#70「世界樹と、黒い汚れ」
「やった!開いたよ、キョーくん!!」
チャピが振り返った。
嬉しそうな顔だった。
俺はルミナスを肩に担ぎ直す。
「じゃあ行くか」
「うん!」
俺たちは階段を降り始めた。
壁も。天井も。床も。全部、木だった。
木で作ったんじゃない。
根そのものが道になっている。
ところどころに、淡い緑色の光。
魔道具かと思ったが。
「これ何だ?」
「精霊光よ」
「精霊光?」
「世界樹の中を流れてる魔力が外に漏れてるの」
「漏れてて大丈夫なのか?」
「その言い方やめて」
いや。
漏れてるなら漏れてるだろ。
ビルなら普通に点検案件だ。
階段は長かった。
十分……二十分………まだ続く。
「……なあ。これ帰りも登るんだよな」
「そうだけど」
「エレベーターないのか」
「何それ」
ないらしい。最悪だ。
さらに下へ進む。
そこで。
「キョーくん」
チャピが足を止めた。
階段が終わってその先。
「……なんだこれ」
巨大な空洞。
いや、空洞なんて規模じゃない。
地下に、森があった。
巨大な根が縦横無尽に伸び。
その隙間を、無数の緑色の光が飛んでいる。さらに、光る川まで流れていた。
「これ全部……世界樹なのか?」
「うん」
チャピが小さく笑う。
「ここが世界樹の内側」
「内側?」
「私たちが歩いてる場所も、大森林も、全部繋がってるの」
「……でかすぎだろ」
ビルとかそういう話じゃない。
一つの都市が。
いや。
大陸そのものが、一つの生き物みたいだった。
前には一本の道が続いていた。
巨大な根の上。
橋みたいになっている。
俺たちはそこを進んだ。
……
………
…………
さらに進んで。
どれくらい経っただろう。
突然景色が開けた。
巨大な広間の中央に一本の木が立っている。
今まで見てきた世界樹とは違う。
せいぜい普通の大木くらい。
その周囲を、何百本もの巨大な根が守るように囲んでいた。
そして木の根元。
人がいた。長い銀色の髪。
白い衣。
目を閉じている。
「……精霊王様」
チャピが呟いた。
生きているのか?
動かない。
レナが一歩前へ出る。
その瞬間。
銀髪の男が目を開いた。
「――来たか」
低い声が広間に響いた。
チャピが膝をつく。
「シルフィード王家第一王女、チャルディアノクス・ピュルシエールです」
俺たちも止まる。
俺も跪いた方がいいのか?
分からん。
とりあえず頭だけ下げた。
精霊王の視線が。
俺に止まった。
「光の使徒殿か……」
精霊王の声が広間に響いた。
視線は俺から外れない。
「光の使徒殿、名はなんと言う……」
「……白石恭真」
精霊王が頷く。
「立つがよい、チャルディアノクス」
「はい」
チャピが立ち上がる。
俺たちもそのまま精霊王を見る。
「お前たちは、知らねばならない」
「何を?」
俺が聞く。
精霊王が目を閉じた。
しばらく。
沈黙。
そして。
「この世界の始まりを」
チャピの表情が変わった。
「世界の……始まり?」
「お前たちが知る創世神話には、欠けているものがある」
「欠けてる?」
「神は五柱ではない」
誰も喋らなかった。
精霊王が続ける。
「この世界を生み出した神は――六柱」
六?
「その六柱目って誰なんだ?」
精霊王が俺を見る。
「闇の神」
ノアの肩が僅かに動いた。
そういえば初めてノアにあった時。闇の神がどうたら言っていたような……。
「ザルヴァナス」
その名が響いた瞬間。
空気が変わった気がした。
「ザルヴァナス……」
チャピが繰り返す。
「聞いたことない」
「当然だ」
精霊王の声が低くなる。
「その名は消された」
「消された?」
「人の歴史から。伝承から。そして信仰から」
レナが眉を寄せる。
「そんなこと……」
「事実だ」
精霊王は言い切った。
「光、炎、風、大地、海。そして闇」
六柱。
俺でも知っている五柱の神。
そこに、もう一柱いた。
「じゃあ、なんで――」
チャピが口を開く。
「どうして闇の神だけ……」
精霊王が答えようとした。
その時だった。
「……っ」
精霊王の身体が揺れた。
「精霊王様?」
チャピが一歩前へ出る。
精霊王が胸を押さえた。
「ぐ……」
膝をつく。
「精霊王様!」
その直後。
――ドクン。
音がした。
どこから?
