#58「水の勇者が部屋に来たら、大騒ぎになった」
翌朝。
目を覚ますと、身体が重かった。
「……痛い」
腕、腰、肩。
全身がしっかり筋肉痛だ。
昨日は主魔力炉の中を走り回り、黒い汚れに力まで吸われた。
三十三歳の身体にやらせる仕事ではない。
「今日は休む」
俺はベッドの中で宣言した。
誰に言ったわけでもない。
だが、返事はあった。
ぽふっ。
ルミナスの房が額に乗る。
「お前も賛成か?」
柄が前後に揺れた。
「よし。今日は何もしない」
異世界へ来てからというもの、働きすぎだ。
掃除、魔物、魔族、ダンジョン。
挙げ句の果てには飛行船の主魔力炉。
清掃員の業務範囲を完全に超えている。
今日はベッドから一歩も出ない。
そう決意した、その時。
コンコン。
扉が鳴った。
「……出ない」
コンコン。
「……俺はいない」
「キョーくん、起きてるでしょ!」
「いない!」
「返事してるじゃない!」
扉が開く。
「勝手に入るな!」
「私の取った部屋よ!」
「そうだった!」
忘れていた。
チャピがずかずかと入ってくる。
その後ろからノアも顔を出した。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「まあな」
「寂しくはありませんでした?」
「全然」
「……そこは少しくらい悩んでください」
「なんでだよ」
ノアが薄く微笑む。
……何が言いたいんだ、こいつ。
「今日はちゃんと休んでなさいよ」
チャピがベッド脇へ腰を下ろした。
「言われなくてもそのつもりだ」
「昨日あれだけ無茶したんだから」
「俺は掃除しただけだ」
「主魔力炉をね!」
俺が枕へ頭を沈め直した時。
部屋の外から、呼び鈴の音が聞こえた。
「……今度は誰だ」
「私が見てくる」
チャピが立ち上がり、寝室を出ていく。
少しして、応接室の方から声が聞こえた。
「あ」
「……おはよう」
聞き覚えのある声だ。
しばらくして、チャピが寝室へ戻ってくる。
その後ろから、青い髪が見えた。
レナだ。
「どうした?」
「どうしたって……」
レナが俺を見る。
一瞬、何か言いかけてから視線を逸らした。
「……様子を見に来ただけよ」
「元気だぞ」
「見れば分かるわよ!」
「じゃあ目的達成だな」
「帰らせようとしないで!」
難しい。
様子を見に来た。
元気なのを確認した。
なら終わりじゃないのか。
「おはようございます、レナ様」
ノアがにこやかに微笑んだ。
「……おはよう、ノクターリア」
「昨日はキョウマ様と随分ご活躍だったそうですね」
レナの肩がぴくっと動いた。
「なによ、その言い方」
「普通に申し上げただけですが?」
「絶対違うでしょ」
ノアの笑みが深くなる。
チャピが二人を交互に見る。
「昨日って、炉の中のこと?」
「ああ」
俺が答えると、チャピがこっちを向いた。
「キョーくん、レナと何してたの?」
「掃除」
「それは知ってる!」
「じゃあ何が聞きたいんだよ」
「その……他に!」
何だ、他って。
俺は昨日のことを思い返す。
「黒いやつに捕まった時、水で助けてもらった」
「うん」
「炉心を掃除してる時も、かなり助かったな」
「うん」
「あとは最後に倒れた時、受け止めてもらった」
チャピが止まった。
「……受け止めてもらった?」
「ああ」
「レナに?」
「他に誰がいるんだよ」
ゆっくり、チャピがレナを見る。
レナの顔が赤くなった。
「ち、違うからね!」
「まだ何も言ってないけど」
「顔が言ってる!」
ノアが口元へ手を添える。
「なるほど。昨日はそこまで進展していたのですね」
「進展してない!」
レナが即座に叫んだ。
「倒れてきたから受け止めただけよ!」
