第18話 届かない理由
俺は佐々木 航希。
中学二年。サッカー部のエースで、まあ自分で言うのもなんだけど、女にモテる方だと思う。
廊下で視線を向けられるのなんて、いつものことだ。告白だって何度も受けてきた。
返事をする時は、それなりに言葉を選ぶけど……まあ仕方ねぇよな。
俺だって選ぶ権利ってもんがある。
けど――。
(……いるんだよ。忘れられねぇ女が)
そんなこと、誰にも言えない。
自分でも笑えるくらい、ずっと胸の奥に残ってるんだ。
―――
入学式の体育館は、なんかもう重苦しくて眠くなる場所だった。
校長の話なんて、聞いてるふりするだけで精一杯。
だって、長ぇんだよあれ。
暇すぎて、つい隣のクラスの女子の方をチラチラ見てた。
そしたら――見つけた。
(……なんだ、あの子)
2組の女子の列に、藍色の濃い髪がまっすぐ伸びてる子がいた。
肌は白いし、顔が……整いすぎてた。
(アイドル?モデル?いや、こんな子、現実にいるか?)
喉が鳴るって、初めて知った。
俺は一瞬で心臓を持っていかれた。
式が終わって教室に戻っても、頭から離れない。
1組の教室に戻ると、先生の自己紹介だの、新クラスの自己紹介だのが続いた。
女子がなんかやたら見てくるけど、それどころじゃなかった。
(……2組の、あの子)
自分の自己紹介もそつなくこなして、あとは帰り支度を待つだけ――そんな時。
いきなり隣のクラスから、爆発したような歓声が上がった。
『キャー!!』
『おめでとう!!』
「……は?何だ?」
教室中の視線が、一瞬でそっちに向く。
「隣のクラス、うるせーな」
「何かあったのか?」
ざわつく男子たちの声。
俺も適当に返した。
「知らねーけど」
でも心の中じゃ違った。
(2組……なんだよ、気になるだろ……)
翌々日もだった。
『うおー!!』
『どうなってんだよ!!』
「また2組かよ……」
さすがに男子連中も首を傾げる。
「なんか盛り上がってるな」
「騒ぎすぎだろ」
そんな声を聞きながら、俺は胸の奥がざわざわして仕方なかった。
(……あの可愛い子、2組だよな)
(……何が起きてんだよ。気になるに決まってんだろ)
―――
サッカー部の更衣室は、練習後の蒸し返すような熱気と、汗の匂いが入り混じっていた。
スパイクが床を鳴らす音、ロッカーの金属音、笑い声――全部が雑然としてるのに、どこか落ち着く。
だが今日は、胸の奥が妙にざわついた。
(……今なら聞ける)
南小出身の連中がまとまって話している。
俺はタオルで汗を拭きながら、その輪にさりげなく近づいた。
「なぁ、2組のさ……めっちゃかわいい子、知ってる?」
一瞬、周りが固まった。
次の瞬間、数人が同時に顔を上げ、苦笑とも呆れともつかない表情を見せる。
「……ああ、御珠のことか」
「名前覚えとけって。あいつは普通じゃねぇぞ」
「そう、御珠。かわいいだけで語れねぇタイプ」
声が重なって返ってくる。
「へぇ、御珠って言うんだ。かわいい名前だな」
「そう思うよな?でもな――マジでとんでもねぇぞ?」
「ほんとヤバイ」
口々に言われ、俺は眉をひそめる。
「ヤバイって何が?」
「まずさ、“巫女服”」
「……は?」
「小学校、ずっと巫女服で通ってた」
「止める大人いなかったの不思議だよな」
巫女服?
