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ノモンハンから参謀本部へ

昭和14年9月上旬、伊坂は参謀本部第2部に着任し資料分析の仕事を始めていた。

 そんなある日、上官に呼び出しを受けた。「今の仕事については一先ず置いておいて、これを優先してくれないか。」そこへ新しい仕事が振られた。上官から渡されたのは先のノモンハンにおける戦闘詳報(特定の戦闘における記録、起こったことやその対応についてが記されている)だった。「君の前任地はノモンハンだったな。戦闘にも参加したそうじゃないか。その経験を活かして頼むぞ。」伊坂は半端な形で任地を後にしたためその後の事が気にはなっていた。あれから師団はどうなったのか、出る前に関東軍に対しても増援を要望してきたが、果たしてどれ程聞き入れてもらえただろうか。「出来上がったらそのまま部長の元へ持って行ってくれ。」「承知しました。」資料を受け取り、席に戻って早速内容を見る。しかし、読み進んでいくにつれ記載されている内容に伊坂は衝撃を受けた。


 5月28日、当初山県支隊は敵の圧倒的な攻勢により苦戦、死傷者多数。

 同29日、第23師団の増援を受け、敵軍に再度攻勢をかける。(どうも言葉を濁している、確かに兵隊達はなけなしの装備で一生懸命に戦ってくれた。それはこの報告に書かれているが、)兵達は火炎瓶、迫撃砲を巧みに使い敵戦車や装甲車を撃破、初戦においては敵を後退させた。(これは間違ってはいない。)

 6月14日、我が軍の態勢が整う間もなく、敵が再び侵攻を開始。我が軍は応戦し、敵に大損害は与えたものの。その数は膨大であり、前線を後退。

 その後数度に渡り攻勢をかけた後、戦闘が膠着、9月18日停戦交渉成立。


 戦闘の経過を見て伊坂は愕然とした。(なぜあのままの戦力で増強もされず、そのまま戦闘を拡大したのか)

 そして最後の方にその後の処置が記されていた。

 ・第23師団、壊滅

 ・辻少佐、過度な戦闘を扇動。事変終了後第11軍へ異動(事実上の左遷)

 ・井置中佐、フイ高地損失の責任により自決

 伊坂は凍り付いた「なぜ……」と伊坂は戦闘詳報を読み返した。井置捜索隊帰還兵からの証言が殆どであるが、戦闘については内容を見れば善戦している。なぜこの内容で後退したのか。伊坂は腑に落ちない。紙と鉛筆を取り出し、計算を始める「兵員、800…装備、小銃、野砲、迫撃砲…弾薬…戦闘時間、104時間…食料…飲料水」

 紙に細かな情報を1つ1つ書き上げ数字をはじき出す。終わった時、鉛筆を持つ伊坂の手が震える。「これは、酷すぎる。」伊坂の出した予測は確認された敵の戦闘車両の数からその攻勢のかけ方から明らかに井置捜索隊を圧倒していた。また当時の井置捜索隊の持っていた食糧や飲料水、弾薬、帰還した兵の損耗率に対し、上級部隊は殆ど支援をしていない。戦闘詳報には具体的なデータは少なく予想による数字を充てる箇所も少なくないが、それでも伊坂の結論は現場部隊の圧倒的な戦力不足だった。伊坂は23師団を出る前に敵の情報や、それを迎えるに必要な戦力をまとめ報告してきた。しかし、これは全く活かされていなかった。それにより多くの兵の命が失われ指揮官が責任まで取らされた。自分の報告が甘かったのか、

「もっと納得の行く報告と分析を作らなくては」伊坂は悔いる思いを一時抑え戦闘詳報を何度も見直し分析を重ねた。


 伊坂は連日徹夜を続け、1週間掛けてノモンハン事件の分析を行い報告書を作成し部長の元へ持ち込んだ。

 第2部長は伊坂から受け取った報告書を眺める。


昭和14年5月よりのノモンハンに於ける戦闘について

 本戦闘における我が軍、約七万六千名に対し、蒙古、ソ連側も投入された兵力は同数と見られる。

しかし、先の戦闘にてソ連側は火砲の他、戦車を大量投入し・・・中略・・・・それに対し我が軍は火砲のみで・・・・・歩兵は戦車への対応が困難となり・・・我が軍の損害は増加・・・・・

