第19話 勝てない理由
放課後の廊下は、夕日が差し込んで長い影を落としていた。
俺は今の彼女と並んで歩いている。
うん、まあ……かわいい。
御珠ほどじゃないけど、十分かわいい。
その時、前から見覚えのない可愛い女子が歩いてきた。
「……あんな子いたっけ?」
俺がつぶやくと、隣の彼女が言う。
「2組の坂本さんでしょ?
なんか急に“女の子デビューした”っていう話だよ」
「2組?坂本……」
(前にそんな名前のヤツに告白されたような……)
(……って、あいつか!!)
頭の中でパチンと火花が散った。
(いやいやいや、待て待て待て……)
(別人じゃねーか……!)
髪型も、身なりも、歩き方まで違う。
前に告白してきた、地味でもっさりした女子とは、同じ人に見えなかった。
(ふ、振らなきゃよかった……)
「ねえ、何その顔?」
「い、いや!なんでもない!!」
声が情けなく裏返った。
(くそ……あんなに可愛くなるなら……)
(でも今さら……どうにもなんねぇ……)
昇降口へ向かって歩く坂本の髪が揺れて、夕日に光った。
それがやけに眩しく見えた。
―――
結局彼女とは別れた。
短い付き合いだった。
まぁどうせまたすぐ出来るだろ。
球技大会。
体育館でバスケ。
床のワックスが照明を反射して、白いラインがやけに眩しい。
体育館特有の汗とゴムの匂いが混ざる中、俺はクラスメイトの歓声を聞きながら立っていた。
御珠がコートに立つ。
その姿が見えた瞬間、周りの目がそっちに寄る。
静かなのに、妙に目を引くんだよな……。
御珠にボールが回ってくる。
御珠がセンターライン付近から、片手で軽く投げた。
ボールが一直線にゴールへ吸い込まれる。
ガーン……!
ゴールの音とは思えない重低音に、体育館全体が固まった。
「……は?」
審判が戸惑いながら手を上げる。
「……えっと……スリーポイント……?」
その緊張をぶち壊すように、コート上から妙な声が響く。
「ぐっ……偶然だよ〜〜
たまたま入っちゃっただけだよ〜〜」
男子から総ツッコミが降ってきた。
「いやいやいやいやいや!!」
「片手でセンターから入るわけないだろ!!」
「……」
体育館が固まったまま、俺は自分の鼓動を聞いていた。
(ちょっと人間離れしてね?)
(でもかわいい)
その二つが胸の中でぶつかり合う。
怖さと、惚れ直す気持ち、どっちが勝ってるのか自分でもよく分からなかった。
ただひとつ分かってるのは――
俺は、この瞬間でもまだ、御珠に心臓を掴まれたままだってことだ。
―――
1月。始業式の翌日。
冬の冷たさで、教室の窓がうっすら曇る。
俺はいつものように席へ座り、朝のHRをぼんやり聞き流していた。
その時、隣のクラス――2組から、突然爆発みたいな歓声が湧いた。
『うおーーー!!』
『なんだよこれーーー!!』
『こんなの映画化決定じゃん!!』
教室中がざわつく。
「また2組か?今度は何だ?」
「過去一でかい声だな」
「気になる」
誰も何が起きたか分からない。
ただ、異常な熱量が壁越しに伝わってきた。
――放課後。
サッカー部の仲間とパンをかじりながら話す。
「なぁ、今朝2組で何があったの?」
「御珠が孤児だって暴露した」
「は?」と声が漏れた。
頭の中が一瞬止まる。
「しかも子供ができない身体だって」
「過去に酷い目に遭ったらしい」
「春原と抱き合って、教室が大騒ぎ」
御珠の名前が出るたび、胸の奥がざらついた。
「……」
(御珠……そんな過去が……)
(だから天野と別れたのか……?)
(てか春原と抱き合ってって何?)
「さらに祖父が死んで、天野と二人だけで暮らしてるらしいぞ」
まだ情報が投げ込まれる。
俺はパンを持った手を止めたまま固まった。
「……」
(もう情報多すぎて訳わかんねーよ)
冬の日差しが窓から差し込んでるのに、胸の奥は落ち着かないまま、ざわついていた。
―――
2年生になった。
昇降口に貼り出されたクラス名簿の前は、人だかりでごった返していた。
新年度の始まりで、昇降口前は落ち着かない。
(クラス替えか)
名簿を指でたどりながら、自分の名前を見つける。
(今年も1組だな……)
安心したような、つまらないような……そんな気分で指を下ろした、その瞬間。
視界の端に、見慣れた名前が飛び込んできた。
(む!天野!あいつと一緒のクラスか!)
