第26話 二度目の夏、揺れる未来6
体育館のざわめきが天井付近を漂い、五人と朝霧は円卓で肩を寄せ合うように待っていた。
「ドキドキする……」
咲良が自分の手を握りしめる。
雪杜は静かに横顔を見る。
「大丈夫。いい発表だったよ」
駆は背もたれに軽く身体を預けながら、天井を見上げた。
「……まぁ、やれることはやった」
史はそれを柔らかい目で見守る。
「はい」
御珠は小さく胸を張って言った。
「妾も頑張ったのじゃ」
咲良が御珠の袖をつまんで笑う。
「御珠ちゃんのさーや様、最高だったよ!」
「照れるのじゃ……」
御珠が視線をそらした瞬間、張っていた肩が少し落ちる。
朝霧が腕を組み、落ち着いた声で言う。
「お前ら、リラックスしろ。どんな結果でも、お前らは頑張った」
駆のまぶたがわずかに震える。
(……去年は、全力だった)
(……でも、今年は……)
その内省を遮るように、司会者が壇上へ上がった。
「お待たせしました。審査結果を発表します」
会場が一気に静まる。
咲良が息を呑む。
「まず優秀賞から……○○中学校!」
拍手が響く。
咲良が小声でぼそりと言った。
「優秀賞じゃなかった……」
「もう一つ優秀賞……△△中学校!」
再び拍手。
「まだ出ない……」
「ってことは……!」
そして。
「そして、栄えある最優秀賞は……」
体育館全体が息を止めた。
「――篠見中学校Cチーム!!」
大きな拍手とどよめきが広がる。
「やったー!!」
咲良が勢いよく立ち上がる。
「優勝だ……!」
雪杜の声は震えていた。
「よかった……」
史は胸に手を当てて安堵する。
「やったのじゃ!」
御珠がぱぁっと表情を輝かせる。
駆は少し遅れて、小さく。
「……ああ」
朝霧が目を細め、誇らしげに頷いた。
「よくやった、お前ら!」
――壇上へ。
五人は賞状を受け取り、照明の中で掲げる。
審査員が言葉を贈る。
「リアルタイムデモが素晴らしかった。発想力、実装力、プレゼン力、すべて高評価です」
「課題を正直に示したのも好印象でした。おめでとう」
「ありがとうございます!」
雪杜の声に、達成の熱が宿っていた。
司会者が閉会を告げる。
「以上を以て今年のハッカソンを終了します!
皆さん大変お疲れ様でした!」
拍手がひときわ大きく響きわたる――。
――円卓へ戻る五人。
「優勝だよ、優勝!」
咲良がまだ興奮のまま言う。
「うん……やったね」
雪杜も笑うが、どこかまだ夢の中のようだ。
史がそっと駆に向き直る。
「駆くん、おめでとう」
「……ああ。ありがとう」
駆は笑うが、胸の奥にぽっかりとした穴を抱えていた。
(……優勝した)
(……でも、去年ほどの高揚感がない)
(……なんでだろう)
――そこへ後輩たちが駆け寄ってくる。
「先輩! おめでとうございます!」
「リアルタイムデモ、めっちゃかっこよかったです!」
「俺たち、入賞できなかったです……」
駆は励ますように目線を合わせる。
「……お疲れ」
雪杜が間に入って声を添えた。
「最後まで頑張ったんでしょ?それでいいんだよ」
「はい!」
後輩たちが顔を上げる。
――朝霧が近づく。
「お前ら、これから青森帰るんだよな」
「はい。電車とバスで」
雪杜が答える。
「そっか。じゃあ、ここでお別れだな」
咲良が深くお辞儀する。
「朝霧さん、ありがとうございました!」
「いやいや、お前らが頑張ったからだ。来年も……」
と言いかけて、言葉を引っ込めた。
「俺、卒業だったわ」
「あ……そうですね……」
雪杜の声が少し寂しげに揺れる。
史が穏やかに微笑む。
「結婚されるんですよね。お幸せに」
「おう。ありがとな!