いや、待て。想像が追いつかねぇ。
「あと語尾。〜なのじゃってマジで言うからな」
「キャラ作ってるとかじゃねぇぞ。ガチ」
「ずっとそうだった」
「……マジかよ」
思わず言葉が漏れた。
(変わってる……いや、変わりすぎだろ……
でも……かわいいんだよなぁ……)
「でよ。転入してきた時にいきなり宣言したんだわ」
「“天野と一緒に住んでる”ってな」
「初日に皆の前で宣言してたよな?」
「俺、あれビビったわ」
「え!?誰だそいつ?」
「天野 雪杜。なんか……昔から関わってたらしいぞ」
(天野……何者だよ)
さらに声が重なる。
「で、小5の2学期に不登校になって、3学期に戻ってきたと思ったら……」
「“天野はわらわの伴侶じゃ”って言ってた」
「小5でだぞ?」
「はんりょ……?」
「まあ結婚相手みたいなもんだわ」
俺は一瞬、黙った。
そこへ別の声が重なる。
「しかもそのあとすぐ、春原と“家族宣言”な」
「春原?」
「そう。何故か入学初日に天野に公開告白してた」
「ちょっと待て。御珠の伴侶が天野で、春原は家族で……でも春原は天野に告白したのか?」
「そういうことだ」
「どういう関係だよ……」
「知らん。でもなんか流れでカップルになってた」
「で、伴侶の方は“別れた”って言ってた」
「理解不能だよな」
もう誰の声が誰だか分からない。
けど、その“ざわざわした記憶”の波に、俺は溺れかけていた。
「御珠伝説はまだあんぞ」
「勘弁してくれ……」
「春原を家族宣言した後、“天野ファミリー”とかいう謎グループ作ってた」
「天野を中心に、御珠が仕切ってたな」
「修学旅行でもヤバかったぞ。風呂の壁越しに天野と会話してた」
「……夫婦かよ」
「いや、当時の二人はほぼ夫婦だったろ」
「天野への好意ダダ漏れだったもんな」
「ベッタベタ」
みんなの口が止まった。
俺は更衣室を出て、夕方のグラウンドを眺めた。
オレンジの光の中でボールが軽く跳ねている。
(御珠……完全に天野のものだったんじゃねーか)
(でも……今は別れてる)
(ってことは――)
(チャンスあるってことだろ)
胸に熱が灯るのが分かった。
(よし)
(期末が終わったら告白しよう。夏休み前に……絶対彼女にする)
―――
期末テストが終わった。
夏休みまで、あと少し。
(よし……動くなら今しかねぇ)
俺は机に向かって、ぶっさい字でラブレターを書いた。
内容はシンプル。気持ちだけはちゃんと込めた。
そして作戦開始。
──1日目
朝、誰より早く学校へ行き、2組の靴箱へ手紙を入れた。
放課後、校舎裏で待つ。
(……おせーな)
夕日が長く伸びる頃になっても、誰も来ない。
結局その日は空振りだった。
──2日目
次の日も同じように早く来て、手紙を滑り込ませた。
今度は廊下の影から見張る。
御珠が靴箱を開ける。
白い指先から封筒が落ち――拾いもせず、そのまま、ひょいっと横のゴミ箱へ。
「……」
(読んでなかったのかよ!!)
俺の心まで捨てられた気がした。
──3日目
もう手紙は入れなかった。
(誰に聞いても連絡先知らねーし……直接だ。もうそれしかねぇ)
昼休み。
2組の前に立ち、廊下側の女子に声をかけた。
「なぁ、御珠さん呼んでもらえる?」
女子は一瞬だけ顔を赤らめて、慌てて振り返る。
「ちょっ……ちょっと待っててー」
教室の向こうで、女子が御珠に話しかける――が。
御珠は本を読んだまま、まったく動かない。
しばらくして戻ってきた女子が、困ったように肩をすくめた。
「なんか忙しいみたいね……」
「……」
(無視かよ……!)
胸の奥がかっと熱くなる。
気づいたら足が勝手に動いていた。
そのまま教室へ入る。
「無視とは酷いね」
周りの視線が一斉にこっちに集まった。
「おい。あれって」
「1組の佐々木じゃね?」
「サッカー部のホープだろ?」
そんな声がさざ波みたいに広がる。
ようやく、御珠が顔を上げた。
冷えた光を宿した瞳で、淡々と言う。
「何か用?」
「用があるから呼んだんだけど」
「そう。私はないわ」
(……つめてぇ)
「そもそも手紙も読まないとか失礼すぎない?」
「あー、あれ。あなただったの」
(は?なんだその反応)
教室全体が固まる。
「で。何か用?」
「ここだと何なので、あっちにいかない?」
「やだ」
即答だった。
「そこを何とか」
廊下側で小さな声が上がる。
「え。もしかして告白?」
「御珠ちゃんかわいいもんね」
ざわめきが広がる。
御珠は読んでいた本をパタンと閉じ、言った。
「そもそも手紙でこそこそ呼び出すとかやり方が姑息なのよ。
私、春原さんのような皆の前で正々堂々と言える人が好き」
(……春原?入学初日に公開告白したってやつか?)
(よし……そこまで言うなら)
「分かった。じゃあこの場で告白するよ」
俺は深呼吸し、はっきり言った。
「俺と付き合ってください」
「「「キャー!!!」」」
歓声が爆発する。
だが御珠の表情はまったく動かない。
「やだ。誰とも付き合う気はない」
一刀両断。
「酷くない!?天野とは別れてるよね!?」
「だとしてもあなたと付き合う理由にはならないわ。
雪杜は関係ない」
名前を出した瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
「お高く止まってるけど、結局天野にぞっこんじゃねーか!
