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神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第4章 中学生編 ― それぞれの場所 ―
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第36話 灯火の誓い3

遠くで鳴り続ける花火の音だけが、止まったままの時間を刻んでいた。

部屋の中には、先ほどまでの痛切な哭き声の名残が漂っている。

やがて、澪が深く長く息を吐き出し、ゆっくりと顔を上げた。


「……誓約は、もう“この形のまま”では続けられないわ」


「……まことか?」


御珠が確かめるように問いかける。


「ええ。

 “咲良が泣いたら神様が消える”なんて……

 人が背負っていい重さじゃなかった」


澪は自嘲気味に視線を落とし、畳の目をなぞるように言葉を紡いだ。


「二年前も……あれほど重い誓いにするつもりじゃなかったの。

 あなたが土下座して、私がそれを飲んだのは……

 正直、あなたの覚悟を試したかっただけ」


「すぐに咲良が泣いて、それでこの関係は終わる。

 神様は消えなくていいけれど、咲良とは別れてもらう。

 そうやって、無理やり幕を引くつもりだったのよ」


「……それが、こんなに長く、本当に背負い続けることになるなんて……」


御珠の長い睫毛が、一度だけかすかに揺れた。

澪の瞳に、敵意ではない、一人の女性としての情愛が宿る。


「本当はね……御珠ちゃん。

 あなたとは……仲良くしたいの」


「……澪殿」


「私は神職。

 本来、神は敬うべき存在よ」


「でも、私は母親でもある。

 娘が“世間”という波に潰されるのを見たくなくて……

 だから、必死に線を引いたの」


「でも――あなた達はその線を、ずっと乗り越えてきた」


言葉が途切れ、部屋を行灯の炎だけが照らした。

揺れる光が、四人の影をゆっくりと動かしていく。

澪は姿勢を正し、まだ赤みの残る目で、まっすぐ前を見据えて告げた。


「だから誓約の、“あの部分”は手放すわ」


「……“あの部分”とは」


「咲良が泣いたら、あなたが消える。

 ……あんなもの、お互い苦しいだけよ」


「……澪よ」


御珠の声が、安堵と感謝に震える。

だが、澪は釘を刺すように言葉を継いだ。


「でも、十八になったら、咲良が選ぶ。

 これだけは……残させて」


「……承知した」


御珠が深く頷き、雪杜もそれに倣った。

それが、この場所で結び直された新しい「約束」だった。


行灯が一度ぱちりと鳴り、澪が表情を和らげる。

探るような視線が、雪杜へ向いた。


「それと……もうひとつ聞かせて。

 冬休みの始め、咲良は二人きりの時間を過ごしているあなた達を見たはずなのに、安心して帰ってきたのよ。

 ……何を話したの?」


雪杜は一瞬言い淀んだが、隠さずにゆっくりと口を開いた。


「その日、咲良に僕の気持ちを伝えたんです。

 ……好きになりかけてるって」


「“好き”じゃなくて?

 なりかけてる?

 たったそれだけのことなの?」


「咲良にとっては……何よりも大事なことだったんだと思います」


「そうじゃ」


御珠が補足するように言葉を重ねる。


「咲良は表向きは彼女として振る舞っておったが、雪杜の気持ちがどこにあるか、常に不安の中にあった。

 それが自分にも傾きかけた……その真実を、妾が伝えたのじゃ」


「それで、あんな嬉しそうに……」


澪が納得したように呟く。

だが、御珠の話はまだ続いた。


「それだけではない。

 ……妾と雪杜の間には“呪いの逆流”がある。

 妾の思いが溢れる時、呪いが雪杜へと流れ、雪杜を傷つけるのじゃ」


「呪いの、逆流……?」


「御珠の……その……したい、っていう気持ちが溢れると、僕の身体に伝わってきて……

 僕が耐えられなくて……だから、簡単にはできないんです」


(なんで僕、彼女のお母さんにこんな話してるんだろ……)


雪杜は顔が熱くなるのを感じながら、必死に言葉を絞り出した。

その様子を見て、澪の表情から硬さが消えていく。


「咲良には、このことも伝えてある」


「……そう。

 あの子が妙に落ち着いていた理由が、やっとわかったわ」


澪は、娘が抱えていた秘密の重さと、それを共有した三人の絆の深さを改めて突きつけられたようだった。


「でも……咲良となら、触れられるんでしょう?」


その問いには、御珠が凛とした声で答えた。


「……雪杜には妾より先に咲良へ手を出さぬよう、厳しく誓わせておる」


「……その通りです。

 僕は咲良を大事にしたいから、急ぐつもりはありません」


雪杜の真っ直ぐな言葉に、それまで口を閉ざしていた聡の表情が、わずかに和らいだ。


(……まあ、そういうことなら)


