#57「今度は間に合った、その言葉」
目を開けると、見覚えのある天井があった。
金色の縁取り。
無駄に豪華な照明。
柔らかすぎて身体が沈む、大きなベッド。
「……またロイヤルスイートか」
どうやら地獄ではないらしい。
地獄にロイヤルスイートがあるなら、少し興味はあるが。
「キョーくん!」
声と同時に、左腕へ小さな身体が飛びついてきた。
「ぐおっ!?」
まだ力の戻らない身体に、容赦のない一撃が入る。
「起きた!よかったぁ!」
「チャピ……腕を引っぱるな!ちぎれる!!」
「キョーくんが全然起きないからでしょ!」
「心配と攻撃を同時にするな!」
チャピの頭越しに、黒い影がぬっと現れた。
「ご安心ください、キョウマ様」
ノアが胸へ片手を当て、優雅に一礼する。
「万が一、目を覚まさなかった場合は、口づけによる蘇生を試す予定でした」
「永遠に眠らせる気か!」
「あら。まだ試してもいませんよ」
「試すな!」
いつもの二人だ。
騒がしい。
でも、その声を聞いていると妙に安心する。
ベッドの脇では、ルミナスが壁へ立てかけられていた。
俺が目を向けると、勢いよく宙へ浮かぶ。
そのまま顔面へ飛び込んできた。
「お前もか!」
柔らかな房が、頬へ何度も押しつけられる。
「分かった!分かったから鼻を塞ぐな!」
「……キョウマ」
窓際から、声がした。
青い髪。
椅子へ腰掛けていたレナが、こちらを見ている。
目が合った。
何か言いかけて――ふいっと顔を逸らした。
「……まあ、元気そうね」
「なんだよ、その反応」
「別に」
少し間を置いて、レナがこちらを見る。
「心配して損したわ、おじさん」
その姿を見た瞬間。
胸の奥から、ふっと力が抜けた。
ちゃんといる。
なぜか、そんな言葉が浮かんだ。
「……レナ」
「なによ」
「いや……なんでもない」
返事が返ってきただけで、妙にほっとする。
おかしい。
こいつとは、まだ会ったばかりなのに。
レナはしばらく俺を見ていたが、やがて椅子から立ち上がった。
「ねえ」
「ん?」
「覚えてる?」
「何を?」
レナがベッドの横まで来る。
「あんた、倒れる前に言ったのよ」
少し間を置いて。
「――今度は間に合った、って」
部屋が静かになった。
チャピが俺の腕を抱いたまま、顔を上げる。
ノアも黙ってこちらを見ていた。
「……俺が?」
「ええ」
「何に間に合ったんだ?」
「それを私が聞いてるの!」
怒られた。
でも、本当に覚えていない。
炉心の黒い汚れをルミナスで落とした。
主魔石の光が戻った。
船が水平に戻って。
力が抜けて。
レナに受け止められた。
そこまでは覚えている。
その先が、妙に曖昧だった。
思い出そうとすると、胸の奥がざわつく。
何か大事なことを忘れているような。
そんな感覚だけが残っていた。
「……分からん」
「また?」
「悪い」
「謝ってほしいんじゃないわよ」
レナが眉を寄せる。
「知らないはずの私の名前を呼んだり、何も起きてないのに急に助けたり……今度は『間に合った』でしょ?」
「やっぱり未来予知かもしれないな」
「真面目に答えて!」
「真面目だ!」
「どこがよ!」
レナの声が部屋に響く。
チャピが深くため息をついた。
「まだ未来予知って言ってる……」
「ですが、まったく根拠がないとも言えませんね」
ノアが静かに口を開いた。
「魔力管が破裂する前、キョウマ様は誰よりも早く動いていました」
「ほらな」
「何が『ほらな』よ」
チャピが俺を見る。
「でもキョーくん、爆発するって分かってたわけじゃないでしょ?」
「危ないってことは分かった」
「それ未来予知なの?」
「危険だけ分かるタイプなんだよ。たぶん」
「ずいぶん都合の悪い未来予知ね……」
「俺もそう思う」
「炉の中でもあったわよ」
レナが口を挟んだ。
チャピとノアが同時にレナを見る。
「何が?」
「黒いのに襲われる直前。キョウマが急に私を引っ張ったの」
「え?」
「本人からは見えてなかったはずよ。それなのに、攻撃が来る前に動いた」
チャピがゆっくり俺を見る。
「……キョーくん?」
「だから未来予知だって」
「なんでちょっと嬉しそうなのよ!」
「新しい能力かもしれないだろ!」
「そんな単純な話でしょうか」
ノアがぽつりと言った。
俺はノアを見る。
「じゃあ何なんだ?」
「それが分からないから、不思議なのですよ」
「……俺が一番知りたい」
結局、それ以上の答えは出なかった。
