#72「ノアの真実、胸の痛み」
「この世界が、穢れに呑まれる前に」
精霊王の声が広間に響いた。
「…………」
五大魔族。
五人の使徒。
そして五柱の神。
……なんか、綺麗に五で揃ってるな。
そう思った時だった。
「ただし――」
精霊王が続ける。
「今話したことには、一つ偽りがある」
「……偽り?」
チャピが顔を上げた。
精霊王はゆっくりと中央の木から手を離す。
「この世界を生み出した神は――五柱ではない」
「え?」
チャピの声が漏れた。レナも精霊王を見る。
「どういうこと?」
精霊王はしばらく黙っていた。
……そして。
「六柱だ」
広間が静まり返った。
「光、炎、風、大地、海。そして――闇」
その言葉を聞いた瞬間。
後ろにいたノアの気配が、僅かに変わった。
「六柱目――闇の神、ザルヴァナス」
「ザル……ヴァナス?」
チャピが呟く。
聞いたことがないらしい。
「待ってください」
チャピが精霊王を見る。
「そんな神……王家に伝わる創世神話にも出てきません」
「当然だ……今の世に伝わる創世神話から、その名は失われている」
「神様一人、丸ごとか?」
「ああ」
ずいぶん豪快な話だ。
人間一人を歴史から消すだけでも大変そうなのに。
神様を一柱消してる。
「ザルヴァナスもまた、他の五柱と共に世界を築いた神だった」
精霊王が続ける。
「だが、やがて五柱と対立した」
「なんで?」
「ザルヴァナスは、他の神々を疑った。そしてその力によって、大地は五つに裂かれた」
五つの大陸……もしかして。
「今ある大陸って……」
「ああ。その時に分かたれたものだ」
とんでもない話になってきた。
神様の喧嘩で大陸が割れたらしい。
近所迷惑なんてもんじゃない。
「その後も争いは続いた。だが決着はつかなかった」
「じゃあ、その闇の神は?」
「消えた」
「死んだのか?」
「分からぬ」
精霊王は首を横に振る。
「虚無へ消えたのか。深淵へ身を隠したのか。それすら定かではない」
「……行方不明かよ」
神様にも行方不明ってあるのか。
だが一つ、引っかかる。
確か前にノアが……闇の神っていったような。
「闇の神って……魔族と関係あるのか?」
精霊王の目が細くなった。
「ある」
即答だった。
後ろを見る。
ノアは笑っている。いつもの薄ら笑い。
でも――やっぱり、目は笑っていない。
「現在、この世界に存在する魔獣。そして魔族」
精霊王の声が響く。
「その始まりは、ザルヴァナスがこの世界へ残した力だ」
「…………」
チャピが息を吞み、レナの表情も変わる。
「魔族が……神から?」
精霊王は頷いた。
「そして最初に生まれた魔族が――魔王」
俺は何も言えなかった。
今まで魔族は敵だと思っていた。
実際、さっきの女は俺たちを殺そうとした。
でも……神から生まれた?
