第28話 御珠ブレイク ― 家族の温度に触れる日 ―
早めの昼食を終え、冬の冷たい外気へ踏み出した雪杜と御珠は、並んで駅前へ向かって歩き始めた。
足元で雪がぎゅっ、と柔らかく鳴る。
「きょうは『だーれじゃ』はしないの?」
雪杜がぽつりと漏らすと、御珠はマフラーの端を指でつまみながら穏やかに答えた。
「ん?やっても良かったが……駅前で待つのも寒かろう」
「まぁ、そうなんだけど」
言葉とは裏腹に、雪杜はわずかに肩を落とす。
(あれ……けっこう好きだったんだけどな)
歩幅は自然にそろい、白い息がふたつ並んで浮かぶ。
「きょうは修一の家への訪問だでの。あまり“デート感”もなかろう」
「うーん……」
雪杜は視線を落とし、小さく息を吐く。
(もうちょっと……いちゃいちゃしたかったな……)
それを拾うように、御珠の頬へかすかな赤みが宿る。
「なに、いつも家でいちゃいちゃしておるではないか」
「そ……そうだね……」
思わず足がもつれそうになり、雪杜は視線をそらした。
その反応に御珠もまた目を伏せ、かすかな照れを隠しきれない。
雪道の上に落ちる二人の影は、さっきより近い。
ふと、雪杜のまなざしが御珠へ吸い寄せられる。
整えられた髪、彼と一緒に選んだ淡い色のコート。
今日は神衣ではなく、私服だ。
(……すごく似合ってる……
僕と選んだ服を着てくれてるって……嬉しい……)
その視線に気づいたのか、御珠が首を傾ける。
「……ん?どうしたのじゃ。そんなに妾の顔ばかり見て」
「えっ!?な、なんでもないよ!」
一気に慌てた声が雪へ吸い込まれた。
御珠の胸が、くすぐったそうに波打つ。
(……そんなに見つめられたら……妾も照れるのじゃ……)
二人の歩幅はさらにゆっくりになり、雪杜の呼吸が一定に揃っていく。
「そなた、緊張でもしておるのか?歩き方が妙に一定じゃ」
「え!?い、いや……そんな……」
御珠はマフラーの奥で小さく笑みを含ませた。
(ふふ……照れておる照れておる。可愛いの……)
やがて駅前の和風カフェが見えてきた。
淡い木の香りと、落ち着いた照明が窓越しにこぼれている。
「ここの抹茶ケーキ持っていくの?」
「うむ。前回、そなたと戴いた甘味が殊のほか美味での。
……礼を形にするのは良きことじゃ」
「あれ美味しかったよね。和江さん気に入るかな」
「きっと気に入るであろ」
店内へ入ると、温かなぬくもりがふたりを包む。
店員が御珠を見て一瞬動きを止め、慌てて姿勢を整えた。
「い、いらっしゃいませ……!」
見惚れたような反応に、雪杜がわずかに肩をすくめる。
「抹茶のケーキを包んでくれぬか?
えーっと、いくついらうのじゃ?」
御珠がメニューを見渡しながら首を傾けると、雪杜がそっと数を数える。
「御珠と僕と修一おじさんと和江さん。
あと……奥さんと息子さんもいたはずだから六つかな」
「ほう。修一にも息子がおったのか」
「あ、うん。僕も直接会ったことはないんだけど……確か去年高校生に上がってたはず」
「ふむ……ならば、雪杜も話しやすかろう」
「たぶん、普通の高校生じゃないかな……?」
「そうであると良いの。では六つもらおうか」
「……か、かしこまりました!抹茶ケーキ、六つですね!」
店員が急ぎ足で包装に向かう。
商品を受け取り外へ出ると、再び冬の風が頬を撫でた。
御珠は袋を抱えながら、小さく息を整える。
「さて……これで修一らへの挨拶は整ったの。行くとするか」
「……うん。でも……なんか今日の御珠、雰囲気違う気がする」
御珠は横目で雪杜を見つめ、わずかに唇を緩めた。
「そなたと“二人きりの時間”じゃ。違って当然であろう?」
「……っ!」
雪杜の息が白くほどけ、胸元へこぼれ落ちる。
(……この顔を見ただけで……妾は今日を迎えた甲斐がある……)
そんな想いが御珠の胸奥でふわりと揺れた。
二人は雪の舞う道を、並んで歩いていく。
その距離は、さっきより、ほんの少し近かった。
―――
修一の家の玄関前は、午後の淡い冬光に照らされていた。
雪杜と御珠が並んで立ち、インターホンを押す。
しばらくして、内側から弾むような足音が近づいた。
扉が開いた瞬間、温かな空気と賑やかな声がふたりを迎える。
「あら!雪杜くん!御珠ちゃん!
待ってたよ!さぁさぁ、上がっておくれ」
和江が笑顔を咲かせる。
その明るさに、外の冷たさがするりとほどけた。
「お邪魔します」
「お邪魔するのじゃ」
靴を脱ぐ二人の肩へ、和江が気遣うように声を落とす。
「寒かったでしょ。ストーブで、あったまって」
リビングへ案内されると、修一が椅子から立ち上がった。
落ち着いた所作で会釈する。
「よく来たな。道は大丈夫だったか?」
「うん。雪は積もってたけど、大丈夫だったよ」
雪杜は何か思い出したように視線を上げ、遠慮がちに言葉を付け加える。
「あの……土曜日って旅館、忙しいんじゃ……?
