#61「光の勇者は、目の前にいる」
航海五日目。
朝。
窓の外を覆っていた白い雲が、ゆっくりと後ろへ流れていく。
そして――。
「……おお」
思わず声が漏れた。
雲の向こうに、巨大な大陸が広がっていた。
緑に覆われた山々。
その斜面には、白い建物が段々に並んでいる。
山と山の間には、巨大な橋まで架かっていた。
遠くには、どこまで続いているのか分からないほど大きな森。
風が強いのか、あちこちに立つ旗が大きくなびいている。
「ここが……風の大陸シルフィードか」
肩に担いだルミナスが、ばふっと房を揺らした。
「すげえな……」
窓へ近づく。
異世界に来てから色々見てきたが、こうして大陸を上空から眺めるとやっぱり迫力がある。
山の上まで建物が並んでいる。
かなり高い場所にも窓があるな。
「……掃除、大変そうだな」
「そこ!?」
後ろからレナの声が飛んできた。
「いや、あんな高い場所に窓あるんだぞ。足場組むだけで一苦労だろ」
「感想が完全に清掃員なのよ」
「清掃員だからな」
「……そうだったわね」
「ん?」
「なんでもない」
なんだこいつ。
朝から変なやつだな。
ふと横を見る。
チャピが窓の前に立っていた。
「……」
さっきから何も喋らない。
風の大陸をじっと見つめている。
「チャピ」
「ん?」
「着いたな」
「……うん」
それだけ。
いつものチャピなら、もう少し騒いでもよさそうなものだが。
昨日も故郷の話をしたばかりだ。
俺が余計なことを言っても仕方ない。
「……やっと着いた」
今度はレナが小さく呟いた。
「ん?」
見ると、窓の外をじっと眺めている。
そういえば。
「そもそも、お前なんでこの船に乗ってたんだ?」
「……今さら?」
「今さらだな」
「五日間一緒にいて?」
「色々あったからな」
火事。黒い汚れ。主魔力炉。墜落しかけた飛行船。
正直、人の旅行目的なんか聞いてる場合じゃなかった。
「まあ……そうだけど」
レナが少しだけ表情を引き締める。
「教皇猊下から神託を受けたの」
「神託?」
「ええ」
「風の大陸へ向かえって」
「ほう」
「そこで――光の勇者に会えるって」
「…………」
光の勇者。
俺は肩に担いだルミナスを見る。
ルミナスも俺を見るように、房を傾けた。
「……そういや俺、光の女神の使徒なんだよな」
「そうね」
チャピが即答する。
「……それ、俺じゃないか?」
「…………は?」
レナが固まった。
「だから、光の勇者」
「…………」
俺を見る。
肩のルミナスを見る。
もう一度、俺を見る。
「ないわ」
「なんでだよ!」
即答だった。
「だっておじさんじゃない!」
「年齢関係ある!?」
「それに清掃員でしょ!」
「勇者が掃除したら悪いのかよ!」
「そういう意味じゃない!」
レナが立ち上がる。
「光の勇者よ!?もっとこう……勇者らしい人を想像するでしょ!」
「勇者らしいって何だよ」
「剣を持ってるとか!」
「俺はモップだな」
「そこなのよ!」
「でも光るぞ」
ルミナスを持ち上げる。
ぱあっと黄金色の光が漏れた。
「ほら」
「光るモップを見せられても困るわよ!」
ルミナスが抗議するように房をぶんぶん振った。
「怒ったぞ」
「モップが怒ること自体おかしいの!」
「レナ」
チャピが口を挟む。
「な、なによ」
「キョーくんが光の女神ルミナリエル様の使徒なのは本当よ」
「…………本当に?」
「本当に」
チャピの顔は真剣だった。
今度はノアを見る。
ノアは優雅に胸へ手を当てる。
「ええ。キョウマ様が光の女神に選ばれたお方であることは、間違いございません」
「…………」
最後にまた俺を見る。
「な?」
「な?じゃない!」
また怒られた。
「でもお前、主魔力炉でも見ただろ?」
「見たわよ!」
「ルミナス、めちゃくちゃ光ってただろ」
