第8話 王女ではなく教師として
「違法な奴隷取引だと? でっち上げも甚だしい! たかが雇われの作法教師が、我が家を侮辱する気か!」
肥え太った鉱山主が、応接室のテーブルを激しく叩いて怒鳴り散らした。
その傍らで、令嬢カテリーナもまた、扇を振り回しながら甲高い声を上げる。
「お父様の言う通りですわ! 昨日から少し変だと思っていましたけれど、まさか我が家の財産を狙う詐欺師だったなんて! 早くこんな平民ども、つまみ出してしまいなさい!」
翌朝の応接室。
王宮作法教師リディア・グレイスは、喚き散らす親子を前にしても、表情一つ変えずに銀縁眼鏡を押し上げた。
「一つ。王宮へ虚偽の雇用契約書を提出し、獣人を違法な奴隷として使役した罪」
リディアは淡々と罪状を読み上げる。
その後ろでは、獣人の少年ミロが、地下倉庫で保護したばかりの犬系の少女をそっと庇うように立っていた。少女の首元には、隠しきれない生々しい奴隷輪の擦過傷が残っている。
「二つ。監査の目を逃れるため、深夜に証拠隠滅を図り、不当に獣人たちを裏市場へ移送した罪。そして三つ。王都の『金冠教育会』を通じた、組織的な奴隷の密売」
リディアが最後に取り出したのは、昨夜ミロが裏市場で回収した、金冠教育会の紋章入り紹介状だった。
それを見た瞬間、鉱山主の顔からスッと血の気が引いた。
「な、なぜお前がそれを持っている……!」
「わたくしの助手が、裏市場での取引現場から回収いたしました。時刻、場所、誰が取引していたか。すべての証言とこの物証が一致しています。言い逃れはできません」
事実を突きつけられ、鉱山主は脂汗を流しながら後ずさった。
だが、その怯えはすぐに醜い悪あがきへと変わる。
「ええい、黙れ! 証拠がどうした! ここはこの俺の町だ! 証拠ごとこの場で消し去ってしまえば、王都の役人どもに分かるものか!」
鉱山主が合図を送ると、扉の外に控えていた私兵たちが一斉に武器を構えて部屋になだれ込んできた。
「やらせるもんか……っ!」
その瞬間、ミロが喉の奥から獣の唸り声を上げて飛び出した。
彼の脳裏に、暗い地下倉庫で震えていた少女の姿がフラッシュバックする。
自分と同じように、理不尽に首輪をつけられ、ゴミのように扱われ、闇から闇へと売り飛ばされそうになった同胞たち。
(こいつらだけは、絶対に許さない……!)
ミロは犬の牙を剥き出しにし、鋭い爪を立てて鉱山主へと飛びかかろうとした。
怒りのままに相手を切り裂き、この理不尽な暴力を力でねじ伏せるために。
だが。
「そこまでだ」
ガシッ、と。
ミロの肩を、分厚く力強い手が背後から掴んで引き留めた。
近衛騎士レオンハルトだった。
「離してよ、レオンさん! こいつら、あの子たちを物みたいに……!」
「怒ってよい」
レオンハルトの低く落ち着いた声が、ミロの耳に響く。
彼は私兵たちの殺気を一身に引き受けながら、ミロを真っ直ぐに見下ろした。
「怒ってよい。彼らの行いは許されるものではない。……ですが、証拠を壊してはいけません」
「え……?」
「あなたがここで爪を立てれば、彼らは『野蛮な獣人に襲われた』と主張する。私兵を動かした正当な理由を与えてしまう。それでは、あなたが集めた彼らを裁くための証拠が、意味を失う」
レオンハルトは、剣の柄に手をかけたまま静かに諭した。
「あなたが集めたものは、彼らを逃がさないための『鎖』だ。暴力ではなく、法という名の刃で彼らを断て」
ミロはハッと息を呑み、振り上げた爪をゆっくりと下ろした。
そうだ。リディアが教えてくれたではないか。感覚を証拠に変えろと。
