第2話 夏休みの釣られた者たち1
盆明けの夏休み、午前。
篠見中学校の工作室には、窓から強い夏の光が差し込んでいた。
向かい合わせに並べられた机の奥には、真新しいホワイトボードが立てられている。
生徒会の顧問である村田が、教卓に気怠げに寄りかかっていた。
壁際では、生徒会長の立花 蒼が静かに立ち、集まったメンバーを観察するように見渡している。
澄香と透は、すでに席についていた。
そこへ扉が開き、雪杜が顔を出す。
その後ろには、御珠と咲良の姿があった。
(結局何の相談もなく、二人ともついて来ることになっちゃった……)
雪杜は小さく息を吐き、室内に向かって頭を下げる。
「おはようございます」
「お邪魔しまーす……」
「おはよう」
咲良が少し遠慮がちに続き、御珠が堂々と挨拶をした。
「おー、来た来た。じゃあ揃ったな」
村田が教卓から身を起こし、出席簿をぱらぱらとめくる。
その目が、予定より多い人数を見て少しだけ止まった。
(ん?なんか人数多いな。まあいっか)
数えるのが面倒そうな顔をして、出席簿を閉じる。
「えー……じゃあ始めますか」
村田の気の抜けた声で、ミーティングが始まった。
「文化祭は十月の第四土曜日。準備期間は今日から約二ヶ月。
今年の文化祭は、創立100周年記念行事の一環になる。
学校としては、各クラスの出し物と、体育館でのステージイベントの他に、生徒会主導の共同企画を両立させる方針だ」
そこまで一気に説明し、村田は顎をさする。
「予算は生徒会に一括で降りてるから、使い方は立花に聞いてくれ。
安全管理だけは絶対守ること。
怪我人出したら俺が詰められるから。
以上だ。あとは立花、頼んだ」
「……はい」
蒼が静かに頷きを返す。
「何かあれば職員室に来い。いや、まず立花に相談しろ。俺はその後でいい」
村田は教卓からのそりと立ち上がった。
「頑張れよー」
そう言い残し、さっさと扉の向こうへ消えていく。
バタン、と扉が閉まると、室内は一瞬だけ静まり返った。
(えー、先生帰ちゃった)
(なんかとんでもないとこに来ちゃったかも……)
雪杜と咲良が顔を見合わせていると、蒼がゆっくりと正面へ歩み出た。
「……では、改めて」
通る声が、室内の空気を引き締める。
「皆、よく集まってくれた。
今日から文化祭本番まで、ここが拠点になる」
「まず自己紹介をしようか。
立花 蒼だ。
三年生なので、秋の生徒会選挙をもって引退になる。
だからこの文化祭は、私たちにとって最後の仕事だ。
貴重な休みを潰して手伝ってくれることに感謝する」
蒼の挨拶に続き、3年生のメンバーがそれぞれ名前を名乗っていく。
やがて、2年生の番になった。
「如月 澄香です」
「真壁 透です」
澄香と透が簡潔に挨拶を済ませ、視線が雪杜たちに集まる。
「2年の天野雪杜です。よろしくお願いします」
「えーと……あの、咲良と御珠も手伝いたいって、ついてきてしまったんですが、いいですか」
雪杜が少し申し訳なさそうに尋ねると、蒼は柔らかく微笑んだ。
「人数は多い方が助かるよ。もちろん歓迎する。
三人とも、よく来てくれた」
「よかった」
蒼の言葉に、雪杜は安堵の息を漏らす。
「よろしくお願いします」
「お願いします」
咲良と御珠も頭を下げると、3年生の間にヒソヒソとしたざわめきが走った。
マジキューピットじゃないか、冷輝姫もいるぞ、という押し殺した声が漏れ聞こえる。
(もう!3年生にも浸透してるし!)
(冷輝姫……かっこいいのじゃ)
呆れる咲良の横で、御珠は密かに胸を張っていた。
そんな様子を見つめながら、蒼が静かに口を開く。
「ふふ。早速君を引き入れた効果があったようだな。
追加で二人も釣れた」
その言葉に、雪杜の動きが一瞬固まる。
(……釣れた?)
「……先輩」
「ん?」
思わず声をかけた雪杜に、蒼は笑顔のまま首を傾げた。
「最初から、こうなるって分かってたみたいな言い方、しますね」
「そう聞こえたか?」
「聞こえました」
雪杜がまっすぐに見つめ返すと、蒼は悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「すまない。少し言い方が悪かった」
「……」
「二人が追加で来てくれるのではと期待はしていたが、あまりに期待通りに来てくれたのでつい嬉しくてね」
淀みのない蒼の返答に、雪杜の眉がわずかに寄る。
「そうですか……
咲良と御珠が、最初から“セット”として計算されてたなら、それは言ってほしかったです」
「すまんすまん。
君には期待しているんだよ。
君自身の能力もだが、君の人脈は君が思っている以上に素晴らしい」
「人脈ですか……」
雪杜は、その言葉の響きに引っ掛かりを覚えた。
「そうだ。普通いくら彼女や兄妹だからといって、手伝いに来ると思うか?