こんな時に来ちゃって大丈夫でしたか?」
修一は肩をひとつすくめ、気さくに笑った。
「ああ、気にするな。
妻は女将業務で忙しいが、俺は裏方で事務担当だからな。
今日くらいなら問題ない」
和江が横からひょいと顔を出し、朗らかに続く。
「そうそう。お嫁さんは今頃てんてこ舞いだろうけどねぇ。
でも二人が来てくれるって聞いて、私も楽しみにしてたんだよ」
御珠は姿勢を崩さず、軽く頭を下げた。
「修一殿。お世話になっておる」
修一は手を振るように言う。
「いや、こっちこそ。二人とも元気そうで安心したよ」
和江が、ぱん、と手を打つ。
「さぁさぁ、座って座って。お茶入れるからねぇ」
ソファへ腰を下ろしたところで、御珠が膝の上の袋をそっと持ち上げる。
差し出す手つきは、どこか慎ましく丁寧だった。
「これは、ほんの気持ちじゃが……受け取ってくれぬか」
和江は目を丸くし、思わず胸元へ手を当てる。
「あら、気を遣わせちゃって……ありがとうねぇ」
袋を開けると、抹茶ケーキの箱が姿を見せた。
「まぁ!これ、駅前の和風カフェの……!
高いのに、こんな……」
「この前、御珠と食べて美味しかったから……」
「うむ。そなたらにも味わってほしいと思っての」
和江は目尻を下げ、嬉しそうに頷いた。
「ありがとうねぇ。嬉しいよ。じゃあ、みんなで食べようかね」
―――
テーブルに抹茶ケーキがそっと並べられ、湯気の立つ湯飲みが添えられる。
四人が囲む輪の中に、柔らかな明るさが灯った。
和江が笑みを浮かべ、みんなへ向かって手を広げる。
「さぁさぁ、皆でいただきましょう」
「いただきます」
「いただくのじゃ」
一口食べた瞬間、和江の表情がぱっと開いた。
「……美味しい!抹茶の香りがすごくいいねぇ!」
修一も黙って頷き、噛みしめるように一言を漏らす。
「……うん。これは美味いな」
御珠は胸を張るでもなく、満足げに目を細めた。
「じゃろ?妾も気に入っておる」
雪杜は横でその様子を見ながら、胸の奥で小さく笑う。
(御珠、ちょっと得意げ……可愛い)
ケーキでひと息ついたところで、和江は声の調子を和らげた。
「で、二人とも……生活は大丈夫かい?
困ってることとかないかい?」
雪杜は、あたたかい湯気を胸に吸い込みながら答える。
「うん。修一おじさんがよく様子見に来てくれるから……」
「週に一回くらいは顔出してるからな」
修一が照れ隠しのように言うと、御珠は真っ直ぐに向き直り、静かに礼を述べた。
「修一殿には本当に世話になっておる。
感謝しておるのじゃ」
その声には、言葉以上の深さがあった。
和江もそれを受け取り、そっと頷く。
「修一も、二人のこと心配してたからねぇ。
でも、元気そうで安心したよ」
小さな食卓で、言葉がいったん途切れる。
湯気と甘い香りが漂い、四人の視線がゆっくり行き来した。
―――
ケーキを一口食べ終わった頃。
雪杜は真剣な顔つきになり、修一の方へ身体を向けた。
呼吸を整え、胸の奥から言葉を掬い上げるようにして口を開く。
「修一おじさん。
本当に……ありがとう。
おじいちゃんが亡くなってから……色々と……」
声が震えるほどではない。
けれど、抑えた揺れが確かにそこに残っていた。
修一は静かに雪杜の目を見据える。
その視線は、叱るのでも慰めるのでもなく、ただ受け止めるものだった。
「……気にするな。俺も晴臣さんには世話になったからな」
その言葉に、御珠も続けるように身を起こす。
「修一殿がおらねば、妾と雪杜の生活は成り立たなんだ。
この恩は忘れぬ」
まっすぐな声が部屋に溶け、修一はわずかに肩を揺らした。
照れと痛みの境目を踏んだような仕草で、口元だけが歪む。
「……大げさだよ。
俺は当たり前のことをしてるだけだ」
和江が、すぐにそれを諫めるように言葉を打ち込む。
「……修一、受け取りなさい。
この子たちは本気で言ってるんだからね」
修一は短く息を吸い、観念したように頷いた。
「……分かったよ。
こっちこそ、二人がちゃんとやってくれてるから助かってる」
雪杜は両膝の上で手を握りしめ、はっきりと頭を下げた。
「これからも……よろしくお願いします」
御珠も同じように深く頷く。
「よろしく頼むのじゃ」
修一はその二人を真正面から見据え、言葉を置いた。
「……ああ。任せとけ」
その一言が、冬の家の中に芯のように響いた。
食卓を囲む四人の距離は、さっきより確かに近かった。