また、どこかで会えるといいな!」
駆が真っすぐ朝霧を見つめる。
「本当にお世話になりました。あなたに出会えたことで、俺の人生が大きく変わった気がします」
朝霧はわずかに目を潤ませた。
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか。
お前も頑張れよ」
「はい」
駆が深く頭を下げる。
「またねー!」
咲良が手を振り、
「さらばなのじゃ」
御珠も誇らしげに別れを告げた。
朝霧が会場の外へ歩み去る背中は、もう“学生”ではなかった。
――そこへ吉川先生が現れる。
「おい!お前ら、今年もやってくれたな!」
「吉川先生!」
雪杜が顔を上げる。
「いやー、リアルタイムデモ、すごかったぞ!俺も見てて興奮した!」
「えへへ、ありがとうございます!」
咲良が頬をかく。
「佐藤、お前が外走ったときは笑ったけどな」
「……まぁ、そういう演出ですので」
駆が苦笑する。
「春原と天野の寸劇も面白かった。『さーや様』今年も出てきたな」
吉川が笑う。
「ありがとうございます……」
御珠が少し照れる。
「天野、お前もプレゼン上手かったぞ。去年より堂々としてた」
「ありがとうございます」
雪杜の声は素直だった。
「宮下も、まとめ方が良かった。さすが3年生だな」
「ありがとうございます」
史が控えめに頭を下げる。
「お前ら、本当によく頑張った。学校の誇りだ」
「先生……!」
咲良の目がうるむ。
「さ、片付けたら帰るぞ。電車の時間あるからな」
「はい!」
五人の声が揃う。
――別れの挨拶に来た他校女子たち。
「今年も優勝とはね」
「えへへーすごいでしょ」
咲良が胸を張る。
「優勝おめでとう!」
「ありがとう」
「マジキューピット」
「それやめて!」
女子たちが笑う。
「また来年も会えるといいね!」
咲良は一度目を伏せて、すぐに明るく笑った。
「……うん!また来年!」
「またの」
御珠が手を振る。
「じゃねー!」
他校生たちが去っていく。
咲良が大きく手を振り返す。
「ばいばーい」
―――
駅を出た瞬間、一日の熱がまだ地面に残っていて、むっとした匂いが肌にまとわりついた。
それでも、沈みかけた夕日の風に涼しさが混じり、五人の疲れた身体をそっと撫でていく。
「ふー、疲れた……」
咲良が両腕を伸ばしながら、大きく背伸びする。
「うん……長い一日だったね」
雪杜はリュックを背負い直しながら、静かに頷いた。
御珠は雪杜の腕に半分寄りかかり、目をとろんとさせる。
「妾、眠いのじゃ……」
「……俺も疲れた」
駆は声を低く落とし、どこか遠い表情で駅前の灯りを眺めていた。
史がそんな彼を労うように微笑む。
「お疲れ様でした」
咲良が手をひらひらさせる。
「ねぇ、打ち上げどうする?」
雪杜は空を見上げ、少しだけ笑った。
「また海でBBQしながらでいいんじゃないかな」
「だよね!」
咲良がぱっと明るくなる。
「……まぁ、いいんじゃないか」
駆は疲れていながらも、否定はしない。
「賛成です」
史も穏やかに頷いた。
「BBQ!楽しみなのじゃ!」
御珠は一気に目が覚めたように手を上げる。
「じゃあ、後で日程調整しよ!」
咲良がスマホを取り出して、カレンダーを開き始める。
「うん。じゃあ、今日はここで解散で」
雪杜がやわらかくまとめに入る。
「お疲れ様ー!」
咲良は駅前で大きく手を振った。
「……お疲れ」
駆も短く返す。
「お疲れ様でした」
史が一礼。
「お疲れなのじゃ」
御珠が眠そうに言いながらも、どこか嬉しそうだ。
そうして五人は、駅前の交差点を中心にそれぞれの方向へゆっくり歩き出す。
暗くなり始めた街に、今日の喧騒と達成の熱が静かに残っていった。
―――
夕暮れに染まった駅前を抜けて、三人は並んで歩き出した。
真夏の熱気はまだ残っているのに、ハッカソンを終えたあとの流れはどこか軽い。
「いやー……ほんと疲れた。でも楽しかったね!」
咲良が腕を伸ばして息を吐くと、横で御珠が小さく頷いた。
髪先が夕風に揺れ、その表情はどこか誇らしげだ。
「うむ。妾も、今年は少しは役に立てたようで嬉しいのじゃ」
雪杜はその横顔を見ながら、落ち着いた声で返す。
「御珠、すごかったよ。咲良も寸劇、完璧だったね」
「えへへ……ありがと。皆で優勝できたって感じだよね」
三人の歩幅は自然に揃い、会話の熱も同じリズムで進んでいく。
けれど、その和やかさの奥で、咲良の胸には小さな波がひとつ揺れた。
(……三人で歩けるの、来年も続くよね?)
