#70.5「行きたくない、身体が覚えている」
「やった!開いたよ、キョーくん!!」
チャピが振り返った。
嬉しそうな顔だった。
「じゃあ行こ!」
「待て!」
「え?」
足が動かない……行きたくない……。
「キョーくん?」
「…………」
なんだ……何なんだよ。
何もない、ただ道が続いているだけだ。
なのに。
なんで行きたくない。
「どうしたの?」
「……行かない」
チャピが目を丸くした。
「行かないって……精霊王様に会うんでしょ?」
「分かってる」
「じゃあ――」
「行かない」
「キョーくん?」
無理だ。理由なんて分からない。
ただ、この先に行っちゃいけない。
身体が心がそう言っている。
「キョウマ?」
振り返るとレナが俺を心配そうな顔で見ていた。
「具合でも悪いの?」
「違う」
俺はもう一度、道を見る。
ぞくり。
背中が震えた。
「とにかく……俺は行かない」
「…………」
何を言われても無理だった。
チャピが説得してきても。
レナが理由を聞いてきても。
俺は動けなかった。
結局。
「……分かった」
チャピが小さく息を吐いた。
「少し休もっか」
「悪い」
「いいよ。精霊王様は逃げないんだから」
近くの木の根に腰を下ろす。
レナとノアは少し離れた場所にいた。
俺は何も言わず、地面を見ていた。
「キョーくん」
隣にチャピが座る。
「…………」
「ねえ」
「なんだ?」
「何かあるなら……話してほしい」
顔を上げる。
チャピが俺を見ていた。
「さっきから変だよ」
「俺にも分からん」
「分からなくてもいい」
「…………」
「怖いとか。嫌な感じがするとか。何でもいいから」
チャピが少しだけ笑った。
「私、キョーくんの力になりたい」
「…………」
なんでだ……胸が痛い。
チャピを見る。
いつものチャピだ。ちゃんと生きてる。
「……怖い」
「え?」
口から勝手に出た。
「俺……怖いんだ」
「何が怖いの?」
「分からん」
「…………」
違う!本当は――。
チャピを見る。
金色の髪。長い耳。
心配そうに俺を見る緑色の目。
こいつが。
――死ぬ。
そんな気がする。
馬鹿か!なんでそんなこと思うんだよ。
「チャピ」
「うん」
「お前――」
ゴボッ。
身体が固まった。
「……え?」
チャピが地面を見る。
黒い染み。
「…………」
息が止まる。
ああ、知ってる……これを知ってる。
「キョーくん?」
少し離れた地面から。
木の根から。
黒い汚れが溢れ出す。
「な、何!?」
レナが立ち上がる。
黒い汚れがあっちも、こっちからも次々と噴き出してくる。
「嫌だ……嫌だ……嫌だ……!!」
なんでだよ……。
入ってない!!
俺は中に入ってないだろ!!
何もしてないだろ!!
「来るなぁ!!」
ルミナスを握る手が震える。
「来るな!来るなよ!!」
黒い汚れが地面を這う。
「消えろ!!」
ルミナスを振るうと黄金色の光が広がり、黒い汚れが消える。
だが、すぐ横から噴き出した。
「クソッ!!」
もう一度ルミナスを振るう。
直ぐに消えるが、だがまたあふれ出す。
「なんなんだよ!!」
その時だった。
「……騒がしいのね」
声がした。
黒い汚れの向こうに……誰かいる。
それは女だった。
ゆっくりと黒い汚れの真ん中を歩いてくる。
「なんだ……おまえは誰だ……?」
返事はない。
その視線が俺を通り過ぎ。
チャピを通り過ぎ。
レナで止まり、その目を細める。
「あなた……」
「え?」
レナが剣に手をかける。
「なぜ生きている?」
「……何の話?」
女がレナを睨みつける。
「ルーメンポートで仕込んだはずですが……」
「!!もしかして飛行船の……?」
レナが呟くと女が笑う。
「なるほど。あれでも足りませんでしたか」
「……!」
俺がルミナスを握り直した、
その時、女の視線が動いた。
レナからその隣の……ノアへ。
「…………」
さっきまでの余裕が消える。
「お前は……」
ノアは何も言わない。
「……ノクターリア?」
女の目が見開かれた。
「《戯演侯》ノクターリア!!なぜ貴様がここにいる!!」
「……《戯演侯》?」
俺はノアを見る。
ノアはデレクティアを見たまま。
表情がない。
「ノア……?」
「…………」
そして。
静かに俺の前へ出た。
「《遺棄侯》デレクティア……。私はこちらのキョウマ様にお仕えしています」
「……は?」
いや、ちょっと待て!?何の話だ?
「ノア、お前――」
「…………」
デレクティアと呼ばれた女の顔が歪んだ。
「人間に仕えているだと?……きさま……」
デレクティアの周囲で黒い汚れが蠢く。
「我らを裏切ったのか?」
「…………」
ノアは答えなかった。
だが、否定もしなかった。
「……そうか……」
デレクティアが一歩下がった。
「ならば――」
「キョウマ様!」
初めて聞く、ノアの焦った声。
「デレクティアを逃がしてはいけません!」
「え?」
「絶対にです!」
ノアが駆け出した。
「お待ちなさい!」
だが、その直前。
黒い汚れがデレクティアを包んだ。
ノアが手を伸ばす。だが残った空間にはもういなかった。
「……逃げた?」
レナが呟く。
ゴボッ。
「…………」
ゴボッ。ゴボッ。ゴボッ。
ノアが周囲を見る。
その顔が青ざめていた。
「まずい……」
地面が黒い。木の根も。幹も。全部。
「ノア!これ何なんだよ!」
「…………」
「知ってるんだろ!?」
「キョウマ様……申し訳ありません」
「何が――」
ゴボッ!!
チャピの背後で黒い柱が噴き上がる。
「!?チャピ!!」
手を伸ばすが届かない。
「キョーくん!!」
黒が……全部を――。




