#77-21「南部の決断、豊穣の印」
それから、さらに三日が過ぎた。
南部ラグナードの街は、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
王都から届いた水と食料。
東部ザルガードから追加で運ばれてきた物資。
そして、街の外にある集落へも、毎日欠かさず水が届けられている。
「……おお」
俺は配給所の前で、思わず声を漏らした。
「随分と人が減ったな」
「うん。昨日より並んでる人も少ないみたい」
以前は怒鳴り声ばかり聞こえていた場所だ。
今は職員たちが落ち着いて配給を進めている。
……すごいな。
あれだけ混乱していたのに。
「キョウマさん!」
蓮がこちらへ駆け寄ってきた。
「おお、どうした?」
「郊外への物資の輸送、今日の分は終わったそうです!」
「もうか?」
「はい! レオンさんが輸送の順番を見直したみたいで」
「……へえ!」
仕事が早いな、あいつ。
俺たちも何日か手伝ったが、最初に比べれば随分と作業が楽になっていた。
職員たちも慣れてきたようだ。
……しかし。
俺は遠くの畑へ目を向けた。
相変わらず、作物は枯れている。
井戸の水も、濁ったままの場所が多い。
水路には、今も濁った水が流れている。
……結局、原因は分からずじまいか。
「キョーくん」
「ん?」
「また考えてるでしょ?」
「……何を?」
「水のこと」
……よく分かるな。
「まあな。どうにも気になってさ」
「うん。でも、今はみんな少し元気になってきたよ」
「ああ。それは本当によかった」
俺は頷いた。
……そうだな。
原因は直せていない。
だが、困っている人たちが助かったのも事実だ。
そのときだった。
「キョウマ様!」
聞き覚えのある声が響いた。
……ん?
振り返ると、ノアがこちらへ走ってきた。
「お迎えに参りました!」
「なんだ、どうした?」
「セリア様からお呼び出しです!」
「セリアから?」
「はい! レオン様もご一緒だそうです!」
……何だろうな。
「また水の運搬か?」
「さあ? 詳しくは分かりませんが……」
ノアが嬉しそうに微笑んだ。
「わたしとキョウマ様の婚礼ではないことだけは確かです!」
「当たり前だろ!!」
「まあ! まだ諦めるには早いということですね!」
「そんなこと言ってねえよ!」
……ったく。
どういう解釈したらそうなるんだ。
チャピが隣で大きなため息をついた。
「……早く行こう、キョーくん」
「ああ、そうだな」
ばふっ!
「お前も行くか!」
こうして俺たちは、セリアに呼ばれた建物へ向かった。
――しばらくして。
案内されたのは、街の中心部にある大きな石造りの建物だった。
中へ入ると、広間には大勢の人たちが集まっていた。
身なりのいい老人。
農夫らしき男たち。
商人や街の役人。
……何だ?
会議でもするのか?
「こちらへどうぞ」
職員に案内され、俺たちは広間の端へ向かった。
そこにはすでにレオンが立っていた。
「おお、レオン!」
「……キョウマ。お前も呼ばれたのか」
「ああ。でも、何の集まりなんだ?」
「南部の代表者たちによる会合だ」
「代表者?」
「ああ。どうやら、王選に関する話らしい」
……王選?
そういや、そんなことやってたな。
いや、忘れてたわけじゃないぞ?
ちょっと現場が忙しかっただけだ。
そのとき、広間の奥からセリアが現れた。
淡い金茶色の髪。
頭には鹿の耳。
いつもの落ち着いた表情だったが、今日はどこか緊張しているように見えた。
「皆様。本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
広間が静まり返る。
セリアは一同を見渡した。
「南部ラグナードでは、長く水の異常が続いています」
……ああ。
それは俺も嫌というほど見てきた。
「井戸の水は濁り、農地では作物が枯れ、多くの住民が苦しい生活を強いられています」
セリアは一度、言葉を切った。
「私たちも原因を調べ、できる限りの対策を続けてきました。しかし、今なお解決には至っておりません」
……。
「そんな中、東部ザルガードのレオン様が、救援物資を携えて駆けつけてくださいました」
人々の視線がレオンへ集まる。
「飲料水と食料の確保だけでなく、郊外の集落への輸送体制まで整えてくださいました」
「ああ! うちの村にも水が届いたぞ!」
一人の農夫が声を上げた。
「街の外だからって見捨てられると思ってたんだ!」
「本当に助かった!」
次々と声が上がる。
……おお。
みんな喜んでるな。
セリアが静かに頷いた。
「もちろん、これで問題が解決したわけではありません」
その言葉に、広間が再び静かになった。
「農地の被害は続いています。水源の異常も、まだ原因が分かっていません」
……そうだ。
そこは、何も変わっていない。
「それでも、私たちは今日を生きるための時間をいただきました」
セリアはレオンへ目を向けた。
「レオン様。改めて、お礼を申し上げます」
深く頭を下げる。
「……顔を上げてくれ、セリア殿」
レオンが静かに答えた。
「私はできることをしただけだ。それに、南部の職員や住民たちが協力してくれなければ、物資を届けることもできなかった」
「……はい」
「まだ支援は必要だ。私も引き続き協力する」
……相変わらず真面目だな。
こういうときくらい、少し格好つけてもいいと思うんだけど。
セリアは小さく微笑んだ。
そして、広間に集まった人々へ向き直った。
「皆様。本日は、もう一つ大切なお話があります」
……ん?
