第27話 夏影の再編、それぞれの居場所1
夏休みの昼下がり。
冷房の風がゆっくり回る部屋で、莉子のスマホの画面には、グループチャットの会話が次々と更新されていく。
【元・天野ファミリーグループチャット】
咲良:今年もBBQやるよー
咲良:ハッカソンまた優勝しちゃった✌
颯太:また打ち上げとセットか
咲良:そう!
莉子:華蓮ちゃんも呼ぶ?
咲良:いいね!
莉子:私から連絡しとくね
咲良:お願い!
雪杜:おじさん、また人数増えたってぼやきそう
駆:雪杜が金払うから心配ない
雪杜:出さないんだが!?
颯太:ははは
御珠:妾も楽しみなのじゃ
スマホの光が莉子の頬を照らし、楽しげな通知が途切れる。
莉子はそのまま別の画面を開いた。
「華蓮」の名前に指が触れる。
【莉子×華蓮 個別チャット】
莉子:皆で集まってBBQやるんだけど来ない?
華蓮:なにそれ
莉子:雪杜くん一行の毎年の恒例行事
華蓮:あたしも行っていいの?
莉子:もちろん!
莉子:ただし
莉子:可愛くなった人しか来ちゃいけません
華蓮:じゃいかない
莉子は慌てて画面を叩く。
いつも強気な華蓮に即座に引き下がられると、胸がきゅっとなる。
莉子:ごめん……来てください……
莉子:さぼらないでかわいくなろうよ……
既読がつかないまま、画面の時計が進む。
莉子:電話していい?
ぽつと通話ボタンを押し、耳に端末を当てる。
呼び出し音の後、華蓮の声が低く聞こえた。
『もしもし』
「ごめんね……うっとおしいよね」
華蓮の返事はこもっていて、それでも真っ直ぐだった。
『……いや』
その短い否定に、莉子は胸の奥があたたかくなる。
責められる覚悟でかけた電話だからこそ、救われたと思った。
「華蓮ちゃん……最近、髪も……その……」
受話器の向こうで華蓮がわずかに息を吐く。
『切ってねーわ。面倒で』
その言い方は“本当の理由を隠すための雑さ”が滲んでいて、莉子は胸の奥が痛んだ。
「うん……でも、前はさ、朝ちょっと整えて、嬉しそうにしてたじゃん?」
言いながら、莉子はその光景を思い出していた。
手鏡を見ながら、楽しげに前髪をいじっていた華蓮。
あの頃の笑顔が嘘じゃないことを、ずっと知っている。
返事が途切れる。
華蓮の呼吸がひとつ揺れた。
『ナンパ避けだし』
理由になっているようで、どこか言い訳めいている声。
莉子はその“強がり”が分かってしまう。
「それは知ってるよ。でも、“好きでやってた”華蓮ちゃん、私は見てたよ?」
電話の向こうで、気配がわずかに変わる。
華蓮が言葉を詰まらせる。
莉子は小さく息をのみ、思い切って次を提案する。
「あの……せっかくだし、水着買いに行こうよ」
その言葉のあと、返事までの時間が呼吸ひとつ分だけ伸びる。
『……水着?』
「うん。海辺だし、可愛いの着たら楽しいよ」
華蓮の声がくぐもる。
『別に、可愛くなくてもいいし』
莉子はゆっくり否定した。
「嘘……だよね?」
華蓮が小さく息を吐く。
その呼吸には、強がりをほどくような熱がまじっていた。
『なんでそう思うんだよ』
「だって……華蓮ちゃん、前は楽しそうだったもん」
また言葉が切れる。
さっきより深く、胸の奥を揺らす静けさ。
莉子はそっと付け足した。
「御珠ちゃんも喜ぶよ?」
その瞬間、華蓮の胸には鮮やかな声が蘇る。
《よい。非常によいぞ》
《そなたは、元より美しかった》
《いま鏡に映るそなたを、“不細工”と呼ぶ者はおらぬ》
御珠に肯定され続けた、あのまっすぐな言葉たち。
それは華蓮の心に沁みつくほど残っている。
華蓮の声が高く揺れた。
『……お前、ずるいぞ』
莉子は小さく、安堵の笑い声を漏らす。
「一緒に選ぼ?」
静かな呼吸が続く。
その向こうで、華蓮が気持ちを決める音がした。
