第7話 腹ぺこ従者、証拠を拾う
「先生、証拠を見つけました。あと、厨房で焼き菓子も見つけました」
「証拠を先に出しなさい。焼き菓子は後です」
「順番って残酷ですね……」
鉱山主の屋敷の一室。
夜の静寂の中、窓から忍び込んだ獣人の少年ミロは、少しだけ恨めしそうに犬の耳を垂らしながら、懐から一枚の紙切れを取り出した。
机に向かっていた作法教師リディア・グレイスは、手元の書類から視線を上げ、静かに眼鏡の位置を直した。
「ご苦労様でした、ミロ。それで、屋敷の裏口や町を回って、何が分かりましたか?」
「ええとですね」
ミロはテーブルの上に、くしゃくしゃになった大きな紙を広げた。
そこには、文字ではなく、いびつな丸や線、そして犬の鼻や足跡のようなマークが散りばめられた不思議な絵が描かれていた。字が苦手なミロ特製の『匂いの地図』だ。
「まず、厨房です。お貴族様の食べる焼き菓子はいい匂いでしたけど、奥の勝手口には、地下倉庫にいた女の子と同じ『薬草』の匂いが残ってました」
ミロは地図の隅に描いた鍋のマークを指差す。
「使用人たちがヒソヒソ話してました。王宮から来た先生たちの目を誤魔化すために、昨日、屋敷にいた獣人の子供たちに急いで薬を塗って、見えない場所に移動させたんだって」
「なるほど。使用人たちの証言と、傷を隠すための薬草の匂いですね」
「はい。腹が減ってる人間は嘘が下手になりますけど、ここの使用人たち、ご馳走を食べてるのに嘘が下手くそでしたよ。震える声の匂いがしました」
ミロは誇らしげに胸を張り、次に馬の頭のマークを指した。
「次は馬小屋です。いつもは鉱石を運ぶ荷馬車が、今夜に限って泥だらけで戻ってきてました。荷台には鉱石じゃなくて、たくさんの獣人が身を寄せ合って座っていた匂いが残ってました。それと、古い鉄の匂い……奴隷輪の匂いです」
「彼らを別の場所へ移したのですね。どこへ向かったか分かりましたか?」
「町の外れにある、裏市場の方向です。馬の足音と、土の匂いを辿って行きました」
ミロの嗅覚と聴覚は、王国随一と言っていい。
闇夜に紛れて隠蔽されたはずの真実は、彼にとっては白日の下に晒されているのも同然だった。
だが、リディアは満足げなミロに向けて、淡々と告げた。
「よく調べました。ですがミロ、匂いだけでは証拠になりません」
ミロの耳がピクッと動いた。
「えっ? でも、僕の鼻は絶対に間違ってませんよ!」
「分かっています。わたくしはあなたの能力を疑ってはいません。ですが、社会はそうではないのです」
リディアは、ミロが描いた地図の上に静かに指を置いた。
「『感覚』で知った真実を、社会が認める『証拠』に変えなければ、貴族を法で縛ることはできません。『獣人がそう言っているから』というだけでは、彼らは言い逃れをします」
それは、かつて奴隷として扱われ、人間社会の理不尽さを身をもって知るミロだからこそ、理解できることだった。
「場所、時刻、誰がいたか。この三つを必ず揃えなさい。いつ、どこで、誰が、何を運んだのか。それを客観的な物証と結びつけるのです。それが証拠です」
リディアの言葉は厳しいが、そこには確かな教育者としての温かさがあった。
人間社会が「字も読めない獣人」と見下すミロに対し、リディアは対等な一人の人間として、戦うための武器を与えようとしているのだ。
ミロは真剣な顔つきになり、強く頷いた。
「はい、先生。……だから僕、裏市場の近くで、馬丁のおじさんが落とした『紙』を拾ってきたんです。時刻は日付が変わる少し前。場所は裏市場の入り口。馬丁のおじさんと、黒い外套を着た見知らぬ男が、何かを取引してました」
そう言ってミロが差し出したのは、冒頭で「証拠」と呼んでいた一枚の紙片だった。
それは封蝋が半分だけ残された、分厚い羊皮紙の紹介状だ。
「見知らぬ男は、『確かに商品は受け取った。紹介状の通り、金は後で支払う』って言ってました。その時、風で飛んできたこの紙を、僕が靴で踏んで回収したんです」
「見事です、ミロ。これこそが、動かぬ物証となります」
リディアはミロの頭を軽く撫でると、紙片を受け取り、蝋燭の灯りに透かして文字を読み始めた。
その隣で、レオンハルトが無言で周囲を警戒し、セレスティナが息を呑んで見守っている。
「……やはり、ただの密輸ではありませんね。『王都への献上品として、獣人奴隷十五名を譲渡する』。鉱山主の署名がはっきりと残っています。奴隷の所持を隠蔽するだけでなく、違法な取引を行っていた」
「ひどい……。あの子たちを、まるで物のように……!」
セレスティナが顔をしかめ、扇を握る手を震わせた。
しかし、リディアの視線は、紹介状に書かれた文字よりも、その下部に押された『紋章』に釘付けになっていた。
「先生? どうかしましたか?」
ミロが不思議そうに首を傾げる。
リディアの灰紫の瞳が、剣呑な光を帯びた。
紹介状の片隅に、鉱山主の紋章と並んで、この取引を仲介したと見られる組織の紋章が押されていたのだ。
「……この紋章」
リディアの声が、微かに低くなる。
それは、表向きは貴族令嬢の教育水準を高める慈善団体として振る舞いながら、裏では王国の社交界を牛耳る巨大な影。
二本の剣が交差し、その上に黄金の冠が描かれた紋章。
「――『金冠教育会』の紋章が、なぜこのような違法な奴隷取引の紹介状に押されているのですか」
貴族令嬢のための教育団体であるはずの金冠教育会。
その名が、王都から遠く離れたこの鉱山町で、獣人奴隷の密輸に関わっている。
単なる地方貴族の腐敗ではない。王国全土に根を張る、巨大な闇の輪郭が、初めてリディアたちの前に明確な形を持って現れた瞬間だった。
「……レオンハルト」
「はっ」
「明日の朝、予定通りカテリーナ令嬢の作法の授業を行います」
リディアは銀縁眼鏡の奥で、冷たく、そして静かな怒りを燃やしていた。
「ですが、それはあくまで表向きのこと。――ここから先は、王女としての責務を果たします」




