#55「新品の札と、使い古された魔石」
黒い筋を逆に辿って、通路を進む。
先へ進むほど、嫌な感じが強くなっていく。
何があるのかは分からない。
ただ、できることなら近づきたくなかった。
「キョーくん、本当に行くの?」
隣を歩くチャピが、俺を見上げた。
「行く」
「顔は全然行きたそうじゃないけど」
「行きたくないからな」
「即答!?」
そりゃそうだ。
主魔力炉はおかしくなってる。
訳の分からない黒い汚れは動き回る。
おまけに船まで揺れ始めた。
こんな場所に喜んで突っ込む奴がいたら、そっちの方がおかしい。
だが、原因を残したまま主魔力炉だけ掃除しても、また同じことが起きる。
詰まりを取らずに、あふれた水だけ拭くようなものだ。
「逃げるにしても、原因くらい見つけてからだ」
「結局逃げるのね……」
「逃げられるならな」
チャピが呆れたように息を吐く。
その横で、ノアは楽しそうに目を細めた。
「逃げたいとおっしゃるわりに、原因は放っておけないのですね」
「仕方ないだろ」
「ふふ。難儀な性分ですね」
「褒めてるのか、それ」
「もちろんです」
絶対に違う。
そんなやり取りをしながら黒い筋を追って進んだ。
やがて、床に残った黒い染みが細い階段へ続いていく。
階段を下りると、壁から装飾が消え、剥き出しの配管と金属板が並ぶ。
低い天井には魔石灯が一定間隔で埋め込まれ、青白い光を放っていた。
現世で見慣れた、建物の裏側。
客が歩く場所は豪華でも、その裏はどこも同じらしい。
黒い筋は、そのまま通路の奥へ続いていた。
俺たちは跡を追って進む。
やがて、前方に鉄扉が見えてきた。
その前では、数人の職員が木箱を開け、中身を確認している。
俺たちに気づいた一人が顔を上げた。
「お客様?ここから先は貨物区画です。立ち入りは禁止されています」
「いや、俺たちは――」
「私たち、あの黒い跡を追ってるの」
レナが一歩前へ出た。
「黒い跡?」
職員が床を見る。
その視線が、俺たちの足元から続く黒い染みに止まった。
「主魔力炉の異常に関係してる可能性があるわ」
「しかし……」
「私は水の勇者、水城玲奈よ」
「勇者様!?」
職員の顔色が変わった。
レナが鉄扉の向こうを指差す。
「この跡、貨物区画の中まで続いてる?」
職員は慌てて床を確認すると、表情を曇らせた。
「……はい。確かに」
「だったら通して。原因を調べたいの」
職員は一瞬迷ったあと、腰から鍵を取り出した。
「分かりました。ですが、中には積荷が大量にあります。足元にはお気をつけください」
鍵が回り、鉄扉が開く。
冷たい空気と一緒に、木と油の匂いが流れてきた。
中には大小さまざまな木箱が積み上げられている。
そして。
黒い筋は、その間を縫うようにさらに奥へ続いていた。
「……ここだ」
ルミナスを握る手に力が入る。
黒い筋は、一番奥に積まれた木箱の前で途切れていた。
「この箱は?」
俺が尋ねると、職員が側面の印を確認した。
「主魔力炉で使う交換用の魔石です」
「交換用?」
「はい。今日、ルーメンポートで積み込まれたものです」
俺は木箱へ目を落とした。
側面には赤い札が取り付けられている。
――検品済み。異常なし。
俺は箱の前にしゃがみ込んだ。
札は新しい。
封をしている赤い蝋も、きれいなまま残っている。
だが、箱の底は黒く濡れていた。
隙間から、黒い液体が一滴。
床へ落ちる。
その瞬間、ルミナスが激しく房を震わせた。
「新品からこんなものが漏れるのか?」
「そ、それは……」
職員の顔から血の気が引いていく。
「開けられるか?」
「しかし、封印は破損しておりません。検品官の許可なく開封することは――」
「船が落ちるのと、規則を破るの。どっちがマシだ?」