以上のことから、今後我が軍も機械化の推進とそれに伴う戦術の研究が急務と考える。

 

 今回の報告書には敵の兵力、装備の分析からの我が軍の改善点や対応策、必要な装備などを細かに記載した。伊坂の渾身の報告書だった。部長は報告書を静かに閉じた。「伊坂大尉、何故この報告書は殆ど我が軍の弱点しか書いてないのだ?」しかし部長からかけられたのは思いもよらない言葉だった。確かにその質問はいかにもであった。「本戦闘においては敵の強さではなく我が軍の対策の不備が目立ったと考えます。」しかし伊坂はひるむことなくハッキリと言った。伊坂の導き出した答えは敵が強いだけではなく自軍の改善点の多さだった。装備の脆弱さ、機械化の遅れ、何より敵情報収集の不足。それを部長は批判的と捉えたのか。確かに伊坂の報告書は批判のようにも見えるがそれは反抗ではなく、伊坂のポジションの仕事はあくまでも集まった情報の分析であるのは言うまでもない。しかし本戦闘においては詳細な分析を重ねると、必然的に我が軍にとって良いことが少なくなった。「部長、どうか本分析を元に、我が軍の近代化を進められるよう進言いただくことは出来ませんか」伊坂はこれまでになくハッキリと言った。自分の分析は正しいと思う。しかし先の戦闘では言葉少なさで人が死んだ。その反省を取り戻したかった。部長は少し考え、書類を伊坂に差し出した。「我が軍についての内容を削り、敵についての分析を中心に書きかえろ」部長が端的に言った。しかしその口調は静かなものだった。「大尉、貴様の気持ちは分かった。しかし、これは第1部の奴らは受け取らん。」部長の言う第1部の奴らとは参謀本部第1部のことであった。彼らは陸軍や国の戦争における「作戦」や「戦略」を司りその方針を研究している部署だった。

  「君は実際に戦闘へも参加してきたと言うし、現場の事をよく知っていると思う。」部長は静かに話す。「しかし、この報告書を受理させ、今後の課題として改善をしたいのであれば、悔しいだろうが少しでも奴らの機嫌を取らなければいかん」部長は伊坂を諭すように話す。この当時、参謀本部の配置は皮肉にも陸大の成績が憂慮された。成績の上位者の殆どは軍全体の作戦を担う第1部へ配属される。それは本人達もある程度は認識があった。そのため、時に他の部を見下す仕草も見られた。特に情報を担う第2部は、どんなに正確な情報を持って行こうとも1部が納得しなければ受け入れられないということもあった。伊坂も事前にそのような雰囲気があることを聞いてはいたが簡単に納得ができることではなかった。「しかし部長、この機会を逃せば我が軍は・・・」「大尉」部長は伊坂の言葉を遮り、改めて書類を差し出した。伊坂は部長より書類を受け取り部屋を出た。(この機会を逃せば軍は変われない、井置中佐も汚名を着せられたままだ)伊坂は悔しい思いを吐き出せず、静かに席へ戻り、再び作成のやり直しをした。3日後、作り直した書類を提出し、部長の確認を受け、納得はいかないが無事に受理はされた。

 

 昭和15年を迎えた日本は、アメリカからの屑鉄、石油などの輸出禁輸など対日経済制裁が厳しさを増し、国内も反米意識が高まっていった。それに伴い、軍も米国との戦争準備が進められたが、伊坂の作成したノモンハン事件の分析は虚しくも、「あくまで対ソ連」という限定的なものとしてみられたため保留とされ、その後表に出ることはなかった。軍は装備、戦術のほぼ改善のないまま対米英蘭戦争への道に進んで行った。

 程なく、伊坂に少佐への昇進の辞令が下った。良くも悪くも、ノモンハン事件の初戦で大きな功績を残し、それを小松原師団長(事件後師団壊滅の責任も問われ予備役へ編入、その後幾月と経たずに病死)の過大評価した報告が反映され、異例のスピード出世をしたが、また暫くして転属となった。この出世は早い段階で決まっていたようで、もし部長の助言の無いまま報告書が提出されていたらその昇進はなかったであろう。第2部長の配慮により、伊坂にはまた賞賛と同時に険しい道のりが敷かれた。

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