「キョウマ様を?」
「そうよ!」
「お身体を?」
「そう――」
レナが止まった。
ノアがにっこり笑う。
「わたくしは事実を確認しているだけですよ」
「絶対わざとでしょ!」
「心外です」
嘘だ。
こいつ、完全に遊んでいる。
「キョーくん」
チャピが俺を見る。
「何だ」
「私だって受け止められるからね」
「何を?」
「キョーくん!」
「俺を?」
「そう!」
「なんで?」
「なんでって……!」
チャピが言葉に詰まった。
俺は考える。
「でも俺、チャピよりかなり重いぞ」
「そういう問題じゃないの!」
「じゃあどういう問題なんだよ」
「もう!」
頬を膨らませた。
本当に分からん。
ノアが楽しそうに二人を眺めている。
「朝から賑やかですね」
「原因はお前だろ!」
「わたくしは何もしておりません」
「火をつけて眺めてるだけだろ!」
「まあ。人聞きの悪い」
否定しないのかよ。
「とにかく」
チャピが俺の腕を掴んだ。
「昨日は私だってちゃんと役に立ったんだからね」
「知ってるよ」
「本当に?」
「ああ。倒れてた職員を見ててくれただろ」
「それだけ?」
「黒いのが外に出ないようにもしてくれた」
「そうじゃなくて……」
「何が?」
また頬が膨らんだ。
難しい。
女心は主魔力炉より構造が複雑だ。
しかも点検口がない。
「おじさん」
レナが呆れたように俺を見る。
「なに?」
「……あんた、本当に分かってないのね」
「何が?」
「なんでもない」
最近それをよく言われる。
その時。
ぽふっ。
ルミナスの房が俺の顔を覆った。
「んぐっ!?」
鼻と口が塞がれる。
「ルミナス!?」
チャピが声を上げた。
俺は慌てて房を剥がす。
「何するんだ!」
ルミナスがぶんぶんと柄を振った。
「……もう寝ろってことか?」
ぴたり。
肯定らしい。
「いや、俺だって寝たいんだよ!」
もう一度、ぽふっ。
「だから鼻を塞いだら寝る前に死ぬって!」
レナが吹き出した。
「ふっ……」
俺は振り返る。
「今笑っただろ」
「笑ってない」
「笑った」
「笑ってないって」
口元が完全に笑っている。
「なんだ。やっと普通に笑ったな」
「え?」
「昨日からずっと難しい顔してただろ」
レナが固まった。
「別に……普通だったけど」
「そうか?」
「そうよ」
また顔を逸らす。
耳が少し赤い。
「まあいいけど」
「よくない!」
「どっちだよ」
チャピがじっと俺たちを見ていた。
「……キョーくん」
「何だ?」
「レナにはよく気づくんだね」
「何が?」
「なんでもない!」
今度はチャピまで顔を逸らした。
「なんなんだよ……」
ノアが肩を震わせている。
「お前、笑ってるだろ」
「いいえ」
「絶対笑ってる」
「大変興味深い朝だと思っているだけです」
「楽しんでるじゃねえか!」
ノアが口元を隠す。
否定する気はないらしい。
ふと見ると、レナまで笑っていた。
「お前も笑うなよ」
「だって……」
レナは顔を背ける。
「こんなの見たら笑うでしょ」
「俺は被害者なんだが」
「はいはい」
全然信じてない。
「キョーくん」
今度はチャピが俺の腕を引く。
「なに?」
「今日はちゃんと休むんでしょ?」
「そのつもりだったんだけどな」
ちらりと三人を見る。
朝から全然休めていない。
ぽふっ。
ルミナスの房が俺の額に乗った。
「……分かったよ。寝るよ」
柄が一度だけ揺れる。
完全に保護者だ。
俺は枕へ身体を沈めた。
昨日は飛行船が落ちかけた。
今日は朝から女三人に囲まれて騒がれている。
どっちが疲れるかと聞かれたら。
少し悩む。
俺は布団を頭までかぶった。
せめて今日くらい。
平和に休ませてほしい。