職員はしばらく迷ったあと、封を切った。
釘を抜く。
木箱の蓋が、ゆっくりと持ち上がる。
中には青白い魔石が整然と並んでいた。
一つ。
二つ。
三つ。
どれも同じ大きさに削られ、柔らかな光を放っている。
ただ――
「……なんだ、これ」
一番端。
そこに一つだけ、真っ黒な魔石が混じっていた。
光っていない。
表面は曇り、細かな傷だらけだった。
角も削れ、何度も金具で固定されたような跡が残っている。
どう見ても新品じゃない。
職員が箱を覗き込み、息を呑んだ。
「そんな……」
「知ってるのか?」
「使用済みの魔石です」
「使用済み?」
「はい。魔力を使い果たしたものは回収され、浄化してから廃棄されます。こんな状態で積み込まれるはずが……」
俺は黒い魔石へ視線を戻した。
その表面から。
黒い液体が、ゆっくりと滲み出していた。
「……こいつだ」
黒い魔石が、どくんと脈打った。
「――離れろ!」
黒い液体が噴き出す。
箱の縁を越え、何本もの細い筋となって床へ飛び散る。
それぞれが別の方向へ走り出した。
「増えた!?」
「レナ!水で包めるか!」
「えっ?」
「また逃げる!」
一瞬だけ驚いたレナは、すぐに剣を抜いた。
「分かった!」
剣先から水が渦を巻いて広がる。
黒い筋をすくい上げ、そのまま一つの水球へ閉じ込めた。
水球の中で、黒い汚れが暴れ回る。
形を変え、伸び縮みし、外へ逃げようと水面を叩いている。
「こ、これ……長くは持たないわよ!」
「十分だ!」
俺はルミナスを持ち上げた。
「頼んだぞ相棒!」
ルミナスが力強く柄を前後に振る。
「よし。レナ、そのまま固定してくれ!」
「簡単に言わないで!」
「頼む!お前にしかできない!」
「――っ!」
レナの表情が変わった。
両手で剣を握り、揺れていた水球を強引に押さえ込む。
「三十秒だけ持たせる!早くして!」
「三十秒もいらない!」
ルミナスの房を水球へ突っ込んだ。
瞬間。
黄金色の光が弾けた。
透明な水の中を、光が渦巻く。
黒い汚れが逃げ場を求めて激しくうねった。
だが、レナの水球は崩れない。
ルミナスの房が大きく広がり、黒い筋を次々と消していく。
一つ。
また一つ。
最後に残った黒い塊が、逃げ場を探すように激しくうねった。
そして。
黄金色の光に包まれ、跡形もなく消えた。
水球が弾け、澄んだ水が床へ落ちる。
「……終わった?」
レナが息を切らしながら尋ねた。
「ああ。助かった」
俺はルミナスを下ろし、レナを見る。
「お前がいなかったら、全部逃がしてた」
「……」
レナは目を丸くした。
それから、なぜか顔を逸らす。
「こ、このくらい……水の勇者なら当然よ」
長い髪の隙間から見える耳が、わずかに赤い。
「キョーくん」
背後から低い声がした。
振り返ると、チャピが頬を膨らませている。
「私の風でも、たぶん閉じ込められたけど」
「いや、風で飛び散るだろ」
「やってみないと分からないじゃない!」
「試して失敗したらどうするんだよ!」
チャピが不満そうに頬を膨らませる。
「私だって役に立てるのに」
「分かってるって」
「じゃあ次は私ね」
「次がある前提で話すなよ」
その時。
船体が大きく傾いた。
「きゃっ!」
木箱が滑り、積み上げられた荷物が一斉に崩れる。
直後。
けたたましい警報音が船内に鳴り響いた。
赤い魔石灯が一斉に明滅する。
「……これ、かなりまずくないか?」
答えるように、もう一度船体が大きく揺れた。
床の傾きが、さっきより明らかにきつくなっている。
「主魔力炉!」
チャピが叫ぶ。
「ああ!」
捕まえたのは、外に残っていた汚れだけだ。
すでに主魔力炉へ入り込んだ分は、まだ中にいる。
結局、戻るしかないらしい。