胸の奥が反射的にざらりと動く。
常に御珠とセットで語られるあいつと同じ空間で一年を過ごす――その事実が、妙な緊張を走らせた。
周りのざわめきが、いつもより騒がしく聞こえた。
―――
始業式が終わると、自己紹介の時間になった。
「じゃあ初めて会うやつもいるだろう。
改めて一人ずつ自己紹介してもらっていいか。じゃあ名簿順に……」
知った顔がちらほらいるが、どうやら形式的にもう一度やるらしい。
教室の中も落ち着いていて、このまま淡々と進むと思っていた。
その時――
『『ええーーー!!』』
隣の教室から叫び声が響いた。
壁越しなのに、はっきり驚きが伝わってくる。
「なんだ。隣は、えらい盛り上がってるな」
「またか」
「2組は学期初めに叫ぶ規則でもあるのか?」
そんな冗談が漏れるが、1組は何事もなかったかのように自己紹介を続け、静かに終わらせた。
――放課後。
サッカー部の連中から情報を集める。
「2組は叫ばないと死ぬ病気にでもかかってるのか?」
「いや、あれな。御珠が天野の妹になったって」
「は?妹?あいつの家どうなってんだよ」
断片的な噂が混ざり合い、やがてひとつの事実に変わっていく。
この日、御珠が天野の妹になり、本物の家族になったことを知った。
胸の奥がざらついて、指先が落ち着かなかった。
―――
HRの始まりを告げるチャイムの直後、吉川先生が教卓を軽く叩いた。
教室のざわつきが、いったん収まる。
「来週の遠足の班を決めるぞ。
6〜7人で適当に組め」
その言葉と同時に、教室が一気に動き出した。
椅子が引かれる音、机がずれる音、声が重なるざわめき――
班決め特有の騒がしさが広がる。
(天野の周り、次々人が集まるな)
ちらりと視線を向ければ、天野の席の周りには自然と人が吸い寄せられていくようだった。
本人は特に何もしていない。ただ座っているだけなのに。
(この一ヶ月見てて分かった)
(あいつ、ほとんど何もしてねぇのに勝手に人が集まって来る)
(何なんだあいつ?)
理解不能というより、納得できないってほうが強い。
その時、横から控えめな声がした。
「佐々木くん……一緒の班に……」
「いいぞ」
女子の表情がぱっと明るくなる。
続けて、別の女子が声をかけてくる。
「あの……私も……」
「いいぞ」
そいつも頬を染めて、嬉しそうに頷いた。
(ふふ。俺の周りもいっぱい集まるんだぜ)
内心でそう勝ち誇った瞬間、ふと天野と目が合った。
(あ。あいつ、いまこっち見てた)
(俺のほうがモテるからな)
視線が交わったのは一瞬。
なのに、胸の奥がむず痒いような、嫌な手触りが残った。
(なんか余裕そうだな)
(なんなら憐れんでねーか?)