『わかったよ』
「ほんと!?」
『まぁ、せっかくだし』
「ありがとう、華蓮ちゃん!」
電話越しに、華蓮が小さく息を笑い混じりに吐く。
(……まぁ、悪くないかもな)
―――
ショッピングモールの美容院。
白い照明が落ち着きをつくり、鏡に並ぶ客たちの動きが静かに反射している。
華蓮はやや緊張した様子で椅子に座り、ケープをかけられる。
近くでは莉子が落ち着かない手つきでバッグを抱えていた。
美容師が柔らかい声で問いかける。
「どうされますか?」
華蓮は曖昧に鏡へ目を向け、肩をすくめる。
「……えっと」
その迷いを覆うように、莉子が勢いよく口を挟む。
「華蓮ちゃん、肩くらいまで切ったら可愛いと思う!」
華蓮は思わず目を丸くする。
「……そんなに切るの?」
「うん!絶対似合うよ!」
莉子の熱量に押され、華蓮は再び鏡に視線を戻した。
そこに映る自分は、いつもの乱れた髪のまま。
考えた末、小さく息を吐いた。
「……まぁ、任せる」
美容師が微笑みながら頷く。
「わかりました」
―――
カットが終わると、莉子の目がぱっと輝いた。
「すご!やっぱ華蓮ちゃんかわいい!」
突然の賞賛に、華蓮はそっぽを向いて口を尖らせる。
「……褒めたって何もでねーぞ」
鏡の中には、肩にふわりと沿う軽い髪。
予想よりずっと似合っていて、本人もその事実を認めざるを得ない。
「……やっぱプロはちげーな」
指先で軽く毛先を触れながら、胸の奥で小さな決意が芽生える。
(自分でも出来るようにならなくちゃ)
莉子は勢いを戻して笑う。
「次、水着見に行こ!」
「……ああ」
―――
二人でモール内を歩き出す。
切りたての髪が揺れるたび、華蓮は周囲の視線に背中がむずがゆくなる。
(……くそ、髪切った途端にこれか)
軽く睨むように辺りを見ると、案の定、一人の男性が距離を詰めてくる。
「あの……」
声をかけられる寸前、華蓮は反射的に莉子の手を掴んだ。
「莉子、走るぞ」
「え?ちょっ、ちょっと!」
問答無用で走り出す華蓮。
莉子は引っ張られるまま、慌てて歩幅を合わせた。
―――
女子トイレに駆け込むと、華蓮は壁にもたれ、荒い息を整えた。
「はぁ……はぁ……」
莉子は心配そうに彼女を見つめる。
「華蓮ちゃん……やっぱ切らない方がよかった?ごめんね……」
華蓮はゆっくり首を振る。
「……いいんだ。莉子のせいじゃないし」
息が落ち着くにつれ、さっきの恐怖が胸の奥へ沈んでいく。
莉子は何か思いついたように目を上げた。
「ね。いい方法あるんだけど」
華蓮は眉をひそめる。
「……いい方法?」
―――
モール内のドラッグストア。
棚に並ぶ雑貨の前で、莉子はマスクや伊達メガネを手に取っては比べている。
「これとか……どう?」
渡されたものを華蓮は受け取り、試しに顔へつけてみた。
鏡に映る自分は、さっきより安心した表情だった。
「……マスクが暑いけど、悪くねぇかも」
莉子が満足そうに頷く。
「可愛くなりたい時に、さっと外せば美人さんだよ」
華蓮はその言葉に思わず莉子を見る。
真正面から向けられる“肯定”は、どうしてこんなに照れくさいのだろう。
「……ありがとう、莉子」
莉子は柔らかく笑った。
「ううん!一緒に頑張ろ!」
華蓮の胸の奥に、小さな灯がともる。
(……莉子、優しいな)
―――
マスクと伊達メガネをつけたまま、二人はショッピングモールの水着売り場へ足を踏み入れた。
明るいライトに照らされた棚には、色とりどりの水着が並んでいる。
莉子がワンピースタイプの水着を一つ手に取り、華蓮の前へと差し出した。
「これとか……可愛いよ?」
華蓮は受け取り、布地の質感をそっと指で確かめる。
「……悪くないかも」
だが、下げ札を見た瞬間、表情が固まった。