口にすれば崩れてしまいそうで、そっと飲み込む。
夏の坂道に、春原神社の赤い鳥居が浮かび上がってきた。
そこが、三人の帰路が分かれる場所だった。
「じゃあ……ここで解散、かな」
咲良が立ち止まって振り返る。
鳥居越しに漏れる灯りが、彼女の頬をやわらかく染める。
「うむ。今度は家に遊びに来るのじゃ」
御珠が少し身を乗り出し、咲良の袖を指先でつまむ。
親しさと名残惜しさが、その仕草に滲んでいた。
雪杜は微笑みながら言葉を添える。
「帰ったらゆっくり休んでね、咲良」
「……うん。二人もね」
遠くの風鈴が、ちりんと涼しく鳴った。
その音に、咲良の胸の内がほどける。
(優勝できた。すごく嬉しい……
でも、気づけば来年のこと考えてる……私、欲張りだなぁ)
咲良は明るい表情をつくり、手を大きく振った。
「おやすみ!またね!」
「おやすみなのじゃ」
「おやすみ」
咲良の姿が鳥居の向こうへ消えていくまで、雪杜と御珠は立ち止まって見送っていた。
やがて視線を戻し、再び歩き出す。
そこからは、二人だけの歩幅になった。
先ほどまでの熱は少しずつ薄れ、夜の静けさが足元に落ちていく。
「……来年、史先輩卒業だね。どうなるんだろう」
雪杜の呟きに、御珠は前を向いたまま穏やかに答える。
「ふむ。分からぬゆえ、楽しみでもあるのじゃ」
「……そうだね」
二人の影が寄り添いながら揺れ、夏の夜道に伸びていった。
―――
駅前のロータリーから道を抜け、駆と史は並んで歩いていた。
街灯が二人の影を長く落とす。
「駆くん、お疲れ様」
「……ああ。史もお疲れ」
史は駆の横顔をそっと覗く。
「優勝、嬉しいですね」
「……まぁ、な」
その曖昧な返しに、史はわずかに首をかしげた。
「……駆くん?」
「いや、なんでもない」
駆の声は低いが、隠しきれない迷いが滲む。
(優勝はできた)
(でも……全力じゃなかった……)
二人のあいだに、ぽつりと黙りが落ちる。
史がそれをやさしく拾った。
「あまり嬉しそうじゃないですね……」
「……やっぱ分かるか」
「一年以上一緒にいますから」
駆はわずかに苦笑し、そして正直に言葉をこぼす。
「去年ほどの高揚感がないんだ」
「そうですね。私もです。優勝は嬉しいんですが、去年ほどのやり遂げた感はありませんでした」
史は前を見据えたまま、静かに言葉を紡ぐ。
「……すでに知ってしまっているから、じゃないでしょうか」
駆は足を止めそうになる。
史は続けた。
「優勝した時の高揚感も、全力で取り組んで完成した達成感も、既知のものになってしまいました。
今年は経験がある分、どこまでやれば優勝できるか分かった上で、セーブしてしまいました。
だから達成感がない」
駆はうつむき、小さく息を吐く。
「……なるほどな。
もう得るものは無いのかもしれないな」
史は横から駆を見上げる。
「駆くん、朝霧さんは来年はいませんね」
「……ああ」
「私も来年は卒業しています」
「……そうだな」
史の声はやわらかいが、その事実は駆の胸に重く沈む。
「駆くんたちは、来年も参加しますか?」
「……分からない」
胸の奥の迷いは、揺れたまま形にならない。
(……史さんがいなくて、得るものもなくなってきて)
(……それでも、やる意味はあるのか?)
史は立ち止まり、小さく微笑む。
「……まぁ、今はゆっくり休みましょう」
「……そうだな」
史がそっと目を閉じる。
駆はその意味を理解し、軽く息を整えた。
二人は静かに口づけを交わした。
夏の夜の流れが、その一瞬をそっと包む。
やがて別れ道に差し掛かり、史は手を振って歩き去る。
駆は一人になり、ゆっくりと前へ進み始めた。
(朝霧さんは、就職が決まって、結婚も決まって、やりたいことが明確だった)
(俺は?)
(商業高校に行くって決めた)
(情報系の大学、と思ったけどそこに史さんはいない)
(プログラマーになりたい気持ちはある)
(でも、それで史さんと同じ道を歩めるのか?)
立ち止まり、駆は夜空を見上げた。
街灯に照らされない星が、淡く瞬いている。
(やりたいこと……か)
(……まだ、答えは出ない)
その小さな呟きは夏の夜に吸い込まれ、行き先のないまま、胸の奥で静かに揺れていた。




