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神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第3章 中学生編 ― その瞬間を抱きしめて ―
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第29話 御珠ブレイク ― 慈しみと混乱の昼下がり ―

ケーキの甘さが余韻として残り、ストーブの小さな音が部屋を温めていた。

食卓のざわめきが落ち着いたころ、和江がそっと御珠の方へ身体を向ける。

その目には、誰かを大切に思う者の柔らかな光が宿っていた。


「御珠ちゃん。

 きょうは来てくれて、ありがとうねぇ」


唐突な優しさに、御珠は瞬きだけで応じる。


「……?礼を言われることではなかろう」


和江はふふ、と笑い、首を横に振った。


「いやいや。

 こんなおばあちゃんに会いに来てくれると思わなかったから……

 嬉しいんだよ」


その言葉は飾りがなく、まっすぐだった。

御珠は目を伏せ、胸の奥の硬さがほどけていく。


「なに、世話になっておるし……

 そなたと、もっと話がしたかったのじゃ」


和江の目が大きく開かれた。

驚きがすぐに溶け、涙がうっすらにじむ。


「……そう言ってくれるの……

 嬉しいよ……」


そっと伸ばされた和江の手が、御珠の手を包む。

触れた瞬間、人のぬくもりが指先へ伝わった。


「御珠ちゃん、その後……どうだい?

 眠れてるかい?」


御珠のまぶたが揺れ、少し照れたように答える。


「……うむ。

 和江殿に抱かれて……胸のざわつきが少し消えたのじゃ。

 雪杜も気遣ってくれておる」


「そうかい……それを聞いて安心したよ……」


和江の手は、孫を包むみたいにあたたかい。

御珠の細い指先が、その熱に小さく震えた。


「……あの話を聞いてからねぇ、

 私が晴臣の代わりになんとしても守らなきゃって……

 そんな気持ちになったんだよ」


御珠の胸に、静かに響く言葉だった。


「……和江殿……」


(……この御人は……

 妾を……本気で守ろうとしてくれておる……)


人として、母として。

そういう確かさが、その手の中にあった。


「女同士にしか分からないこともあると思うから、

 何でも言っておくれ」


御珠はゆっくりと頷き、言葉を慎重に置いた。


「……うむ。

 心に留めておく」


和江は微笑む。その穏やかな顔は、愛情そのものだった。


「雪杜くんのこと、大切にしてるんだねぇ」


御珠の唇がわずかに震え、息が浅くなる。


「……うむ。

 雪杜は……妾の全てじゃ」


「……ふふ。

 女同士だから分かるよ。

 あんた、本当に雪杜くんのこと好きなんだねぇ」


御珠の耳が一瞬で赤く染まる。


「な……なにを……」


「隠さなくていいんだよ。

 その顔を見れば分かるから」


少し離れたところで聞いていた雪杜は、固まる。


(え……和江さん、何言ってるの……)


修一は、呆れたように肩をすくめる。


(……まぁ、母さんならそう見抜くだろうな)


和江は続ける。


「あんたたち、支え合ってるんだねぇ。

 それでいいんだよ」


「……うむ」


しかしその優しさの次に、ほんの小さな陰りが生まれた。


「でも……

 御珠ちゃん。

 あんた……子どものこと……

 辛くないかい?」


御珠の指先が、わずかに揺れた。


「……うむ。

 もう過ぎたことじゃ……

 いまは雪杜によくしてもらっておる」


和江はゆっくりと息を吸う。

その表情には、深い共感と痛みが重なっていた。


「……女の幸せを奪われて……

 辛いよねぇ……」


御珠の胸がきゅ、と縮む。


「……好きな人の子ども……

 産みたいよねぇ……」


「……っ」


御珠のまつ毛が震え、視線が宙で止まる。


(……雪杜の……子ども……

 妾は……産めぬ……)


その内側の痛みを汲み取ったように、和江の頬を一筋の涙が伝う。


「……ごめんね……

 こんなこと言って……」


御珠もまた、堪えていたものが滲み始める。


「……いや……

 和江殿の……想い……

 嬉しい……のじゃ……」


(……妾は嘘をついておる……

 孤児でも、虐待されたわけでもない……

 じゃが……雪杜の子を産めぬのは……本当じゃ……

 この悲しみだけは……偽りではないのじゃ……)


ぽたり、と涙が落ちた。


「……御珠ちゃん……」


和江はそっと腕を広げ、御珠を抱きしめる。

その抱擁は、慰めよりも深い約束の形だった。


「……あんたには雪杜くんがいる。

 二人で支え合って……

 幸せになっておくれ」


御珠の肩が小さく震え、声が漏れる。


「……うむ……

 和江殿の……優しさ……

 痛み入る……」


(……このぬくもり……人の母の慈しみとは……

 かくも深いものか……

 嘘をついておる妾に……こんなにも……

 ……じゃが……この想いだけは……偽りではないのじゃ)