「だが」
精霊王が続ける。
「一つだけ勘違いしてはならぬ」
「何を?」
「ザルヴァナスは、初めから世界を滅ぼそうとしていたわけではない」
「…………?」
「彼が目を向けたのは――見捨てられた者たちだった」
その言葉に……ノアの笑顔が消えた。
「誰にも必要とされぬ者。悲しむ者。愛されぬ者。五柱の光が届かなかった者たち」
精霊王は静かに言う。
「ザルヴァナスは、その影へ手を伸ばした」
「…………」
なんだ、それ。
思っていたのと違う。
闇の神。魔族。魔王。
名前だけ聞けば、分かりやすい悪役だと思う。
でも。
「じゃあ……なんで今、世界を滅ぼそうとしてるんだ?」
「それは――」
精霊王が目を伏せた。
「私にも分からぬ」
またそれか。
だが、精霊王の知らないことを。
知っていそうな奴なら――いる。
俺はゆっくり後ろを振り返った。
黒いワンピース。
いつもの薄ら笑いは、もうない。
「……ノア」
「はい」
ノアが俺を見る。
さっき、あの女は確かに叫んだ。
――ノクターリア。
俺はノアを見る。
「――ノクターリア」
ノアの目が、僅かに見開かれた。
「お前」
ルミナスを握ったまま、問いかける。
「これ……どこまで知ってる?」
ノアは答えなかった。
いつもの薄ら笑いもない。
ただ、俺を見ている。
「…………」
少しして……ノアがゆっくりと頭を下げた。
「キョウマ様」
「なんだ?」
「まず……お詫びしなければなりません」
「詫び?」
ノアが顔を上げる。
「私は、キョウマ様に隠していたことがあります」
「…………」
後ろでチャピとレナも黙っている。
ノアは胸に手を当てた。
そして。
「私の名は、ノクターリア」
「それは知ってる」
「いいえ」
ノアが首を横に振る。
「正式には――五大魔族が一人。《戯演侯》ノクターリア」
「…………」
五大魔族。
さっき精霊王から聞いたばかりの名前。
各大陸に一人ずついる。
穢れを集めている奴ら。
「お前が……?」
「はい」
即答だった。
周りが静まり返る……誰も何も言わない。
俺はノアを見る。
「じゃあ……あの女は」
「《遺棄侯》デレクティア」
「やっぱり、あいつも五大魔族か」
「はい」
なるほど。
だから知り合いだったのか。
だからあいつはノアを見た瞬間、あんな顔をした。
「じゃあ、お前も穢れを集めてたのか?」
「…………」
ノアが目を伏せる。
「かつては」
「かつて?」
「今は、キョウマ様にお仕えしております」
「そういう意味じゃない」
「…………」
聞きたいことは山ほどある。
誰に命令された、何のために穢れを集めている、魔王は何者だ。
闇の神と何の関係がある。
「ノア」
「はい」
「お前……何を知ってる?」
「…………」
長い沈黙。
そしてノアが口を開いた。
「申し訳ありません」
「またそれか」
「はい」
「なんで言えない?」
「《沈黙の誓約》があるからです」
「……誓約?」
聞いた瞬間。
――ズキッ。
「っ……」
胸が痛んだ。
なんだ?
胸を押さえる。
「キョーくん?」
「いや……なんでもない」
ノアを見る……なぜか。
その言葉を――知っている気がした。
《沈黙の誓約》。
どこかで……聞いた。
いや、聞いてない。そんなはずない。
「それ……何なんだ?」
「私たち魔族に課せられた誓約です」
「何を黙る誓約なんだ?」
「それは――」
ノアが口を開く。
「…………っ」
止まった。
「ノア?」
喉を押さえている。
「おい?」
ノアはもう一度、何かを言おうとした。
「――――」
声が出ない。
その顔が僅かに歪む。
「もういい!!」
反射的に言っていた。
自分でも驚くくらい強い声だった。
ノアが目を見開く。
「無理に喋るな」
「…………」
なんで……なんで俺は。
こんなに怖い?
ノアが喋ろうとしただけだ。
その瞬間……何かが見えた。
――赤。
「……え?」
一瞬……ノアの顔。血まみれの顔。
瞬きをすると目の前には、いつものノアがいる。
血なんて出ていない。
「キョウマ様?」
今の……なんだ?
もう一度ノアを見る。
――細い首。
赤い跡。
そこに、俺の手が――。
「っ!!」
胸を押さえる。
痛い。
息が詰まる。
「キョーくん!?」
チャピが俺の腕を掴んだ。
「どうしたの!?」
「分から……ない」
本当に分からない。
でも、怖い。
ノアを見るのが怖い?
違う。ノアが怖いんじゃない。
俺が――俺が何かした。
そんな気がする。