――ドクン。
地面?いや。
周り全部から聞こえる。
心臓みたいな音。
「何……これ」
レナが剣を抜いた。
精霊王の周囲の何百本もある巨大な根。
その一本に、黒い染みが浮かんだ。
「……おい」
染みが広がる。
一瞬だった。
一本。
二本。
十本。
「キョーくん!」
分かってる。
見覚えがある黒い汚れ。
「飛行船の……」
あの汚れと同じだ。
「なんでここに……」
――ドクン。
根が震えた。
黒い染みが一斉に広がった。
「うっ……!」
精霊王が倒れる。
「精霊王様!」
チャピが身体を支える。
「離れろ……」
「え?」
「ここから……離れるのだ……あれは穢れ……」
精霊王の腕に。
黒い筋が浮かんでいた。
「世界樹が……」
精霊王が震える声で呟いた。
「既に……」
その先が聞こえない。
――バキッ。
何かが折れた。
上を見る。
巨大な根に亀裂が入っていた。
「逃げろ!」
根が落ちてきた。
とっさにレナが剣を振るい、水が俺たちの上を覆う。
直後に轟音が鳴り響く。
「くっ……!」
レナが歯を食いしばる。
「重……!」
「レナ!」
「早く!」
チャピが精霊王を抱える。
俺はルミナスを握った。
「これ、掃除できるか?」
返事はない。
だが、房が白く光る。
「やるしかねえか」
黒く染まった根へ、ルミナスを押し当てる。
光が走る。
黒い部分が消えた。
「消えた!」
チャピが叫ぶ。
「いける!」
もう一度。
その瞬間さっき綺麗になったはずの場所が。
黒く染まった。
「……は?」
早い、早すぎる。
また、すぐに黒くなる。
「……何だこれ……何だよこれは!!」
別の場所を擦る。
消える。
戻る。
擦る。
消える。
また黒くなる。
「ふざけんな!」
全部黒い。
右も。
左も。
天井も。
床も。
「キョーくん!」
チャピの声に振り返ると……精霊王の身体が、黒く染まり始めていた。
「もう……遅い……」
ピシッ。
乾いた音がした。
精霊王の頬に、黒い亀裂が走る。
「え……?」
チャピが声を漏らした。
亀裂は首へ、胸へ、そして腕へと、一気に広がっていく。
「精霊王様!」
その瞬間。
――パキン。
精霊王の身体が砕けた。
「……は?」
無数の欠片になって、床へ落ちることもなく黒い塵になって……消えていく。
「精霊……王……?」
誰も動けなかった。
直後。広間を照らしていた緑色の光が。
一つ消えた。
また一つ消え、次々に消えていく。
世界樹が暗くなっていく。
「何が起きてんだよ……」
誰も答えない。
「ノア!」
俺は振り返った。
ノアが立ち尽くしている。
黒い根を見ていた。
顔が青い。
「ノア?」
返事がない。
ノアは黒く染まった根を見つめたまま。
その時だった。
――ブシュッ!!
