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第36話 公爵夫人は礼を語る

「国家反逆の罪人」と名指しされた瞬間、王都社交教育会の大広間は、爆発したようなざわめきに包まれた。

「あ、あの作法教師、王女殿下を騙っていたのか……!」

「恐ろしい女だ。本物の殿下は、ご病気で王宮のベッドにおられるというのに!」


手のひらを返したように、周囲の貴族たちから一斉に非難と侮蔑の声が上がる。

勇気を振り絞って立ち上がった被害者の令嬢や侍女たちも、信じられないというようにリディア・グレイスを見つめ、再び恐怖に震え始めた。

彼女たちの唯一の希望であった『王命監査』が、公式の記録という巨大な盾によって、根底から否定されてしまったのだ。


「……先生」


セレスティナが青ざめた顔でリディアに寄り添い、レオンハルトが無言のまま半歩前に出て、私兵たちの動向を牽制した。

剣は抜かない。しかし、その身から放たれる殺気だけで、容易には近づかせない壁を作っている。


「王宮が認めた公式の『記録』こそが、この国の真実ですわ」


オクタヴィア公爵夫人は、扇で口元を覆いながら、哀れむような目でリディアを見下ろした。


「どれほどあなたが王女を名乗り、彼女たちが涙ながらに訴えようとも、記録が存在しない以上、それはただの狂言に過ぎない。……わたくしが王宮に手配した『殿下は病床にある』という事実の前に、あなたの主張はすべて無に帰すのです」

「……」

「お分かりかしら? これこそが、絶対的な権力を持つ者の力。そして、この国を支える『揺るぎない秩序』なのです」


オクタヴィアは特別席から立ち上がり、カツ、カツと優雅な足取りで階段を下りてきた。

彼女の目は、自らの行いを少しも悪びれることなく、むしろ崇高な使命感に満ちていた。


「作法教師殿。あなたは先ほど、この無能な者たちを『保護されるべき民』と言いましたね。ですが、それは完全な誤りです」


オクタヴィアは、怯えて固まる令嬢たちを冷たい目で見やった。


「彼女たちのような、家の利益にもならず、感情を抑えることもできない弱い者に権利を与えれば、貴族社会は瞬く間に崩壊します。……礼儀とは、身分の違いを明確にし、弱い者が強い者に従うための、完璧で美しい仕組みなのです」


それが、王都社交界の女王の歪んだ思想だった。

上位の者が下位の者を支配し、有能な者だけを選別して生き残らせる。金冠教育会は、その選別を効率よく行うための機関に過ぎない。


「選ばれた優秀な令嬢だけが、高位貴族の妻となり、より強固な血統と派閥を築き上げる。それこそが貴族の義務であり、国家の繁栄に繋がるのです。……その美しい仕組みを乱すあなたこそが、国家にとっての害悪ではありませんか」


堂々と自らの正当性を語るオクタヴィアに、周囲の貴族たちも「その通りだ」「公爵夫人の仰る通りだ」と深く頷き合う。

力なき者は切り捨てられ、踏みにじられるのが当然の世界。


「ふざけるな……!」


ミロが犬歯を剥き出しにして、怒りに震える声を上げた。


「お前たちのその『美しい仕組み』のせいで、どれだけの人間が泣いて、腹を空かせて、死んでいったと思ってるんだ! そんなの、ただの自分勝手な言い訳じゃないか!」


「黙りなさい、獣人。家畜に発言権はありませんよ」

オクタヴィアが冷酷に言い捨てた。


「……ええ。彼の言う通りです。あなたの言葉は、単なる傲慢な搾取の肯定に過ぎない」


沈黙を破り、リディアが静かな、しかし広間全体を震わせるような透き通った声で反論した。

彼女は銀縁眼鏡の奥の灰紫の瞳で、オクタヴィアを真っ直ぐに射抜いた。


「あなたは、礼儀を弱者を黙らせ、従わせるための道具だと言いましたね。……違います」


リディアは一歩、前へ踏み出した。

その瞬間、地味な作法教師の姿から、覆い隠すことのできない王族としての絶対的な威厳が立ち上った。


「礼儀とは、弱い者を黙らせるための飾りではない。強い者が、弱い者を踏まないための鎖である」


作品の背骨となる、揺るぎない信念。

リディアの言葉は、オクタヴィアの冷酷な思想を真っ向から両断した。


「力を持つ者こそが、自らを律し、持たざる者の声に耳を傾けなければならない。その義務を負う覚悟こそが、真の『礼儀』なのです。……あなたのように、他者を点数で切り捨て、その痛みに目を塞ぐ者に、貴族の、そして王国の未来を語る資格はありません」

「……っ、生意気な口を!」


オクタヴィアの顔が、初めて怒りに歪んだ。

痛いところを突かれた権力者は、扇を強く握りしめ、リディアを睨みつける。


「たかが偽物が、御託を並べるな! お前たち、その女を捕らえなさい!」


私兵たちが再び武器を構え、ジリジリと距離を詰めてくる。

だが、リディアは一歩も引かず、自らの裁縫箱の底から、純白の封蝋章を取り出した。

本物の王族だけが持つ、『白百合の巡察章』。


「わたくしは、この鎖を自らに課す者として、あなた方の悪辣な支配を終わらせます」


リディアは紋章を高く掲げ、凛とした声で宣言した。


「跪きなさい。第二王女エレオノーラ・ルクレティア・アストレアの名において、オクタヴィア・ローゼンフェルド、ならびに金冠教育会を、王命監査下に置きます!」


その気高い宣告に、私兵たちの動きが一瞬だけ止まった。

被害者たちも、祈るような目でその白い紋章を見つめる。


しかし――。


「クフフ……アハハハハ!」


オクタヴィア公爵夫人の、狂気に満ちた哄笑が広間に響き渡った。

彼女は腹を抱えて笑い、憐れむような目でリディアの掲げる紋章を指差した。


「何度同じことを言わせるおつもり? 本物の第二王女殿下は、今も王宮のベッドで熱にうなされておられるのですよ」


オクタヴィアは冷酷な宣告を下した。


「あなたが掲げているその章こそ、王家の権威を騙るために作られた、精巧な『偽物』ではありませんか!」


会場が大きくざわめいた。

「そうだ、偽物だ!」「騙されるところだった!」と、貴族たちが次々と声を上げる。


「さあ、私兵たち! その偽物の紋章を奪い取り、罪人どもを地下牢へ引き摺り下ろしなさい!」


オクタヴィアの号令とともに、完全に殺意を固めた私兵たちが一斉に襲いかかってくる。

王女としての正当性を完全に封じられ、王命監査の権威は地に落ちた。

逃げ場のない敵陣のど真ん中で、リディアたちは絶体絶命の危機に立たされていた。

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