#77-28「届かなかった、手」
……ミシッ。
「……ん?」
足元から、嫌な音が聞こえた。
「おい、ガンツ」
「ああ。聞こえた」
ガンツが立ち止まり、地面へ目を向ける。
「全員、そこで待機!」
工兵たちが足を止めた。
ガンツは近くの兵士へ指示を出す。
「亀裂の状態を確認しろ! 広がっているようなら作業は中止だ!」
「了解!」
……。
俺は目の前の兵舎を見た。
崩れた壁の向こうから、かすかに声が聞こえている。
「……おーい! 聞こえるか!」
俺が呼びかけると、少し間を置いて返事があった。
「……たす……けて……!」
……いる。
確かに、まだ生きてる奴がいるんだ。
「ガンツ!」
「分かってる! だが焦るな!」
ガンツが俺を制した。
「今ここが崩れたら、中の奴らまで巻き込んじまう!」
「……そうだな」
……くそっ。
待つしかないのか。
やがて、調査を終えた工兵が戻ってきた。
「隊長! 亀裂の拡大は確認されません! ただし、建物の内部は不安定な状態です!」
「よし。まず支えを入れる! 救助班は少人数に絞れ!」
「はっ!」
「キョウマ。お前のモップ、また使えるか?」
「もちろんだ!」
「なら頼む! 内部の土埃を取り除いてくれ! ただし、瓦礫には触るなよ!」
「任せろ!」
俺はルミナスを構えた。
「頼むぞ、相棒!」
ばふっ!
ゴオオッ!
崩れた壁の隙間から、土埃が吸い込まれていく。
……よし。
これで少しは見やすくなったな。
「おお! 助かるぜ!」
ガンツが内部を覗き込んだ。
「……よし。通れる場所がある!」
工兵たちが慎重に木材を運び込み、崩れかけた梁を支えていく。
「蓮! そっちの資材を頼む!」
「はい!」
「チャピ! 周りの土埃が舞わないようにできるか?」
「うん! 任せて!」
チャピが両手をかざす。
柔らかな風が流れ、細かな砂埃が建物の外へ押し流された。
「ノア! 中に何人いるか分かるか?」
「……少々お待ちください」
ノアが目を閉じる。
しばらくして、ゆっくりと口を開いた。
「……三人です」
「三人!?」
「はい。奥に二人、少し離れた場所に一人……皆、まだ生きています」
「ガンツ! 三人だ!」
「聞こえた! 救助班、準備しろ!」
ガンツが大声で指示を飛ばした。
「まず奥の二人を助ける! 支えを確認しながら進め!」
「了解!」
俺たちは慎重に兵舎の中へ入った。
内部は想像以上にひどい状態だった。
天井の一部が落ち、石材と木材が折り重なっている。
床には大きな亀裂が走り、壁も傾いていた。
……おいおい。
よくこんな状態で建物が残ってるな。
「キョウマ! 足元に気をつけろ!」
「おう!」
ガンツの後に続き、慎重に進む。
やがて――。
「いたぞ!」
崩れた壁の向こうに、兵士が二人いた。
一人は足を瓦礫に挟まれている。
もう一人は、その隣で倒れていた。
「おい! 大丈夫か!」
「……た……助けて……」
「大丈夫だ! 今出してやる!」
ガンツが瓦礫の状態を確認した。
「よし! こっちの石を動かすぞ! 支えを追加しろ!」
「蓮! 手伝えるか!」
「はい!」
「……せーのっ!」
石材がゆっくりと持ち上がる。
「おお! すげえ力だな!」
「勇者だからな!」
「キョウマさん! 今はそれどころじゃありません!」
「……そうだった!」
つい、いつもの調子になっちまった。
やがて一人目の兵士が救い出された。
続いて二人目も、工兵たちによって運び出される。
「よし! 二人とも外へ!」
「ノア! 残りの一人は!?」
「……こちらです!」
ノアが奥を指差した。
崩れた木材の向こう側。
そこに、狭い空間が残っていた。
「……おい! 誰かいるか!」
「……ここ……です……」
弱々しい返事が聞こえた。
「ガンツ! いたぞ!」
「ああ! 見えてる!」
ガンツが駆け寄り、内部を確認した。
そこには、若い兵士が倒れていた。
足元には崩れた石材。
どうやら身動きが取れないらしい。
「……隊長……」
「おう! 助けに来たぞ!」
ガンツが笑った。
「もう少しの辛抱だ!」
「……すみ……ません……」
「謝るな! お前は何も悪くねえ!」
ガンツは工兵たちへ振り返った。
「おい! ここの支えを補強するぞ! そっちの木材を持ってこい!」
「了解!」
俺たちも手伝いながら、慎重に瓦礫を取り除いていった。
そのときだった。
ゴゴゴゴ……。
「……ん?」
足元が、わずかに震えた。
「……おい」
ゴゴゴゴゴ……!
今度は、はっきりとした揺れだった。
「……まずい!」
ガンツが叫んだ。
「全員、作業中止! 外へ退避しろ!」
「はっ!」
工兵たちが一斉に動き出す。
……おいおい。
また地震かよ!
「キョウマ! お前も下がれ!」
「でも、まだ一人!」
「分かってる! だが、ここで全員潰れたら誰も助けられねえ!」
……くそっ!