父親としての最低限の防波堤は守られている。

その確信が、彼を安心させたようだった。


澪は、長く溜め込んでいた毒を吐き出すように息をついた。


「そう。

 あなた達が“本気で娘を守ろうとしている”こと……それだけは、分かったわ」


御珠は静かに、そして神としての威厳を湛えて頷いた。


「……妾は、咲良を守る。

 雪杜も守る。

 その覚悟に偽りはない」


「僕も……二人を守ります」


澪は言葉を探し、視線を落としてから持ち上げる。

重い鎖を外すように、やっとの思いで言葉を落とした。


「……分かったわ」


そう言うと、澪は真っ直ぐに雪杜を見つめた。

その眼差しには、先ほどまでの激昂とは違う、静かな、それでも逃げ場のない厳しさが宿っている。


「雪杜くん。

 ひとつだけ」


「……はい」


「御珠ちゃんは消えなくてよくなったけど」


澪は言葉を切り、念を押すように雪杜の瞳の奥を射抜く。


「咲良が泣いたら……私が許さないから」


真正面からぶつけられたその言葉は、もはや脅しではなく、一人の母親としての「宣告」だった。

雪杜は視線を逸らさず、逃げず、その重みを正面から受け止めて静かに頷いた。


「……肝に、銘じます」


澪はそれ以上、何も言わない。

どう許さないのか――その先を語らずとも、雪杜には十分に伝わっていた。


「よろしい」


その一言で、部屋を支配していた張り詰めたものがわずかに解ける。

澪自身も、憑き物が落ちたように息を吐き出した。

緊張が緩むのを見て取ったのか、聡の腕の中で陽向が小さく、愛らしく笑う。


その柔らかな音を合図にしたかのように、御珠がそっと口を開いた。


「……聡殿。

 ひとつ、よいか」


「え、僕……?」


意表を突かれたように、聡が顔を上げる。


「……陽向を、抱かせてはくれぬか」


聡は一瞬戸惑い、澪と目を合わせた。

彼女が静かに頷くのを見て、慎重に腕の中の命を差し出す。


御珠が陽向を受け取った、その瞬間。


(……重い)


思っていたよりも、ずっと、ずしりとくる重さだった。

陽向が御珠の胸に収まり、ぐいと無邪気に体重を預けてくる。

生きている者の温かさ、柔らかな肌の感触、そして、何よりも確かな「命の重み」。


陽向は御珠をじっと見上げ、やがて花が綻ぶようににっこりと笑った。


「……」


御珠は吸い込まれるようにそっと目を閉じる。


(この子が……この子が産まれなければ、澪はもっと長く、孤独に戦い続けたであろう……)

(そうなれば澪はいずれ心が折れ、狂ってしまっていたかもしれぬ)

(なんと尊き命……この小さな命が、妾たちの未来を、絶望の淵で繋ぎ止めてくれた)


御珠の目から、一筋の涙が頬を伝い、陽向の頬へと落ちる。


「……ほんに。ほんにかわいいのぅ。

 元気に育つのじゃぞ」


(妾では……この幸せを、雪杜に届けてやれぬ……)


