ってください」
再度、私は魔女ですよと言いかけて、親切に甘えることにして頷いた。
寿命が人間より長い分、精神的な成長はきっと彼の方が早い。沢山、毎日世の中の人を助けているのだからもっと。
……弟がいつの間にか兄になると、こんな気分がするのだろうかとグレーテは思った。
――翌日。
いつもより早く<ほとんど森>に出勤して、事件を反芻しつつグレーテが開店準備に勤しんでいると、扉がいつになく連続して叩かれた。
開ければ、息を切らしたエリックの顔で察する。きっと、人さらいが出たよりも悪いニュースだ。
「朝から済みません。今報告が入りました――エメラインさんが例の川縁で、死体で見つかった、と」




