#54「主魔力炉、侵入する異物」
ドォン――!
足元が大きく揺れた。
「うおっ!?」
壁に手をつき、なんとか踏ん張る。
天井から細かな埃がぱらぱらと落ちてきた。
「い、今のは……」
近くにいた職員が真っ青な顔で通路の奥を見る。
「主魔力炉の方からです!」
思わず通路の奥を見る。
「おいおい……冗談だろ」
「キョーくん、行くよ!」
「行くって……まさか」
「主魔力炉!」
「だよなあ!」
聞かなきゃよかった。
俺たちは黒い筋を追って通路を走った。
床を這うそれは、途中で何度も途切れている。
だが完全には消えていない。
少し先に、また黒い染み。
さらに先にも。
まるで誰かが黒い液体を垂らしながら歩いたみたいだ。
「……気持ち悪いな」
ルミナスも同意するように、ぶるりと房を震わせる。
「キョーくん。これ本当に汚れなの?」
「分かるわけないだろ」
「掃除の専門家でしょ?」
「見たことない汚れまで全部知ってるわけじゃねえよ!」
見ただけで全部分かるなら苦労しない。
異世界汚れ鑑定士一級。
……そんな資格があったら欲しいな。
「しかし、不思議ですね」
走りながらノアが床を見る。
「先ほどルミナス様が触れた瞬間、明らかに逃げました」
「そこなんだよな」
汚れが逃げる。
冷静に考えると意味が分からない。
油汚れは逃げない。
水垢も逃げない。
カビだって逃げない。
逃げてくれるなら清掃員は苦労しない。
「もしかして、魔物なんじゃない?」
レナが黒い筋を見ながら言う。
「魔物って、こんな染みみたいなやつもいるのか?」
「知らない。でも、さっき逃げたでしょ」
「……それはそうだな」
そんなやり取りをしているうちに、通路の先が開けた。
大きな扉がある。
その前に数人の職員が集まっていた。
「開きません!」
「内部圧力が安定していない!」
「補助系統は!?」
「反応ありません!」
よく分からない単語が飛び交っている。
だが一つだけ分かった。
非常によろしくない状況らしい。
「主魔力炉はこの中か?」
俺が尋ねると、一人の職員が振り返った。
「はい!ですが危険です!離れてください!」
「中で何が起きてる?」
「分かりません!」
即答だった。
分からない。
一番嫌な答えだ。
設備の異常で一番怖いのは、原因が分からないこと。
壊れている場所が分かれば止められる。
漏れている場所が分かれば塞げる。
だが。
何が起きているか分からない。
これは面倒だ。
「扉、開けられないのか?」
「無理です!炉内の魔力が乱れて、安全装置が扉を封鎖しています!」
そこまで聞いたところで。
俺は扉へ近づいた。
手を伸ばした瞬間。
止まった。
「……?」
扉まではあと少し。
触ろうと思えば触れる。
なのに。
腕が動かない。
胸の奥がざわつく。
喉が詰まる。
額から嫌な汗が流れた。
「キョーくん?」
チャピの声が後ろから聞こえた。
「どうしたの?」
「……分からん」
「また?」
「また」
本当に分からない。
でも。
嫌だ。
この扉に近づきたくない。
開けたくない。
理由なんて一つもないのに。
「未来予知ですか?」
ノアが言った。
「……その可能性が高い」
「まだ言ってるの?」
チャピが呆れた。
「でも、さっきの爆発は分かったんだぞ!」
「でも未来予知なら、もっと早く分かるんじゃないの?」
「知らねえよ!直前になったら分かるタイプかもしれないだろ!」
「ずいぶん使いにくい未来予知ね」
「レナはちゃんと助けただろ!」
「ちょっと!その話まだするの!?」
レナまで赤くなる。
その時だった。
ルミナスが突然、俺の横を飛び抜けた。
「おい!」
扉の前まで行き、床すれすれまで高度を落とす。
房が激しく揺れた。
そこには――
「……黒い汚れ」
あった。
扉の下。
ほんのわずかな隙間から、黒い筋が中へ伸びている。
俺はしゃがみ込んだ。
「これ……」
妙だ。
「どうしたの?」
チャピも隣にしゃがむ。
「いや……」
俺は黒い筋を目で追った。
通路側から伸びて。
扉の隙間へ入り込んでいる。
もう一度見る。
やっぱり同じだ。
「これ、魔力炉から出てきたんじゃない」
「え?」
「逆だ」
俺は黒い筋を指差した。
「外から中に入ってる」
一瞬。
全員が黙った。
レナが床へ顔を近づける。
「分かるの?」
「何となくだけどな」
汚れ方が違う。
設備から何かが漏れたなら、普通は設備側が一番ひどくなる。
そこから外へ広がっていく。
だがこれは逆だ。
通路から扉へ。
その先の主魔力炉へ。
「つまり……」
チャピが顔を上げた。
「主魔力炉が黒くなってる原因は、別の場所にあるってこと?」
「まだ分からん」
俺は黒い筋を見る。
「でも少なくとも、ここが元じゃない」
「原因を探す」
俺は立ち上がった。
「汚れを消すのは、そのあとだ」
「掃除しないの?」
チャピが驚いた顔をする。
「俺を何だと思ってる」
「汚れを見たら突っ込んでいく人」
「否定しづらい!」
俺は来た道を振り返った。
床には点々と黒い染みが続いている。
主魔力炉へ向かって。
ずっと。どこかから。
「逆に辿ればいい」
レナが言った。
「ああ」
黒い汚れが来た場所。
そこを探す。
単純な話だ。
床には、点々と黒い染みが続いている。
ずっと、通路の奥から。
その先には何も見えない。
ただ薄暗い通路が続いているだけだ。
なのに。
なんとなく嫌な感じがして俺はしばらく、その奥を見つめていた。




