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第5話 紹介順の嘘

シャンデリアの眩い光が降り注ぎ、優雅な管弦楽の調べが響き渡る、領主主催の大舞踏会。

色とりどりの豪奢なドレスを身に纏った貴族たちが歓談する中、庶子の令嬢マリナの名前が呼ばれることはなかった。


「――以上が、我が子爵家の誇る二人の娘でございます」


ホールの中心で、子爵が仰々しく頭を下げた。

その傍らでは、正妻の娘である二人の姉令嬢が、伯爵家の若き御曹司の前で非の打ち所のないカーテシー(挨拶の礼)を披露している。

御曹司は今宵、この姉妹のどちらかと正式に婚約を結ぶと噂されていた。姉たちは既に未来の伯爵夫人になったかのような、勝利を確信した笑みを浮かべている。


一方、マリナは壁際の暗がりで、息を潜めるようにして立ち尽くしていた。

本当なら、あの輝かしい場所に立って紹介を受ける権利はマリナにもあったはずだ。しかし、彼女が身につけているのは、サイズも合わない、装飾のすり切れた急ごしらえの地味なドレスだった。

舞踏会の直前、彼女が大切にしていた青いシルクのドレスは、姉たちによって無惨に引き裂かれた。「日陰者は壁の染みにでもなっていなさい」という冷酷な言葉と共に。


(私は、いないのと同じ。誰にも見つけてもらえない……)


諦めが心を支配し、マリナが絶望に俯きかけた、その時だった。


「子爵閣下。少々お待ちを」


凛とした、しかし氷のように冷ややかな声が、音楽の間隙を縫って広間に響き渡った。

ざわめく貴族たちの視線が一斉に集まる。

黒いドレスに銀縁眼鏡という、舞踏会には不釣り合いなほど地味な装いの女教師――リディア・グレイスが、足音ひとつ立てずに進み出た。

その背後には、無言で追従する近衛騎士レオンハルトの姿がある。彼がただそこに立っているだけで、近づこうとした警備の兵たちは得体の知れない威圧感に足を踏み止まっていた。


「作法教師ごときが、何用だ。今は高貴な方々の紹介の儀の最中であるぞ。下がれ」


子爵が不快げに眉をひそめ、手で追い払うような仕草を見せた。

しかし、リディアは歩みを止めず、真っ直ぐに子爵を見据えた。


「ええ。その『紹介の儀』において、重大な作法違反が確認されたため、王宮派遣教師として指導に入りました」

「作法違反だと? 我が娘たちの礼のどこに瑕疵があったと言うのだ!」

「王宮舞踏会規定、第十五項。『家長は、同席する自らの血を引く未婚の子女を、身分にかかわらず紹介順から外してはならない』」


リディアは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、広間の隅で震えるマリナへ視線を向けた。


「閣下は今、三女であるマリナ様の紹介を意図的に抹消されましたね」


ホールが大きなどよめきに包まれた。

姉令嬢の一人が、慌てたように扇で顔を隠しながら甲高い声を荒らげる。


「な、何を馬鹿なことを! あんな平民の血が混じった薄汚い娘、我が家の正式な娘ではありませんわ!」

「単なる使用人同然の小間使いです! それを高貴な伯爵家の方にご紹介するなど、それこそ無作法というものですわ!」


「使用人、ですか」


リディアの灰紫の瞳が、剣呑な光を帯びて細められた。


「では、なぜ彼女は今宵、この会場にいるのですか? 使用人であれば、給仕の証である白エプロンを着け、壁際ではなく厨房や控え室にいるはずです。しかし彼女は、粗末とはいえ夜会用のドレスを身に纏い、貴族の列に並んでいる」

「そ、それは……情けで会場の隅にいることだけは許してやったからですわ!」

「家格を偽り、本来存在するはずの家族を隠匿する行為は、主催者である領主、ならびに列席するすべての貴族への『重大な侮辱』に他なりません」


リディアの言葉は、冷徹な事実となって子爵家を論理の檻へと追い詰めていく。

だが、子爵は鼻で笑った。


「屁理屈を並べるな。作法の規定がどうであれ、あの娘に伯爵家と釣り合う価値などない。貴族の礼儀とは、家格にふさわしい者が、ふさわしい場に立つためのものだ! 格下の者を切り捨てることもまた、貴族の義務である!」