獣人は野蛮な獣ではない。人間と同じように、理を持って彼らを追い詰めることができるのだ。
ミロが引き下がったのを確認すると、リディアは静かに前に進み出た。
「……良い騎士と助手を持ちました」
リディアは裁縫箱の底から、純白の封蝋章を取り出した。
王族のみが持つことを許された、絶対的な権威の象徴。
「さて、鉱山主殿。そしてカテリーナ令嬢」
リディアの声が、部屋の温度を急激に下げる。
それはもはや、一介の作法教師の声ではない。王国を統べる者の血を引く、絶対的な支配者の響きだった。
「跪きなさい。授業は終わりです」
白百合の紋章を目にした私兵たちは、武器を取り落とし、その場に平伏した。
鉱山主もカテリーナも、信じられないものを見るような目で硬直している。
「白百合巡察令により、この屋敷を王命監査下に置きます」
「お、王族……? そんな、馬鹿な……」
「違法な奴隷取引、ならびに王族への反逆未遂。申し開きは王都の尋問室で伺いましょう。……連行しなさい」
リディアの冷徹な命令により、鉱山主親子は私兵たちと共に、後から駆けつけた地方警備隊によって捕縛された。
裏市場へ移送されていた獣人たちも無事に保護され、彼らの首からはいまいましい鉄の輪が外された。
◇ ◇ ◇
数時間後。
監査の事後処理を終えたリディアたちは、町外れの宿の一室に戻っていた。
「……先生、ありがとうございました。あの子たち、ちゃんと治療院に保護されました」
ミロは少し照れくさそうに笑いながら、リディアに深く頭を下げた。
リディアは机に向かって報告書を書きながら、視線を上げずに答える。
「あなたが証拠を見つけたからです。それに、最後の最後で、怒りに呑まれずに証拠を守り抜いた。よくやりましたね、ミロ」
「へへっ、レオンさんに止められなかったら危なかったですけどね」
ミロは犬の耳をパタパタと動かしながら、セレスティナと共に部屋を出て行った。
静まり返った部屋の中、リディアはペンを置き、ふう、と小さく息を吐いた。
「……お疲れですか、殿下」
部屋の隅で立ったまま警護をしていたレオンハルトが、短い言葉を投げかけた。
リディアは答えず、ただ自分の右手をじっと見つめていた。
手袋に包まれたその指先が、わずかに、本当にわずかに、小刻みに震えている。
法と証拠で裁を下す。それは王女としての義務だ。
だが、その過程でどうしても、被害者たちの悲鳴や痛みを直視しなければならない。冷徹に振る舞えば振る舞うほど、彼女の心の中には、声を出せなかった者たちの痛みが蓄積されていく。
「……わたくしは、優しくありませんね」
リディアの自嘲めいた呟きに、レオンハルトは静かに歩み寄り、彼女の背後でピタリと足を止めた。
「優しくない者は、その手を震わせたりはしません」
レオンハルトは何も言わず、ただリディアの背後に立ち続けた。
背中越しに伝わる騎士の静かな体温と、揺るぎない存在感。
それは、王女という重責を背負い、一人で立ち向かおうとするリディアにとって、何よりも確かな支えだった。
その震えが、痛みを理解できる優しさの証拠であると、彼だけは知っている。
「……ありがとうございます、レオンハルト」
リディアが微かに唇を綻ばせた、その時だった。
バンッ!
勢いよく部屋の扉が開き、ミロが顔色を変えて飛び込んできた。
「先生、レオンさん!」
ミロは犬の耳を頭にぴったりと張り付かせ、窓の外を警戒するように指差した。
「宿の周囲を、知らない人間が嗅ぎ回ってます。ただの泥棒じゃない……。僕たち『白百合』の匂いを、確実に覚えようとしてる奴らです!」




