#77-17「水の行方と、鹿の領主」
街の南側にある水路管理施設へ向かった。
石造りの建物の周囲には、何本もの水路が走っている。
水門や水量を調整する設備もあり、なかなか立派な造りだった。
「……おお、これはすごいな」
「キョーくん、遊びに来たんじゃないんだからね?」
「分かってるって!」
……しかし、こういう設備を見るとつい気になってしまう。
建物の入口では、数人の男たちが大きな図面を囲んでいた。
「すまん。ここの管理をしてる人はいるか?」
一人の年配の男が顔を上げた。
「私だが、何か用かね?」
「水が濁ってる原因を調べたいんだ。設備を見せてもらえないか?」
男は俺をじろりと見た。
「……あんた、何者だ?」
「ビルメンだ」
「……びるめん?」
「建物とか設備の点検や修理をする仕事だよ」
「ほう……」
男は少し考えてから頷いた。
「原因が分かるなら、こちらとしても助かる。だが、勝手に設備を動かさんでくれよ」
「もちろんだ!」
……現場のルールは大事だからな。
男に案内され、俺たちは建物の奥へ進んだ。
そこには大きな水槽があり、流れ込んできた水がいくつもの水路へ分けられていた。
「ここから各地の畑へ水を送っているのか?」
「ああ。地下から湧く水を集め、各地区へ分配している」
「なるほどな」
俺は水槽を覗き込んだ。
……濁ってる。
底がほとんど見えない。
「この水槽は掃除してるのか?」
「もちろんだ。最初は泥が溜まったせいだと思ってな。水を抜いて底まで掃除したさ」
「それで?」
「翌日には、また同じ状態だ」
……そうか。
「水門は?」
「問題なく動いている。水量も大きくは変わっていない」
俺は水門へ近づいた。
金属製の開閉機構。
石の溝に沿って上下する仕組みだ。
見たところ、目立った破損はない。
「キョーくん、どう?」
チャピが隣から尋ねてきた。
「設備そのものは問題なさそうだな」
「じゃあ、やっぱり水が原因?」
「少なくとも、ここで泥が溜まってるだけじゃなさそうだ」
管理人が深いため息をついた。
「しかも厄介なのは、それだけじゃないんだ」
「ん?」
男が図面を広げた。
「最初に異常が出たのは南側の畑だった。次は東の水路。そして昨日は、街の井戸まで濁り始めた」
「……順番に広がってるのか?」
「いや、それが分からん。昨日まで濁っていた水が、今日は綺麗になっている場所もある」
……何だそれ。
「水路のつながりは?」
「こちらに記録してある」
管理人が図面の上を指でなぞった。
地下の水源から伸びる水路。
そこから枝分かれして、各地の畑へ水を運んでいる。
だが、井戸はそれぞれ別の場所から水を汲み上げているらしい。
「……つまり、同じ水路を使ってない場所でも起きてるってことか?」
「そういうことだ」
……参ったな。
単純に水路の上流で泥が混ざっているなら、話は早い。
だが、別々の場所で同じような異常が起きているとなると……。
「キョウマさん」
蓮が図面を覗き込んだ。
「水源そのものを調べる必要があるんでしょうか?」
「ああ。それも一つの方法だな」
「では、そこへ行ってみますか?」
「そうしたいところだけどな……」
俺は広げられた図面を見た。
地下へ続く水の流れ。
地上から確認できる場所は限られている。
……これじゃ、どこから調べればいいのかも分からん。
その時だった。
「管理長!大変です!」
建物の入口から若い男が駆け込んできた。
「どうした!」
「西側の井戸も濁り始めました!住民が水を汲めなくなっています!」
「……またか!」
管理人が頭を抱えた。
「使える井戸は!?」
「今朝の確認では、北側の二か所がまだ無事です!」
「すぐに人を回せ!水を運ぶ準備だ!」
「はい!」
若い男が走り去っていく。
……おいおい。
これは、調査してる場合じゃなくなってきたぞ。
「なあ、手伝えることはないか?」
俺が声をかけると、管理人は首を振った。
「気持ちはありがたい。だが、今は水を確保するので手いっぱいだ」
「……そうか」
そのとき、外から大勢の足音が聞こえてきた。
「セリア様がお見えになりました!」
……セリア?
聞き覚えのある名前だ。
入口へ目を向けると、数人の護衛を連れた女性が入ってきた。
淡い金茶色の髪。
頭には鹿の耳がある。
……あ。
王選で見た女だ。
「状況は?」
女性が管理人へ尋ねた。
「西側でも井戸に異常が出ました。現在、北側から飲料水を運ぶ準備を進めております」
「分かりました。街の備蓄水も使ってください。飲み水を最優先に」
「ですが、それでは備蓄が……」
「今、住民が飲めなければ意味がありません」
……おお。
随分とはっきり言う人だな。
「食料の配給は?」
「昨日から続けております。しかし、農地の被害が広がっておりまして……」
「……そうですか」
セリアは少しだけ考え込んだ。
「他の地域からの輸送は?」
「手配を進めておりますが、街道の被害もあり、十分な量を確保できておりません」
……なるほど。
水だけじゃない。
食料も足りなくなり始めてるのか。
「セリア様、このままでは……」
「分かっています」
セリアが静かに答えた。
「ですが、諦めるわけにはいきません。今ある水と食料を、必要な人たちへ届けてください」
「はっ!」
管理人が深く頭を下げる。
セリアは続けた。
「王都への支援要請は?」
「すでに使者を出しております」
「分かりました。返答が届き次第、知らせてください」
……王都か。
そういや、あっちも大変なことになってたな。
レオンが援軍を送ったって話だったけど、どうなったんだろう。
「キョーくん」
チャピが小声で話しかけてきた。
「……どうした?」
「この人たち、頑張ってるね」
「ああ」
管理人も、農夫たちも、セリアも。
みんな何とかしようと動いている。
……だが。
俺は水槽へ目を向けた。
相変わらず濁った水が流れ込んでいる。
設備を掃除しても、翌日には元通り。
別々の場所でも同じような異常が起きる。
しかも、今も被害が広がっている。
……どうなってるんだ、これ。
「キョウマさん。俺たちに、できることはないんでしょうか?」
「……そうだな」
俺は腕を組んだ。
今すぐ飲み水を運ぶ手伝いくらいはできる。
だが、それだけじゃ明日も同じことになる。
……いや。
それでも、今日飲む水は必要なんだよな。
「よし。まずは水を運ぶのを手伝おう」
「はい!」
「キョーくん、調査は?」
「もちろん続けるさ。でも、困ってる人を放っておくわけにもいかないだろ」
チャピが小さく笑った。
「……うん。そうだね」
ばふっ!
「お前も手伝うか?」
ばふっ!
「よし、頼んだ!」
すると、ノアが嬉しそうに両手を合わせた。
「まあ!我が君!でしたら、わたしが井戸ごと運んでまいりましょうか?」
「井戸は運ぶもんじゃねえよ!!」
「……では、街ごと?」
「もっと駄目だわ!!」
……ったく。
こいつだけは、相変わらずだな。
俺はもう一度、濁った水槽を振り返った。
……さて。
今日を乗り切ることと、原因を直すこと。
どうやら、どっちも必要らしい。