神としての悲しみを微かに滲ませながらも、御珠は慈しむように陽向を聡に返した。


「ありがとう。

 ……強き子じゃ。

 いずれ雪杜にも劣らぬほどの、優しき男子になるであろう」


聡が静かに受け取り、陽向を胸に抱き直す。

その手つきは、迷いのない父親のものだった。


しばし言葉が途切れる。

だがそれは、以前のように息苦しいものではなく、胸の奥に静かに降り積もる安堵だった。


そんな穏やかな中で、澪が息を整えて微笑む。


「……その……これからは、うちにも遊びにきてちょうだい。

 咲良も……陽向も……喜ぶだろうから」


驚きに、御珠と雪杜が顔を見合わせる。


「分かったのじゃ!」

「はい!」


二人の弾んだ返事に、聡も息を吐き、口角を上げた。


「……これで、咲良を一緒に守れるな」


澪は小さく笑った。

その表情は、二年前、あの絶望的な誓約を交わした時よりも、ずっと柔らかく、母としての光に満ちていた。


―――


花火はいよいよ最高潮を迎え、夜空には大輪の光がいくつも咲いては、惜しみなく散っていった。

少し遅れて響く地響きのような轟音が、本殿の古い木造を、そして二人の鼓動を震わせる。


御珠と雪杜は、拝殿へ続く石段に並んで腰を下ろし、静かにその光景を眺めていた。


「……澪さん、泣いてたね」


雪杜が、膝を抱えながらぽつりと呟く。


「うむ。

 あれは……長きにわたる魂の縛りがほどけたゆえじゃ。

 安堵の涙よ」


御珠の声は、夜風に溶けるように穏やかだった。

花火が、また一つ夜空を黄金色に染め上げる。


「僕、怖かった」


「……」


「御珠を泣かせるなら咲良を捨てるって。

 ……そんなこと、本当は言いたくなかった」


雪杜の告白に、御珠は何も言わず、そっと彼の震える手を握りしめた。


「……分かっておる」


「雪杜は優しいからの」


「優しくなんかないよ。

 あんな、最低な脅し……」


「優しい」


御珠が言葉を遮るように、もう一度、強く、噛み締めるように言った。


「誰よりも、優しいのじゃ。

 妾を護るために、自ら泥を被ろうとした。

 その心が愛おしいのじゃよ」


「……」


雪杜はそれ以上否定できず、ただ繋がれた手の温もりを感じていた。

しばらくのあいだ、二人は言葉を忘れ、降り注ぐ光の破片を見つめる。


「咲良、知らないんだよね」


「うむ」


「陽向のこと。

 澪さんとお父さんが、どれだけ苦しんで、どんな覚悟であの子を産んだか」


「……知らぬままでよい」


「……そうだね」


雪杜の同意に、御珠は深く頷く。


「咲良は、知らぬまま笑っておればよい。

 その重さは、妾らが背負う。

 ……それが、愛する者への礼儀というものじゃ」


「……うん」


花火が、フィナーレを告げるように連続で空を真っ白に照らし出した。

どん、どん、どん、と腹の底まで響く音が、過去の悔恨をすべて掻き消していく。


「御珠」


「なんじゃ」


「……ありがとう」


「……?」


御珠が不思議そうに首を傾げる。


「僕のために、土下座までしたんでしょ?

 御珠は神様なのに……」


「神じゃから、じゃ」


「え?」


意外な答えに雪杜が顔を上げると、御珠は夜空を見上げたまま誇らしげに微笑んだ。


「神じゃから……そなたを守れる。

 人の身では、抗えぬ理、守りきれぬ縁もある。

 じゃが神ならば……そなたと咲良の、その小さな笑顔を繋ぎ止めておける。

 妾は、神でよかったのじゃ」


「……御珠」


「ただ……」


御珠の微笑みに、わずかな寂しさが混じる。


「そなたの子を成せぬのは、やはり……少しばかり、辛いの」


「……」


「咲良ならば、そなたの子を産める。

 陽向を見た時……その命の重みに触れた時、胸が痛んだ」


雪杜は、御珠の手を力強く握り返した。

言葉にならない想いを、その掌の熱にすべて込めて。


「……御珠が一番だよ」


「……分かっておる」


「じゃが……咲良も大事じゃろ」


「……うん」


「ならば三人で、笑っておればよい。

 ……それが、妾のたった一つの願いじゃ」


雪杜は胸の奥が熱くなるのを感じた。


(御珠は……いつも僕と咲良のために、自分を後回しにする)


神としての強さも、女としての弱さも、すべてを捧げて自分を愛そうとしてくれている。


「御珠」


「なんじゃ」


「……今度は、御珠のために何かしたい」


「……ふふ、そなたが笑っておれば、それでよいのじゃぞ」


「それだけじゃ嫌だ」


「……わがままじゃの」


御珠は可笑しそうに、けれど本当に幸せそうに目を細めた。


「では……今宵は祭を楽しむのじゃ。

 それが妾への最高の献上品よ」


「お祭り……

 そっか。そうだよね」


「うむ!団子を食べにゆくぞ!

 腹が減っては神事もできぬ!」


「ふふ。

 じゃあ僕は、たこ焼きにするよ」


二人は立ち上がり、手をつないだまま、提灯の明かりが揺れる屋台の方へ歩き出した。


この年。二人は初めて、誰に怯えることもなく、心から祭の喧騒を楽しむことができた。


花火の残光が、石畳の上に二人の影を長く伸ばしていく。

神と人が交わした灯火の夜は、まだ始まったばかりだった。






第4章、中学生編 ― それぞれの場所 ―

これにて一区切りとなります。

ここまで読んでくださった皆さまに、心から感謝を。


長く続いた澪との確執は、ようやく静かに幕を下ろしました。

家族の形も、三人の関係も、それぞれが“自分の場所”を見つけていく章でもありました。


幕間を挟み、次章では中学2年生の後半。

生徒会での新しい日々、揺れる心、そして広がっていく世界が描かれます。


もし、この物語があなたの心のどこかに

そっと触れるものがあったなら――


ブックマークやポイントで応援していただけると、とても励みになります。

そのひと押しが、この物語の続きを紡ぐ力になります。


これからも見守っていただけたら嬉しいです。

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