「主にモップがね!」
「俺もセットだ!」
「なんで勇者候補がモップの付属品みたいになってるのよ!」
……確かに。
それはちょっと嫌だな。
レナが額へ手を当てる。
「ちょっと待って……」
しばらく考え込んでから、もう一度俺を見る。
「……でも」
「ん?」
「普通じゃないのは、分かってる」
急に真面目な声になった。
「飛行船を助けた時だって、あんたの力がなかったらどうなってたか分からないし」
「俺だけの力じゃないだろ」
「それでもよ」
少しだけ間が空く。
「神託に出てきた光の勇者が、本当におじさんなら……」
「なら?」
「…………」
目を逸らした。
「まだ信じない」
「なんでだよ!」
「だって納得できないもの!」
「神託よりお前の納得が優先なの!?」
「うるさい!」
また怒られた。
光の勇者。
それが本当に俺なのかは、まだ分からない。
ただ。
光の女神の使徒。光るモップ。神託。
ここまで揃うと。
「……やっぱ俺じゃないか?」
「まだ言う!」
朝からレナの声が、船室いっぱいに響いた。
そんな話をしているうちに。
飛行船は少しずつ高度を落としていった。
窓の外に見えていた街が、どんどん近づいてくる。
大陸最大の商業都市。
アゴラディア。
チャピから以前聞いた名前だ。
白い石造りの建物。
広い通り。
飛行船が何隻も停泊する巨大な発着場。
地上には、大勢の人が動いていた。
エルフが多い。耳が長い。本当に長い。
「……エルフだらけだな」
「エルフの大陸なんだから当たり前でしょ」
飛行船が大きく揺れた。
ゴウン――。
着地したらしい。
しばらくして乗客用の扉が開く。
外から強い風が吹き込んできた。
「うおっ」
髪が一気に乱れる。
ルミナスの房まで横へ流された。
その風の中。
チャピの黄金色の髪が大きくなびく。
「……」
一瞬……足が止まった。
「チャピ?」
「……なに?」
「いや……」
チャピは前を向き、そのまま歩き出した。
俺たちも後へ続く。
地上へ降りる。
ざわざわと人の声。
荷物を運ぶ商人。
飛行船を点検する職員。
旅人。エルフ。人間。
いろんな連中が行き交っている。
「……」
チャピが周囲を見る。
ほんの少し。肩から力が抜けたように見えた。
そのまま俺たちは入港所へ向かった。
何人かの職員が、到着した乗客の身分証や荷物を確認している。
やがてレナの番になった。
「水城玲奈です」
職員が書類を確認する。
次の瞬間。
「……水城玲奈様?」
「はい」
職員の姿勢が一気に正された。
「水の勇者様ですね。教会より連絡を受けております」
「ええ」
職員は確認を終えると、レナへ身分証を返した。
ほう。さすが勇者。扱いが違う。
「勇者って言うと、手続きも早いんだな」
「まあね」
「じゃあ俺も光の勇者って言えば早く通れる?」
「やめて!」
レナが即座に振り返った。
「なんでだよ」
「まだ決まったわけじゃないでしょ!」
「光の女神の使徒なのは本当だぞ」
「だからって同じとは限らないでしょうが!」
「面倒だな」
「こっちの台詞よ!」
その時だった。
少し離れた場所を歩いていた、一人のエルフが足を止めた。
年配の男。
きっちりとした服を着ている。
この発着場の役人だろうか。
男はこちらを見ていた。
いや。違う。
チャピを見ている。
「……?」
チャピの顔から笑みが消えた。
男が目を細める。
「……まさか」
小さな声。
チャピの肩がわずかに跳ねた。
男がゆっくり近づき……そして目が大きく見開かれた。
「チャルディアノクス……」
そして。
深く頭を下げる。
「――チャルディアノクス殿下」
「…………」
「…………殿下?」
俺は隣を見る。
チャピはものすごく嫌そうな顔で、目を逸らしていた。
……家柄って。
そういう家柄だったのかよ。