壁から、床から、天井から。
巨大な根の隙間という隙間から。
黒い汚れが一斉に噴き出した。
「キョーくん!」
黒い奔流が。
チャピを真正面から呑み込んだ。
「チャピ!!」
俺はルミナスを握る。
「消えろ!」
白い光が広がった。
チャピを覆っていた黒い汚れが消えていく。
「待ってろ。今、全部――」
その時。まるで生き物のように黒い汚れが蠢き、チャピの身体にまとわりついた。
「なっ……クソ!」
ルミナスを当てる。
汚れが消えていく。
だが、またすぐに足元から、背中や、髪へ這い上がってくる。
「なんでだよ!まとわりつくな!!消えろ!消えてくれよ!!」
「キョー……くん……逃げて……」
チャピの声が、さっきより小さい。
「今取るから!」
ルミナスを動かす。
その時……気づいた。
チャピの頬が少し……こけていた。
腕を見る……細い。
指も……皮膚が張り付くように痩せている。
黒い汚れがまたまとわりつく。
「やめろ!」
光で消す。でも、消しても消してもどんどん集まってくる。
「なんで……やめろよ。やめてくれ!!」
また黒い汚れを消す。
チャピの髪から艶が消えていく。
頬がさらにこける、唇が乾く。
「キョー……くん……」
「大丈夫だ!」
自分でも……何が大丈夫なのか分からない。
「俺が掃除する!」
またルミナスを当てる。
「全部消すから!だから……!」
消す。
「消えろ!」
また。
「消えろ!!」
……チャピの身体が、みるみる干からびていく。
「ああぁぁぁぁぁ!!」
俺はルミナスを動かし続ける。
でも……でも、黒い汚れは止まらない。
「もう、やめてくれ……」
黒い汚れは止まらない。
チャピが細くなった手を伸ばした。
眼窩は深く落ちくぼみ、まるで老婆のようだった。
その目と、目が合った。
「……ごめ……ね」
声が……途切れた。
伸ばされた手が落ちる。
「チャピ?」
返事がない。
「チャピ……」
返事がない。
「チャ……ピ……」
それでも。
黒い汚れの中のチャピは
もう。
動かなかった。
その瞬間。
世界樹のすべての根から、黒い汚れが噴き出した。
もう、汚れじゃない。
広間そのものが、黒く染まっていく。
「キョウマ!」
レナの声に顔を上げる。
黒い汚れが床を這い、レナへ襲いかかった。
レナが剣を振るい、水が弾け、黒い汚れが押し返される。
「こっち!」
だが背後から、別の黒い塊が迫ってくる。
「後ろ!」
「え――」
レナが振り返る。
遅い。
黒い汚れが。
レナを呑み込んだ。
「レナぁ!!」
後ろを見るが逃げ道はない。
全部が……黒い。
「ノア……そうだ、ノアは!」
ノアは動いていなかった。
黒く染まった世界樹をまだ見つめていた。
ノアが俺を見る。
その顔にいつもの薄ら笑いはなかった。
「キョウマ様」
ノアが何かを言おうとした。
その時、背後から黒い奔流が迫った。
「危ない!」
突き飛ばされた。
「なっ――」
床を転がる。
顔を上げた時、ノアがいた場所を、黒い汚れが呑み込んでいた。
「ノア!!」
黒が蠢く。
一瞬だけノアの手が見えた。
俺へ伸びていた。
そして、その手が……黒の中に沈んだ。
「……ノア?」
返事はない。
「おい」
黒い汚れだけが蠢いている。
「ノア……?」
チャピも。
レナも。
ノアも。
いない。
「…………」
なんだこれ……さっきまで……いたじゃねえか……。
「……そうか」
分かった。
これ。
夢だ。
「夢か……」
そうだ。夢に決まってる。
こんなの現実なわけがない。
「はは……」
笑いが漏れた。
「なんだよ……そういうことかよ」
ルミナスを握る手が震える。
「だったら早く起きろよ……」
黒い汚れが、足元まで来ている。
「チャピも……」
足に触れた。
冷たい。
「レナも……」
膝まで。
感覚が消える。
「ノアも……」
腰。
胸。
どんどん。
黒に沈んでいく。
「起きたら……」
息が苦しい。
「また……いるんだろ……?」
返事はない。
当たり前だ。
「……なあ」
黒が首まで上がってくる。
ルミナスを握る手から。
力が抜けた。
「これ……夢だよな……?」
視界が黒くなる。
何も見えない。
何も聞こえない。
ああ……チャピの笑った顔、見てぇな……。
「……起きろよ……」
そして。
俺も。
黒い汚れに呑み込まれた。




