#70.3「逃げた先と、追ってくる黒い汚れ」
「やった!開いたよ、キョーくん!!」
チャピが振り返った。
嬉しそうな顔だった。
「……っ」
「キョーくん?」
チャピが首を傾げ、顔を覗いてくる。
俺はその目を見つめ返す。……いつものチャピだ。
なのに……なんでこんなに怖いんだ!
「……キョーくん?」
気づいた時には、身体が動いていた。
チャピを抱きしめる。
「えっ……ええっ!?ちょ、キョーくん!?」
細い身体が腕の中に収まった。
温かい。ちゃんと、温かい――生きてる。
「キョ、キョーくん!?どうしたの!?」
「…………」
分からない。俺にも分からない。
ただ、離したくなかった。
胸の奥が痛い、嫌な感じがする。
ここにいたら、何かが起きる。
「……行くぞ」
「え?」
俺はチャピの手を掴んだ。
「ちょ、ちょっと!どこに!?」
「外だ!」
「なんで!?」
「分からん!」
「分からないのに!?」
「いいから来い!」
そのまま走った。
「キョウマ!?」
後ろからレナの声。
ノアは黙って俺を見つめている……。
だが待ってはいられなかった。
元来た道をただ走る。
それでも……チャピの手だけは。
絶対に離さない。
「キョーくん!待って!」
「待たん!」
「せめて理由を説明して!」
「俺が知りたい!」
「何それ!?」
知らない、本当に分からない。
でも、ここは駄目だ。
ここにいたらチャピが――チャピが!!
――死ぬ。
なぜ。そんなことを思った?
分からない。
それでも足は止まらなかった。
世界樹の外へ飛び出す。
森の空気が肺に入る。
走るんだ。もっと遠くへ。
もっと。
もっとだ!。
「キョーくん……!」
チャピの息が切れている。
それでも走った。
どれくらい走ったか分からなくなった時、ようやく足を止めた。
「はぁ……はぁ……」
チャピが膝に手をつく。
「もう……無理……」
俺も息を整える。
周囲を見る……何もない。
静かな森。鳥の声。風に揺れる葉。
「…………」
助かった、そう思った。
胸の奥にあった嫌な感覚が。
少しだけ薄くなる。
俺は握ったままだったチャピの手を見る。
温かい。
ちゃんと……生きている。
「……よかった」
「え?」
チャピが顔を上げた。
「何が?……なんで……なんで泣いてるの?」
「…………」
なんだ?何がよかったんだ?俺には分からない。
ただ……なんでなんだよ……涙が止まらない。
「キョーくん……?」
「……なんでだよ」
頬を拭う……濡れている。
「俺、何やってんだ……」
「それはこっちが聞きたいんだけど……」
その時だった。
足元に黒い染みがあった。
「…………!?」
足が止まった。
見たことがある……煤でもない。油でもない。黒い汚れ。
「これ……」
飛行船、あの時の。
「キョーくん?」
歯が鳴る。息が吸えない。
駄目だ…………これは。駄目なんだ……!
「逃げろ!!」
チャピの腕を掴んで走った。
直後に地面を黒い汚れが走った。
速い。
生き物みたいに草の間を這ってくる。
「な、何よこれ!?」
「知らん!」
「知らないの!?」
「だから逃げてんだよ!」
右へ!木の間を抜ける。黒い筋も曲がった。
!?ついてくる。
「クソッ!」
ルミナスを振るう。
黄金色の光!!迫っていた黒が消える。
「よし!」
だが、すぐ横の地面から。
ゴボッ。
また黒い染み。
「嘘だろ!?」
「キョーくん、右!」
チャピに腕を引かれる。
ドンッ!!ブシュー!!
さっきまでいた場所から黒い柱が噴き上がった。
「走れ!」
「走ってる!」
木を避ける。根を飛び越える。
黒い汚れが後ろから迫る。
ルミナスで消す。
また出る!また消す。
また……また。
「しつこいんだよ!!」
光が森を照らした。
黒い汚れが消える。
その隙に走る。
……
………
…………
どれくらい走ったか分からない。
肺が痛い、脚も重い。
それでも、チャピの手だけは離さなかった。
やがて。
黒い汚れが見えなくなった。
「…………」
立ち止まる……周りを見る。
……ない。
「……撒いた?」
チャピが息を切らしながら言った。
「分からん……」
しばらく待つ……何も……も来ない。
鳥の声……息の音……それだけ。
俺はその場に座り込んだ。
「はぁ……はぁ……」
隣にチャピも座る。
「キョーくん……何なのよ、あれ」
「知らん」
「さっきからそればっかり」
「本当に知らねぇんだよ」
でも……怖かった……怖かった……。
見た瞬間、身体が……逃げろって叫んでいた。
俺はチャピを見る。
泥だらけだった、髪もぐしゃぐしゃ。
それでも……生きてる!!
「……チャピ……お前は俺が守る」
「……え?」
口から勝手に出た。
でも、今度は、言い直す気はなかった。
「何が来ても、俺が守る」
チャピが俺を見る。
「だから……」
なんでだろう……胸が痛い。
それでも、言いたかった。
「俺のそばで笑ってろ!」
チャピの目が大きくなった。
「…………」
一瞬……黙って。
それから……少しだけ笑った。
「……はい……」
その瞬間。
ゴ……ゴボッ!
チャピの笑顔が止まった。
「え?」
地面が弾け、黒い光が噴き出す。
黒い汚れがまるで刃のように吹き上がる。
……金色の髪が舞った。
あ……。
ああ…あああああ。
きれいだ。
……チャピの髪。
やっぱり……きれいだ。
ドサッ。
何かが、草の上に落ちる。
……
…………
………………
チャピだ……チャピ……。
「……チャ……ピ!!」
……
…………
………………
……さっき…………笑ったんだ。
俺のそばで……笑って……。
「……なあ」
返事はない。
「チャピ……?」
ゴボッ。
今度は。
俺の足元。
黒い光が噴き上がる。
……チャピ。