「違います」


リディアの声が、広間の空気を切り裂くように凛と響いた。


「礼儀とは、弱い者を黙らせるための飾りではありません。強い者が、弱い者を踏まないための鎖です」


それは、彼女が第二王女として抱く、決して曲げることのない絶対的な信念だった。


「そもそも、あなた方がマリナ様を隠そうとした真の理由は、家格などというつまらない見栄ではないはずです」


リディアは鞄の中から、一枚の古い羊皮紙と、一本の『金糸』を取り出した。


「これは、マリナ様の亡きお母様の実家を通じて結ばれていた、伯爵家との初期婚約の誓約書。そしてこちらは、マリナ様の青いドレスを引き裂いた現場に残されていた、特殊な金糸です」


姉令嬢たちの顔面から、一瞬にして血の気が引いた。


「なっ……! どうしてそれを!」

「先ほど、わたくしの助手が匂いと繊維から特定しました。この特殊な撚り方の金糸は、王宮の儀礼服や、歴史ある家門の紋章を刺繍するためにのみ使われる特注品。……あなた方のドレスの装飾には使われていないものです」


リディアは金糸を光にかざし、冷酷に事実を宣告する。


「マリナ様の青いドレスが破られていなければ、彼女は胸元に伯爵家の紋章を刺繍して現れるはずでした。そうすれば、伯爵家の御曹司は、かつての誓約の相手が彼女であることに気づいたでしょう。あなた方はそれを物理的に阻止し、彼女を会場の隅へ追いやることで、婚約の権利を横取りしようとした」

「ち、違う! それは……!」

「他者の婚約契約の妨害。器物破損。そして、公の場における紹介順の抹消による家格詐称と社交秩序の破壊。……言い逃れはできませんね」


証拠は三点、完全に揃っていた。

姉たちは恐怖に顔を歪めて後ずさり、子爵は額から滝のような汗を流して立ち尽くしている。

一部始終を聞いていた伯爵家の御曹司は、軽蔑の眼差しで子爵家を一瞥した。


「……我が家を偽りで欺こうとし、あろうことか誓約の相手を不当に貶めるとは。到底看過できません。あなた方との縁談は、一切無かったことにさせていただきます」


御曹司が冷たく背を向けると同時に、周囲の貴族たちも汚いものを見るかのように子爵一家から距離を置いた。


「授業は終わりです」


リディアが静かに宣告する。


「子爵閣下、ならびにご息女お二方。王宮作法教師の権限により、本規定違反を王宮へ報告し、あなた方の当面の社交権を停止します。また、マリナ様を正式な子爵家の娘として貴族年鑑へ登録する手続きをとっていただきます」


それは、貴族社会という戦場における『死刑宣告』に等しかった。


姉たちは床に崩れ落ち、「許して、マリナ! 私たちはただ、家のために……! これからは妹として優しくするから!」と見苦しく泣き喚きながらマリナにすがりつこうとした。

だが、その前にセレスティナが静かに歩み寄り、扇を広げて姉たちを遮った。


今まで自分を虐げてきた者たちの惨めな姿を前に、マリナはどうしていいか分からず、ただ戸惑うばかりだった。

そんな彼女の肩を、セレスティナがそっと抱き寄せる。


「マリナ様。無理に許す必要はありませんわ」


セレスティナの声は、どこまでも優しく、そして毅然としていた。


「彼女たちは反省したから泣いているのではありません。自分が罰を受けるのが怖いから泣いているだけです。かつての、わたくしと同じように」

「セレスティナ様……?」

「変わろうとしない者に、あなたの優しさを搾取させてはいけません。謝罪を受け入れないことも、あなたの正当な権利ですわ」


その言葉に、マリナの大粒の涙が、頬を伝ってポロポロとこぼれ落ちた。

それは恐怖や絶望の涙ではなく、長きにわたる呪縛から解放され、初めて自分という存在を認められた救済の涙だった。



◇ ◇ ◇



舞踏会の喧噪から離れた、夜の町外れ。

一行の馬車が次の目的地へ向けて出発の準備を進める中、ミロは一人、石畳の地面に鼻を近づけていた。


「ミロ、出発しますよ。何を嗅いでいるのです?」


リディアが声をかけると、ミロは犬の耳をピンと立て、厳しい顔つきで振り返った。


「先生……この町、変です」

「変、とは?」

「獣人の匂いが、不自然に消されてます。誰かが意図的に隠してる匂いです。しかも、つい最近まで、たくさんの獣人がいたはずなのに……」


ミロの言葉に、レオンハルトが剣の柄に手を添え、鋭く周囲を見回した。

夜闇に包まれた町は、不気味なほどに静まり返っていた。

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