「……1万2千円!?」
莉子が「あ……」と小さく声を漏らす。
華蓮は水着を元の場所にすっと戻した。
「絶対無理」
その言い方には迷いがなく、“諦めに慣れた人間の速さ”があった。
莉子は胸が痛んだように、視線を落とす。
「華蓮ちゃん……」
華蓮は気まずそうに肩をすくめた。
「いや、一回しか着ないのに1万2千とか、ありえねーし」
莉子は静かに頷き、受け止めるように声を落とした。
「……うん。ごめんね、無理言って」
「……別に」
そっけなく返したものの、華蓮の声には刺々しさはなかった。
ただ“現実”を言っただけだ。
だが次の瞬間、莉子はぱっと顔を上げ、明るい声を弾ませた。
「じゃあ!水着着なくていいから、せめて可愛い格好していこうよ!」
華蓮は目をぱちりと瞬く。
「……え?」
「中古服屋、行こ!可愛い夏服、探そ!」
莉子の声が、落ちた空気を軽やかに持ち上げた。
押しつけじゃなく、寄り添う明るさだった。
華蓮は口元をわずかにゆるめる。
「……それなら」
莉子は嬉しさを隠さず頷いた。
「うん!絶対可愛いの見つける!」
その勢いに、華蓮の胸の奥があたたかく揺れた。
(……なんだよ。悪くねぇじゃん、こういうの)
―――
中古服屋の店内には、宝探しのようなわくわくが漂っていた。
ラックには色とりどりの夏服が並び、値札の揺れる音がかすかに耳をくすぐる。
莉子はすでに夢中で服を漁っていた。
その指先がふと止まり、勢いよく一枚を引き抜く。
「あ、これ!」
手にしていたのは、朱色寄りの赤い夏ワンピース。
夏の光に映えそうな色で、装飾は少ないのに目が吸い寄せられる。
莉子は華蓮の前にそっと差し出す。
「華蓮ちゃん、これ似合いそう!」
華蓮は目を細め、半歩ぶん体を引く。
「……ちょっと派手じゃね?」
莉子は首を振り、にこっと笑う。
「華蓮ちゃんにピッタリだよ!試着してみよ!」
促され、華蓮はしぶしぶ試着室へ入る。
カーテンが揺れて、外の気配が遠のいた。
やがて、恐る恐るカーテンが開いた。
照明は同じはずなのに、視線がそこへ集まった。
赤が華蓮の肌を明るく見せ、肩から裾にかけての線がきれいに落ちている。
いつもの乱れた髪と無造作な服の印象が、すっと引っ込んだ。
莉子の目が一瞬で輝いた。
「華蓮ちゃん……!モデルさんみたい!すごく似合ってる!」
その言葉に嘘はひとかけらもなかった。
華蓮は鏡の前に立ち、思わず息をのむ。
見慣れない“綺麗な自分”が、そこにいた。
「……まぁ、悪くないかも」
その小さな声は、驚きと照れが混ざっていた。
莉子は勢いよく頷く。
「悪くないどころじゃないよ!絶対これにしよ!」
華蓮は値札に目を移す。
「……三千円か」
「安い!」
莉子の即答に、華蓮の頬がほんのり赤くなる。
「……お前が言うなら」
その言葉には、“自分では信じられないけど、莉子なら信じてもいい”
そんな微かな想いが滲んでいた。
―――
中古服屋を出ると、夕方の風がひんやりと頬を撫でた。
紙袋を持つ華蓮の手には、ほんのわずかに力がこもっている。
自分で選んだ――いや、“選んでもらった”夏服が袋の中で揺れた。
隣を歩く莉子が、弾む声で言う。
「楽しみだね、BBQ」
華蓮は前を向いたまま、そっけなく返す。
「……まぁ、せっかくだしな」
それでも声の端に、さっきより柔らかい色が混じっていた。
莉子はその変化を逃さず、微笑む。
「華蓮ちゃん、笑ってるよ」
顔を向けられた華蓮は、慌てて眉をひそめる。
「笑ってねーし!」
即答したのに、否定の勢いは弱く、どこか照れがにじんでいた。
莉子は軽く肩を揺らして笑う。
「ふふ」
華蓮は視線を落とし、紙袋をそっと握り直す。
(……楽しみ、かも)
その心の声に、華蓮自身がいちばん驚いていた。