「まあ、考えて分からないものは仕方ない」
俺は身体を起こした。
「それより、船はどうなった?」
レナが答えた。
「主魔力炉の出力も安定したって。風の大陸までは問題なく着けるそうよ」
「倒れてた職員は?」
「全員無事。まだ動けない人もいるけど、命に別状はないって」
「他の怪我人は?」
「船が傾いた時に転んだ人が何人か。大きな怪我はないみたい」
「そうか」
息を吐く。
死んだ人はいない。
その事実を聞いただけで、身体からまた少し力が抜けた。
「……よかった」
レナがじっと俺を見る。
「またそれ」
「何が?」
「さっきから、ずっと安心した顔してる」
「船が落ちなかったんだから当たり前だろ」
「……まあ、いいけど」
レナが少しだけ顔を逸らした。
「なあ」
「なに?」
「炉の中、助かった」
「急にどうしたのよ」
「言える時に言っとこうと思って」
あの水がなければ、そもそも炉室には入れなかった。
黒い汚れに絡まれた時も、何度も助けられた。
「お前がいなかったら、炉心まで辿り着けなかった」
レナが目を瞬かせる。
「私は水の勇者よ。あれくらい――」
「勇者だからじゃない」
「え?」
「あの時、レナがいてくれて助かったって話だ」
「……」
レナが固まった。
顔が少し赤くなっていく。
「どうした?」
「なんでもない!」
「顔赤いぞ」
「うるさい!」
元気そうだ。
ならいいか。
「キョーくん」
腕に回っていたチャピの力が、ぎゅっと強くなった。
「私もいたんだけど」
「知ってるよ」
「私も役に立ったよね?」
「もちろん。外を守ってくれただろ」
「それだけ?」
「倒れてた職員も見てくれた」
「もっとこう……あるでしょ!」
「何が?」
チャピの頬が膨らんだ。
難しい。
女心は主魔力炉より構造が複雑だ。
しかも点検口がない。
コンコン。
扉が叩かれた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、貨物区画で案内してくれた職員だった。
その後ろには、白い制服を着た年配の男が立っている。
「船長です」
紹介され、船長が深く頭を下げた。
「このたびは、我が船をお救いいただき、心より感謝いたします」
「俺だけじゃない。この三人とルミナスがいたからだ」
俺が答えると、ルミナスが得意げに房を膨らませた。
「もちろん、皆様にも改めてお礼をさせていただきます」
船長の表情が硬くなる。
「ただ、その前にお伝えしておかなければならないことがあります」
隣の職員が、布に包まれたものをテーブルへ置いた。
布を開く。
中にあったのは、あの魔石だった。
黒い汚れは消えている。
だが、表面は白く濁り、細かな傷がいくつも残っていた。
「やっぱり使用済みなんだな」
「はい」
職員が頷く。
「長期間使用された魔石で間違いありません」
「黒いやつは?」
「それについては、まだ分かっていません」
職員が首を横に振る。
「ただ、機関員にも確認しましたが、通常の魔力滓が自ら動いたという記録はありません」
船長が続ける。
「まして、人へ絡みついて力を奪ったり、主魔力炉へ侵入したりするなど、聞いたこともないそうです」
レナが魔石を見る。
「じゃあ、あれは普通に発生したものじゃない?」
「断定はできません」
船長が答える。
「ですが、少なくとも通常の設備故障だけでは説明できません」
部屋の空気が少し重くなる。
「この魔石はどこから?」
「ルーメンポートの指定業者から納品されました」
「検品済みだったよな」
「はい。札も封蝋も、正規のものです」
「それなのに、中にはこれが入ってた」
「……はい」
誰かが見落とした。
あるいは。
検品した後で、中身が変わった。
どちらにしても、ろくな話じゃない。
誰が。
何のために。
どうやって。
まだ何も分からない。
窓の外には、青い空が広がっている。
飛行船は何事もなかったように、その中を進んでいた。
俺はテーブルの上の魔石を見る。
黒い汚れはもうない。
ルミナスがきれいにした。
なのに。
どうにも、まだ汚れているように見える。
「……最悪だな」
「何が?」
レナが尋ねる。
「こういう汚れは、モップじゃ落とせない」
直後。
ルミナスが俺の頭をぽこんと叩いた。
「痛っ!お前でも無理なものはあるだろ!」
もう一度叩かれた。
「分かった!悪かった!」
騒ぐ俺を見て、レナが小さく笑った。
ほんの少しだけ。
さっきまでより、柔らかい顔で。




