#69「封印解除、世界樹の入口」
王都を出て、二日目。
二日間、窓の外に見えていたのは草原と、たまに現れる小さな村くらいだった。
それが今は、少しずつ木々が増えてきている。
「……まだ着かないのか?」
俺は窓の外を見ながら言った。
「もうすぐだよ」
向かいに座っていたチャピが答える。
「たぶん、お昼過ぎには着くと思う」
「二日か。結構遠いな」
「風走車だから二日で済んでるの。普通の馬車だったら十日はかかるんだから」
「そういや親父さんも言ってたな」
「パパを親父さんって呼ばないでよ」
「じゃあ国王」
「急に他人行儀!」
どっちなんだよ。
隣ではノアが楽しそうに笑っていた。
レナはもう慣れたのか、何も言わずに外を眺めている。
風走車は、そのまま道を走り続けた。
そして。
昼を少し過ぎた頃。
「止まります!」
御者の声。
風走車がゆっくりと速度を落とす。
俺は窓の外を見る。
「……でか」
目の前にあったのは、森だった。
いや。
森って言っていいのか、少し迷う。
見上げても先が見えないほど巨大な木々が、壁みたいに並んでいる。
その奥は暗い。
昼間なのに、ほとんど光が入っていなかった。
「着いたよ」
チャピが立ち上がる。
「ここからが、大森林」
チャピが扉を開ける。
外から、湿った風が流れ込む。
「ここから先は――歩きだよ」
風走車を降りる。
足を地面につけた瞬間、少しだけ違和感があった。
「……なんだ?」
空気が違う。
湿っているとか、森の匂いが濃いとか。
そういうことじゃない。
もっと別の何か。
息を吸うだけで、身体の奥まで何かが入ってくるような感覚がする。
「キョーくんも分かる?」
チャピが俺を見る。
「これ、なんだ?」
「精霊の力」
「精霊?」
「うん。この大森林は世界樹から流れ出した力で満たされてるの」
チャピが森の奥を見る。
「ここから先は、シルフィードでも特別な場所なの」
なるほど。
言われてみれば、森に入る前から妙だった。
風が気持ちいい。
いや。
気持ちいいだけじゃない。
身体が軽くなったような気さえする。
「すごい……」
レナが小さく呟いた。
「これほど濃い精霊力……初めて」
「レナにも分かるのか?」
「うん。ここまで濃ければ、魔力を感じられる者なら誰でも感じるんじゃない」
「俺、魔力とか分からないぞ。身体は軽くなったような気はするけど」
「キョウマ様は少々特殊ですから」
ノアが横から口を挟んだ。
「それ褒めてる?」
「もちろんです!キョウマ様はただの人間などではございません!」
これは褒めているのだろうか。判断に困る。
「で、どっちだ?」
「こっち」
チャピが先に森へ入った。
俺たちも後を追う。
中に入ると、外から見た以上に木がでかかった。
幹だけで家が何軒建つんだって太さの木が、そこら中に生えている。
根もすごい。
地面を這うというより、壁みたいに盛り上がっていた。
「これ、普通に道なくないか?」
「普通の人にはね」
「俺たちは?」
「私がいるから大丈夫」
チャピが少し得意そうに胸を張る。
「王家には、大森林を通るための道が伝えられてるの」
「道?」
見回す。
俺には木と草しか見えない。
「どこに?」
「見えないようになってるの」
チャピが一本の木に近づいた。
幹に手を触れる。
目を閉じた。
「風よ――」
小さく呟く。すると。
木の表面に、淡い緑色の光が浮かび上がった。
光は線になり、森の奥へ伸びていく。
離れた木。
さらにその奥の木。
次々に同じ光が灯った。
まるで道標だ。
「これを追っていけばいいのか」
「そういうこと」
「便利だな」
「王家の人間しか出せないんだからね」
チャピがまた少し得意そうな顔をする。
「はいはい。王女様すごいすごい」
「絶対馬鹿にしてるでしょ!」
「してない」
「してる!」
そんなことを言いながら歩き始める。
森の中は静かだった。
鳥の声はする、虫も鳴いている。
なのに。
妙に静かに感じる。
不快な静けさじゃない。
むしろ逆だった。
何かに包まれているような。
そんな感じだ。
しばらく歩く。
どれくらい進んだだろう。
途中から、さらに空気が変わった。
「……また濃くなった?」
思わず聞く。
チャピが振り返る。
「分かる?」
「ああ」
さっきまで身体の中へ入ってきていた何かが、今度は肌にまとわりついている。
目には見えない。
けど。
確かに何かがある。
レナも緊張した顔で周囲を見ていた。
「精霊力が……さっきよりずっと濃い」
その時。
ノアが足を止めた。
「……」
珍しい。さっきまで笑っていたのに。
「どうした?」
「いえ」
ノアがいつもの笑顔に戻る。
「なんでもありません」
「そうか?」
「はい」
少し気になった。
けど。
チャピはそのまま進んでいく。
やがて。
森が開けた。
「……ここ」
チャピが立ち止まる。
目の前には、巨大な壁があった。
いや。
壁じゃない。
木の根だ。
何本もの巨大な根が絡み合い、森の奥を完全に塞いでいる。
高さは城壁よりある。
隙間すらない。
「これを通るのか?」
「うん」
「どうやって?」
チャピが根の前へ進む。
そして、そっと手を触れた。
「ここから先は、王家の人間じゃないと入れないの」
チャピが巨大な根を見上げる。
「この先が、本当の大森林」
俺は巨大な根を見上げた。
「今いる場所も十分森だったけどな」
「ここまでは外側なの」
チャピは根に手を置いたまま、俺たちを見る。
「ここから先は、精霊王様の許しがなければ入れない場所」
風が吹く。
森の木々が、一斉に揺れた。
ざわざわと。
まるで。
何かが俺たちを見ているみたいに。
チャピが目を閉じる。
「今から封印を解くね」
そう言って、巨大な根に両手を触れた。
さっきまでとは雰囲気が違う。
背筋を伸ばし。
静かに息を吸う。
「シルフィードの王家、第一王女――チャルディアノクス・ピュルシエール」
チャピの声が森に響いた。
普段聞いている声なのに。
妙に遠くまで届く。
「古き盟約に従い、精霊王様への謁見を願います」
その瞬間。
風が止まった。
「……」
誰も喋らない。
鳥の声も。虫の音も。
全部消えた。
静かだ。
静かすぎる。
チャピは目を閉じたまま動かない。
何も起きない。
「……これ、待ってればいいのか?」
小声で聞く。
「しっ」
レナに怒られた。
なんで俺が怒られるんだ。
その時だった。
――ドン。
地面の奥から、低い音が響いた。
足元が揺れる。
ゴゴゴゴゴ……。
目の前の巨大な根が動き始めた。
「うおっ……」
一本。また一本。
城壁みたいに絡み合っていた根が、ゆっくりと左右へ分かれていく。
土が崩れ落ちる。木の葉が舞う。
何百年、いや。
もっと長い間そこにあったんじゃないかと思う巨大な根が、生き物みたいに動いていく。
やがて。
根の奥に、黒い穴が現れた。
「……穴?」
いや。違う。入口だ。
地面の下へ続く、巨大な階段。
壁も床も木でできている。
いや、作ったって感じじゃない。
太い根と根の間に、最初から道があったみたいだった。
奥には淡い緑色の光が点々と続いている。
どこまで深いのか。
下を覗き込んでも、先は見えない。
「世界樹って……地下にあるのか?」