そのとおりだ。
俺は一歩後ろへ下がった。
だが――。
「……たす……けて……!」
若い兵士が、必死に手を伸ばしていた。
俺は思わず足を止めた。
「……ガンツ!」
「……ああ!」
ガンツが兵士を見た。
そして、足元の瓦礫へ視線を移した。
「……支えはまだ持ってる。今なら引き出せる!」
「本当か!?」
「だが、時間がねえ!」
ガンツは工兵たちへ叫んだ。
「お前らは退避しろ! 外から救助経路を確保しろ!」
「隊長!?」
「命令だ! 急げ!」
「……はっ!」
工兵たちが出口へ向かった。
ガンツは若い兵士のもとへ駆け寄り、足元の瓦礫を確認した。
「キョウマ! そいつの体を引っ張る準備をしろ!」
「おう!」
俺は兵士の腕を掴んだ。
ガンツが石材を支え、兵士の足を抜こうとする。
「……くっ! 重てえな!」
「ガンツ!」
「もう少しだ!」
ガンツが歯を食いしばった。
……頼む。
あと少し、あと少しで――。
「……抜けた!!」
兵士の足が自由になった。
「よし! キョウマ! 連れて行け!」
「おう!」
俺は兵士を抱え、出口へ向かおうとした。
その瞬間――。
ドゴォォォォン!!
凄まじい衝撃が走った。
「うわああっ!?」
床が大きく揺れた。
支えていた木材が砕け、天井から石材が落ちてくる。
「キョウマ!!伏せろ!!」
俺は反射的に兵士を抱え込んだ。
次の瞬間。
ドンッ!!
背中に強い衝撃。
……え?
何だ?
体が前へ押し出される。
俺と兵士は、そのまま出口近くの床へ転がった。
「……いってえ!」
何が起きた?
俺は慌てて振り返った。
そこには――。
「……ガンツ?」
ガンツが立っていた。
いや。
立っているように見えただけだった。
その背後では、巨大な石材が崩れ落ちている。
「……おい」
ガンツが俺たちを突き飛ばしたのか?
そのおかげで、俺たちは助かった。
……でも。
「ガンツ!!」
俺が叫んだ瞬間――。
バキバキバキッ!!
ガンツの足元が、大きく崩れた。
「……っ!」
大柄な体が傾く。
「ガンツ!!」
俺は必死に手を伸ばした。
ガンツも、こちらへ手を伸ばす。
……あと少し!
あと少しで届く!
だが――。
ドゴォォン!!
床が崩れた。
ガンツの体が、地面の裂け目へ落ちていく。
「ガンツぅぅぅ!!」
伸ばした手は、何も掴めなかった。
……。
「……嘘だろ」
目の前で、大きな亀裂が広がっていく。
崩れた石材が次々と落ち、ガンツの姿が見えなくなった。
「……おい」
俺は立ち上がろうとした。
「キョーくん!!」
チャピの声が響く。
「危ない!!」
腕を掴まれ、後ろへ引っ張られた。
その直後、俺がいた場所の床まで崩れ落ちた。
「……っ!」
……何だよ。何なんだよ、これ。
「ガンツ!!」
俺は叫んだ。
「おい! 返事しろよ!!」
……。
返事はない。
ただ、崩れる石の音だけが響いていた。
「キョウマさん! こっちへ!」
蓮が負傷した兵士を抱えて駆け寄ってきた。
「早く外へ!」
「……ガンツが!」
「分かっています! でも、今は危険です!」
……。
分かってる。
そんなこと、分かってるよ。
でも――。
「……くそっ!!」
俺たちは崩れた兵舎から退避した。
――しばらくして。
地面の揺れが収まり、工兵たちが再び崩落地点の調査を始めた。
俺もルミナスを握りしめていた。
「……ガンツは?」
レオンが低い声で尋ねた。
誰も答えなかった。
「……ガンツ工兵隊長は?」
もう一度、尋ねる。
工兵の一人が俯いた。
「……崩落に巻き込まれました」
「……そうか」
レオンはそれだけ答えた。
……。
「……おい」
俺は工兵たちへ近づいた。
「まだ助けられるだろ?」
「……キョウマさん」
「瓦礫をどかせばいいんだろ? だったら俺も手伝う!」
……。
「ルミナス! 頼むぞ!」
ばふっ!
ルミナスが小さく震えた。
俺は崩れた兵舎を見つめた。
……まだだ。
まだ諦めるな。
あいつ、あんなに元気だったじゃないか。
さっきまで普通に笑ってただろ。
……。
「キョウマ」
レオンが俺の肩に手を置いた。
「……救助は続ける。ただし、安全が確保されるまでは近づくな」
「……ああ」
……分かってる。
分かってるけど。
俺は崩れた兵舎から目を離せなかった。
――それから、救助活動が続いた。
工兵たちが周囲の地盤を調べ、崩れた石材を一つずつ取り除いていく。
俺も、許可された場所で作業を手伝った。
ルミナスで土埃を取り除き、運び出された石材を片づけた。
……早く。早く見つけてくれ。
何度も、何度もそう願った。
そして――。
「……隊長を発見しました!」
工兵の声が響いた。
……!
「ガンツ!!」
俺は顔を上げた。
兵士たちが慎重に担架を運んでくる。
その上には――。
……ガンツがいた。
「……おい!ガンツ!」
……。
返事がない。
「おい! 起きろよ!」
……。
「また現場で会おうって言っただろ!」
医療班がガンツの状態を確認していた。
だが――。
やがて、一人が静かに首を振った。
「……残念ですが」
……。
「ガンツ工兵隊長は、亡くなられています」
……え?
……何だよ、それ。
俺はガンツを見た。
目を閉じたまま、動かない。
……おい。
いつものように笑えよ。
『ははっ! 俺を誰だと思ってやがる!』
そう言ってくれよ。
……。
「……ガンツ?」
声が震えた。
「……おい」
返事はなかった。
……。
俺は、自分の手を見つめた。
さっきまで、あいつの手が目の前にあった。
あと少しだった。
あと少しで、届いたはずなのに。
……。
俺は、何も掴めなかった。