和江は御珠の背をゆっくり撫で続ける。

その手つきは、傷を抱えた子どもを慰めるようだった。


「また遊びにおいで。

 いつでも待ってるからねぇ」


「……うむ。

 必ず……また来る」


「ええ。楽しみにしてるよ」


雪杜は息を飲み、胸の奥が熱くなる。


(……御珠……)


修一も黙って見守りながら、目を細めた。


(……母さん……)


ストーブの柔らかな音とともに、四人の気配がひとつに馴染んでいった。


―――


和江と御珠のやり取りがようやく落ち着き、部屋に静けさが戻った、その時だった。

二階から、どたどたと無造作な足音が響く。

階段を踏み下ろす若い男の声が、家の静けさを押し分けるように近づいてきた。


「おーい、さっきから話声するけど……

 誰か来てんのかー?」


階段から現れたのは、高校生くらいの少年。

気安い足取りでリビングへ入ってきた少年は――御珠を見た瞬間、動きを止めた。


「……っ!!」


呼吸すら忘れたように目を見開き、魂が抜けたみたいな顔になる。


「……う、うわ……

 か、かわよ……

 アイドルかよ……」


情けないほど素直な声だった。


ソファの雪杜と御珠はぽかんと固まり、

和江は「あぁ……また始まった」とでも言いたげにため息をつく。

そして修一の声が低く落ちる。


「……一樹」


しかし一樹は父の声などまったく耳に入っていない様子で、

御珠へ引き寄せられるように近づき始める。


「ねぇねぇ、君、名前なんていうの?

 何歳?どこから来たの?」


御珠と雪杜は、勢いに呑まれた。


その瞬間、修一の目つきが鋭く変わった。


「一樹。お客様の前だ。下がれ」


「え?だって……」


立ち上がった修一が、一樹の襟首を無言で掴む。


「いいから下がれ」


「いってぇ!!おやじ何すんだよ!?」


もはや問答無用。

修一はそのまま息子をずるずると廊下へ引きずり出す。

振り返る一樹の顔は完全に青ざめていた。


――そして廊下から怒号が飛ぶ。


「いいか、一樹。

 御珠ちゃんに変なことしたらぶっ殺すぞ。

 雪杜くんを困らせても絶対許さんからな」


「は、はい……すみません……」


「分かったら部屋に戻れ」


「……はい……」


しゅんとした足音が階段を上がっていく。


静けさを取り戻したリビングに、修一が戻ってきた。

先ほどの勢いが嘘のように、丁寧に頭を下げる。


「……すまん。息子が失礼なことを」


雪杜は慌てて首を振った。


「い、いや……大丈夫……」


御珠は落ち着いた様子で、むしろどこか楽しげに呟く。


「……ふむ。修一殿の息子か。

 元気な若者じゃの」


修一は重い溜息をついた。


「……元気すぎて困る」


和江が気まずそうに笑う。


「あはは……一樹ったら……

 まぁ、年頃の男の子だからねぇ……」


しかし修一の返しは容赦がなかった。


「年頃だろうが何だろうが、ダメなものはダメだ」


その言い方は、家族のためなら誰より強くなる男の声だった。


雪杜は思わず身を正す。


(修一おじさん……本気で怒ってる……)


そして横の御珠は、胸の内で静かに思いを寄せる。


(……修一殿は……妾と雪杜を……守ってくれておるのじゃな……)


その気づきが、冬の家の空気をまたひとつあたたかくした。


―――


玄関には、冬の午後らしいやわらかな光が差し込んでいた。

二人はそろって身をかがめ、丁寧に頭を下げる。


「それじゃ、そろそろお暇しますね。

 今日は本当にありがとうございました」


「お世話になったのじゃ。

 和江殿、修一殿、ありがとうの」


和江は変わらないあたたかさで微笑む。


「また遊びにおいでね。

 次はもっとゆっくりしていっておくれ」


ふと視線を向けると、廊下の陰から一樹がこっそり覗いていた。

目が合うと、びくっとして隠れる。


修一が軽く咳払いをして、真面目な表情で言う。


「気をつけて帰れよ。

 何かあったらすぐ連絡しろ」


「うん。ありがとう」


外へ出た瞬間、雪の匂いを含んだ冬の空気が頬を撫でた。


「……ふぅ。緊張した」


御珠はその声に、小さな笑みを零す。


「ふふ。そなた、ずっと背筋を伸ばしておったの」


「だって……修一おじさんたちにきちんとしなきゃって……」


「うむ。そなたの礼儀正しさ、良き姿じゃ」


雪杜は足元を見ながら、じわりと胸があたたかくなる。


(御珠に褒められた……嬉しい……)


住宅街を抜け、ふたりの足音が雪道に吸い込まれていく。

しばらくして、雪杜が静かに息を吸い込んでから言った。


「じゃあ……公園、行こっか」


「うむ!白鳥じゃの!」


御珠の声は、いつもより弾んでいた。


「楽しみにしてた?」


「当然じゃ。そなたが選んでくれた場所じゃからの」


その無邪気さに、雪杜の頬が緩む。

二人は並んで歩き、海沿いの公園へと向かった。

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