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関東軍着任~ノモンハン事件からの離脱・その後~

山県大佐や辻少佐らと戦場から帰還した伊坂は思いもよらず周囲の人間から称えられた。話の中には敵の戦車を何台も撃破したとか、旅団規模を撃退したとか、話に尾ひれが付き放題であった。

伊坂もそんなものかとあまり気にせず、報告書をまとめることにした。今回の戦闘で伊坂には危機感があった。この報告書もって今軍に必要なこと、思いの丈を書き込むことにした。

 まず、敵にソ連が介入していること。敵の装備は近代化が進んでおり、攻撃力、防御力、機動力は我が軍とに大きく差がある。またそれに伴い戦術面でも変わってきている。何より我が軍は地理や、敵勢力、今後の取るべき対応などもまとめた。報告書は参謀長を通し師団長へ提出されるはずである。しかし、その報告書はもはや無意味であった。伊坂の報告は彼が帰還する前に完了しており、過剰な戦果と軽微な損失を載せられて既に関東軍、参謀本部へと送られていた。伊坂自身が作成した報告書は無き物とされた。これが後の近代戦という重要な課題から目を背けた関東軍、数年先の日本の運命すら変えたかもしれないことにこのときは誰も目を向けなかった。

 

先の戦闘から約半月、衝突は起こらなかった。

しかし6月中旬ソ連機が越境し、爆撃を行ったが日本軍にはまだ迎撃や反撃の戦力は整備されておらずまともに動くことも出来なかった。

その間、伊坂は師団内の所属部隊に対し装備や陣地の強化が出来るよう少しずつではあるが手をつくした、以前に比べその手続きなどが通りやすくなった。それは戦況の悪化と、伊坂の功績の後ろ盾があってのことだった。特に井置捜索隊の陣取るフイ高地に対してできうる限りの物資だけは送った。

8月に入り急遽伊坂に転属の辞令が下りた。行き先は関東軍を経由した後、参謀本部第2部への異動であった。参謀本部第2部とは情報を司る。各地から集まる情報を精査、分析し、後の戦略の構想の材料にする。満州へ着任して数ヶ月しか経たないのに異動とは(知らぬうちにまた誰かの怒りでもかったかな)。時に伊坂は周りの空気というものが読めないところがある。しかし今回の場合は伊坂の知らぬ所で拡大された成果と報告が影響していたことに加え、偶然にも参謀本部で欠員が出て、補充を探していた所に伊坂の戦果報告が上がり、目を付けられたのだ。


 昭和14年8月20日、北方のフイ高地に突如、爆撃と砲撃の後にソ連軍が一気に押し寄せた。そこは23師団の守備する最後の区域で伊坂が同地の守備に対して最も危惧していた場所だった。

 20日早朝ソ連軍は装甲車を伴った部隊約1,500人の兵を前進させた。しかし、フイ高地手前まで来て部隊は日本軍の激しい抵抗に遭い足を止められた。

 井置中佐率いる第23捜索隊だった。伊坂は5月の戦闘の後、師団司令部へ帰還した際に行ったのは各守備陣地への戦力配分の分析だった。特にフイ高地を守備する井置中佐の部隊への増強を進言した。しかし、師団として元々兵員、物資が不足する中で一部隊にのみ優遇することは許されずにいたため伊坂の具申した量の約6割程度しか弾薬、資材などを送ることしか出来ず、兵員については一人も補充されなかった。

 しかし、伊坂の残した戦術とわずかではあるがそれをこなすための資材が功を奏しソ連軍の足を止めた。

 ソ連軍司令官ゲオルギー・ジェーコフ上級大将はフイ高地攻略のための部隊を指揮していた。ジェーコフはこの高地を早々に攻略し、主力をノモンハンに集中させ、満州軍とその背後にいる日本軍を叩く作戦を考えていたが、思わぬ足止め食らった。しかし敵は巧みな陣地戦と火砲の効率的な使用により進軍を阻まれ、前に進めず、兵力を削られていく。兵力の損耗だけでなく、このままこの高地の攻略に時間を費やせば後の作戦行動にも問題が生じる危機感があった。しかしジェーコフは自分の6000名の兵と装甲車、戦車を足止めしている敵が僅か800名とはこの時まだ知るよしもなかった。

 ソ連軍の攻撃を受けて4日後の24日、井置中佐の部隊は7倍近い敵を足止めさせるほど善戦はしていた。しかし、すでに約半数に近い死傷者を出していた。それに加え各砲塁で弾薬は尽きていき、食料、飲料水が不足し兵達が衰弱していく。師団からの支援も来ず、要請に対する返答も無い。井置含め各指揮官達は絶望に暮れていた。井置は各級指揮官を集め今後の戦闘について協議をした。しかしどのように見積もってもあと半日から1日以上は保たないという結果が指揮官達を更に絶望へと追いやる。そんな中、井置が口を開いた。「撤退しよう」井置が指揮官連中に言う。師団司令部からは何の応答もなく、また撤退命令を待っていれば兵の死傷者は増える。自身も同地での死を考えたが、如何なる責任を問われようとも、疲弊していく兵を見殺しにすることは彼にはできなかった。24日夕刻、井置捜索隊は軍としては前例のない指揮官独断の元、撤退をした。「死者は後で迎えにこよう、生きてる者は担いででも連れ帰るように」井置中佐は部下に対し出来うる限りの配慮をし撤退させた。

 同じ頃、ソ連軍を率いるジェーコフ上級大将は目の前の状況に苛立ちを見せていた。「これ以上の足止めは容認出来ん、予備兵力の全てをフイ高地に投入する」突然の命令に同志大将は彼を止めた。「そんなことをしてはこの後の作戦に支障がでる!」しかしジェーコフは「この作戦が失敗し中央より責任を問われたら貴様が責任を取るのかっ!」と強い口調で意見をねじ伏せ命令を強行した。25日早朝、予備兵力を加えた兵団が高地へ進撃、しかし敵の反撃は無く、既に撤退していたことに気付いた。ジェーコフは思わぬ形で高地を手に入れ、この地での戦闘が終了した。後日、停戦協定が結ばれたが交渉はソ連に主導権を取られ国境線の変更を余儀なくされた。数十年後の資料によると戦闘による死傷者は日本軍約17,000名に対し、ソ連軍は25,000名という。この時点で既に日本は情報戦で敗北し、知らぬ内に相手に優位を与えていた。

 ソ連側でこの作戦を指揮し、後に元帥となったジェーコフ上級大将は後年この高地で戦った部隊が僅か800名であったことを知り、当初は何ともいえぬ驚きにあったが、後に「あの高地の指揮官がもし自分の部下であったなら、あの優秀な働きに勲章を授けていた」と称したという。それは彼の本心と共に、井置中佐へ責任問題を押し付けた日本軍の処遇に対する皮肉なのかもしれない。

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