君自身、面倒だと思ったはずだ。
空き部室の件がなければ君も来なかっただろ?」
「確かに……」
反論できず、雪杜は押し黙る。
(雪杜、ほっとくとすぐ巻き込まれるんだもん)
(この娘、雪杜に懸想しておらんかの)
咲良は呆れ半分で雪杜を見守り、御珠は蒼の底意を値踏みするように見つめていた。
「ということだ。
不快に思ったなら謝罪しよう。
君とは仲良くしたい」
「分かりました……」
雪杜が渋々頷くと、離れた席から透が少し羨ましそうな目で雪杜を見ていた。
(透……)
澄香が、そんな透の横顔を心配そうに見つめる。
「では、改めて文化祭の話をしようか」
空気を切り替えるように、蒼が全員を見渡した。
「今年の文化祭は創立100周年記念の一環になる。
通常のクラスの出し物に加え、生徒会主導の共同企画を二本立てで行いたい」
蒼は流れるような動作で、ホワイトボードに文字を書き込んでいく。
「一つ目。この工作室を使った展示コーナー。
100年分の写真や資料を集めて展示する。
卒業生や地域の人にも呼びかける」
「去年の先輩たちがアルバム持ってくるって言ってましたね」
3年生の一人が相槌を打つ。
「そう。渉外はすでに動いてる。これには先生も協力してくれる」
「二つ目。ステージイベントをどうするか。
ここはまだ白紙だ。アイデアを出してほしい」
蒼がペンを置くと、室内にしばらくの沈黙が落ちた。
「……体育館でダンスとか?」
澄香が口火を切る。
「候補に入れよう。他は?」
蒼が頷くと、別の3年生がおずおずと手を挙げた。
「あの……一つ聞いていいですか。
去年の文化祭の合唱……覚えてますか」
「……ああ」
「あれ、すごかったじゃないですか。
会場全員が泣いてて……」
「今年も、あれできませんかね。
しかも今年は100周年だし、卒業生も混ぜて合唱したら盛り上がりそうで」
その提案に、室内の雰囲気がぱっと明るくなる。
「それいいな」
「……確かに」
3年生たちと澄香が賛同する中、蒼の視線が静かに動いた。
「指揮は……」
蒼が、御珠を見つめる。
「天野さん、お願いできるかな?」
「……」
室内のすべての視線が、一斉に御珠へと集まった。
(ふむ……目立ちたくないのじゃがな……)
(雪杜のためであれば……)
「わたくしは……」
御珠が口を開きかけた、その時だった。
「少し待ってください」
雪杜が、静かに、しかしはっきりとした動作で手を上げた。
「……天野くん?」
蒼が怪訝そうに目を向ける。
「御珠の生い立ち、ご存知ですか?」
雪杜の問いかけに、沸き立っていた室内が水を打ったように静まり返る。
「……一応把握はしてる。
孤児だったと」
「そうです。
去年の合唱、僕も一緒に歌ったので、覚えています。
去年であれだけの反響があったということは……今年は100周年という舞台で、さらに注目を集めることになる」
「……それは」
蒼が言葉を詰まらせる。
「SNSで拡散されたら、どうなりますか?
御珠の顔が広まって、過去を詮索する人間が出てきたら?
孤児、虐待、あれだけ綺麗な子が指揮をとった、って話題になったら、御珠の周りに変な人間が近づいてくるかもしれない」
「……」
「御珠は今、やっと普通に学校生活を送れています。
その環境を守りたいんです」
「皆さんが御珠を買ってくれるのは嬉しいです。
でも……それだけは、勘弁してください」
雪杜の切実な声が、工作室に響いていた。
誰も、口を挟むことができない。
蒼は、微動だにせず雪杜をまっすぐに見つめていた。
(……なるほど)
(この子は、ちゃんと見えてる)
「……分かった。
別の案を考えよう」
「ありがとうございます」
雪杜が深く頭を下げた。
(……雪杜……妾のために……)
御珠の胸の奥が、じわりと熱くなる。
(……惚れ直してしまうではないか)
(むー!また無自覚ジゴロムーブしてる)
密かに熱を帯びる御珠の隣で、咲良が口を尖らせていた。
(3年生にも物怖じせずに応える胆力)
(SNSによる影響まで俯瞰して見えている)
(さすが炎上を何度も経験しているだけあるな)
蒼の口元に、微かな微笑みが浮かぶ。
「君は今、すごく自然に天野さんを守ったね。
ブレなかった」
「……当然のことをしただけです」
(当然、か……真の強い子だ)
蒼は内心で感心しながら、再びホワイトボードに向き直った。
「ステージの件は仕切り直しだ。アイデア出しを続けよう」
「はい」
蒼の一声で、止まっていた場が再び動き出す。
透は、その一部始終を黙って見ていた。
(蒼先輩が、折れた)
(……天野に)
透は、静かに次の話題へ移ろうとしている蒼の横顔を見つめる。
(先輩は……あいつのことを、どう思ってる)
透の胸に、じわりと得体の知れない不快感が広がっていく。
その冷たい視線に、咲良がちらりと気づいた。
(……あ)
(この顔、知ってる)
咲良は小さくため息をつき、気配を殺す。
(面倒なことにならないといいんだけど……)
(って、私が言える立場じゃないか)