天野は何も表情に出していない。
それが逆に苛立ちを呼んだ。
周りのざわめきはどんどん大きくなり、班が固まり始めていった。
―――
遠足の日。
山の中を使ったオリエンテーリングで、俺たちの班は地図を片手に歩き回っていた。
足元の土は若干湿っていて、枝を踏むたびにぱきぱき音がする。
山道はどれも似たような景色で、集中していても迷いそうになる。
「……あれ、ここさっき通ったよな?」
俺が言うと、同じ班のヤツが首をかしげる。
「迷ったか?」
焦りが胸ににじみ始めた時、前方の茂みが揺れて、別の班が姿を見せた。
先頭に立っていたのは天野だった。
天野は黙ったまま、こっちを見る。
(天野……)
胸の奥が、理由の分からないざらつきを起こす。
お互いに声をかけるでもなく、目だけがぶつかった。
そこへ、もう一つの班が山道の奥から現れる。
その中心に立っていたのは御珠だった。
「……」
「……」
言葉が出ないまま、足が止まる。
(天野と御珠、やっぱりまだ……)
どういう関係で、どんな間合いなのか。
近いようで遠い、遠いようで近い――そんなややこしさが二人の間に張りついて見えた。
春原の姿も見える。
(春原もいるし……よくわかんねー関係だな)
三人が同じ場所に立ってるだけで、出来上がった輪がある。
俺には縁もゆかりもない世界――そんな印象だった。
ちょうどその時、天野が軽く会釈しながら声を出した。
「じゃあ、僕たち先行くから」
「あ……ああ」
返事をした自分の声が、やけに軽く聞こえた。
三人が歩き出す。
去っていく背中の中に、御珠の横顔がちらりと見えた。
俺も視線を向けてしまう。
御珠は――まったく俺のことを見ていなかった。
春の風は暖かいのに、胸の奥が冷えた。
―――
オリエンテーリングの後、各班が広場に集まり、BBQの準備が始まっていた。
炭の匂いが風に乗って流れ、あちこちで網の上の肉がじゅうっと音を立てている。
そんな中で、突然、強い声が響いた。
「自分の未来を自分から潰すつもり?そんなの見過ごせるわけないじゃない!」
澄んだ声なのに、場を叩き割るような鋭さ。
委員長が、天野に向かってまっすぐ言っていた。
周りがざわざわし始める。
「なにー?喧嘩?」
「さぁ?」
とりあえず返事はしたが、俺の視線は自然と二人の方へ吸い寄せられていた。
(また天野の所か。なんなんだあいつ)
何もしなくても騒ぎの中心にいる。
本人のせいじゃないのは分かっていても、理屈じゃ納得できなかった。
その時、近くの女子がぽつりとつぶやいた。
「あれ。御珠ちゃんとどっかいっちゃった」
言われて視線を向けると、天野と並んで木陰へ歩いていく後ろ姿が見える。
(くそ。羨ましい)
誰も追いつけない間合い。
胸の奥のどこかがひりついた。
焼ける肉の匂いが立ち込める中で、胸の奥だけが妙に冷たかった。
―――
中間テストが終わって数日後。
廊下に順位表が貼り出され、生徒たちが群がっていた。
番号を指でたどりながら、自分の位置を探す。
「15位か。まあまあだな」
(天野は……8位?)
視線がそこで止まる。
(あいつ、頭もいいのかよ……)
それから一ヶ月があっという間に過ぎた。
期末テスト。
同じ廊下に、また順位表が貼られる。
「12位か。ちょっと上がった」
誇らしさが胸に上がった瞬間、また視線が“そこ”で止まった。
(天野は……1位!?)
後ろから刺すような声が響いた。
「ちょっとなんなのよあいつ!!
いきなり1位って頭おかしいでしょ!」
委員長の声だった。
その苛立ちに、俺は心の中で頷いた。
(頭おかしいのに1位……確かに頭おかしいな)
昼休み、サッカー部の仲間と集まった時も、当然その話題になる。
「天野、1位取ったらしいぞ」
「それな」
「成績操作してたのやめたらしい」
「成績操作?」
「わざと低い点取ってたんだって」
「は?なんで?」
「御珠と同じ高校行きたくて合わせてたらしい。
んで委員長に看破されて、御珠ちゃんに叱られたんだと」
俺は言葉を失った。
「……」
(天野……そこまでして御珠に……)
歩いても座っても、どんな場面でも中心にいるのはあいつだ。
(顔良い、性格良い、頭良い、モテる)
(御珠と春原の両方に愛されてる)
そして俺は――。
(……俺とは何が違うんだよ)
廊下のざわめきの中で、その答えだけがどこにも見つからなかった。
―――
胸の奥に、ゆっくりと言葉にならない“違い”が広がっていく。
――勝てない。
その単語を、人生で初めて真正面から突きつけられたと思った。
努力すれば報われると信じてた世界が、崩れ落ちる瞬間だった。
俺がどれだけ背伸びしても。
どれだけ磨いても。
どれだけ努力しても。
御珠は、きっと天野の隣を見る。
それが事実じゃなくても。
嘘でも。
ただの錯覚でも。
“そういう世界のルール”が、最初から出来上がってるようだった。
佐々木 航希。
サッカー部のエース。
女子にモテる。
でも――
俺が好きになった女は、俺を選ばない。
そして選ばれた男は――
天野 雪杜。
なんなんだよ……あいつは。
その問いだけが、胸の奥でずっと燻り続けた。