「次代のグランディア国王についてです」
おお。
やっぱり王選の話か。
セリアは真剣な表情になった。
「ご存じのとおり、私も王位候補の一人です」
……そうだったな。
南部ラグナードの代表。
この人だって、王様になる資格があるんだ。
「私も、南部の未来を守るために王を目指してまいりました」
セリアは一度、目を伏せた。
「ですが、この度の出来事を通じて、考えるようになりました」
「……セリア様?」
年配の男が声を上げる。
セリアはゆっくりと顔を上げた。
「私が守るべきものは、王位ではありません」
広間が静まり返った。
「この南部で暮らす人々の生活です。そして、それは南部だけに限った話ではないはずです」
……。
「レオン様は、東部の軍を率いる立場でありながら、私たちを助けてくださいました」
セリアの視線がレオンへ向く。
「東部も南部も関係ない。同じグランディアの民だからと」
レオンは黙って聞いていた。
「私は、その姿を見て思いました」
セリアがゆっくりと息を吸う。
「この方になら、南部の未来を託せるのではないかと」
……おお。
そういうことか。
周囲からざわめきが上がった。
「セリア様……それは……」
「はい」
セリアははっきりと頷いた。
「私は、レオン様を次代の王として支持したいと考えています」
……!
広間が大きくざわついた。
レオンも、わずかに目を見開いている。
「……セリア殿」
「ですが、これは私一人で決められることではありません」
セリアは集まった代表者たちを見渡した。
「南部の未来に関わる決断です。皆様のご意見をお聞かせください」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、年配の農夫が立ち上がった。
「……わしは賛成です」
「あなたは……」
「レオン様のおかげで、村の子供たちが水を飲めるようになりました」
男は深く頭を下げた。
「まだ畑は駄目なままです。ですが、あのままでは収穫を待つどころじゃなかった」
……。
「わしらは、助けられました」
続いて、商人らしき男が口を開いた。
「私も賛成します。ただ、今後の物資の輸送については、継続していただけるのでしょうか?」
レオンが頷いた。
「ああ。南部が必要とする物資の輸送は続ける。東部からの追加支援も、すでに手配している」
「……分かりました」
その後も、何人もの代表者が意見を述べた。
水の異常が解決していないことへの不安。
この先の食料不足への懸念。
他地域の候補者へ南部の印を託すことへの迷い。
……そりゃ、そうだよな。
簡単に決められる話じゃない。
だが、最後には多くの代表者がレオンへの支持を表明した。
そして――。
「それでは、南部ラグナードの代表者として決定いたします」
会議の進行を務めていた老人が立ち上がった。
その手には、布に包まれたものがある。
……ん?
老人がゆっくりと布を開く。
中から現れたのは、一つの印だった。
「南部ラグナードを代表する《豊穣印》」
……おお!
王選のときに聞いたやつだ!
老人はレオンへ向き直った。
「レオン・ザルガード殿。南部ラグナードは、あなたを次代の王に相応しい候補者と認め、この印を託します」
レオンが一歩前へ出た。
「……よろしいのか?」
その問いに、セリアが頷いた。
「はい。私たち南部の意思です」
「……承知した」
レオンは深く頭を下げた。
「その信頼に、必ず応えよう」
老人から《豊穣印》が手渡される。
その瞬間、広間に拍手が響き渡った。
「レオン様!」
「ありがとうございます!」
「南部をよろしくお願いします!」
……おお。
すごいことになったな。
俺も思わず拍手した。
「キョーくん!」
チャピが嬉しそうに俺を見る。
「レオンさん、印をもらったね!」
「ああ!」
……そういや。
レオンは東部の印も持っていたよな。
ということは……。
「なあ、チャピ」
「なに?」
「これで二つ目か?」
「うん。あと一つで王様になれるね」
「……おお!」
すげえ。
もう王様まであと一歩じゃないか。
「我が君!」
「ん?」
「わたしたちも印を集めましょう!」
「……何でだよ!」
「我が君が王となれば、わたしは晴れて王妃に!」
「勝手に決めるな!」
……ったく。
周囲が拍手している中、俺たちだけ何をやってるんだ。
そんな騒ぎをしていると、レオンがこちらへ歩いてきた。
「……キョウマ」
「おお! おめでとう、レオン!」
「ああ。ありがとう」
「これであと一つだな!」
「……そうだな」
レオンは手元の《豊穣印》へ目を落とした。
「だが、王になることが目的ではない」
「……ん?」
「王となった後、何をするかが重要なのだと思っている」
……おお。
真面目だなあ。
「じゃあ、まずはこの水の問題を何とかしないとな」
「ああ。そのとおりだ」
レオンが頷いた。
「原因の調査は引き続き必要だ。南部への支援も止めるわけにはいかん」
「……そうだな」
俺は窓の外へ目を向けた。
遠くには、広大な農地が広がっている。
だが、茶色く枯れた畑は今も残されたままだ。
井戸の水も濁っている。
……根本的な問題は、何も解決していない。
それでも。
今日、この南部では多くの人々が希望を取り戻していた。
レオンはその希望を背負って、次の王を目指す。
……すごい奴だな。
俺はもう一度、レオンを見た。
「頑張れよ、レオン!」
「ああ。お前もな」
「俺はいつもどおり掃除するだけだ!」
「……そうだったな」
レオンが小さく笑った。
……さて。
南部ラグナードでの騒動も、少し落ち着いてきた。
だが、水の異常はまだ続いている。
俺は背中のルミナスを担ぎ直した。
……一体、何が原因なんだろうな。
結局、その答えは見つからないままだった。