別れたとか適当なこと言ってんじゃねーぞ!」
その瞬間、教室中の声が引いた。
御珠は瞳をほんの少し細めて言った。
「……そうやって、誰かの気持ちを決めつけて踏みにじる人は嫌い。
それが事実でも、嘘でも、どちらでも関係ない」
周りから声が漏れる。
「はい出た、天野の名前でマウント取るやつ」
「それ言ったら終わりって、分かんないの?」
「空気読めよ。今お前が一番ダサい」
静かで、なのに刺すような声だった。
「……もういい?私の昼休みを返して」
俺は何も言い返せず、背を向けて歩き出した。
教室のざわめきが戻り、どこかで息を吸う音がひゅっと聞こえた。
(……くそ……なんで……)
(俺が声をかけたんだぞ……)
(御珠……やっぱり天野のことが好きなのか……)
廊下の光がやけに滲んで見えた。
―――
夏休みが明けて数日。
あの公開処刑みたいな告白事件から、ようやく胸の痛みも薄れてきた頃だった。
放課後の校舎裏。
夕方の風が、汗の残る制服を少し冷やす。
そこに――見覚えのない女子が立っていた。
「……あたし、お前のことが好きだ」
「……は?」
開口一番それって、どういう状況だよ。
「聞こえなかったか?好きだっつってんだよ!」
「いや……聞こえたけど……」
(誰だこいつ……?)
まったく心当たりがない。
「……えっと、悪い。お前誰だっけ?」
その瞬間、女子の表情がほんの少し揺れた。
「……2組の坂本」
「……あー……ごめん、分かんねーわ」
俺がそう言うと、女子――坂本って子は、視線を落とす。
「……だろうな」
小さな声だった。
「……悪い。俺、お前のこと、そういう目で見たことない」
坂本は唇を噛んだように見えたが、何も言わなかった。
「つーか正直、今日初めて話したし」
「……だろうな」
「……ごめん」
「……そっか」
短いやり取り。
それで終わった。
坂本は引き下がり、俺は校舎裏を出た。
夕焼けの光が、地面をやけに長く染めている。
(ふー……やっぱ俺モテるじゃん)
(まぁ……坂本には悪いけど……)
(俺にはもっとかわいい子が相応しいよな)
そんなことを考えながら、昇降口へ向かった。
―――
文化祭の体育館は、いつもより広く感じた。
照明が熱を持ち、人いきれと楽譜の紙の匂いが混じる。
「次は1年2組による合唱『大地讃頌』です」
放送が流れ、ざわめきがいったん引く。
2組が舞台に上がる。
その先頭、指揮台に立ったのは――
御珠だった。
しかも、燕尾服。
「……」
(……かっこいい……)
胸が一回、変な音を立てた。
御珠が指揮棒を軽く上げる。
その動きだけで、舞台の空気が引き締まるのが分かった。
そして、音が流れ始めた。
「「母なーる大地のーふとーぉこーろーにー……」」
すげぇ……。
指揮棒を振るたびに、合唱がひとつの生き物みたいに揃っていく。
姿勢も呼吸も、音の波も――全部、御珠に引っぱられて動いてるようだった。
最後の伸びが天井に吸い込まれ、音が切れる。
次の瞬間、爆発するみたいな拍手が起きた。
俺は手を叩くのも忘れて、御珠を見ていた。
(御珠……すげー……)
(かっこいい……かわいい……)
(でも……やっぱり俺じゃダメなのか……)
拍手の音が胸の奥で遠く響く。
その向こうで、御珠の横顔だけがやけにはっきり見えた。
―――
文化祭が終わったあとの放課後。
校庭にはまだ模擬店の残り香が漂っていて、周りがどこか浮ついていた。
余韻で騒いでいる連中の声が、夕方の風に混ざって遠くから聞こえてくる。
そのとき、目の前の女子が勢いよく声を上げた。
「佐々木くん。私と付き合ってください!」
突然の告白に、周りの動きが止まった。
(そこそこかわいいな)
見た目も悪くないし、こうして勇気出して言ってくれるのは嬉しい。
胸の奥で、自尊心がちょっと持ち上がる。
「いいよ」
「ほんと!?やった!」
弾けるように喜ぶ声。
その笑顔に合わせるように、俺も軽く頷いた。
(いつまでも御珠を引きずってちゃ前に進めないよな)
そう自分に言い聞かせた。
夕焼けが差し込む廊下で、胸の奥に残ってる影をごまかすように、俺は彼女の言葉を受け入れた。




